劇評講座

2011年11月14日

『WHY WHY』(ピーター・ブルック演出)

カテゴリー: WHY WHY

■準入選■

「演劇人」の常識 〜ピーター・ブルックによる演劇リサーチ『WHY WHY』

柴田隆子

演出のピーター・ブルックは、裸舞台を横切る人間とそれを見つめる人間がいれば演劇行為は成立するという、非常にミニマムな形で「演劇」を定義したので有名だが、今回の公演は、ほぼその定義に近いものである。椅子やドア枠などごくわずかな小道具だけで、イリュージョンを作り出すような舞台装置は一切なく、ミリアム・ゴールドシュミットの語る「言葉」、それを支えるフランチェスコ・アニェッロの「音楽」、そして彼らの身体の「動き」からなる。これといった筋はなく、「舞台」は観客の想像力の中で引用の織物を紐解き、記憶と紡ぎ合わせて新たに織り上げる、『WHY WHY』はそんな演劇体験の場であった。

2010年にピーター・ブルックとマリー=エレーヌ・エティエンヌによって書かれた本作は、アルトー、ゴードン・クレイグ、シャルル・デュラン、メイエルホリド、世阿弥、シェイクスピアのテクストからなる、まさに「演劇」の舞台であった。「私は誰?」という俳優の問いに始まり、「芸術は何のために」と問う場面で終わるこの上演には、終始「演劇」をめぐる問いがある。なぜこの舞台は上演されているのか、なぜそれを観るのか、なぜ演じるのか、なんのための劇場なのか、なんのために演劇はあるのか、私とは誰で、どうして今私はここにいるのか。古今東西の演劇人らの言葉は、それらの問いを考えるための媒介にすぎず、その答えは観客が自ら考えなければならない。つまり、この作品は舞台を支える「演劇」のコンベンションを理解し、これらの問いを自らの問いとして受け止めることができる観客を必要とするのだ。

舞台上の「演劇的行為」は自明に「演劇」にはなりえない。そこには演劇を「演劇」たらしめるコンベンションが存在する。それは日常的な振る舞いの延長線上にある日常のコードであるときもあるし、その作品が所属する文化圏の慣習や、その演劇形式が独自にもつ決まり事だったりする。観客が想像力を羽ばたかせるには、土台となる世界観や枠組が必要であり、今回はそれが、ロイアル・シェイクスピア・カンパニーと国際演劇研究センターに長年関わってきたブルックにとっては当然のことだが、西洋を中心とした演劇理論であった。テクストで引用とその構造を確認したい気持ちに駆られるが、それはあくまでテクストベースの「意味」に過ぎず、舞台上で上演されるパフォーマンスは、観客の持つ演劇体験と呼応して、「問い」にさらに広がりを持たせていく。

演劇は書物とは異なり、辞書で調べたり引用を確認することはできない。むしろ語られる言葉のもつ多義性を、音や響きに身振りなどを加味して想像力で膨らませるところにその醍醐味がある。「死を忘れるな(Memento mori)」「芸術の女神(Muse)」「亡霊(Geist)」の含意は、単にこれらを「死」「芸術」「知」の表象と置き換えて理解すれば事足りるというわけではない。前提となる西洋的知の枠組があり、それに呼応あるいは対抗する形での「演劇」の「言葉」なのだ。それに「言葉」は上演の一部にしか過ぎない。『リア王』や『ハムレット』の有名な場面は、かつてブルックが演出した場面が記憶の中で重なり、耳慣れぬ言葉の後「スターリン万歳」で言い過ぎたといわんばかりに口元を押さえるミリアムの演技は、ひょっとしてこれはメイエルホリドの「弁明」なのかと想像はどんどん膨らむ。「マリオネット」はクレイグだろうが、「蝋人形」が燃えるのはひょっとしたらタデウシ・カントールだろうか、「おやつの時間(Brotzeit)」は・・・。舞台をそっちのけで自身の演劇的記憶に沈殿していく。フランチェスコの音楽は時にそれを助長し、時に舞台に引き戻してくれる。

知的ゲームのようでとても楽しく、座していながら演劇体験に参加している気分も十分味わえる。しかし、ここで発せられている「演劇人」の言葉は、問いは、そのような知的好奇心のためにあるのではない。ここでは俳優と観客との丁々発止があるべきで、「演劇人」としてのそれぞれを見つめる場が期待されていたはずなのだ。しかし、残念ながら舞台と客席の溝は、少なくとも私にとっては深く感じられ、他者としてそのことを認識できたのは別な意味で収穫ではあったものの、ブルックやゴールドシュミットら向こう側の「演劇人」との差異を大きく感じざるを得なかった。

「演劇」の意義を問い直すこと、それは、今、日本においてなお一層必要なのは間違いない。その意味でこの上演の「問い」は非常にタイムリーであった。しかし今回の舞台はあまりにも西洋の「知」がベースになっており、ドイツ語上演ということもあって、それがどれほど観客に理解されたのかは疑問である。問いを共有する前提として、世阿弥すら取り込んでいる西洋の演劇的知にアクセスできない観客は、そこから排除されてしまう。そして日本の一般的観客の多くは、演劇的知をこうした西洋的文脈では少なくとも捉えていない。

その意味でこの舞台は特権的な「演劇人」のための舞台であったといえる。急遽決まった上演であり、SPACに集う優秀な「演劇人」には有用な舞台だったのだと思う。だが、今日の状況において本当に必要なのは、このような西洋演劇的知のコンベンションによらず、「一般」とよばれる観客の「生」に響く「演劇」ではないだろうか。今こそ演劇の本当の力が試されていい時である。今回の『WHY WHY』での問いに対し、これを観た「演劇人」がなんらかの演劇的行動をすることで初めて、この舞台の真価が問われることになるだろう。

2011年6月18日 静岡芸術劇場 観劇

2011年10月9日

『天守物語』(宮城聰演出、泉鏡花作)

カテゴリー: 天守物語

■依頼劇評■

お祭礼(まつり)だ!——宮城聰演出・SPAC公演『天守物語』を観る

若林幹夫

木々の緑を背にした野外劇場の舞台の中央奥に、祭壇よろしく巨大な獅子頭が鎮座している。「獅子頭」と書いたが、緑の鱗に覆われ、角を生やした竜の形だ。もっとも獅子頭はいわゆる「獅子=ライオン」を象ったものもあれば、鹿(大和言葉ではこれも「しし」だが)や竜を象ったものもある。鏡花の脚本はその形を指定していない。やがて、その前に楽器を手にした役者たちが現れ、太鼓や鳴り物が激しいリズムを刻みながら、儀式の始まりのように踊り始める。どこか異国的なリズムと舞がしばらく続いた後、

——あれ、夫人(おくさま)がお帰りでございますよ。*1

と、舞台上を舞っていたうちの一人、青い衣をまとった侍女・桔梗役の役者(舘野百代)が言う。いや、この書き方は正確ではない。気がつくと舞台の上には別の役者(三島景太)も座していて、声はこの役者から発せられた。所作を演じる“ムーバー”と声を演じる“スピーカー”との二人一役で演じられるこの舞台で、ムーバーが女ならスピーカーは男、ムーバーが男ならスピーカーは女が担当する。動きに特化したムーバーの所作は舞や文楽人形のように、そして異性の言葉を語るスピーカーの語りも義太夫や講談のように、それぞれ様式化されている。からだと声の間の協和音や不協和音に楽音が重なる祭式のような舞台に、「あれ、夫人(おくさま)が…」という声が祭神の来臨を告げるかのように響いて、宮城聰演出のSPAC公演『天守物語』は始まる。

