劇評講座

2025年5月17日

SPAC秋→春のシーズン2023-2024■入選■【お艶の恋】原田陽菜さん

カテゴリー: 未分類

お艶の抗いと命のエネルギー

明治時代から昭和にかけて活躍した文豪である谷崎潤一郎( 1886-1965 が 1915年にかいた『お艶殺し』を原作とし、谷崎の小説では語りえないお艶からの視点を丁寧に浮かび上がらせた石神夏希演出の『お艶の恋』が静岡芸術劇場で上演された。
江戸時代の日本から、人々の魂の乗った船が南米のある熱帯雨林に流れ着く。彼らは鸚鵡 阿部一徳の声で目を覚まし、鸚鵡が語り手となって『お艶の恋』を演じるという劇中劇の形式をとっている。 舞台は江戸、裕福な商人の娘であるお艶(葉山陽代)とそこの使用人である新助(たきいみき、のちに阿部)は身分違いの禁断の恋に落ち、事情を知る清次(大内米治を頼って駆け落ちする。しかし、お艶に気があった清次は二人を騙す。最終的にお艶は徳兵衛(大道無門優也)のもとで芸者となり、新助は 新助を殺そうとする清次の子分である三太(大内)を反対に殺し、清次の妻(大内 までも殺してしまう。 新助は 友人である 金蔵のもとに 潜伏しながらお艶を探し、遂にはお艶と再会する。 お艶は売れっ子の芸者になっていたが、新助への愛は堅 かった。そして、数日間二人はお艶の家で過ごす。しかし、ある日 お艶は徳兵衛と共に 芹沢 bable という旗本から金を騙し取るために向島へ向かい、 その 迎えを新助に頼 んだ。新助が迎えに行くと徳兵衛は重傷を負っており、それを利用し二人は徳兵衛を殺してしまう。お艶は自由の身となり、その後に言い寄ってきた清次 をも殺し て彼の金を盗み、 二人の堕落は加速する。 それから 芸者の仕事に力を入れ 、外泊が増えたお艶に新助は嫉妬する。 そして、 新助は お艶に好きな人ができたことを知ってしまう。その相手は芹沢であった。 狂った新助は、愛するお艶までも殺してしまう。 最後にお艶は「まるであたしたちは芝居のようだ。」と寂しげに言う。
谷崎の 書く美しい原文を 最大限に 生かすために、 ト書きまでも俳優の口によって語られるという 特殊な形式をと っており、俳優によるそれらの モノローグが 魅力 的であった。 俳優 が台詞に色 をつけすぎず、 かといって退屈 になるよう な平坦さ はなく、 流れを意識したこれらの語りは 聞いていて耳なじみが良く、心地のよさを感じた。登場人物同士の対話も原文をそのまま台詞として語られること が 多く、 谷崎の 小説を生かした 世界観が立ち上がってくる のを感じた。 また、新助 を演じる俳優が たきいから 鸚鵡として 語り手の役割を果たしていた 阿部へ と 変わっていったのも印象的であった。たきいの羽織っていたマントが阿部へと渡ったことで俳優の変更を観客に視覚的に伝えており、この変更の際の 俳優のやり取り が コミカル であり、それ に ふと笑顔がこぼれた。
新助が人を殺すときの奇妙な陽気さは マジック・リアリズムを想起させ、 果てゆく命の儚さと 命と命 のやり取りの持つエネルギー の大きさという両極的な二つを同時に体感させる演出は 私たちに衝撃を与えた。 陽気さを表現するために 南米風の明るい音楽や派手な照明効果 を利用していること に加えて、 俳優による ダンスやマラカスなども取り入れ、 視覚的にも聴覚的にも私たちに 命の ぶつかり合うことの 力強さを実感させた。
この舞台では、お艶に 焦点があてられることが多かった。谷崎の物語の中では都合よく描かれ 、翻弄され ていたお艶 だが、この舞台では主体的で、人間味があって一貫性のある女としてのお艶 が 浮かび上が ってき ていた。 谷崎の 持つ 世界 観 の立ち上げと同時に 、 物語という枠から飛び出そうとする お艶を 丁寧に 描き出し てい た。また、 途中から新助役がたきいから 阿部へと変わったが、 これは かつて語り手であり、ある意味 お艶の生きる世界の創造者である 阿部 とそれに抗う お艶の直接的な対決を示しているのではないか。 最終的にお艶は新助によって殺されてしまう。 つまり、物語の創造者とその中 で生きる 人間との対決は創造者の勝利で 終わったということである。 お艶は 最初と最後に 「まるであたしたちは芝居のようだ」と つぶやく 。 原作では一度しかこの台詞は用いられていない ため、 二度この台詞を言うことは、 『お艶の恋』でのお艶としての 物語への 精一杯の 抵抗だったのではないか 。一回目の台詞は、 劇的な駆け落ちに対しての台詞であり 、二回目の台詞は どうあがいても物語 という運命 からは逃れられないという寂しげな現実を表すと考えた。
話の筋 としてだけではなく、 文学、 文章としての『お艶殺し』の 美しさを最大限に生かしながらも 、エネルギッシュでパワフルなお艶を 魅力的に描き出した。 『お艶の恋』 は 私たちに新たな谷崎作品への見方を与える 面白いものであった。