劇評講座

2021年10月11日

SPAC ふじのくに⇄せかい演劇祭2021■入選■【アンティゴネ】山上隼人さん

カテゴリー: 未分類,2021

『アンティゴネ』における「四次元的演劇空間」の創造

 演劇とは「空間的」芸術作品である--。そう信じていた私にとって、2021年5月3日、駿府城公園・紅葉山庭園前広場で催されたSPAC公演『アンティゴネ』は衝撃的だった。「舞台上で役者が横一列に並ぶ」「舞台後方の壁面に役者の影を映す」など、極めて「絵画的」だったからだ。しかし、それによって演出が失敗しているかというと、そんなことはない。むしろ、美しいことこの上なく、「四次元的な演劇空間の創造」により、舞台作品として成功しているのだ。
 舞台は床一面が水で覆われ、そこに浮かぶ上手、中央、下手の3カ所の岩場によって装置が構成されている。「ムーバー」と呼ばれる「動きをみせる役者」たちは岩場に立ち、それぞれの役を演じる。一方、「スピーカー」という「声で演技する役者」たちは、水の中で腰掛けたり、立ったりしたままセリフを言う。つまり「二人一役」であるわけだが、特筆すべきはムーバーの演技だ。彼らは3カ所の岩場に分かれて演技しているため、一向に交わらない。ほとんどが、客席に向かって演技している。顔を突き合わせて「対話」することなど無いのだ。
 大学時代、演劇を始めた私は、先輩から「役者同士が横一列に並んではいけない」と言われた。不自然だし、「演劇的空間」をつくろうとしているにもかかわらず、「平面的」だからだ。誰かが下手前方に立ったら、自分は上手後方で演技するなど「空間を意識せよ」と厳しく指導された。その頃読んだ鴻上尚史の演劇論に関する本にも「演劇には縦(役者と観客)と横(役者同士)のコミュニケーションが必要」と書いてあり、深くうなずかされたのを覚えている。しかし、この『アンティゴネ』では、横のコミュニケーションをほとんど放棄している。正直なところ、「こんなことしていいの?」と思った。
 しかし、である。これが面白いのだ。観ていて全く飽きない。そして、その飽きない理由は、「絵画的」とも言える圧倒的な美しさによって観客を魅了しているからだろう。舞台後方に映されるムーバーたちの「影」も、「絵画」として美しさに花を添えている。確かに、絵画には「横のコミュニケーション」は無いわけだから、これで演劇として成立しているのも納得できる。舞台のつくり方としては、少し歌舞伎にも似ている。歌舞伎は、あえて「のっぺり」とした照明を当て、役者を横に並ばせて、客席から観て「絵になる」ように見せる。考えてみると、「二人一役」という演出は「人形振り」(本来は文楽だが)のようであり、コロス(合唱隊)によるセリフも「割り台詞」と捉えることもできる。また、歌舞伎に「型」があるように、SPACの二人一役ももはや「様式化」されており、これが舞台の美しさに一層拍車を掛けている。事実、開演前に購入したSPACの写真集を家に帰って見てみたらどれも美しく、「絵」になっていた。
 そうなると、『アンティゴネ』はその「絵画性」によって極めて美しい作品に仕上がっているが、演劇のダイナミズムの根源である「空間性」の創出には失敗しているのか--。否である。舞台上で繰り広げられるムーバーたちの演技、舞台後方に映し出される影絵ともに平面的だが、舞台の前方と後方で「平面を2枚つくる」ことによって、この平面に囲まれたスペースが「劇的空間」として観客を包み込んでいる。特に、その巨大な影絵は、劇的空間に壮大な奥行きと高さを与え、非常にダイナミックだ。これに加え、舞台上で繰り広げられる「ギリシア悲劇」の持つ普遍性、SPAC俳優による二人一役の様式美により、観客を2500年前の世界に誘うかのような「時間性」も創出されている。つまり、SPACによる『アンティゴネ』は、「平面×空間×時間」によって創られた「四次元的」演劇なのだ。
 ただ、残念なことが1つある。舞台後方の巨大な「人工の壁」だ。野外劇の醍醐味は「自然との一体化」にある。役者はもちろん、観客、装置、照明、音楽など演劇を構成する全てのものが、自然というこの上ない「劇場」に飲み込まれ、一つになることは、最高のカタルシスを味わえる演劇体験だ。しかし、舞台後方に設置された巨大な壁は、鉄パイプなどで組まれた「構造物」であり、「影絵を映すためだけにつくられたもの」という感が拭えない。これが自然界のものから「借景」できていれば、どれだけ美しさが増していたことだろう。舞台上が水、石などの自然物で構成されていただけに、惜しくてならない。