今回寄せられた劇評は、『寿歌』4篇、『ペール・ギュントたち~わくらばの夢~』2篇、『RITA&RICO(リタとリコ)~「セチュアンの善人」より~』4篇、『グリム童話~少女と悪魔と風車小屋~』3篇、『メナム河の日本人』1篇でした。
最優秀賞に選出した小田透さん、優秀賞に選出した西史夏さん、ともに『ペール・ギュントたち~わくらばの夢~』を批評して下さいました。『ペール・ギュントたち』は、グローバリゼーションが進む現代のアジアと、イプセンの原作が緩やかに重なる中で、難民化する人々のアイデンティティを問い直した、多面的・複合的・重層的な舞台であり、コスモスとカオスを往還するような、いわばカオスモスの趣向を示した芝居でしたから、これをあえて言葉にして批評しようという勇気をふるって下さったことは、それだけでじゅうぶん評価できると感じました。のみならず、西史夏さんは、この複雑な内容を簡潔かつ明快にまとめた上で、終盤におけるマリア的母性(オーセ/ソールヴェイ)による救済の場面から、「この演出が示唆するように、漂流民ソルヴェイこそがマリアなのだとすれば、私たちが信仰する自国の神々の足元は揺るぎ、歴史の浅いナショナリズムと共にあっけなく崩壊する」と展開しておられ、鋭い指摘であると感じました。また小田透さんは、この芝居の多面性を、舞台上の表象に即して丹念に叙述した上で、「ペール・ギュント」が「ペール・ギュントたち」と複数化されている意味を読み解き、さらに、その複数性によって投げかけられる問いを、自分自身に差し向けられたものと受けとめておられる点を高く評価しました。以上より、西史夏さんを優秀賞、小田透さんを最優秀賞といたしました。
『寿歌』評4篇はいずれも、なぜこの芝居が自分の心に迫ってきたかを率直に述べておられ、読んでいていずれも、SPACメンバーとしては嬉しくなってしまう内容でした。その中でも佐野あきらさんは、戯曲の背景、舞台上の表象、物語の内容などを丁寧に叙述した上で、ラストの雪(あるいは死の灰)が降る演出について、「舞台上の動きは円環の中での水平運動から、雪の降る垂直運動へ変わった。円環に穴が開き、世界は重力を取り戻したのだ。役者と客席の膜が破られ、二つの時間が繋がった瞬間だった。」と、圧巻の解釈を提示しておられる点を評価し、優秀賞に選出しました。
『グリム~少女と悪魔と風車小屋~』評も、いずれも率直な感想を丁寧に述べて下さっており、審査員の胸に迫りましたが、とりわけ小田透さんが、演出の特徴、俳優の演技、物語の内容を巧みに連関させ、これを流麗な文章で活写しておられる点を評価し、入選に選出しました。より客観的・批評的な視点を加味できれば、さらに本格的な劇評に仕上がるだろうと思います。
『メナム河の日本人』評を書いて下さった山本伸育さんは、長大な物語を俳優の演技と絡めてわかりやすく描写し、「全て含めて成功も失敗もない。これこそが素晴らしい人生なんだ!」という結論に至る御自身の心の動きを、力強く述べて下さったことを評価し、入選に選出しました。こちらも、より客観的・批評的な視点を加味することを目指していただきたいと思います。
『RITA&RICO(リタとリコ)~「セチュアンの善人」より~』評は、いずれも熱の入った文章ではあったのですが、劇評として見る限り、どれも原作者ブレヒトや演出家渡辺敬彦の意図を、そのままなぞることにとどまったという印象を持ちました。この芝居を観て「人間の二面性について考えさせられた」というだけでは、ブレヒトが原作『セチュアンの善人』で設定した「異化効果」の手の内にとどまっており、まだただの「感想」の域だと思います。RITA=利他とRICO=利己の矛盾に主人公の人格を引き裂き、自己を自己に衝突させたうえで、神々すらその矛盾から目をそらしてしまうという奇想天外なしかけ(=異化効果)は、本来そのような自己分裂を強いる社会機構としての資本主義をユーモラスに告発するためのものです。まずはその意図を踏まえ、ではこの芝居の演出や演技は、はたしてその原作者のコンセプトに100%従属するものだったのか?という問いを立てることが、「感想」から「批評」へと飛躍するための、ひとつの端緒ではあろうかと思いました。
今回の劇評コンクールも、皆さんの御投稿、いずれもとても読み応えがありました。ぜひまた挑戦して下さい!