「一つ、お山に言ったら物を云わぬこと」
「一つ、山から帰る時は必ず後ろをふり向かぬこと」「一つ……」
あれほど念を押された部落の掟を、辰平はことごとくぶち破った。
おっかあを山に残した下り道、楢の木の間に白い粉が待っているのを見た途端、辰平は足を返し猛然と山を登り始めるのだ。
岩の前に坐っているおっかあの前まで来て、辰平は叫ぶ。「おっかあ、雪が降ってきたよう」「おっかあ、ふんとに雪が降ったなあ」
いつの間にやら村の風習に同化させられてきた観客は、掟を破った辰平がどうにかならんかと心配させられながらも、いままでほとんど這いつくばって生きてきたような辰平が、両足に力を込めて立ち上がり叫ぶ姿に、心を震わされるのだ。言葉は「雪がふってきた」であるが、それはおっかあへの愛と感謝と万感の思いが込められていた。
辰平に対し、口を開くことなく、「けえれ、けえれ」と手の甲を振るおりんの全身にも、茣蓙の周りにも、私たち観客には確かに見えた。うっすらと白く雪が積もり始めているのを。
衝撃の舞台であった。それも心にも腹にもずしんと来る重い衝撃であった。上演台本の瀬戸山美咲恐るべしというべきか。
約七十年前、深沢七郎による小説「楢山節考」が世に出た時、同じような衝撃が日本文学界を襲ったようだ。
舶来のヒューマニズムや個人主義、美意識を弄んでいた文学者たちは勿論だが、日頃より人間の内面の醜さ、脆さなどをえぐり出してきたつもりの自然主義の作家、私小説作家たちなども一様に大きなショックを受けたと言う。全身を理論武装したつもりであった者が、突然股間から濡れた生の手を差し込まれ、心臓を掴まれたような感じ、いやそれは小生の勝手な解釈だが、そんな感じだったようだ。
さてしからば、今回のSPAC春の演劇祭出品の演劇「楢山節考」と七十年前の小説「楢山節考」の与える衝撃が同じものかといえば、ある部分同じでもあり、またある部分は大いに異なるものと云うべきであろう。異なる部分の多くは、七十年前と現代日本の環境の変化にあることは勿論だ。
あらすじを一応振り返ってみる。慢性的な食糧不足の続く山村では、口減らしのために役に立たなくなった人間、つまり年寄りを山へ捨てる風習(と言うよりも義務、掟に近い)があった。もうすぐ七十歳となるおりんは、懸案だった息子の辰平の後添いを見つけ、自分の山行きの支度を始める。母親への愛情から、それに消極的だった辰平も、やむなくおりんを背負い山へ向かう。屍の累々と続く山を登り、清浄な岩の前におりんを下ろした辰平は、下りの帰り道で雪が降って来たのに気付く。辰平は矢も楯もたまらず、掟を破り、おりんのもとへ駆け上る。
おりんに向かって叫ぶのが本稿冒頭の場面である。
「楢山節考」が中央公論に掲載されたのは1956年である。日本が大戦に破れ米国をはじめとする連合軍に無条件降伏したのが1945年。そこから国民総飢餓の時代が始まる。56年と言えばわずかその十一年後、まだまだ飢餓を引き摺り、「戦後」とさえ言われない時代のこととなる。
片や年間522万トンという食品廃棄を続けている現代日本。多くの日本人は口減らしという概念は理解できても、心身全体で受け止めることなどできまい。
後妻となる玉やんが、なかなか家に入ってこれず、おりんに見つけてもらい言い訳をする。
「うちの方もお祭りだけんど、こっちへ来てお祭りをするようにって、みんなが云うもんだけん、今日来やした」
もとの部落の方では、他の部落の後家に行く女に飯を食ってもらっては困るのだ。それは玉やんだって知っているし、おりんの方だってよくわかっている。祭りを祝うという大義に包み込んでいる会話なのだ。
申し訳なさそうに言う玉やんと、「そうけえ、さあさあ」と息子の後家が気にしないようもてなすおりん。玉やんの遠慮がちな表情、おりんの後家を気遣う表情。姨捨という非情な行為と対極をなす人と人との温かい繋がりである。
老人は今や七十五歳以上が2005万人、全人口の16パーセントという時代。高齢者問題は食糧事情などは消え失せ、痴呆症問題、老々介護問題、医療費問題など多岐にわたる。
これほど社会環境が異なるのに、七十年前と同様(本当に同じものかはさておき)の大きな衝撃を与えてくれたのはなぜか。
今回の「楢山節考」の三人の演者、おりん、辰平、お玉は、重厚なチェロの演奏のもと、山村の貧しい部落と貧農の暮らしを現出させた。
楕円堂の漆黒の空間が三人の動きにうずくように息づいた。考えてみれば、当然だ。なにせ制作されたのが利賀山房である。三人が身を寄せ合い、土に這いつくばり生きている演技も、鈴木メソッドの影響が色濃い。
辰平は母親を山に捨てる事など嫌だと思い続けていたが、結局は捨てざるを得なくなる。
現代においても親捨ては日常茶飯事のようなものである。その多くは個人生活を維持するために、年老いた親を施設へ送り込む行為である。
介護生活を続け、共倒れにならないように、寧ろ推奨されている行為であり、現代日本社会の掟とさえなりつつある。
無論、誰もが喜び勇んで親を施設へやるのではない。悩み、悲しみ、苦しんだ結果なのだろう。
しかし、この物語でもそうだが、一旦社会の掟となったら、人間は罪悪感を忘れてしまうのだ。その恐ろしさを思い出させてくれたのが、この舞台であった。
掟を破って、山を駆け上がり叫ぶ辰平。
「おっかあ、雪が降ってきたよう」
その万感の思いに、我々は心を震わさずにはいられなかったのだ。
それにしても、おりん、玉やんの演技、ふんとによかったなあ。