「夫人」というのは姫路城の天守五重に棲む妖怪富姫(ムーバー(以下M):美加理/スピーカー(以下S):阿部一徳)。その富姫が、猪苗代から訪ねてきた妹の亀姫(M:榊原有美/S:仲谷智邦)への土産として城主寵愛の鷹を捕ったことをきっかけに、鷹匠の姫川図書之助(M:大高浩一/S:本多麻紀)と知り合い恋に落ちる。天守に登った証にと富姫が渡した家宝の兜を、盗んだものと誤解され、逆賊として追われ、再度天守にあがった図書之助を富姫は獅子頭の母衣(ほろ)の中に匿い、自らもそこに隠れて追っ手たちを迎えるが、追っ手たちが獅子頭の両目を傷つけると、二人共に視力を失ってしまう。こうして追い詰められた二人は、一緒に死のうとする……、というのが舞台のあらすじである。だが、この悲劇と見える舞台には、最後にどんでん返しが待っている。甘美に死を語り合う恋人たちの前に唐突に、獅子頭を彫った楊子削(ようじけずり)だという近江ノ丞桃六(おうみのじょうとうろく)が現れて、獅子頭の両目に鑿を振るうや、二人は視力を取り戻す。

——世は戦(いくさ)でも、胡蝶(ちょう)が舞う、撫子(なでしこ)も桔梗(ききょう)も咲くぞ。……馬鹿めが。ここに獅子がいる。お祭礼(まつり)だと思って騒げ。槍、刀、弓矢、鉄砲、城の奴ら。

という桃六の宣言と共に、舞台はハッピーエンドを迎えて終わるのだ。

ギリシア演劇の機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)によるかのようなこの解決は、悲劇のクライマックスに向けて緊張を高めて舞台を見守ってきた側からすると、“あんまり”と言えばあんまりである。だがそれが、桃六の高らかに宣言するような「お祭礼(まつり)」だと思えばどうだろう?

歴史的・伝統的な祭礼の多くは、神や精霊や死者などの、大和言葉では広く「もの」とも呼ばれる、人の力の及ばない、けれどもその力を人の世に様々な形で及ぼすとされる存在との交流が、儀礼化され、儀式となったものだ。富姫や亀姫、侍女たちはそうした「もの」(あるいは「もののけ」)である。天守とそこに棲むもののけたちの世界と、下界の人間たちの世界という二つの世界と、それらの世界の境界を越える交流を描いた『天守物語』は、祭礼的な構造をもっている。宮城の演出は、以下に述べるように、その祭礼的な構造が内包するダイナミズムを、時に鏡花の原作を越えて描き出した。

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『天守物語』(宮城聰演出、泉鏡花作)

カテゴリー: 天守物語

■依頼劇評■

獅子が竜。桃六が鷹。

奥原佳津夫

「それまで鏡花は、小説を脚色した通俗劇をとほしてのみ劇壇に知られてゐたのが、死後はじめて、ユニークな、すこぶる非常識で甚だ斬新な、おどろくべき独創性を持つた劇作家として知られるやうになつた。」とは、『天守物語』初演に接しての三島由紀夫の評。その「すこぶる非常識で甚だ斬新」な要素が、現在この戯曲の人気を呼び、それぞれ演劇観の異なる大小のカンパニーが様々なアプローチで、近代劇の枠を遥かに超えたこの戯曲に挑む魅力となっているのだろう。
SPACの『天守物語』の特徴を要約すれば、二人一役の手法で上演されるアジアの民俗芸能的祝祭劇、ということになろうか。そのアプローチの成否を、原戯曲に照らして考えてみたい。

まず、戯曲解釈の面から云えば—アジアの民俗芸能的祝祭劇というコンセプトは、この戯曲の一つの解釈として当を得たものと云える。
天守五重の魔所には、その霊力の源たる獅子頭が据えられており、討手がこの獅子と大立ち回りになる大詰めは周知のとおりだが—この獅子頭は“加賀獅子”である。そもそも、各町一基の獅子頭を祀って守護神とするのは、鏡花の郷里金沢の風習だが、そこに伝わる獅子舞“加賀獅子”は、珍しい“殺し獅子”の演舞である。すなわち、“棒取り”が得物を取って獅子に立ち向かう型で、藩政期には武芸奨励策として伝え広められたという。鏡花は、郷里の郷土芸能と祭礼を念頭に置いて、この戯曲を構成しているわけである。

さて、上演だが—劇場に足を踏み入れると、まず四本の柱を立てた奥に聳え立つのが、獅子頭ならぬ竜の頭なのに目を疑う。この竜頭は、富姫、亀姫、侍女ら打ち揃って、鯉のぼりを加工した鱗のきらめく衣装なので、鯉が滝昇りして竜と化す故事になぞらえ竜神の眷属の意か。あるいは『夜叉ヶ池』や『海神別荘』の竜神との同質性を示したものか、異種婚に付きまとうメリジューヌのイメージを想起させるものか。確かに洪水を起こす獅子頭ではあるが、「獅子」の台詞はそのままに竜の形象は違和感がある。それをおして、あえて竜を提示した意図を想像すれば、この上演では富姫の前生を匂わせる自害した上臈の挿話がカットされていることと合わせて、富姫ら妖かしを人間界との過去の繋がりを持たぬ自然霊的な魔界のものとし、その魔界は(汎アジア的な水神の形象としての)竜を通じて直接自然界に繋がるもの、と設定したことにあるようだ。

富姫の登場から始まる上演は、約一時間。当然、台本は大幅にカットされており、登場人物も整理されている。侍女らの台詞は「桔梗」と呼ばれる一人に集中させ(コミカルな役作りなので年嵩の奥女中・薄の名は枯れすぎなのだろう)、舌長姥は割愛されて、亀姫のお供は朱の盤坊ひとり。作品の構造上不可欠ではないが、やや寂しい。
演出者(宮城聰)は、舞台と客席を隔てぬ祝祭空間の創造に心を砕いているようだ。富姫、亀姫の客席側からの登場、朱の盤坊の目隠し鬼遊びや、図書之助が天守の下層で踏み迷う場面での客席通路の使用からも、それは窺える。例えば、東南アジアの雑踏で、観客も演者も渾然としたままに繰り広げられる祝祭の演舞の如き物がイメージされているのではないかと想像するのは、原色の衣装の色彩や、絶え間ない打楽器のリズムに煽られてのこと。模型の鷹が滑り降りる仕掛けや、これ見よがしに取り出される生首から滴る血潮が目指すものは、見世物性の復権であり、“広場の演劇”であろう。実際、亀姫と朱の盤坊の帰還の場面で、ロケット花火を飛び去らせる稚気など心躍る“お祭り”の楽しさである。
では、この上演が民俗的な祝祭劇として成功していたか、というと正直物足りない。問題点は、ラストシーンに顕著であるように思う。

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2011年9月26日

『タカセの夢』(メルラン・ニヤカム振付・演出)

■依頼劇評■

タカセの夢

譲原晶子

ダンス・パフォーマンス「タカセの夢」は瑞々しい存在感を放つ作品だった。はじめはどういう企画なのかよく掴めなかったし、そして今でも、今後何処へ行く作品なのかが読めない宙づり感がある。にもかかわらず、観客に戸惑いを感じさせることなく作品として実にしっかり存在していた。

