劇評講座

2022年8月31日

SPAC 秋→春のシーズン2021-2022 劇評コンクール 審査結果

カテゴリー: 2021

SPAC 秋→春のシーズン2021-2022の劇評コンクールの結果を発表いたします。

SPAC文芸部(大澤真幸、大岡淳、横山義志)にて、応募者の名前を伏せて全応募作品を審査しました結果、以下の作品を受賞作と決定いたしました。

(応募数13作品、最優秀賞 1作品、優秀賞 2作品、入選 3作品)

(お名前をクリックすると、応募いただいた劇評に飛びます。)

■最優秀賞■
小田透さん【チェーホフ・アフター・ベケット】(『桜の園』)

■優秀賞■
関口真生さん【『夢と錯乱』という儀式】(『夢と錯乱』)
小長谷建夫さん【その女は村のものだ】(『夜叉ヶ池』)

■入選■
小池美宇さん(『みつばち共和国』)
岡崎大五さん【たのしい時間、ゆかいな空想】(『みつばち共和国』)
小田透さん【生きる哀しみの喜び】(『綾の鼓』)

■SPAC文芸部・大岡淳の選評■
選評

SPAC 秋→春のシーズン2021-2022 作品一覧
『みつばち共和国』(作・演出:セリーヌ・シェフェール 日本語台本:能祖將夫 台本下訳:井上由里子 通訳:平野暁人)
『桜の園』(演出・舞台美術:ダニエル ・ジャンヌトー アーティスティック・コラボレーション、ドラマツルギー、映像:ママール・ベンラヌー
作:アントン・チェーホフ 翻訳:アンドレ・マルコヴィッチ、フランソワーズ・モルヴァン(仏語)、安達紀子(日本語))
『綾の鼓』(演出・振付・出演: 伊藤郁女、笈田ヨシ テキスト:ジャン=クロード・カリエール 音楽:矢吹誠 演奏・出演:吉見亮)
『夢と錯乱』(演出:宮城聰 作:ゲオルク・トラークル 訳:中村朝子)

『夜叉ヶ池』(演出:宮城聰 作:泉鏡花 音楽:棚川寛子 美術デザイン:深沢襟 衣裳デザイン:竹田徹)

秋→春のシーズン2021-2022■最優秀賞■【桜の園】小田透さん

カテゴリー: 2021

チェーホフ・アフター・ベケット

 静かで、翳っている。夜明けを待つ薄暗がりの舞台は、空虚に広がっている。毛足の長いくすんだ色の絨毯は、まるで砂浜のように、歩く人の足跡を残す。細いフレームだけで構成された直線的で縦長の調度品や椅子は、繊細にして無骨であり、硬くて儚い。両脇に垂れ下がるオフホワイトの紗幕は、空間を区切るというより、舞台袖との境界を曖昧にしている。後景全体に圧倒的なスケールで投影された雲の映像は、インスタレーションのように、すこしずつ移ろいゆく。ときおり、鳥が空を横切る。それとなく執拗に繰り返されるアンビエンスな声と音は、陶酔的であると同時に、かすかに不安をかき立てる。悲劇的な出来事がこれから起こることを予感させるかのように。 続きを読む »

秋→春のシーズン2021-2022■優秀賞■【夢と錯乱】関口真生さん

カテゴリー: 2021

『夢と錯乱』という儀式

 重く静まる劇場に、計算され尽くした肉体が現れた。メモも取れない緊張感が劇場を包む。気配はこの世のものとは思えず、たった一人の「その者」が持つ圧力によって金縛りに遭ったようだった。暗い山奥に鎮座する舞台芸術公園そのものが取り巻くオーラと役者の支配力が掛け算され、ここは死後の世界かと見紛うほどだ。しかし、その中でも観客は舞台上の生命力に共鳴し、生きとし生けるものの言葉として正面から受け取った。

 “夕暮れに 父は老人となった、暗い部屋部屋で 母の顔は石となり 少年の上に堕落した種族の呪いが のしかかった。” 続きを読む »

