劇評講座

2011年6月24日

『マルグリット・デュラスの「苦悩」』(パトリス・シェロー演出、マルグリット・デュラス作)

■準入選■

空間を支配する力。あるいは人情噺「苦悩」
〜ドミニク・ブランのひとり芝居<マルグリット・デュラスの「苦悩」>を観る〜

阿部未知世

<SPACスプリングシーズン2011>における唯一の外国人による公演である、<マルグリット・デュラスの「苦悩」>。パンフレットに掲載されたドミニク・ブランの舞台写真は、まるで18世紀フランドル絵画のような静謐さと深みを湛えて、とりわけ心を惹いた。

舞台には無骨な机がひとつ。それに対するように置かれた椅子が数客という、殺風景な空間で、ブランはおもむろに語り始める。第二次世界大戦末期の極限状況。それは自分自身が記したという記憶がないという。それほどに極限情況だったのだろう。克明な記録から徐々に現前して来る事実は……。

1945年初夏のフランス。女はひとり、行方不明の愛する男を待つ。男はレジスタンスとして強制収容所に送られて生死は不明。女はここ数週間、生々しい男の死のイメージに苦しんでいる。その一方で、無事に帰還した男との至福の時をも夢想する。女は同志とともに新聞を発行し、強制収容所からの解放された人々、送還された捕虜たちと関わる。女や同志は、行方不明の男の消息を探す。女は、極度にナイーブになっている。それ故に、男にかかわる情報に触れることができない。やがて、男の消息が解る。同志の力で、瀕死の男が女のもとに帰る。明日までの命はないだろう。皆がそう確信するほどに深く、男は死の淵に深く囚われている。看病する女のもとで男は、緑色に泡立つ腐葉土の臭いのする排泄物を出し続け、そして17日目。<おなかが空いた>という言葉とともに、男は生の岸へと帰還する……。

マルグリット・デュラスの文学作品「苦悩」と、彼女が残した記録「戦争ノート」から抽出した言葉によって構成された台詞。ブランは抑制された演技とともに語ることで、当時の情況と心情を骨太に体現して、深い余韻と感銘をもたらす。

帰途、<これは何だったのだろう?>と反芻するうちに、こんな思いがわが裡に生まれた。<そうだ、立川談志が語る「芝浜」に重なってくるのだ!>という、何とも唐突な思いだった。

鬼才として知られる落語家、立川談志。彼が愛してやまない落語のひとつに「芝浜」がある。腕は良いが、酒に溺れる魚屋。女房にせっつかれて久方ぶりに河岸へと出かけた魚屋は、日の出前の芝の浜でずっしりと重い財布を拾った。<嬉しや、この四十二両で遊んで暮らせる>とばかりに呑んで浮かれて、寝てしまう。

女房は、<河岸へ>と魚屋を起こす。<昨日拾った金が>という魚屋の言葉には取り合わず、女房は<夢だ。夢だ>の一点張り。その剣幕に魚屋も、夢だったのだと思い込み、心を入れ替えてぷっつりと酒を断ち、仕事に励むこと三年。棒手振りから、今や店を構えるまでになった大晦日の夜。女房は見覚えのある財布を取り出す。十両盗ったら首が飛ぶ世の中、大家の意見で金はお上へ届け出た。魚屋へは夢たったことに、との大家の入れ知恵。持ち主の出ない金は、再び女房の手に。それを切り出せないまま時が過ぎた今の幸せ。詫びる女房、詫びる魚屋。久方ぶりに酒をすすめる女房。促されて口をつける寸前、魚屋はひと言。<やめておこう。また夢になるといけない……>。

まるで風を孕んだカーテンが大きく波打ち、世界が反転するような不思議な感覚。そして今この現実も夢なのかも知れない、という微かな不安。そんな余韻を残す、圧倒的な迫力の談志の「芝浜」なのだ。

このふたつを重ね合わせること自体、不謹慎の誹りは免れないだろう。それに両者は違い過ぎる。ブランは一貫して、デュラスを彷彿する女性であり続けた。しかも台詞の大半は、説明あるいは独白としての語り。それを補うように、舞台上を自由に使っての抑制の利いた身体表現が伴う。翻って落語は、身体は正座したままながら、登場人物を演じ分け、時に情景描写も加えて物語世界を作り出す。

対極にあるかに見える両者。しかし深く通底するものを観ることは可能ではないか。

すなわち、談志は<伝統を現代に>との志のもとに、<人間の業を肯定>する落語と格闘し続けて今に至る。それ故に、古典落語を語るとは言っても、無形文化財としての伝統の話芸を保存し、継承する立場にはいない。談志が語る人物は、その裡に欲望や愚かしさを抱えて、否応なく振り回されている。

デュラスの、そしてブランの世界も一筋縄ではいかない。愛する男を激しく揺れる思いで待つ女はしかし、同志の男と微妙な関係にもある。ナチの暴虐に対しても、同じヨーロッパ人種として同罪なのだという深い洞察をも持っている。この多面性こそ、人間という矛盾に満ちた存在への深い眼差し、すなわち<業の肯定>と直結する姿勢だろう。

そして舞台上のブランはまさに、1945年のデュラスそのものだった。彼女の創り出した舞台空間は、当時の緊迫したパリの日常そのものだった。しかし過去の話としてではなく、時を超えて常に<今>の体験として、私たちの心を激しく揺り動かすのだ。そこには、ブランの、そして演出のパトリック・シェローとティエリ・ティウ・ニアン(名前からして東洋人だろうか?)が生み出した脚本が、大きな力を持ったことは事実だろう。

それを超えて余りあるものがブランの身体性ではなかったか。作品への深い洞察とから生まれた思いや気持、そしてその時代の空気。それらをまさに体現し、演劇空間へと力強く放出して行く、卓越した身体性があるからこそ実現し得た、<永遠の今>なのだ。

(蛇足にはなるが、談志の高座も凄まじい。瞬時に登場人物が交代し、時に素の談志さえそれに加わりながら、少しもだれることなく話を積み上げ、圧倒的な力で観客を巻き込み、大団円へとなだれ込む。天才と言われる噺家だからこそできる技なのだ。)
優れた脚本が、優れた演者に出会う時、作品は時代を超えて受け継がれ、古典作品として生き続ける。談志の語る落語が今を生きる古典落語であるように、ブランの体現する<苦悩>は時間に耐え、多くの優れた演者によって、演じ続けられるであろう、まさに未来へ向けての古典がひとつ、今ここに生まれたのではないか。あの夜、あの場に立ち会えたことを、幸福としよう。

<了>

観劇日:2011年3月4日 楕円堂