作品を観るとき人は無意識のうちにその周辺を参照にするものであるが、ちらしに「『こどもが踊る、世界レベルのコンテンポラリーダンス作品』という、ありそうでなかった公演」という主催者によるこの作品の位置づけが、何を意味するのかよくイメージできなかった。「こども――といっても中高生であるが、簡単のためこう呼ぶことにする――が踊る」公演がとりわけ珍しいわけでもない。全国のホールはお稽古場の発表会で溢れているし、「子供のための作品づくり」といった企画もこれまでもなされてきている。世界に目を向ければ、コンクールや舞踊学校の学校公演では、世界レベルの高校生の踊りなど普通に見られる。それに「世界レベル」に挑戦するにはそれに見合う鍛錬の時間を要するのに、たったの一公演を通してそれに挑戦するとはどういう意味なのだろうか・・・。ただ、公演の目的という点からいえば、発表会や「子どものための作品づくり」は100パーセント出演者のための企画であり、家族や親戚、友人が集まる内輪の祭のようなものである。そこでは演技者の技量も問われないし、演目が作品として成立しているかなどということも問われない。プロを目指す若者が自らが達したレベルを披露することでデビューの機会を狙うコンクールや学校公演もまた出演者のための企画であり、こうした公演の会場では、作品主体の公演とは全く違う空気が流れている。
「タカセの夢」は企画として、確かにこの種の教育路線の催しとは一線を画していた。それは、一般の不特定多数の観客に向けられた一作品であり、しかも、将来プロを目指す専門家の卵によるものではなく、舞踊経験のない者までを含めたまさに「静岡の子ども」による公演であった。そこにはもちろん世界レベルの個人技はない。その代わりにそこに見られたのは、子どもの身体を鍛錬途上のものとみなすのではなく、これをひとつの立派なダンスの素材と扱おうという明確な態度である。振付家もその他の制作者も、一般の作品と何ら変わらぬ態度で臨んでいる。作品を観て、主催者のいう「世界レベル」とは、「世界中の不特定多数の観客に、作品として受容されることのできる作品」という意味だということが、よく理解できた。

写真家が捕えた子どもの写真のようなダンス作品だった。作品の内容自体は、極めて純朴で、何気なく、どこかにありそうな穏当な作品であったが、そこには、プロによって狙い定められた子どもたちの、そのオーラとエネルギーが、作品のエッセンスとしてしっかりとキャッチされ、定着されていたという意味において、そう感じた。そしてそれによってこの作品は――振付家ニヤカム氏自身も言うように――「日本の子どもによらなければ成立し得ない作品」となり、これがこの作品の力強いアイデンティティーとなっていた。
どのようにしてこんな作品が成立し得たのであろうか。舞踊には舞踊語彙や技法があり、またそれに即して訓練された舞踊の身体があり、これらを前提として振付家は作品をつくる。振付家は、舞踊語彙を共有していてコミュニケーションが可能なダンサーを使い、また自分の作品イメージにあったダンサー、それを踊れるダンサーを選んで振付ける。ところが「タカセの夢」ではこうした制作プロセスは覆され、出発点にまず「子どもの未熟な身体」が置かれたのである。そして、前提となるべき舞踊語彙も、舞踊の身体もない、零からの出発である。
「タカセの夢」もオーディションによるダンサーの選抜から始められはした。4倍ほどの倍率だったようだが、「とくに厳しい競争はなく、或る程度動きまたは声のコントロールができる子をとった」とニヤカム氏は語る。「最初の困難は、子どもたちがみな周囲に縛られ過度に引っ込み思案だったこと。『自分を受け入れなさい。』『自分を好きになりなさい。』と言い続けることで、徐々に子どもたちは解放されていった。そして最後は日本人特有の素晴らしい集中力で、普通ではありえない短期間でのリハーサルで完成することができた。「タカセの夢」にも、制作のプロセスのなかに教育という要素はあったわけだが、振付家の指針を教え込むという意味では、教育という要素は舞踊作品の制作では必ず存在している。この作品が放つオーラとエネルギーは、まさにこの振付家の手にかかって子どもたちから引き出されたものであることがよくわかる。
この作品では、身体、動きは、造形されようとはしていない。繊細な身体制御にはこだわっていない。その一方で、アンサンブルの動かし方、リズムの構成、場面の切り替えなど、作品の構成は細やかな技で満ち溢れている。そのきっちりした組み立ては、ダンサーの集中力によって完璧に維持され、決して乱れることはない。舞台全体を念入りにまとめることで、そこに未熟な身体がそのまま存在することができる場所が与えられている。そこで、未熟な身体がその未熟ないまを謳歌するのである。
振付家が舞踊家に一方的に振付けるのではなく、振付家と舞踊家の間に作品を生みだそうという創作の在り方は、コンテンポラリーダンスと呼ばれる活動のなかで盛んに進められてきた。この作品にも、両者の相互作用がさまざまな場面に見られる。日本人の振付家であったらおそらく、日本の歌や遊びをこれほど多用することはないであろう。個々の出演者たちが時折見せるソロの動きには、どこかで習ってきたのであろう「型」が散見され、「型破り」はないものかと思うところもあったが、こうした姿自体が我々の写し絵なのだろうと納得するしかない。舞踊の引き出しやすさという点からいえば到底扱いやすいとは思えない日本人を、ここまで使いこなしたニヤカム氏の技量は相当なものだと言っていい。あるいは、ニヤカム氏と静岡の子どもたちは格別相性がよかったのであろう。作品を観る限り、静岡での両者の出会いは幸福なものだったに違いない。

「型破り」といえばこの公演の企画者の宮城氏である。ニヤカム氏の作品の内容は穏当であったし、出演者たちはこんなに素直でよいものかと思われるほどの素直さであった。一方、この企画は既存のレール上にはない。はじめはどう転がるともわからなかったはずだが、自身の直感に対する確信が、先の見えない強さに支えられたときに、こんな推進力が発揮されるものだ。それは子どもたちに負けずに清々しい。さて、既存のレールからはずれて、この企画は今後どこへ行くのであろうか。
宮城氏の直感が何を捕えたのかが明らかになるにはしばらく時間がかかるであろう。個人的には――問いの直接の答えにはなっていないのであるが――この作品の「あの日、あの場所で、あの人たちの間で生まれた作品」という側面を大切にしていって欲しいと願っている。ちなみに作品にも固有名詞のタイトルがついている。リハーサル室での振付家と子どもたちの交感をそのまま運ぶ、その瑞々しさを客席で満喫して、舞踊は「場所の芸術」だと改めて感じたのである。「場所の芸術」といえばまず、複数の人がある時ある場所に集まらなければ作品は成立しないという、実演芸術の本性を指すのだろうが、客席であれ、リハーサル室であれ、人が集まることで初めて作品が存在できるということ、ただそれ自体の価値を、いま、もっと掘り下げていけないだろうかと思うのである。この作品を機に、リハーサル室での出会いと「ユメミルチカラ」から、それまで存在しなかったものを存在させようとすること、ただそれ自体の価値を、いま、もっと掘り下げていけないだろうかと思うのである。

■執筆者紹介

譲原晶子(ゆずりはら・あきこ)
千葉商科大学政策情報学部教授。著書に “Anne Woolliams, method of classical ballet” (Kieser Verlag, 2006)、「踊る身体のディスクール」(春秋社、2007)などがある。

2011年9月1日

『ヒロシマ・モナムール』(クリスティーヌ・ルタイユール演出、マルグリット・デュラス作)

■依頼劇評■

重層化するテクスト、声、記憶
——クリスティーヌ・ルタイユール演出『ヒロシマ・モナムール』ーー

堀切克洋

暗闇に能管の音が響く。空気を破裂させるような高音の笛の音ではなく、どちらかというと親密な印象を与える音である。わたしたちの眼前には次第に不定形のフォルムが見えはじめる。やがて、その曖昧な形状のフォルムは、重なり合った二人の男女の裸体であることがわかる。しかし、それが「君はヒロシマで何も見なかった」——「いいえ、ヒロシマですべてを見たわ」という言葉の発話者であるかどうかを理解するには、もう少しの時間がかかる。その台詞がマイクロフォン、そして舞台上方に設置されたスピーカーを通じて発せられ、客席を包み込むような空間がつくられているからである。

