今回この『みつばち共和国』を観劇して、いくつか驚いたことや関心を持ったことがある。
一つは、この劇中に、出演者が舞台のセットを自分たちで移動していたことだ。私は今中学1年生で、約10年間クラシックバレエを習ってきており、発表会に出演したり、各種公演を観劇してきたのだが、バレエ全般において,出演者が舞台のセットを自分で移動しているのは見たことがない。これは、今回のこの『みつばち共和国』の公演とバレエの違いによるものだろう。 バレエの舞台では、セットは主に背景や装飾、ダンサーをサポートする道具として使っている。それに対して『みつばち共和国』では、出演者たちはセットと「一体化」して演じているように感じた。セットを移動するときにすら、優雅に自然の一部のように動くのだ。そう、まるで花々の間を移動するみつばちのように。バレエのようにダンサーの華麗な動きで役や気持ちを表現するのも素晴らしいし、『みつばち共和国』のようにセットまでひっくるめて一つの”動き”とするのも素晴らしい。踊りながら道具を「体の一部」として操るバレエというものができたら興味深いものになるだろうな、と思った。
また、みつばちの習性にはとても驚かされた。新・女王蜂の候補が2匹いた場合、殺し合いをするというので、少し調べてみたところ、殺し合いに勝った女王蜂の脚が取れたり羽がボロボロになっていたりしても、仲間は女王蜂として歓迎するそうだ。もちろんその驚くべき習性と、それを生まれつき理解していることも驚きだが、私はこれで人間社会について考えた。人間は意見を表明したりすることが簡単だから、これまでも人々が間違っていることだと認識していることは人々によって好転されてきたが、みつばちをはじめ多くの生物は「生命と種のルール」に抗うことなく生きている。みつばちのような生き方は非常に安定しており、外界に大きな変化がない限りは永遠に続いていく。しかし人間の生き方では、常に「自殺」や「絶滅」しかねない。そのかわり自然界のルールを一転して良い方向に突き進むチャンスを得られる。このどちらがいいのかは正直わからない。なぜなら今人間は自分達と、みつばちをはじめ他の生物の命をあやめているのだから。「劇評」とは多少焦点が違うのだが。
このように、私は『みつばち共和国』からさまざまなことを考えた。私の性格的に、「考える」だけで終わってはしまうのだが。でも、これらのことをぼーっと考えられただけでもありがたいと思う。『みつばち共和国』、面白そうだなという軽い気持ちで見に行ったにもかかわらずこんなにいろいろ学ばせてくれてありがとう!