秋→春のシーズン2021-2022■優秀賞■【夜叉ヶ池】小長谷建夫さん

カテゴリー: 2021

その女は村のものだ

 三島由紀夫は泉鏡花を「貧血した日本近代文学の砂漠の只中に、咲き続ける牡丹園を開いたのである」と評している。写実主義や自然主義の衣を纏った私小説が幅をきかす文学界。そんな風潮に対峙し存在したのが鏡花だ。その民俗性、その怪奇性、その浪漫性、その物語性、そのエロチシズム、なにをとっても破格で、日本の伝統芸能も神話も、地域の伝承も風俗も鏡花の作品の中で息をついてきた。その意味から、今回の宮城聰『夜叉ヶ池』公演は、コロナ禍で逼塞し酸欠状態の我が日本の精神風土と、干からびた我が感性にとって期待の演目であった。 続きを読む »

秋→春のシーズン2021-2022■入選■【みつばち共和国】小池美宇さん

カテゴリー: 2021

 今回この『みつばち共和国』を観劇して、いくつか驚いたことや関心を持ったことがある。
 一つは、この劇中に、出演者が舞台のセットを自分たちで移動していたことだ。私は今中学1年生で、約10年間クラシックバレエを習ってきており、発表会に出演したり、各種公演を観劇してきたのだが、バレエ全般において,出演者が舞台のセットを自分で移動しているのは見たことがない。これは、今回のこの『みつばち共和国』の公演とバレエの違いによるものだろう。 続きを読む »

秋→春のシーズン2021-2022■入選■【みつばち共和国】岡崎大五さん

カテゴリー: 2021

『たのしい時間、ゆかいな空想』

 観劇は、非日常である。
 日常の暮らしの中で、置いてきぼりになっていることを、気づかせてくれるチャンスだ。
 人間のおかしさ、非情さ、世間の不条理、恋、愛情、憎しみ、哀れ……それらを言葉だけでなく、演じる役者の肉体、声、衣装、照明、美術といった要素を縦横に織り交ぜて、見せてくれる。
 非日常の空間は、とても尊い。
 人生の彩でもある。
 だから劇のチラシを見かけたときに、心にクサビを打たれたような気持になれば、さっそくチケットを予約したくなる。
 ただし、自分の都合や観劇場所がどこであるかが大問題で、それは自身の体調との兼ね合いもあり、いくら心にクサビを打たれても、実際に観劇できるチャンスはそう多くはない。
 海外、ことに欧米を旅していればまた別の話で、必ず観劇やコンサートに赴く。総合チケット売り場に足を運んで、何を見に行こうかと、より心に響くものをチョイスする。
 ところが日本の地方に暮らしていると、そうした文化との接点があまりに少ない。観劇に行く以前の障壁が、かなり高いのだ。
 だから今回のSPAC下田公演は、下田で暮らす僕にとって、絶好の機会のはずだった。 続きを読む »

秋→春のシーズン2021-2022■入選■【綾の鼓】小田透さん

カテゴリー: 2021

生きる哀しみの歓び

「今では私はもう演じるとか、歌うとか、踊るとかいうんじゃなくて、ただ舞台上にいて、生きようと思っているんですよね」とは言うが、笈田ヨシは舞台の上で依然として演じ、依然として歌い、依然として踊る。オリーブのカーゴパンツにベージュのワークコートをはおった老掃除夫の身体はしょぼくれている。背骨は曲がり、ガニ股。動きはぎこちない。まるで生きていることを恥じるかのように、とぼとぼと不器用に歩く。しかし、こわばった彼の肉体の内では熱い想いがたぎっている。

しなやかに躍動する伊藤郁女の演じるダンサーはそれと対照的だ。彼女の身体はやわらかくのびやかで、関節は可動域いっぱいに曲がるかと思えば、遠くまで大きく伸びる。指の先の先まで意識が行き届いた自由闊達さが、傲慢なまでの存在感を放つ。しかし、熱量が全身に充ちているのとは裏腹に、発せられる言葉は冷めている。 続きを読む »

