劇評講座

2013年4月16日

■準入選■【『病は気から』(ノゾエ征爾潤色・演出)】『喜劇の英雄』鈴木麻里さん

カテゴリー: 2012年秋のシーズン

■準入選■

悲劇の英雄

鈴木麻里

 客席に掛けて舞台を眺めると、100席に満たないほどのもう一つの客席が設えられている。制作者からの挨拶が終わると、その隣に現れた舞台監督が、観客の後方からやってくる俳優らしき人々を迎え入れた。制作者からの挨拶が終わると、観客の後方から舞台監督が俳優らしき人々を引き連れ降りてきた。劇場の機構をひとつひとつ解説しながら舞台へ上がり、奥まで一周する。一同黒ずくめである。

 咳き込んで病身に見える一人の男が『病は気から』を上演しようと、自分を病気だと思い込んでいるアルガンなる男について穏やかに決然と語りはじめる。男の体を気遣って周囲が止めるなか、口元から赤い布を垂らして吐血の様を見せながらもやめようとはしない。
 吉本新喜劇を思い起こさせる「Somebody Stole My Gal」が鮮烈に流れる中、一同ぽんぽん黒衣を脱ぎ捨ててカラフルな衣装に早変わり、黒一色だった舞台上の客席も真ん中の12席だけ純白に変った。「BED」と札がついている。

 治療と薬に夢中なアルガン、「病気」に親身とは言いがたい態度で接する女中トットとの軽妙なやり取り、長女アンジが吐露するケロッグへの恋心、医者との結婚を突然強いた長女や反対に加勢する女中との悶着、後妻ベリーヌの媚態、彼女への遺産相続を相談するため弁護士ポンヌフを招く場面など、大筋をモリエールの戯曲に拠りながら役名はじめ語られる言葉はシンプルに書き換えられており、小気味良い速度で舞台が展開していく。
 登場人物たちを軽やかに演じる手つきが、劇中劇としてふと幕を開けた構図に強い説得力を与えている。客席型の舞台装置を縦横に駆け回る俳優陣の身体的な力量と遊び心が、観る者に足場の不都合を感じさせない。

 場面の変わり目などの要所で、アルガン役の俳優は苦しそうに咳をする。
 初演当時、この役は実際に胸を患うモリエール自身によって演じられていた。公演の四回目には激しい咳の発作に襲われながら舞台を務めていたと言う。当人の肉体的苦痛や周囲の心痛に寄り添うことも出来ようが、状況を俯瞰すればこれは劇の外側に設えられたもう一つの喜劇と読み取れる。瀕死の病を患いながらよりによってアルガンを演じる、モリエールの不条理である。

 三幕冒頭、医者との縁談が破れてなお娘の結婚を認めず、頑なに後妻ベリーの肩を持ち続けるアルガンを見かねて、弟ヘラルドと女中トットが一計を案ずる。病の果て遂に亡くなった振りをしてみせて、ベリーの反応を窺おうというのである。悲しむどころか清々してとっとと遺産を手に入れようとする彼女にさすがの彼も追放を選び、今度は娘アンジの反応を待つ。嘆くアンジにアルガンは喜んで生き返ってみせるが、ケロッグが医者になってくれるならば結婚を認めるとなおも無茶な仰せである。

 ここでヘラルドから、アルガン自身が医者になれば良いと提案がある。すぐにでも医者連中を呼んで式を挙げてもらおうと言う。
 モリエールは初期の『飛び医者』以来、『恋は医者』『ドン・ジュアン』『いやいやながら医者にされ』などで、医学と医者を繰り返し槍玉に挙げた。この遺作に於いても、医学への痛烈な風刺を交えながらそれに振り回される男の滑稽を描いてきた。
 実際に病気になったらどうするかについては、「なんにもしません」と劇中でヘラルドに語らせている。自然のままに任せておけば自ずから徐々に回復していく。兄さんには気晴らしにモリエールの芝居でも見せたいとまで言わせている。終には当人に医者を演じさせてしまおうという次第である。
 この場に至って男は激しく咳き込み台詞を中断することもしばしば、アルガンを演じるモリエールの地が見え隠れする状態である。周囲の俳優も役を放棄しかけ芝居を止めようとするが、男は続ける。笑いの絶えない『病は気から』の世界から、ドラマの焦点は刻一刻と死期が迫るなか芝居をやめないモリエールの姿へと移っている。

 劇の外側に設えられたもう一つの喜劇が、悲劇としての正体を現そうとしている。
 モリエールは、死ぬのである。病へは無為にして自ずから治癒する、薬に杞憂が人を弱らせるのだと豪語しながらこの世を去る。自らを無力な医者の一人として数えながら我が身に芝居を処方して身を滅ぼす。
 悲劇の主人公は始終完き聡明であるわけではない。あやまち故に不幸になる様は喜劇的とも言えるが、あやまちが明るみに出た暁にあえて自らの錯誤を引き受ける高潔さが、彼らの物語を尊厳ある悲劇たらしめている。

 医者連中に囲まれて、モリエールは絶え絶えに台詞を吐き続ける。医師になるための試験が数問繰り返されたのち、彼は白衣を与えられた。咳き込んで振り返れば、血糊をべったりまとった姿である。倒れて事切れた彼を、俳優たちは抱え上げ、手取り足取り踊らせながら大笑いした。自らの最期をも喜劇の内に描き切った彼に、最上の敬意を表しているかの様だった。

 彼の行為と作品とを構造化する劇作の力と人物の意志を体現する俳優の力との出会いが、神でも王でもない一人の喜劇作家の武勇から笑いに満ちた高潔な悲劇を産んだ。

参考文献
モリエール(鈴木力衛訳)『病は気から』(1970年4月、岩波書店)
アリストテレース、ホラーティウス(松本仁助、岡道男訳)『詩学・詩論』(1997年1月、岩波書店)
磯田光一「『悲劇』の条件」、『文芸読本 シェイクスピア』(1977年5月、河出書房新社)