劇評講座

2024年9月4日

SPACふじのくに⇄せかい演劇祭2023■入選■【XXLレオタードとアナスイの手鏡】海沼知里さん

カテゴリー: 2023

この奇妙な組み合わせの二つの単語は、この劇において何を意味するのだろうか。一見何の関連性も見られない、XXLサイズの巨大なレオタード、そして美しい蝶が羽を広げる高級ブランド・アナスイの手鏡。この二つの物が象徴的に表すものは、物語が進むにつれて明らかになる。

韓国の高校生の日常と葛藤を描いた本作は、韓国社会を取り巻く貧富の差、ジェンダー問題、受験戦争などの社会課題を批判的に織り交ぜながらも、直接的にそれらを伝えるのではなく登場人物たちの様々な側面を巧みに浮かび上がらせることによって、彼らの生きる社会の抱える問題、そしてその中で生きる個々人の在り方を描写する。高校生五人と教師一人という人物構成で進む物語は、見ないようにしていた現代社会の歪みやひびを刻銘に映し出す鏡そのものである。昨今の社会では、個々のジェンダーアイデンティティが多様であるという認識が進み、自身のセクシュアリティを表す言葉が増えるなど、一人の人物の中で内在していた要素が社会的に顕在化することが増えた。そうした個人のアイデンティティが言語化され言葉として提示されていくと、一人の人物であってもある面ではマイノリティとして社会の中で生きる苦しみを抱えていながらも、他の面では特権性を持ったマジョリティであり他者を無意識に虐げているという一見矛盾した側面も存在しうることが分かる。

それは例えば、レオタードを着用することに喜びを覚え、ひそかに学校にも着用していっているジュンホが、自分よりも貧しい同級生に高圧的な態度を取り侮蔑している姿であったり、そんなジュンホにいじめられているヒグァンがジュンホのセクシュアリティを馬鹿にし貶めようとしたりしている姿からも感じられる。他にも、裕福な家庭でより良い大学に入るために努力を重ねているミンジが、母親からの過干渉に追いつめられている中で、自分が世間の目線からどのように見られるのかを気にして体裁を整えようとしている姿が描かれていたり、ミンジのかつての友人であったヒジュは片親家庭でアルバイトに勤しむ傍ら受験の準備に励むといった側面を見せながらも、表面的には全てを持っているミンジの完璧な姿に嫉妬し悪い噂を流す姿があるなど、一面では描き切ることのできない人物たちのアイデンティティの複雑さを伝えている。それを、様々な社会的・心理的バックグラウンドを持った人物たちを交差させることで表しており、それを特徴的で巧みな演出や舞台装置が補強している。

韓国の高校生が置かれている親や学校、受験といった社会的圧力が差し迫る出口のない状況は、三方面が白い壁で囲われており、入口や出口がない舞台装置に表象されている。出入り口がないため、劇中役者ははけることなく舞台中央で起こっている場面ごとの人物のやりとりを壁際に座って眺めることもなしに眺めている。通常舞台は、その場面で登場する必要のない人物を同じ舞台上に存在させようとしない。しかしこの劇で、常に全ての登場人物が存在している意味を考えてみたときに、今ここにいなくても繋がりのある身近な他者を存在させることで、狭い高校の中の関係性の網の目を可視化させること、またその網の目は同時に社会の縮図でもあるということを感じさせる意図があると考える。また、登場人物が何らかの事情や人柄を揶揄されているときに、舞台上にその人物がかつて虐げていた人物が存在していることで、常に物事は表裏一体であることを感じさせ、人物の一面を切り取って一つの印象だけを押し付けないようにする工夫をしているととることもできる。また、俳優が舞台からはける構造自体がないことで、舞台裏を感じさせることがなく、舞台上で起こっていることが観客席で傍観している私たち観客と地続きでありこれは創作の舞台でありながらそうではないということを伝えているようにも感じられた。

物語はレオタードを着用した画像が流出したジュンホの内面の葛藤と、秘密が知られたことによる外的世界の変容が中心となって進んでいく。最後、自身のアイデンティティをカミングアウトしたジュンホは、周りにも結局は受け入れられハッピーエンドを迎える…と思わせる。しかし、結局は世間体を気にするジュンホの母親により転校を余儀なくさせられ、周りも手のひらを返してジュンホから離れていく。口当たりの良い「多様性」という言葉や理想と、実際にどうにもならない現実との齟齬が明らかになり、社会の圧力に絡み取られていく高校生たちの姿が残像として残る。

本作品の特長は、アイデンティティの複雑さと、数字や分かりやすさによって線引きをする社会の姿勢といった描き難い対象を、暗く重く描いていくのではなく、ダンスのシーンを挟み音楽のリズムと踊る肉体に観客の目線を誘導させブレイクを挟みながらポップな音響やカラフルな照明の色彩で彩り、あくまでリズミカルに、皮肉な笑いを交えながら進んでいくことにあるだろう。更に、韓国語で上演されることを踏まえて壁に日本語字幕を投影させ、2カ国語がオーバーラップしていく工夫や、冒頭で視覚障害がある人を意識して劇中で使われる音響の紹介をするなど、アクセシビリティへの配慮が行われている点も、劇団自体が社会とのアクセスを図ろうとしている態度を見せていた。

困難と葛藤、自己との格闘と相克の渦中で揺れ動き、突破できない社会の壁にもがく生々しい若者たちの姿は、韓国社会に特有のものではないだろう。決してハッピーエンドでは終わらない物語の残した、ジュンホの大切にしている言葉が胸に刺さる。

 

The only true currency in this bankrupt world is what you share with someone when you’re uncool else.