秋→春のシーズン2021-2022■選評■SPAC文芸部 大岡 淳

カテゴリー: 2021

 今回の応募は、『みつばち共和国』2篇、『桜の園』5篇、『綾の鼓』1篇、『夢と錯乱』2篇、『夜叉ヶ池』3篇でした。
 まず全体の印象ですが、演劇作品を論じるにあたり、単に「あらすじ」を紹介するのみならず、舞台上に展開するイメージ、とりわけ、俳優の身体に言及する姿勢が、多くの投稿に共通しており、その点に好感を持ちました。舞台の感想を言語化するにあたって、皆さんが自分なりのボキャブラリーを蓄積し彫琢し駆使しておられるのは、素晴らしいことだと思いました。今後とも、「見たもの・聞いたもの・感じたものをどう言葉にするか」に、ぜひ心血を注いで下さい。そうすることで、皆さんの人生は間違いなく豊かになるだろうと思います。 続きを読む »

2021年10月11日

SPAC ふじのくに⇄せかい演劇祭2021 劇評コンクール 審査結果

カテゴリー: 2021

SPAC ふじのくに⇄せかい演劇祭の劇評コンクールの結果を発表いたします。

SPAC文芸部(大澤真幸、大岡淳、横山義志)にて、応募者の名前を伏せて全応募作品を審査しました結果、以下の作品を受賞作と決定いたしました。

(応募数16作品、最優秀賞1作品、優秀賞3作品、入選3作品)

(お名前をクリックすると、応募いただいた劇評に飛びます。)

■最優秀賞■
小木郁夫さん【アンティゴネは、なぜ<過剰に>天を仰ぎ見たのか?】(『アンティゴネ』)

■優秀賞■
植村朔也さん(『アンティゴネ』)
小田透さん【戦略的ハッピーエンドの演出的アンハッピーエンド】(『三文オペラ』)
小田透さん【ウィズコロナ様式の可能性と野外劇】(『おちょこの傘持つメリー・ポピンズ』)

■入選■

森川泰彦さん【おちょこの傘持つ芸術史的記憶】(『おちょこの傘持つメリー・ポピンズ』)
山上隼人さん【『アンティゴネ』における「四次元的演劇空間」の創造】(『アンティゴネ』)
菅谷仁志さん【生者の葬式としてのアンティゴネ】(『アンティゴネ』)

■SPAC文芸部・横山義志の選評■
選評

SPAC ふじのくに⇄せかい演劇祭2021 作品一覧
『三文オペラ』(演出:ジョルジオ・バルベリオ・コルセッティ 作:ベルトルト・ブレヒト 音楽:クルト・ヴァイル 訳:大岡淳)
『おちょこの傘持つメリー・ポピンズ』(演出:宮城聰 作:唐十郎)
『アンティゴネ』(構成・演出:宮城聰 作:ソポクレス 訳:柳沼重剛)

SPAC ふじのくに⇄せかい演劇祭2021■最優秀■【アンティゴネ】小木郁夫さん

カテゴリー: 2021

「アンティゴネは、なぜ<過剰に>天を仰ぎ見たのか?」

 古代ギリシャ三大悲劇詩人に数えられるソポクレスは、作劇上の「数々の革新を行った」とされる。一例としては、従来は詩人自らが役者として演じる慣例を破り、その伝統自体を廃止した。さらには、コロス(合唱隊) の数を15人にまで増員したのも彼の発想であるとされる。古代ギリシャ悲劇の手法として、一行の科白を2人以上で分割して語る「割り科白」の手法を「アンティラバイ」と呼ぶが、宮城聰演出『アンティゴネ』は、言ってみれば究極のアンティラバイを演じて見せたことになる──時には、3~8名もの“スピーカー”の輻輳する声が、1人の“ムーバー”の語りを構成し、ムーバー/スピーカー制を採るSPACの真髄が発揮されているのだから。こうした事実を本稿の冒頭で確認しておいたのは、次の疑問を鮮明に認識しておくためである──宮城版『アンティゴネ』はまさに、詩人/演者から分離せしめられた「声」の増幅を志向したソポクレスの意図を明確に踏襲することに成功している。しかし、これだけだろうか?そんなはずはない、これだけではないはずだ、──と。 宮城が、詩人自身の意図をも超え、濃縮したかたちで表現することを目指した工夫が、他にも潜んでいるはずだ。──多くの魅力的な演出がほどこされている本作だが、この劇評ではその中でも、アンティゴネのたった1つの動作に注目したい。その所作こそは、決定的に宮城版『アンティゴネ』がソポクレスの凌駕に成功している演出であると考えられるからだ。それは何か? 続きを読む »