●『ヒロシマ・モナムール』というテクスト

一般的に『二十四時間の情事』という日本語題の下で知られている『ヒロシマ・モナムール』というテクストは、アラン・レネ(1922-)による日仏合作の長編映画作品(1959年公開)のために、マルグリット・デュラス(1914-1996)がフランスにとどまりながら製作した「シナリオおよびダイアローグ」である(邦訳『ヒロシマ私の恋人』、清岡卓行訳、ちくま文庫、1990年)。日仏合作の「平和のための映画」を撮りに広島に滞在している30代のフランス人女性と、技術者でありかつ政治的活動を行ってもいる40才前後の(フランス語が堪能な)日本人男性。物語はこのふたりが出会い、そして別れるまでの「二十四時間」を描く。

映画を見たことがある方、あるいはシナリオを読んだことがある方ならばご存知の通り、ヒロシマという人類にとっての苛酷な経験を「書く」にあたって、デュラスが考案した方法は広島という場においてヒロシマという日本人の男を登場させることであった。さらに、この男と出会う女は、かつてヌヴェールというフランスの田舎町でドイツ兵と恋に落ちたことによって、地下室に軟禁され、村八分にされたという過去を持つ。その抑圧された記憶を呼び覚ますのが、ヒロシマという〈都市=男〉であり、それゆえに、この物語を通じて女はヌヴェールという都市の記憶を代表してみせるのである。

しかし、である。映画を見たことがある方も、そうでない方も、『ヒロシマ・モナムール』というテクストを一度手にとっていただきたい。この書物を開けば、デュラスのテクストがその筋の明解さ(二人の男女が出会って別れるだけの話)とは裏腹に、どれほどに重層的に書かれているかが理解されることだろう。とりわけ、ヌヴェールに関しては、映画で「ヌヴェール」を演じたエマニュエル・リヴァ(1927-)が——ユダヤ人の母親を持つことを示唆しつつ——語ったことの覚書きとして、一連のテクストがシナリオに付録されており、映画監督に対する指示や映画には収められていない場面も含めて、膨大な周辺的テクストが収められている。

このことに加えて、少なくともデュラスという作家にとって、ヒロシマという経験はその端緒においてすでに強制収容所という経験と深く結びついていたことも確認しておこう。折しも邦訳が刊行されたデュラスの『戦争ノート』(田中倫郎訳、河出書房新社、2008年)を参照すれば、政治犯として逮捕され、ブーヘンヴァルト強制収容所へと送られた夫、ロベール・アンテルム(1917-1990)の生還が、デュラスの「ユダヤ人化願望」に拍車をかけたという事実から、デュラスの経験がフランス人女性と日本人男性と重なり合う筋を持つ『ヒロシマ・モナムール』のドラマトゥルギーに書き込まれていると考えることも十分に可能だろう。

しかしながら、『ヒロシマ・モナムール』における男女の会話は、ほとんどが短台詞から構成されており、分量の面から言えば、周辺的なテクスト(筋書き、ト書き、付録など)とは好対照をなしている。つまり、男の問いかけと女の受け答え、あるいはその逆のやり取りからは、無駄な言葉が排除されている。そのため、演出家は基本的に、この膨大な量の周辺情報を俳優たちの短い発話に託さなければならない。そこで演出家はどのような方法をとったか? 「君はヒロシマで何も見なかった」——「いいえ、ヒロシマですべてを見たわ」という冒頭の台詞で示唆したように、この演出において決定的に重要な役割を果たしていたのは、「台詞(音声)の聞こえ方」である。

●いったい、これは誰の声なのか?

冒頭の場面は、わたしの記憶が正しければ、二人の台詞は舞台上方のスピーカーを通して観客に届けられていた。これにより、映画の冒頭のシーン(銀色にきらめく汗をかいた肉体の交わり合い)とは、同じ描写でありながらまったく別の印象を与えることに成功していたのである。ヴァレリー・ラングと太田宏の動きはけっして生々しくはない、どちらかというとコンテンポラリー・ダンスのような、抽象的なフォルムを薄明かりのなかで幻影的に見せる(舞台の観客は俳優の裸体を見ることにほとんど驚きを示さない)。二人の身体が表象している時間は〈1958年〉ではなく、同時代のどこかであるように思われる。

スピーカーから聞こえる台詞は、彼らが「発している声」ではなく、彼らに「発せられる声」のようにも聞こえる。かくして、わたしたちは「現代の男女の姿」に、〈1958年〉の——わたしたちが遅かれ早かれ、映画や書物を通じて夢想することになる——男女の風景を重ね合わせることになる。それは、原爆の風景から切り放された普遍的な、あるいはきわめて凡庸な男女の恋模様である。しかし明らかに、デュラスのテクストは映画とはまったく異なる響きを放つ。当然のことながら、そこには映画で使うことのできる技術(およびその限界)が存在しないからである。原作における時間や空間の統一性(ラシーヌ劇のよう!)は、いとも簡単に撹乱させられることになる。

たとえば、スピーカーを使わない二人の会話がほとんど普通の演劇(恋物語)を思わせると思えば、今度はそのスピーカーから(おそらく現在の)広島の音風景が流され、あるいは〈1958年〉の広島の風景が舞台全体に映写され、時間と空間はデュラスのテクストに応えるかのように、たえず重層化されてゆく。感情の吐露としての独白/小声で話す二人だけの親密な会話/他人にも聞こえる公共的な会話……という具合に、あれほどまでに単純だったはずの二人の会話は、まるで無限のマトリョーシカのように、発話の仕方や音声の届け方を通じて、時間と空間を往来するように観客の想像力を仕向けているのである。

ところで、映画版『ヒロシマ・モナムール』は、映像というメディアが対象のフェティッシュ化を得意としていることを示すように、「へんてこな場面」が何度か登場する。たとえば、二人が愛撫しているシーンの後ろではチャルメラの音が、フランス語で書かれたプラカードを掲げてデモ行進する場面ではきわめて大衆的な音楽が、リヴァが苦悶のヌヴェール時代を回顧する場面ではゲコゲコという蛙の鳴き声と歌謡曲が流れ続けているのである。これらは、急須からコーヒーが注がれる場面(この場面で女は浴衣を着ている!)や喫茶店の名称が「どーむ」であることにもまして、実に微笑を誘う。

このような映画的なユーモアの代わりに、舞台版『ヒロシマ・モナムール』では、日本の唱歌がふたつほど使用されている。ひとつは「椰子の実」(作詞=島崎藤村、作曲=大中寅二)という1936年につくられた唄で、劇中に太田が何度か口ずさむ——「名も知らぬ/遠き島より/流れ寄る/椰子の実一つ」。椰子の実というモノを叙情的に詠んだ歌詞は、どこか懐かしいが悲しげな印象を与える。もうひとつは「わたしの城下町」(作詞:安井かずみ/作曲:平尾昌晃/編曲:森岡賢一郎)という小柳ルミ子の1971年の唄である。このような歌謡曲の使用はけっして珍しくはないが、舞台を異化するには効果的な手法である。

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『シモン・ボリバル、夢の断片』(オマール・ポラス演出・翻案、ウィリアム・オスピーナ作)

■依頼劇評■

生き延びる〈ことば〉としての演劇
=「シモン・ボリバル、夢の断片」評=

柳生正名

開演前10分。観客は誰も梅雨時にそぐわぬ涼しさを感じたはずだ。場の緊迫感がそれだけの密度に達していた。眼前には、さながら大震災の直後を思わせる土手状の盛り土、そして建物の残骸。自らの坐るべき席は、そうした瓦礫とともに静岡県芸術劇場の大舞台上に据えられている。

開演。そして、クライマックス。盛り土の上には、演出家オマール・ボラス自らが演じるラテンアメリカ独立運動の闘士シモン・ボリバル。現在は中南米各国の広場という広場に彫像が立つ彼の、その生身に頭から液状の石膏が浴びせられる。文字通り「偶像化」していく存在として、観客の目前、というより、演者と観客が共に在る舞台上で、同時代的な生々しさをみなぎらせつつ、演じられるのだ。冒頭、同じボラスが演じる「演出家」の口から語られる「ボリバルの物語はお前たちの物語でもある」という〈ことば〉そのままに。

