2020年「秋→春のシーズン」の劇評コンクールへの応募作品数は、コロナ禍の中で上演も観劇も制限されていたため、たいへん少なかった。そのような中、劇評を書き、コンクールに応募してくださった方々に、まずは心よりお礼を申し上げたい。本数こそ少なかったが、劇評の平均的なレベルが高かったのも、今回の特徴である。
最優秀作に選んだ美和哲平さんの「宮城聰演出『ハムレット』における「主権者の非現前性」について」は、考察の哲学的な深さという点で特に優れていた。『ハムレット』のラストシーンを工夫し、敗戦時の日本の権力と体制の転換を連想させる、というのが宮城聰のハムレット演出のユニークな点で、美和さんの劇評はここに着眼している。すなわち『ハムレット』の(フォーティンブラスへの)権力移譲のストーリーを、戦後日本の「天皇主権」から「GHQによる統治」へという権力移譲と重ね合わせて解釈するのが、この劇評の基本的な趣旨である。この劇評によると、ふたつの権力移譲は、「主権者」の「非現前性」(統治される国民の前に姿を現さないこと)という共通の特徴をもつ。「主権者」の「非現前性」を強調することが実際の演出意図と合致するかどうかは、解釈が分かれるところだが、劇評は、演出家の意図を探ることが目的ではないので、その点は大きな問題ではない。「主権者の非現前性」という抽象的な結論だけではなく、実際に現前している演技や演出の固有性にももう少し分析を加えて欲しかったが、フロイトの「トーテムとタブー」に言及しながら、先王の亡霊がハムレットのみならずクローディアスをも支配していると解釈する等、美和哲平さんの劇評は、一貫した流れの中に、たくみに興味深い話題を配置しており、おもしろく読むことができた。
優秀作の小田透さんの「コロナ禍時代の舞台の可能性と不可能性」は、『妖怪の国の与太郎』を、オンラインのライブ中継で観劇した体験をもとに書かれている。この劇評の読ませどころは、タイトルにあるとおり、オンラインでの公演という形態をはじめとするさまざまなコロナ禍対策によって、演劇が何を残すことができ、何を失ったかを繊細に記述している点である。小田さんは、ムーバーとスピーカーを分ける方法は、コロナ禍の状況の中では自然で、時宜を得たものに見える、と評価する。しかし、オンラインでの観劇は、たとえライブであっても、観客をただの「傍観者」に変えてしまい、場合によっては、俳優さえも演劇そのものから疎外されているかのような印象を与えると感想を記す。コロナ禍がなお続く中、演劇関係者にとって、たいへん有意義な意見であろう。
入選とした、福井健吾さんの「『みつばち共和国』―再認識させられる人間社会―」は、この芝居によって描かれているみつばち共和国(虫の社会)との対比で、人間社会のあるべき姿に思いを馳せたもの。福井さんが特に注目しているのは、個体と全体との関係。この劇評は、観劇が人の思考をいかに刺激するかを示す、好ましい実例になっている。
選にもれた作品も、以上の三作と比べてそれほど遜色がなかった。冒頭に述べたことを繰り返せば、今回のコンクールは、応募作品数こそ少なかったが、平均的なレベルが高かった。コロナ禍で観劇も難しい中、劇評を応募してくださった方々に、感謝している。