まず、私たちの手ちがいにより、コンクールの結果発表が非常に遅くなってしまって、大変申し訳ありませんでした。観劇後すぐに力作を応募してくださった方々に、謹んでお詫び申し上げるとともに、今後このようなことが起きない体制づくりに努めてまいりたいと存じます。
今回は22本の投稿のうち、半数近い10本が『三代目、りちゃあど』を対象としたものでした。でも、極めて多彩な要素によって構成された作品だからでしょうか、多くの劇評は、この作品の意義を端的に言いあらわすことに困難をおぼえていたようです。その中で柴田隆子さんの【もう影法師はいらない? ~オン・ケンセン『三代目、りちゃあど』】は、この作品の意義を「(1980年代の)消費文化から共に創造するコミニケーションの文化への移行」を目指すものとして、明確な結論を提示できているという点で、群を抜いていたために、最優秀賞に選ばれました。
『少女と悪魔と風車小屋』を論じた田鍬麗香さんの『少女と悪魔と風車小屋』は、切り落とされた少女の両手が両手が「自己」を象徴している、という分析が劇評全体を貫く視点になっていて、この分析と、ご自身の小さな娘さんを連れての観劇体験とが見事に結びあわされていて、非常に説得的かつ印象に残る劇評になっていたために優秀賞に選ばれました。
入選作品の中では、『火傷するほど独り』を論じた番場寛さんの【エディプスの孤独としての「火傷するほど独り」】、西史夏さんの『火傷するほど独り』が次点となりました。この2作は、ともにかなり鋭い分析を見せてくれているのですが、最優秀賞・優秀賞受賞作品は、一つの分析を全体を貫くものとして提示した上で、作品の意義を明確かつ説得的に言明できていると言う点において、これらよりも優れていると判断しました。この字数制限においては、一つのテーマを明確に提示できることが重要になります。
(なお、番場寛さん、西史夏さんの劇評では、ワジディ・ムアワッドあるいは主人公のハルワンがイスラム教徒の家庭出身として論じられていましたが、レバノンにはキリスト教徒も少なからずいて、ムアワッド自身もキリスト教の家に生まれたようです。これは作品上から読み取れることではないので、劇評の評価とは無関係ですが、ご参考まで。)
劇評を読むたび、舞台で起きたことの一つ一つが懐かしく思い出されます。
またみなさんの投稿を拝読するのを楽しみにしております。