ボラスが7度目の来静に携えてくる舞台は、彼の母国コロンビアの建国200周年を記念して制作された「シモン・ボリバル、夢の断片」になるはずだった。解放者(リベルタドール)の称号を持つ対スペイン独立闘争の指導者ボリバル(1783〜1830)—現代日本人には19世紀のチェ・ゲバラとでも説明した方が伝わりやすいか—を主人公に2010年完成した作品である。

しかし、東日本大震災とこれに続く東京電力福島第1原発事故によって、計画は頓挫する。オリジナルの舞台をボラスとともに作り上げた同志たち、すなわち役者、スタッフの多くが来日を見送る中、「今回の静岡公演でオリジナル演出から変更された点はただ『ひとつ』。その『ひとつ』とは『すべて』」とボラスが語る結果になった。つまり、主演のボラス以外の全キャストはSPACの日本人俳優に入れ替わり、構成・演出も一変した静岡バージョン「ソロ・ボリバル」として上演することを余儀なくされる。

この静岡版のオリジナル演出からの変更点のうち、特筆されてしかるべきなのは客席の配置を中心とした舞台の在りようだ。開演前、観客は本来の劇場客席を素通りし、幕の降りた舞台に上がるよう求められる。そこには奥行き12〜3メートル、幅5メートルほどの土手状に盛られた土。その上が役者たちの演技の場となる。

そこに現われるのは、ボリバル自身と彼を取り巻く多彩な人間像—恩師シモン・ロドリゲス、独立運動の同志フランシスコ・デ・ミランダ将軍、妻マヌエリータ・サエンス、さらには地理学者フンボルト、ナポレオン、ボリバルの遺志を継ぐ政治家たち、テロリスト、群集、天使風の何者か、時の神クロノスなどなど。これら数多くの役柄が、ボラス以下、わずか5名の俳優らによって演じ分けられ、波乱に満ちたボリバルの半生—人格形成期から、南米諸国を独立に導き、現在のコロンビア、ベネズエラ、エクアドル、パナマに加えて、ペルー、ブラジルの一部までも含む大コロンビア共和国の初代大統領に就任しながら、同国が内紛によって瓦解後、失意の内に客死するまで—を描き出していく。

といっても、通常の歴史劇とは異なり、主人公の生涯における様々なエピソードをそのまま舞台上で再現することはない。ここまでに名前の挙がった実在の人物による、ボリバルについての証言めいた〈ことば〉、そして日本人俳優4人が演じるギリシャ演劇風コロス(合唱隊)による語り、というよりは、観客の思いをリアルタイムに代弁するかのような呟きによって、ボリバルと生涯を「浮き彫り」にする—そういった種類の叙法が採用されている。

話を舞台装置に戻そう。舞台中央に盛り上げられた赤茶色の土—これが、あまた人の汗と涙と血を吸ったラテンアメリカの大地を象徴することは言うまでもない。劇中は髑髏やボリバルの胸像などが掘り出され、ミランダ将軍や妻マヌエリータの口からボリバルへの愛憎相半ばする思いを独白の形で引き出すきっかけにもなる。時には、イリュージョン風の光景として、その上で現在のベネズエラ、コロンビアの国旗にみられる黄、赤、青3色のペンキがぶちまけられる。また、ボリバルに浴びせられた石膏を洗い流し、偶像化した彼の〈ことば〉に再び命を注ぎ込むがごとき「恵みの雨」が降り注ぎもする。

舞台上の客席は、この土手の両側面に配され、その上で、沈み込む土に足を取られながら演じる役者たちを、観客は横から観る形だ。それでいて、大団円に初めて舞台幕が上がると、寸前まで眼前で演じていた役者たちが、本来の客席からこちらの舞台を見下ろし、拍手を送る。役者と観客の立場が一気に入れ替わり、われわれは自分たちが観られ、問われる立場であることに気付かされるのだ。何を問われるのか?それが、本作のテーマを考える上で、重要なポイントとなる。

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『エクスターズ』(タニノクロウ作・演出)

カテゴリー: エクスターズ

■依頼劇評■

コペルニクス的転回は密やかに起こって

—— タニノクロウ作・演出<エクスターズ>を観る

阿部未知世

1、不穏な気配

<ふじのくに⇄せかい演劇祭2011>招聘作品のトップを切って上演された、タニノクロウの<エクスターズ>。この春、今回の演劇祭の概要が発表された時から、タニノクロウ、そしてこの<エクスターズ>には、一抹の不穏な気配が漂っていた。

何故なら<エクスターズ>は、タニノが約二カ月にわたって日本平山中に籠って生み出すのだと言う(他者と関わらない劇作の過程は、果たして可能なのだろうか?)。

そのタニノ自身は、医者から演劇人に転向したのだそうな(医師免許を持ちながら、演劇に関わった作家はいた筈。安部公房とか……)。

しかも前職は何と、精神科の臨床医なのだと(こうなったらもう舞台は、抑圧された願望など、精神分析的なおどろおどろしい世界に満たされて……)。

そのタニノが主宰する劇団は、<庭劇団ぺニノ>と名乗っている!(形而上的にも<庭>という概念にこだわった演劇空間の創出。もと精神科医としてはユング派の分析心理学の立場で、診断と治療に用いる<箱庭療法>を意識しない筈はない。詳細は略すが<箱庭療法>とは、非言語的な内的世界を非言語的なままに意識化することで、内的世界を把握し、その世界に変容をもたらそうとする試みなのだ)。

そして公演が近づく中で伝えられた、タニノが最初に創ったのは、台本ではなく舞台の空間そのものだったという事実で、タニノクロウなる人とその世界が擁するただならなさ不穏さは、極限に達した(製作のスタンスを重視するという、独自の演劇論を展開する人物であったとしても……)。もはや一筋縄ではいかない、手ごわい場が出現するのだと、覚悟せざるを得なかった。と同時にそれは、確たる期待をも生んでいだ。

2、舞台上で起きること

初夏の薄暮の野外舞台、<有度>。薄闇を切り裂くように、さっきホトトギスがテッペンカケタカと鋭く鳴きながら谷を渡って行った。そんな自然豊かな野外舞台。しかしその舞台は、上手から奥を経て下手まで、隙間なく高い板塀が取り囲んでいる。その高さたるや、十メートルはゆうにあるだろう。しかもそれはピンクやオレンジが混じった、治りかけの傷口か鶏肉のように、決して心地よくはない色彩に、まだらに塗られている。閉所恐怖症気味の人間には、はっきりと苦痛な空間が出現していた。

その空間にはしかし、長椅子やテーブルなどが置かれて生活感が漂う。加えてアップライトピアノとギター、かつて電蓄と言われたような大型のレコードプレーヤーもあって、音楽も豊かに存在するらしい。

爽やかな朝日が室内にも届いて、ゆっくりと時が流れ始める。そこにゆるゆると現れるのはおばあさんたち、総勢六名。おそろいの天使のような白く長いドレスをまとい、素人そのままに歌いピアノを弾く。このかそけき音楽世界を作り出しているのは、この老人施設に暮らしプレイルームに集う、やることと言えば<歌うことくらいしかない>おばあさんたちなのだ。

このおばあさんたちを世話するのは、三人の少年を過ぎたばかりの若者たち。彼らも歌うことには積極的だ。

いくつかのエピソードを紡ぐ中で明かされることがある。朝の爽やかな光に満ちた外では、何故か銃声が何回か。でも誰もそれに気をとめることはない。おばあさんたちの一人がトイレに立てば、みなそれに続いてぞろぞろと。一本の煙草をみんなで回し飲みして一服。ここでは各人がそれぞれの個性を際立たせることはない。みんな一体であり、しかもみんな内向きなのだ。

