2011年9月26日

『タカセの夢』(メルラン・ニヤカム振付・演出)

■依頼劇評■

タカセの夢

譲原晶子

ダンス・パフォーマンス「タカセの夢」は瑞々しい存在感を放つ作品だった。はじめはどういう企画なのかよく掴めなかったし、そして今でも、今後何処へ行く作品なのかが読めない宙づり感がある。にもかかわらず、観客に戸惑いを感じさせることなく作品として実にしっかり存在していた。

作品を観るとき人は無意識のうちにその周辺を参照にするものであるが、ちらしに「『こどもが踊る、世界レベルのコンテンポラリーダンス作品』という、ありそうでなかった公演」という主催者によるこの作品の位置づけが、何を意味するのかよくイメージできなかった。「こども――といっても中高生であるが、簡単のためこう呼ぶことにする――が踊る」公演がとりわけ珍しいわけでもない。全国のホールはお稽古場の発表会で溢れているし、「子供のための作品づくり」といった企画もこれまでもなされてきている。世界に目を向ければ、コンクールや舞踊学校の学校公演では、世界レベルの高校生の踊りなど普通に見られる。それに「世界レベル」に挑戦するにはそれに見合う鍛錬の時間を要するのに、たったの一公演を通してそれに挑戦するとはどういう意味なのだろうか・・・。ただ、公演の目的という点からいえば、発表会や「子どものための作品づくり」は100パーセント出演者のための企画であり、家族や親戚、友人が集まる内輪の祭のようなものである。そこでは演技者の技量も問われないし、演目が作品として成立しているかなどということも問われない。プロを目指す若者が自らが達したレベルを披露することでデビューの機会を狙うコンクールや学校公演もまた出演者のための企画であり、こうした公演の会場では、作品主体の公演とは全く違う空気が流れている。
「タカセの夢」は企画として、確かにこの種の教育路線の催しとは一線を画していた。それは、一般の不特定多数の観客に向けられた一作品であり、しかも、将来プロを目指す専門家の卵によるものではなく、舞踊経験のない者までを含めたまさに「静岡の子ども」による公演であった。そこにはもちろん世界レベルの個人技はない。その代わりにそこに見られたのは、子どもの身体を鍛錬途上のものとみなすのではなく、これをひとつの立派なダンスの素材と扱おうという明確な態度である。振付家もその他の制作者も、一般の作品と何ら変わらぬ態度で臨んでいる。作品を観て、主催者のいう「世界レベル」とは、「世界中の不特定多数の観客に、作品として受容されることのできる作品」という意味だということが、よく理解できた。

写真家が捕えた子どもの写真のようなダンス作品だった。作品の内容自体は、極めて純朴で、何気なく、どこかにありそうな穏当な作品であったが、そこには、プロによって狙い定められた子どもたちの、そのオーラとエネルギーが、作品のエッセンスとしてしっかりとキャッチされ、定着されていたという意味において、そう感じた。そしてそれによってこの作品は――振付家ニヤカム氏自身も言うように――「日本の子どもによらなければ成立し得ない作品」となり、これがこの作品の力強いアイデンティティーとなっていた。
どのようにしてこんな作品が成立し得たのであろうか。舞踊には舞踊語彙や技法があり、またそれに即して訓練された舞踊の身体があり、これらを前提として振付家は作品をつくる。振付家は、舞踊語彙を共有していてコミュニケーションが可能なダンサーを使い、また自分の作品イメージにあったダンサー、それを踊れるダンサーを選んで振付ける。ところが「タカセの夢」ではこうした制作プロセスは覆され、出発点にまず「子どもの未熟な身体」が置かれたのである。そして、前提となるべき舞踊語彙も、舞踊の身体もない、零からの出発である。
「タカセの夢」もオーディションによるダンサーの選抜から始められはした。4倍ほどの倍率だったようだが、「とくに厳しい競争はなく、或る程度動きまたは声のコントロールができる子をとった」とニヤカム氏は語る。「最初の困難は、子どもたちがみな周囲に縛られ過度に引っ込み思案だったこと。『自分を受け入れなさい。』『自分を好きになりなさい。』と言い続けることで、徐々に子どもたちは解放されていった。そして最後は日本人特有の素晴らしい集中力で、普通ではありえない短期間でのリハーサルで完成することができた。「タカセの夢」にも、制作のプロセスのなかに教育という要素はあったわけだが、振付家の指針を教え込むという意味では、教育という要素は舞踊作品の制作では必ず存在している。この作品が放つオーラとエネルギーは、まさにこの振付家の手にかかって子どもたちから引き出されたものであることがよくわかる。
この作品では、身体、動きは、造形されようとはしていない。繊細な身体制御にはこだわっていない。その一方で、アンサンブルの動かし方、リズムの構成、場面の切り替えなど、作品の構成は細やかな技で満ち溢れている。そのきっちりした組み立ては、ダンサーの集中力によって完璧に維持され、決して乱れることはない。舞台全体を念入りにまとめることで、そこに未熟な身体がそのまま存在することができる場所が与えられている。そこで、未熟な身体がその未熟ないまを謳歌するのである。
振付家が舞踊家に一方的に振付けるのではなく、振付家と舞踊家の間に作品を生みだそうという創作の在り方は、コンテンポラリーダンスと呼ばれる活動のなかで盛んに進められてきた。この作品にも、両者の相互作用がさまざまな場面に見られる。日本人の振付家であったらおそらく、日本の歌や遊びをこれほど多用することはないであろう。個々の出演者たちが時折見せるソロの動きには、どこかで習ってきたのであろう「型」が散見され、「型破り」はないものかと思うところもあったが、こうした姿自体が我々の写し絵なのだろうと納得するしかない。舞踊の引き出しやすさという点からいえば到底扱いやすいとは思えない日本人を、ここまで使いこなしたニヤカム氏の技量は相当なものだと言っていい。あるいは、ニヤカム氏と静岡の子どもたちは格別相性がよかったのであろう。作品を観る限り、静岡での両者の出会いは幸福なものだったに違いない。

