劇評講座

2022年9月8日

SPAC ふじのくに⇄せかい演劇祭2022■入選■【ふたりの女】菅谷仁志さん

カテゴリー: 2022

溶け出した『ふたりの女』の奥に

 「SPACとは、現代に生まれた地芝居である」。1時間に20ミリ前後の雨が降りしきる中、4月29日(金)に舞台芸術公園野外劇場「有度」で上演された『ふたりの女 平成版 ふたりの面妖があなたに絡む』が想起させたのは、そんな感覚だった。普段なら舞台の上に格子状に整えられているはずの砂ですら、はじめからドロドロで形を保っていない。本来意図した演出や演技の緻密さには、届いていなかったかもしれない。観客側にしても、セリフはほとんど聞き取れず、舞台上で起きていることを正確にキャッチできていたかは怪しい。だが、大雨ゆえに「内容」という作品の輪郭がそぎ落とされ、この日の上演は芝居を観ることの本質を射貫く特別なものに昇華していた。 
 地芝居とは、地歌舞伎や村芝居など地元の人々が演じる芝居の総称。服部幸雄『歌舞伎の原郷 地芝居と都市の芝居小屋』(2007)は、全国各地で200カ所を超える地芝居が行われているとしている。服部は同書で、地芝居が備える重要な特質として、特定の祭礼の日を公演日と決める「宗教・祭祀的性格」と、共同体意識を喚起させる「紐帯としての性格」を挙げている。
 『ふたりの女』と地芝居との共通項は、SPACという静岡に根を張る集団が、毎年特定の時期に行われる演劇祭で上演したという点になろうか。外形的にはその程度かもしれない。公演主体もアマチュアとプロという違いがある。プロの演劇は一般に評価の対象となり、観客側も「よりよく鑑賞し、味わうこと」を考えるようになる。だが、そもそも地芝居の観客の目的は、よりよい鑑賞にあるだろうか。
 その問いの答えは、紐帯としての性格に注目し、地芝居の上演に立ち会えば一目瞭然だ。我が村の子どもから大人まで、見知った仲間たちが熱心に演じている。日々仕事が忙しい中、練習は大変だったろう。舞台に立っていない裏方一人一人が、夜遅くまで頑張っていた姿を知っている。観客席にいても、まぎれもなく上演を支える一人として座っている。上演作品は、長く受け継がれてきたもの。この空間で我々が観るのは、作品ではなく地域そのものに他ならない。このような固く結ばれた地域の関係性こそが、地芝居の根本を支えている。
 ただ、芝居を観るという行為の原点は、むしろこういった鬱陶しくも思える現実に目の前にある関係性の中に、あえて飛び込むことにあるのではないか。芝居の歴史を考えれば、観客は「人」を見ることに時間を費やしているのであって、「作品」を観ようとする方が特異なのだ。にもかかわらず、これまでSPACの作品を観るとき、世界トップレベルで活躍するアジアを代表する劇団などの前提のもと、作品の評価を考えないことはまずなかった。しかし、よりよい鑑賞という観点は、今回の雨が降りしきる『ふたりの女』では破綻せざるをえなかった。にもかかわらず、観劇後は今までと違う充実感であふれていた。作品を理解しようという殻を強制的にはがされてみると、奥には共同体の紐帯としての芝居という、さらに豊かな世界が広がっていた。
 『ふたりの女』は古典の『葵上』がモチーフなのに加え、再演を重ねて4度目の上演。長く受け継ぐという意味でもぴったりの演目だ。上演中の私は、俳優が廃材で作られた半円形のでこぼこな足場の舞台装置の上を歩く際には、滑って落ちないだろうかと不安になり、物語の進行のために舞台面の水たまりに飛び込まざるを得ない際には、ほんとは嫌な気持ちだろうと一緒になったつもりで想像を巡らせていた。役柄同士が会話するシーンでも観客側を向いて発話する演出を施された俳優の姿には、ともにずぶ濡れの状況を戦い抜く一体感を見出していた。100分の上演が終わった瞬間には、天に願いが届いたかのように、降り続いていた雨が一瞬止んだ。神への奉納の役割が与えられる地芝居として、これほど象徴的な出来事もない。
 伝統的な地芝居の上演環境も野外であることは多く、往々にして上演側と観客側は、苦しみを含んだ場をともにする。現代的な劇場のように、観客が安全圏にいさせてもらえることはない。上演前のプレトークで、SPACの大岡淳は雨中の困難さを踏まえて「我々も頑張ります。みなさんも頑張りましょう!」といった旨の発言をし、観客を鼓舞した。お世辞にも作品鑑賞には適さない環境で芝居を観ることの本質が、この言葉に集約されていた。
 以前、SPACの認知度について「世界で有名、地元で無名」と自嘲的に話される場面に出くわしたことがある。当時は、世界的な評価を得ている芸術を地元の人こそもっと観てほしいという意味で聞いた。『ふたりの女』を経てからは、「我々は静岡で生きている。世界での評価など知らなくても、舞台に立ち会ってほしい」といったメッセージに聞こえる。SPACが目指す集団としての姿が、くっきりと浮かび上がって見えた。