そんなおばあさんたちにとっては、テレビが伝える銃撃戦(ドラマなのか、リアルなテロもしくは犯罪の報道かは不明だが)も他人事だし、音楽の好みの違いもほんの一時の不協和音を生むに過ぎない。夜を迎えれば、みんなお休みの歌を歌ってこの部屋を立ち去る(私室で就寝なのだろう)。

世話する若者たちも、大差はない。やたらと身軽な者がいたり、どういう訳か場違いにも親からの独立を宣言する者がいたり、かなり太っていたりはするものの……。

そんな彼等に、その時が訪れる。<無音の誘惑>と名付けられた、その時が。おばあさんたちが去ったこの部屋で、若者たちは静かに歌い出す。暗闇よこんにちは……。<Sound of Silence>を歌い終えた彼等は、意を決したようにタキシードへと衣装を替え、一人がフリークライミングよろしく十メートル余りの壁をよじ登り始める。登り詰めた若者は、青く強い光を放つ大きく重いライトを、力を尽くして室内に向けてセットする。青色発光ダイオードの強い光が満ちる部屋。

やがて時は過ぎ、軽やかな音楽にスイングしながら、おばあさんたちが踊りこんで来る。こんどはとりどりに華やかな色合いのドレスを身に纏って。ドレスアップした彼女たちは、また歌い始める。苦境にある恋人を励まし支える歌、そして最後に<ふるさと>。歌い終えておばあさんたちは、にこやかに部屋を出て行く。今度はきっと街へ出ていくのだろう。最後の一人が板壁の縦一列だけを反転させて、彼女たちが去った後の舞台には、外の光景と大気が静かに流入して……。

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『真夏の夜の夢』(宮城聰演出、シェイクスピア原作、野田秀樹潤色)

カテゴリー: 真夏の夜の夢

■依頼劇評■

真夏の夜の夢

井出聖喜

序幕(プロローグ)

●総評

野田秀樹がシェイクスピアの原戯曲から取り去ったものと付け加えたものの意味を的確に読み込み、野田戯曲のもつ力を鮮明に浮かび上がらせた、心に残る上演だった。野田秀樹自身の演出による舞台作品とは全く別物のような印象だが、人間や日本社会の見えない部分を見据える冷徹なまなざしを持った最近の作品につながる、野田の透徹した人間観がくっきりと見えてくる舞台だった。

第一幕

●野田秀樹の作劇法

野田秀樹の作風は「夢の遊眠社」のころからするとずいぶん変わった。当初は、大声を上げて遊園地を駆け回る子どもの喧噪と夢想とでも言うべき世界、芝居では間が大切だなどという保守的な演劇人のしたり顔にそっぽを向いて、速射砲のように観客の耳を撃つ台詞の応酬と体の中に発条が装填されているのではないかと思われるような役者たちのめまぐるしい動きの合間から突如立ち上る鮮烈な叙情性が身上であったが、昨今は文明批評であったり日本人論であったり、歴史の検証であったりといったように、演劇による世界解釈といった作風を強めてきている。

多くの演出家・劇作家がともすれば自己模倣に陥りがちであることを思えば、彼が常に革新的であることはすばらしいことだ。

しかし、変わらない点もある。それは、地口や駄洒落といった、それ自体では座興程度のものでしかない言葉遊びが、一種、触媒の役割を果たして、それまでは全く無関係だった二つ、あるいはそれ以上の世界が突然出会い、お互いに侵食し合い、そこに新たな意味が付与され、この硬質でゆるぎないと思われた現実世界が溶解し、その中から多層的なイメージ、暗喩と寓意に満ちた仮想世界が立ち昇り、観客は、この世界を照らし出す全く新しい光源を見ることになるという作劇法だ。

この『真夏の夜の夢』もそうした野田演劇の本質をよく伝える作品の一つである。

●多層的なドラマ『夏の夜の夢』

『夏の夜の夢』は、『ハムレット』と並んで最も多く上演されるシェイクスピア作品であろう。同じ戯曲を基にしながらも、演出によって作品世界が全く異なってみえるというのは、どの戯曲においても言えることかもしれないが、特に『夏の夜の夢』はその演出の多彩さ、自由度において群を抜いているだろう。と同時に、どんな演出によるとしても、見終わった後の印象には一つの言葉でくくりきれない多様なものがあるように思う。オーベロンとタイテーニアを中心とした妖精の世界の住人たちの、子供のように無邪気で自由な世界、ボトムを中心として芝居づくりに精を出す職人たちのナンセンスで闊達で放埒な世界、そして恋心の気まぐれに翻弄され続ける若い恋人達の困惑と幸福、それぞれの世界がそれぞれにその存在を主張しており、その鮮やかな色彩の混交は、すべてを見届けてきた観客の心にちょっと複雑な味わいを残すことになる。もちろん最後はパックの口上による祝祭的気分で締めくくられるとしても、だ。

●純化された野田版『真夏の夜の夢』

しかし、野田秀樹潤色(というより改作と言ってもいいかもしれない)、宮城聰演出の本作は、見終わった後の印象が実に鮮明で純化されている。これは野田秀樹の脚本がそのように書かれているということでもあるし、それをくっきりと浮かび上がらせようとした演出の意図によるものでもあろう。

では、その「鮮明で純化され」た印象とはどのようなものか。

それについて触れるには、シェイクスピアの原戯曲と野田版戯曲との違いを明らかにしておかなければならない。

ただ、その場合シーシュースとヒポリタが登場しないとか、最終幕の劇中劇が完全にカットされているといった点は大きな問題ではない。(正確に言えば、終幕の劇中劇のカットは「大きな問題ではない」と言うよりも必然である。なぜなら、本作では劇中劇は一種の入れ子構造になっていて、「知られざる森」の中で展開される人間たちや妖精たちの一連のドラマの進行自体がそのまま劇中劇を作り上げていくことになるからだ。)

野田版『真夏の夜の夢』の最大のポイントは「そぼろ」と「メフィストフェレス」(以下メフィスト)という二つの役の造形にある。

●そぼろ

そぼろは原戯曲のヘレナに当たり、恋人の心が自分の親友に向いているという状況は共通である。しかし、そぼろがヘレナと違っているのは、彼女が自分の心の中にある、止みがたい嫉妬心や憎悪といったものに常に目を向け続けているという点にある。

一方、メフィストはもちろん原戯曲には登場しない。本作にはパックも登場はするが、パックの活躍ぶりやその印象は原戯曲ほど鮮やかではない。劇中の彼の台詞をもじって言えば、彼はメフィストにパックリとパクられてしまったことになる。

そぼろとメフィストは別人であるが、二人の拠って立つところには共通のものがある。それは彼らが善意や美徳を生きるのではなく、むしろそれらによって追いやられ、隠されてしまった、しかし、どの人間の中にも確実に潜んでいる負の感情を背負い込んでいるという点だ。

そぼろは、自分の愛するデミが親友のときたまごと近々結婚する運びになるということに苦しんでいる。その結婚は第一にはときたまごの父、老舗の割烹料理屋ハナキンの主人の希望によるものである。第二には、友人ライと共に自分が板前として働いているハナキンの主人の寵愛を得て、その娘婿に収まりたいというデミの野心による。しかし、ときたまごはライと相愛の仲にあり、この結婚は簡単に調うものでもなさそうな状況にある。

