劇評講座

2017年10月13日

秋→春のシーズン2016■入選■【高き彼物】宮川ぶん学さん

カテゴリー: 2016

高き彼物。過去の適切な家族の風景を通じた未来への演劇人への大ヒント

 グランシップ楽日に観覧にて、練度上積み補正あるも、確かな名作。

 今作は1978年静岡県川根町。猪原家という家族の猪原正義という元英語教師の再婚にまつわる物語である。
再婚の話題に上がるのは野村市恵という国語教師。そして、藤井秀一という、友人をバイク事故で、自分の責めで失ってしまった負い目と受験に悩む高校生。また、正義の娘、智子の献身と彼女自身の縁談の話。
そして、その智子の縁談が発展して、正義自身の負い目も救済され、物語は統一を見る。

 ネタバレになるため、今作に現れる、【ボーイズ・ラブ】については、あえて触れないほうが、今作の威厳にふさわしい、【言い過ぎない】凛とした劇評となろうかと思う。

【演出、作、俳優、四点】

 ●演出の古館寛治さん(以下全て敬称略)だが、劇団青年団に所属ということで、SPACとのコラボは、誤解を恐れず言えば、アウェイ戦。
 
 それでも、強力な劇団SPACの面々を見事に統率した。作品の世界観の掘り下げ方の深さが端的に、演出、古館の描き出した文化的価値の巨大さを示す。なぜ、人は人を縛るのか、ルールとは何か、モラルとは何か、与えられた枚数で書ききれない巨大なテーマを、古館は観客に示すことができる力量のある演出家だ。

 演出家としては、中堅の位置と言えるが、視点が老化せず、固定化されていない。
少なくとも、古館はいまだ、骨とう品でない。
劇団青年団の経歴の気風がよくSPACとなじみ、心地よい。古館の人望もあろう。敬意を表したい。

 ●俳優は、野村市恵役=本多麻紀だが、はっきりいって、ピーク時の京マチ子級の表現力と華がある。
壺井栄【二十四の瞳】の大石先生的な、知性と理性と悟りによる一種の菩薩、母性の理想像として、本多の国語教師役は描かれるが、救いと叱りを与える。
シンクロコーチ、井村雅代の【愛があるなら叱りなさい】である。

 本多の役は、失ってしまったモラルや真面目さの象徴。ひざ詰めあわせて、一生懸命話すということは記念館でしか、観られない原風景なのか。
それは、本多自身の俳優としての説得力を用い、観客に問う、普遍的な価値である。
 
 本多自身が、この役では、一つの女性のモデルとなりえている。
それは、本多の平素の行状からの、自覚の良さに他ならない。
女優としての鍛錬に怠けることのない本多に敬意を表する。

 ●徳永光太郎役=武石守正だが、武石という俳優は本当に安定感のある俳優で、いまいちな時を観たことがない。
生ものである舞台芸術でその安定感を出すには、本人の影での努力が想像できる。

 【SPAC版ロミオとジュリット】での乳母役もそうだが、ドタバタ役で、武石に外れはない。
自然さと必然性が備わる。ドタバタ役は誇張されがちで、難しさもあるが、武石は難なくこなす。
その実力は本物。SPACの宝だ。

 ●猪原平八役=吉植荘一郎は終演後、ロビーでもご挨拶したが、【日本のオヤジ】に自覚的かお尋ねしたが、今作で使用された浜松遠州方言との格闘で、頑張った印象が強いとのこと。
方言のない地域はないといってもいいし、渋谷で話すNHK語こそ、辺境かもしれないのだ。
 
 その点で、役名である、平八をもって、今作では、【わしが、猪原家家長、猪原平八である、以上!】と言い切ってしまっていいほどの存在感を吉植は与えてくれた。

 【総括】
 本作の舞台は、嵩(かさ)上げた、茶の間に扇風機を回して劇は進む。扇風機は過去へのスイッチであり、茶の間の高さは、過去であること、また、茶の間が、実は幻の非日常であることを示す。

 もう、今はない風景。現在は、モラルも、ルールも、すべての価値は相対化され、役に立たないのなら、生きてはいけないと考える社会。子供の泣き声に、いらだちと嫉妬しか浮かばない、息苦しい閉塞した右肩下がりの社会病理がある社会。

 ステータスや結果がすべての殺伐とした社会。そこに猪原家は父性も母性も、凛とした、
ハナレグミのいう、【家族の風景】を見せる。志をもって、一生懸命頑張るということ。

 それが、【高き彼物】である。プロセス、根気、地道にやること。
真面目さの復権である。

 愛を抱えて、良いものをお目にかけたいということ。
愛することは許すことであり、許すためには精進せねばならず、精進できるためには、家族も、日本も、世界も、自他が壊れてはならない。

 そのためには、日常は不愉快なことにあふれていても、きっといい明日が来ると思える人間に、まず、自分自身がなるということ。

 それはSPACが示すのか、より若手の新勢力が示すのかはわからないが、舞台芸術という建築模型が、真面目さ、【高き彼物】のモデルを社会に示す幻灯機になるということ。
今作で過去の【高き彼物】を示したことは、21世紀を生きる演劇人への大きなヒントである。