劇評講座

2024年9月4日

SPACふじのくに⇄せかい演劇祭2023■入選■【ハムレット(どうしても!】青木孝介さん

カテゴリー: 2023

難しい芝居だった。舞台の上の人々は、どうやら『ハムレット』を演じているらしい。しかし、そこには『ハムレット』だけがあるのではない。時折『ハムレット』とは異なる声が聞こえてくる。それは『ハムレット』をかつて観劇し、あるいは読み、『ハムレット』の問いを引き受けた人々の声やその言葉である。

いくつかの小道具が置かれた舞台の上には4人と1人。『ハムレット』の筋をなぞり、多くの登場人物たちがあらわれてくる。だが、次第に『ハムレット』とは異なる声が聞こえてくる。『ハムレット』というテキストの外側からその声はやってきた。それは哲学者たちの声であった。

ハイデガー、ヴィトゲンシュタイン、フロイト、デリダ・・・。彼らの名前も言葉も、いかめしい。だけれども、彼らの言葉に注意深く耳を傾けてみる。観客である私も、彼ら哲学者たちも、同じ舞台を見ている。『ハムレット』に彼らの言葉が重なる。これらの声は、私を困惑させた。私は今、芝居を見ているのか。それとも、『ハムレット』についての講義を聴いているのか。重なり合う声の間で、私もまた思考していた。

『ハムレット』には決まったストーリーがある。誰もが知る著名なセリフがある。それまで一度も『ハムレット』という芝居を見たり、テキストを読んだりしたことのない私でも『ハムレット』は知っている。否、知っているつもりになることができていたのだ。「まぁ、ハムレットってこんな話でしょう」。

しかし、舞台からやってくる、ときに騒々しい言葉たちが『ハムレット』という覆いを少しづつ引きはがしてゆく。私は『ハムレット』を見ていたつもりだったのだが、どうやら違ったらしい。ふと壇上の上のポローニアスと目が合う。ここでようやく思い知る。私は芝居を見ているが、私も見られている。誰からだろう。ハムレットに、ポローニアスに、オフィーリアに。「ハムレットって、何なのだ」。

様々な声、言葉たちの間で、ハムレットたちもまた右往左往しているようだった。彼ら・彼女らは、常に世界に向かって問いを発し続けてきた。同様に、彼ら・彼女らもまた、問われ、解釈され、理解されてきた。積み重ねられた言葉の上で、ハムレット達もまた、呼びかけられていた。一体お前たちは何なのか。お前たちは何をしているのか。

ついには観客の声も巻き込んでいく舞台から、登場人物たちはやがて観客へ自らを語りだす。ハムレットたちの声が聞こえてくる。自らを語りだし、観客へと問い掛ける彼らの言葉は、薄闇の中照らされた劇場に満ちてゆく。呼びかけられたものは応答しなければならない。ハムレットたちは応答していたのだ。自らに差し向けられた言葉に向かって、声を上げていたのだ。その声を、言葉を次に受け取るのは誰か。それは彼ら・彼女らの前に座っている私(たち)なのだ。

呼びかけに答えること。これは「倫理」でもあり、「責任」でもある。ハムレットは、父王の呼びかけに答えようとして、苦悩した。かたき討ちは、ハムレットにとって為すべき倫理であり、果たすべき責任だった。それらは思いくびきとしてハムレットを引きずりまわしたのだった。いま、そのハムレットが観客に問い掛ける。応答をせまっている。しかし、観客たる私は、まだ答える声も、言葉も持っていない。私は応答できない。私にできるのは、ただ舞台を見ること、彼ら・彼女らの声に根気強く耳を傾けることだけだった。それが応答であり、倫理であり、責任なのだ。どうしても。

この芝居は、あまたの声や言葉の中に私(たち)を放り込む。私(たち)は問われ続け、呼びかけられ、応答を求められるのだ。これは遠い昔の、海の向こうの国のお話、ではない。声は、言葉は、今この時、観客の目の前にある。この芝居を前にして、私(たち)はただ舞台を眺める第三者ではない。『ハムレット』を巡る多くの言葉やハムレットたちから呼びかけられる。呼びかけとは、「私」が「あなた」にするものだ。観客は、舞台の上から「あなたは」と呼びかけられる。それに対する答えは、「私は」と始まるだろう。この芝居を見て、この芝居について何かを言おうとするならば、「私は」と語りだすよりほかはない。

『ハムレット』をシェイクスピアが作り出したのは17世紀、いわゆる「近代」の幕開けである。その近代において生まれた「主観」、「自我」、「主体」といった言葉については、現代にいたるまで盛んに論議されてきた。されてきたが故に、皆それを分かった気になってしまった。ハムレットたちの声は、呼びかけるという仕方で、私を「私」へと引き戻してゆく。それは、宙に浮いた何者かではなく、今ここにいる、呼びかけられる者としての「私」なのである。

やがて声は止み、言葉は消えて、役者は舞台から去った。観客は劇場を後にする。それでも、劇場の幕は下りていない。幕は最初からなかったのだ。問いは私の中に残り続ける。

難しい芝居だった。