この辺り──若い恋人達の人間模様──は原戯曲と基本的に同じであるし、惚れ薬をかける相手をまちがえたことから生じる恋の大騒動とその顛末も大筋では変わらない。

しかし、そぼろの心は暗く沈み、嫉妬心は抑え難く沸き起こってくる。その思いに乗じて現れるのがメフィストなのだ。

●メフィスト

原戯曲の『夏の夜の夢』では妖精パックの早トチリから恋人同士の取り違えドラマが始まることになるが、野田版『真夏の夜の夢』はそぼろを始めとした人間の中の嫉妬だとか憎悪、それら言葉にされることなく呑み込まれた思いと、それを巧みに操るメフィストの「悪意」、あらゆる善なるもの、美なるものへの、彼の屈折した憎悪とが、もつれにもつれ、こじれにこじれた愛のドラマを生み出していくことになる。

そぼろは、デミやライが突然自分への愛を告白することになるという、あり得ない展開を、当初は、彼らが自分をからかい、なぶりものにしているのだという被害者意識によってこそ理解したとしても、自分の呑み込まれた言葉が、あえて言えば無意識界に追いやられ、抑圧された思いが招き寄せたものとはつゆほども思わぬが、ドラマの大詰め近くでそのことに思い致すことになる。

「この悪い夢は、あたしの呑み込んだコトバがつくりだした願いだったのかもしれない。」 「あなた(メフィスト)をここへ呼んだのは、あたしだったのね。」

宮城聰はドラマの冒頭近い部分、メフィストの登場場面で、それを観客に強く印象付ける演出を施している。メフィストは、そぼろが消えた瞬間その消えた場所からフワッと現れるのである。これは上掲のそぼろの台詞と照応してはいるのだが、メフィストはそぼろの心の中にこそ棲んでいたとも解釈できるところである。

●知られざる森

メフィストは、脳天気なオーベロンやタイテーニア、パックまでも騙して人間たちの間に不幸と憎悪をまき散らそうとする。妖精たちは、オーベロン・タイテーニアも含めて「知られざる森」の住人である。「知られざる森」とは、劇中のパックの言葉によれば「ひとたびこの森からでていくと、この森のできごとを忘れてしまう」、「ここには人が置き忘れたいろいろな知られざることが富士の山ほどある」──そういう森である。(これを筆者流に勝手に換言するなら、忘れられた童心の住み処であるし、深層心理の森であるということになる。)

その森で「出入り業者」たちが演じるのは、ピーターパンの登場する『不思議の国のアリス』の物語だ。その意味では「知られざる森」は「ネバーランド」でもあり、アリスの迷い込んだ「ワンダーランド」でもあるのだろう。

その森の本当の姿はだれにも知られず、妖精たちの姿も見えず、その声は人間には鳥のさえずりとしか聞こえないのだ。かつてはだれもがそこに棲んでいたはずなのに今ではどうしても思い出せない、我々の現実から「聖別」された世界──メフィストもその森のはずれに棲んでいるのかもしれない。そして、彼は、他の妖精たちを横目でみつめながら独り寂しくいじけている子どもだったのかもしれない。

●メフィスト対妖精たち・逆隠れみの

オーベロンたちを騙したメフィストは、目に見えるものしか信じない人間たちを操り、彼らに憎悪と不幸を植え付けるために、それを着ると見えなかったものが見えるようになるという「逆隠れみの」を着て、人間たちの前にその姿を現す。

一方、メフィストのたくらみに気づいたオーベロンは妖精たちに号令を発し、同様に「逆隠れみの」を着て人間たちの前にその姿をさらして、彼らがメフィストに騙されていることを知らせようとする。

ここでも奸智を働かせたメフィストは、妖精たちの持参した「逆隠れみの」を自分の下に集めて燃やしてしまうのだが、その灰をかぶることで、妖精たちは人間たちに見えるようになる。そして、すべては「森の裁きの場」に持ち込まれることになるのだが、その時、メフィストは森に火を放つ。

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2011年6月24日

『マルグリット・デュラスの「苦悩」』(パトリス・シェロー演出、マルグリット・デュラス作)

■準入選■

手繰り寄せる希望 — マルグリット・デュラスの「苦悩」

柴田隆子

楕円堂の高い天井が、舞台を覆う薄闇のため更に高く感じる。舞台上手にある机に向かい、女が後ろ向きで椅子に座っている。板付きから始まるこの簡素な舞台は、一人芝居を演じるドミニク・ブランが「ノマド的」と呼ぶように、およそ世界中どこにでもある机と椅子が唯一の舞台装置で、文字通り、モリエール最優秀女優賞をとった彼女の演技が舞台を支えるのだ。リーディングから始まったというこの舞台のコンセプトは、作品に描かれている出来事の再現ではなく、作品そのものを空間的に立ち上げることである。それゆえ、舞台は原作者マルグリット・デュラスの混沌とした記憶のように薄暗くどこかあいまいで、その中にあってブランの身体が、記憶の底から手繰り寄せるように言葉と身振りを紡ぎだしていく。

マルグリット・デュラスの自伝的な作品である『苦悩』は、第二次世界大戦時にドイツへのレジスタンス活動で捕らえられたユダヤ人の夫を待つ日々と、強制収容所からの奇跡といえる彼の生還後を描いたものである。原作の冒頭にあるように、ブランは数冊のノートを手に取り、その筆跡を自分のものと認めながらも、その内容はとても自分が書いたとは思えないと語りだすところから始まる。フランス語を解さない筆者にとって、光量の乏しい中、短い間隔で切り替わる情報量の多い字幕を解読しつつ、彼女の抑えた声と微細な身振りを追うのは、まさにカオス的な記憶の中から何かをつかみ出そうとする作業に似ている。

記憶は多くの場合、客観的に実体として存在しているものではなく、混沌とした断片的な中からひとつの「記憶」として形成されていくものである。デュラスは想像を絶する「苦悩」の中から、記憶を手繰り寄せ、ロベール・Lの生還という「作品」を作り出した。しかしこの舞台で、カオス的に散乱するデュラスの言葉の海の中で、ブランが呼び覚ますのは、デュラスの感情の記憶である。前半、待つことに苛立ち憔悴していくデュラス/ブランの感情は、りんごを剥き小さく切るようなほんの日常的な身振りからでもはっきりと伝わってくる。デュラスの言葉を媒介しながら、さらにブランはそこにいただろう複数の人物をも同時に形象化する。ぼんやりとした薄闇の中、複数の人物と対話する姿がその声から立ち現れてくるが、彼女の目は内面の混沌を見つめたままで、その姿はどこか遠いところにあるようである。

この霧のかかった状況が晴れてくるのは、強制収容所に収監されていた夫ロベール・Lの生存がわかった場面からである。それまでデュラスの内面世界に向き合わされてきた観客は、いかに生きて彼を帰還させるか、どうやって彼を生の世界に取り戻すかという現実の問題に彼女の関心が移ったことで、解放される。ロベールがいかにひどい状態であったかは、「泡だつ緑色の排泄物」という表現に象徴される。待つことが戦いであった前半に対し、屍の中に横たわる屍同然の生、それを大事に持ち帰り生の側に引き戻すのが後半の戦いである。字幕に現れるデュラスの激しい言葉遣いとは裏腹に、ブランは抑制のきいた動きで、一歩一歩手堅く彼を生へと導いていく。食べることに耐えられないほど弱った体、それでも食べなければ確実に死が待っている。弱った体を支えるために敷き詰められたクッション、1日に何度にも分けスプーンで与えられる食事、むせながらも飲み込む姿。最初に夫の変わり果てた姿を前にしたショックから立ち直った彼女の周りには、一緒に心配し支援する友人たちの姿が見える。もちろん、いるはずのない彼らの姿を浮かび上がらせるのは、ブランの声と演技であり、特にその視線である。前半のカオス的な内面を見続けていた彼女の目は、後半はっきりと夫の姿を、一緒に支援してくれる友人らの姿を捉え始める。ロベールの生還はデュラス自身の生還でもあるのだ。ロベールが「お腹がすいた」という言葉で生への帰還を果たすとき、デュラスもまた「苦悩」の日々から解放される。舞台奥に続く鏡の先へと消える彼女の姿は、戦いを終え、別の人生へと向かう旅立ちに見え、ロベールとの離別をほのめかしている。

