演劇が異なるもの同士の摩擦から生まれるものであるならば、『第七面』と名付けられたこの喜劇は、二人目の俳優が現れた時から始まるのかもしれない。
暗闇に浮かび上がる浮浪者風の男が一人。ピースサインをして光の輪の中に立っている。そこへ、またもう一人さえない男がやってくると、最初の男が誇らしげに掲げるピースサインをねじ伏せて、自分が光の輪の中に入っていく。どうやらこっちも、ピースサインがしたいらしい。言葉を発しないまま、ピースサインを奪い合う“おしくらまんじゅう”が延々と繰り返されていく。男達のだらしない身体と襤褸を身にまとった姿がピエロのように可笑しくて、意味もわからずクスクス笑ってしまう。ピースサイン=2という数字で、トコトン遊び倒してやろうという芝居の幕開けだ。
そのうち二人は新聞の『第七面』を広げ、そこに掲載されているホヤホヤの死亡記事をチェックしはじめる。葬式のご馳走にありつこうという魂胆だ。しかし、ここでもまた二人は対立を始める。こっちの葬式、あっちの葬式、行きたい葬式が異なるのである。こっちの水は甘いぞ、あっちの水は苦いぞと、延々とまたやっているのであるが、最初の男ファーディーが「間にはまった」と泣き言をいいはじめる。とにかくこの二人、会話がひっちゃかめっちゃかに飛ぶのである。
アラブ文学に詳しいわけではないが、いくつか小説を読み、わかりやすさに重心を置かない詩的な世界に魅力を感じていた。そんな小説家の一人に、パレスチナからレバノンに渡ったガッサーン・カナファーニーがいる。新聞記者だった彼は車に仕掛けられていた爆弾により36歳でベイルートで暗殺された。彼の代表的な中編小説の一つである『ハイファに戻って』では、一人の男がこう呟く。
「私はこのハイファを知っている。しかしこの町は私を知らないと言うのだ。」
パレスチナを追われヨルダンに避難した夫婦が、20年後ふるさとを訪れた時の会話だ。戻ってみると懐かしい我が家は、すでにイスラエルに移植したユダヤ人夫婦の住まいになっていた。そして、残してきた赤ん坊はこの夫婦の子どもとして成人していた。
レバノンにも多くのパレスチナ難民が生活するが、彼らもまたイスラエルにもレバノンにも属さない<間>の存在であろう。ましてや、昨年空爆のあったガザ地区ではたった360 キロ平方メートルほどの地域に150万人もの人々が閉じ込められ、不自由な生活を余儀なくされている。「気が付いたら間にはまっちまった」ファーディーと同じである。しかしその<間>で、人々は笑い、食べ、働き、子どもを産み育てるのだ。それが人間の生であるからには。
ファーディーとイサームの二人芝居を観ていて思ったのは、どんな状況であっても人間は笑うのだなという実は単純なことだ。私は<間>のやりとりを聞いて、現在パレスチナで起こっている暴力的な出来事を考えざるを得なかったけれど、目の前にいる二人の俳優は明らかにコメディアンであり、中年のくだらない身体をフル活用して執拗に笑いを誘ってくる。
3.11以降、<笑っちゃいけないんじゃないか>という自粛が自分の中でいつでもつきまとう。『ベイルートでゴドーを待ちながら』も、プレトークで「これはコメディですから、思い切り笑ってください」とあらかじめ温めてもらっていなければ、神妙な顔をして観ていたかもしれない。この<こんな状況だから、○○しちゃいけない>というのは、<お国の兵隊さんががんばっているのに>という理由で、なにもかも我慢させられた戦時下の日本と同じ理屈なんじゃないかと思えてならない。でも悲しいかな、その日本人的気質が生来私にも備わっているのである。「笑っていいとも!」と言われてはじめて笑うことの出来る自分も情けないが、その情けなさにあえて身をゆだねて目の前のしょうもない二人のユーモアに集中してみる。
芝居は終盤にさしかかり、ファーディーがもしかしたら死んでいるのではないかという状況になり、いよいよ末期的にわけがわからなくなってくる。レバノンでは死さえも<殉教>なのか、<犠牲>なのかという意味に分別されるそうだ。どこにも属さない宇宙的な死をファーディーが望んでいるとすれば、その死もまた無色透明な<間>に存在するということになろうか。とことんやってくれる男達である。
レバノンに逃れたあるパレスチナ難民の手記に、1つテントの下で隙間を埋め尽くしながら11人の家族が暮らす様がつづられていた。現代のアンネ・フランクは、恐るべきことに未だ負の連鎖のなかで生きている。
演劇や文学は、常に弱者の側に立ってほしいと願ってやまない。
<間>で生き、<間>で死ぬことを選んだファーディーとイサームの肉体と不条理を笑う事で、『第七面』という作品が放つメッセージを受け取ったと私は信じている。それは同時に、自分が腹のなかに抱えている<自粛>という虫を、エイヤッと追い払う行為でもあった。空気を読まないということを、思いっきりやってみたのである。