劇評講座

2019年8月31日

ふじのくに⇔せかい演劇祭2019■入選■【メディアともう一人のわたし】西史夏さん

カテゴリー: 2019

メディアともう一人のわたし~メディアのなかの多様性~

 いま、韓国フェミニズムが熱い。
“Kフェミ”と日本で呼ばれるそれらの文学が注目を集めるきっかけとなったのが、昨年末邦訳された『82年生まれ、キム・ジヨン』である。今も書店に平積みされているこのハードカバーを私も最近になってようやく読んだ。胸が痛くなると同時に、これまで自分が感じて来たわだかまりのひとつひとつを飲みこめたような、どこかすがすがしい読了感があった。ここには、二〇一五年に三十三歳を迎える主人公キム・ジヨンの半生が描かれている。
 片や、イム・ヒョンテク率いるソウル・ファクトリーが韓国で活動を始めたのは二〇〇〇年頃。パンフレットに、本作の初演は二〇〇六年と書かれている。その時キム・ジヨンは二十歳、「女があんまり賢いと会社でもてあますんだよ」という現実に出会いながらも、就職戦線を勝ちぬき社会人になった年である。彼女がその後、結婚、妊娠、退職、出産を経て夫に連れられ精神科を受診するに至る十年間、『メディアともう一人のわたし』は上演され続けていたことになる。ところで、キム・ジヨンの病が何かというと、突然別人が憑依したように、ぺらぺらと喋り出すというものだ。生きている人にも、死んでいる人にもなるが、必ず身近な女性として現れる。
 イム・ヒョンテクは演出ノートの冒頭に「メディアが自分の子どもたちを殺したのは、怒りや絶望、復讐の欲望のためだったのだろうか。このような悲劇的な出来事は今でも起きていることなのだろうか。」という疑問を投げかけている。結果、《二人のメディア》が誕生したわけだ。
 女性の人生はライフステージにより、その役割が大きく左右される。複数の役をこなさなければならない時期、自分の生活のどの部分に重点を置くのか、何を一番大切にしたいのか、誰もが悩み、大波小波に足をとられながら自分なりの人生を選び取って行く。
 そんな中でも、いや、そんな時だからこそ大きな目標を持つことがある。どうしても達成したい場合は、他の欲望を殺して手に入れるしかない。
 頭脳明晰なメディアは、夫イアソンに裏切られ、捨てられた時、瞬時にして復讐の計画を脳裏に描いた。自ら手に取ったそのimageを成功させるために殺さなければならなかったものこそが、《母性》だった。メディアにとって、何より優先されるべきは《誇り》の回復だったのだ。しかし、真に母性を抹殺することはできなかった。そして生まれたのが、もう一人のメディアだったのではないか―私はそう推察する。別人にならなければ心の声を語れなかったキム・ジヨンのように。

 赤みを帯び、左右に二つの水脈を持った楕円堂の舞台。
 白い民族衣裳に身を包んだ演者がそれぞれ、水脈の向こう側に座し、中央に躍り出ては、ときに舞い、ときに演じ、『メディア』の世界を現出する。
 打楽器を伴い、絞り出されるようなパンソリの歌声。静かな悲しみに満ちたチョンガ(正歌)、舞や台詞と一体となり舞台表現を導くこれらの音楽に、私は韓国が古代ギリシアの物語につながる地平を見出す。半島や孤島など、地理的条件から他民族による侵略と支配にさらされてきた土地の民族音楽は、そのものが反骨に満ち、悲しみの叫びを内包する。愛する男のために母国を捨て、逃げのびてきたメディア、更に男に裏切られ、その土地をもみじめに追い出される身の上のあわれ。韓国の「ハン(恨)」という情念を宿したメディアのクライマックスは、燃え上がるように激しく、子を愛する心、男への怒りと誇りを取り戻したいという心、引き裂かれる思いの中で、我が子の殺害へと冷淡に突き進んでいく。一方で、もう一人のメディアは一途に愛し子を抱きしめ、メディア自身を何度も母性へ引き戻し、殺害を思いとどまらせようとする。

 舞台上のメディアは二人であるが、二人ではない。メディアともう一人のわたしの間には、韓国の、日本の、中東の、欧米の、アフリカの、世界中のメディアと、メディアをめぐる物語がある。
 前述したキム・ジヨンの半生において、母オ・ミスク堕胎のエピソードがある。二人の女の子を産んだ母は、三度目の妊娠で宿した娘を中絶してしまう。「次も娘だったらどうする?」と問うた妻に、「縁起でもないことを言うな」と答えた、夫の一言ゆえに。イアソンと、キム・ジヨンの父の間にもまた、世界中のイアソンがいる。

 メディアの息子たちの死は、赤いヒトガタ(人形)に火をつける行為で表現される。殺害と、弔いと、一人の女性の一つの行為のうちに、厳粛に死が語られる。この幼い死において私が受け取ったのは憎しみではない、それは行き場のない怒りと悲しみであり、いうなればこれもまた「ハン(恨)」という感情なのだろう。
 イム・ヒョンテクの演出ノートが問うた質問に、観客として最後に、私はどう答えるべきだろう。
その回答のうち幾つかは、誇りのために母性を殺さなければならなかった非業の女性史そのもののなかに見つける事が出来るだろう。しかし、それで足りると言えるのだろうか。私は、私自身も含めた多様なメディアの人生に、生身の声に、もっと耳を傾ける必要がある。いまを生きる人間として、更なる答えを探すために―