演出ノートにパトリス・シェローが書いているように、『苦悩』は戦争、強制収容所という「想像を絶する」時代を背景として、その時代でなければ成立しなかったであろう出来事が描かれた「恐るべきテクスト」である。そこで語られる言葉はどれもひどく重く、その内容、背景とも我々の日常世界からはあまりにもかけ離れており、彼のいうような「つつましい形」で提示されなければ、心に届いてこなかったであろうテクストである。これだけの内容を媒介しながらも、それに拮抗しうるドミニク・ブランの身体性があって初めて成立した舞台なのだと、座って見ているだけで疲労困憊する中で気づいたのだった。「狂おしい希望」までもが、「すでに忘れられてしまったあの時代」とともに忘れられてしまったかに見える今日、「希望」に至るまでの「苦悩」を理解可能な姿で描き出してくれた彼女に感謝したい。

(静岡県舞台芸術公園屋内ホール「楕円堂」 2011年3月4日観劇)

『マルグリット・デュラスの「苦悩」』(パトリス・シェロー演出、マルグリット・デュラス作)

■準入選■

空間を支配する力。あるいは人情噺「苦悩」
〜ドミニク・ブランのひとり芝居<マルグリット・デュラスの「苦悩」>を観る〜

阿部未知世

<SPACスプリングシーズン2011>における唯一の外国人による公演である、<マルグリット・デュラスの「苦悩」>。パンフレットに掲載されたドミニク・ブランの舞台写真は、まるで18世紀フランドル絵画のような静謐さと深みを湛えて、とりわけ心を惹いた。

舞台には無骨な机がひとつ。それに対するように置かれた椅子が数客という、殺風景な空間で、ブランはおもむろに語り始める。第二次世界大戦末期の極限状況。それは自分自身が記したという記憶がないという。それほどに極限情況だったのだろう。克明な記録から徐々に現前して来る事実は……。

1945年初夏のフランス。女はひとり、行方不明の愛する男を待つ。男はレジスタンスとして強制収容所に送られて生死は不明。女はここ数週間、生々しい男の死のイメージに苦しんでいる。その一方で、無事に帰還した男との至福の時をも夢想する。女は同志とともに新聞を発行し、強制収容所からの解放された人々、送還された捕虜たちと関わる。女や同志は、行方不明の男の消息を探す。女は、極度にナイーブになっている。それ故に、男にかかわる情報に触れることができない。やがて、男の消息が解る。同志の力で、瀕死の男が女のもとに帰る。明日までの命はないだろう。皆がそう確信するほどに深く、男は死の淵に深く囚われている。看病する女のもとで男は、緑色に泡立つ腐葉土の臭いのする排泄物を出し続け、そして17日目。<おなかが空いた>という言葉とともに、男は生の岸へと帰還する……。

マルグリット・デュラスの文学作品「苦悩」と、彼女が残した記録「戦争ノート」から抽出した言葉によって構成された台詞。ブランは抑制された演技とともに語ることで、当時の情況と心情を骨太に体現して、深い余韻と感銘をもたらす。

帰途、<これは何だったのだろう?>と反芻するうちに、こんな思いがわが裡に生まれた。<そうだ、立川談志が語る「芝浜」に重なってくるのだ!>という、何とも唐突な思いだった。

鬼才として知られる落語家、立川談志。彼が愛してやまない落語のひとつに「芝浜」がある。腕は良いが、酒に溺れる魚屋。女房にせっつかれて久方ぶりに河岸へと出かけた魚屋は、日の出前の芝の浜でずっしりと重い財布を拾った。<嬉しや、この四十二両で遊んで暮らせる>とばかりに呑んで浮かれて、寝てしまう。

女房は、<河岸へ>と魚屋を起こす。<昨日拾った金が>という魚屋の言葉には取り合わず、女房は<夢だ。夢だ>の一点張り。その剣幕に魚屋も、夢だったのだと思い込み、心を入れ替えてぷっつりと酒を断ち、仕事に励むこと三年。棒手振りから、今や店を構えるまでになった大晦日の夜。女房は見覚えのある財布を取り出す。十両盗ったら首が飛ぶ世の中、大家の意見で金はお上へ届け出た。魚屋へは夢たったことに、との大家の入れ知恵。持ち主の出ない金は、再び女房の手に。それを切り出せないまま時が過ぎた今の幸せ。詫びる女房、詫びる魚屋。久方ぶりに酒をすすめる女房。促されて口をつける寸前、魚屋はひと言。<やめておこう。また夢になるといけない……>。

まるで風を孕んだカーテンが大きく波打ち、世界が反転するような不思議な感覚。そして今この現実も夢なのかも知れない、という微かな不安。そんな余韻を残す、圧倒的な迫力の談志の「芝浜」なのだ。

このふたつを重ね合わせること自体、不謹慎の誹りは免れないだろう。それに両者は違い過ぎる。ブランは一貫して、デュラスを彷彿する女性であり続けた。しかも台詞の大半は、説明あるいは独白としての語り。それを補うように、舞台上を自由に使っての抑制の利いた身体表現が伴う。翻って落語は、身体は正座したままながら、登場人物を演じ分け、時に情景描写も加えて物語世界を作り出す。

対極にあるかに見える両者。しかし深く通底するものを観ることは可能ではないか。

すなわち、談志は<伝統を現代に>との志のもとに、<人間の業を肯定>する落語と格闘し続けて今に至る。それ故に、古典落語を語るとは言っても、無形文化財としての伝統の話芸を保存し、継承する立場にはいない。談志が語る人物は、その裡に欲望や愚かしさを抱えて、否応なく振り回されている。

デュラスの、そしてブランの世界も一筋縄ではいかない。愛する男を激しく揺れる思いで待つ女はしかし、同志の男と微妙な関係にもある。ナチの暴虐に対しても、同じヨーロッパ人種として同罪なのだという深い洞察をも持っている。この多面性こそ、人間という矛盾に満ちた存在への深い眼差し、すなわち<業の肯定>と直結する姿勢だろう。

そして舞台上のブランはまさに、1945年のデュラスそのものだった。彼女の創り出した舞台空間は、当時の緊迫したパリの日常そのものだった。しかし過去の話としてではなく、時を超えて常に<今>の体験として、私たちの心を激しく揺り動かすのだ。そこには、ブランの、そして演出のパトリック・シェローとティエリ・ティウ・ニアン(名前からして東洋人だろうか?)が生み出した脚本が、大きな力を持ったことは事実だろう。

それを超えて余りあるものがブランの身体性ではなかったか。作品への深い洞察とから生まれた思いや気持、そしてその時代の空気。それらをまさに体現し、演劇空間へと力強く放出して行く、卓越した身体性があるからこそ実現し得た、<永遠の今>なのだ。

(蛇足にはなるが、談志の高座も凄まじい。瞬時に登場人物が交代し、時に素の談志さえそれに加わりながら、少しもだれることなく話を積み上げ、圧倒的な力で観客を巻き込み、大団円へとなだれ込む。天才と言われる噺家だからこそできる技なのだ。)
優れた脚本が、優れた演者に出会う時、作品は時代を超えて受け継がれ、古典作品として生き続ける。談志の語る落語が今を生きる古典落語であるように、ブランの体現する<苦悩>は時間に耐え、多くの優れた演者によって、演じ続けられるであろう、まさに未来へ向けての古典がひとつ、今ここに生まれたのではないか。あの夜、あの場に立ち会えたことを、幸福としよう。

<了>

観劇日:2011年3月4日 楕円堂