「型破り」といえばこの公演の企画者の宮城氏である。ニヤカム氏の作品の内容は穏当であったし、出演者たちはこんなに素直でよいものかと思われるほどの素直さであった。一方、この企画は既存のレール上にはない。はじめはどう転がるともわからなかったはずだが、自身の直感に対する確信が、先の見えない強さに支えられたときに、こんな推進力が発揮されるものだ。それは子どもたちに負けずに清々しい。さて、既存のレールからはずれて、この企画は今後どこへ行くのであろうか。
宮城氏の直感が何を捕えたのかが明らかになるにはしばらく時間がかかるであろう。個人的には――問いの直接の答えにはなっていないのであるが――この作品の「あの日、あの場所で、あの人たちの間で生まれた作品」という側面を大切にしていって欲しいと願っている。ちなみに作品にも固有名詞のタイトルがついている。リハーサル室での振付家と子どもたちの交感をそのまま運ぶ、その瑞々しさを客席で満喫して、舞踊は「場所の芸術」だと改めて感じたのである。「場所の芸術」といえばまず、複数の人がある時ある場所に集まらなければ作品は成立しないという、実演芸術の本性を指すのだろうが、客席であれ、リハーサル室であれ、人が集まることで初めて作品が存在できるということ、ただそれ自体の価値を、いま、もっと掘り下げていけないだろうかと思うのである。この作品を機に、リハーサル室での出会いと「ユメミルチカラ」から、それまで存在しなかったものを存在させようとすること、ただそれ自体の価値を、いま、もっと掘り下げていけないだろうかと思うのである。

■執筆者紹介

譲原晶子(ゆずりはら・あきこ)
千葉商科大学政策情報学部教授。著書に “Anne Woolliams, method of classical ballet” (Kieser Verlag, 2006)、「踊る身体のディスクール」(春秋社、2007)などがある。


2011年4月12日

『ユ メ ミ ル チ カ ラ-REVE DE TAKASE-』(メルラン・ニヤカム振付・演出)

■入選■

「ユメミルチカラ」を取り戻せ!

おおのひろみ

公演が終り、ふと気が付くと、自分の頬ほころんでいて「笑っている」事に気が付いた。その瞬間まぎれもない幸福感に会場全体が包まれていた。後ろの席の女性は感極まって涙さえ見せていた。

こういった舞台には、『よく頑張ったねー、上手だったねー』で終ってしまうモノが少なからず存在する。子供たちの一生懸命さが伝わってきたとしてもだ。

テレビ番組などでも、実に巧みに歌ったり踊ったりする子供たちがしばし登場したりもする。しかしその子供たちから「生きている」感じは伝わってこない。「歌わされている、踊らされている」感がつきまとっているのだ。

オーディションで選ばれた静岡県内の中高生10名のダンサーたちが、90分間舞台の上を縦横無尽に駆け抜け、確かに「生きて」いた。

初心者も含まれていたらしいが、ほとんどは、ダンスやバレエなど「腕に覚えアリ」の子供たちだったように見受けられた。しかし、ニヤカム氏の振付は彼らのそのような経験値をあてにはしているようには見えなかった。個々の身体能力に応じた振付を施し、かつ、稽古の過程に於いて徐々にハードルを上げていき限界以上のモノを引き出したのではないのだろうか。そこに「踊らされている感」が無かった理由があるように思う。

当初のフライヤーには上演予定時間が60分と記載されていた。ところが、公演時には90分近い作品になっていた。稽古を積み上げる中、どんどん要求に応えてくるダンサーたちを前にニヤカム氏も、新たな要素をどんどん加えていったのではないかと睨んでいる。子供たちが輝く瞬間を導き出したニアカム氏の手腕に脱帽するとともに、しかしそれだけでは、単なる「子供たちが一生懸命頑張った舞台」にしかなるまい。プラスアルファの感動を生んだのは、他にどのような要素があったのだろうか?

公演当日の配付資料によると、この公演は仏題で「タカセくんの夢」というのだそうだ。様々な文化と世代の出会いと混じり合いを描き、自然と調和しながら暮らし、お互いのコミュニケーションがとれるような、よりよい世界を夢見ている、ということだそうだ。

この資料を読んだのは、実は舞台を観た後だったのだが、意外にベタな設定だったのだなと、逆に驚いてしまった。

確かに、モノクロの映像だったり、上下逆さまの映像などの前で、黒ずくめのマント、マスクで顔を覆ったダンサーたちなどは、コミュニケーションレスの現実世界を象徴したモノだったのだろう。翻って、後半は映像も衣裳も軽やかでカラフルでユメの世界の実現を描いていたように思う。また、同じく後半に登場した大きな木。切り絵のようなレース編みのような美しい模様の木は、希望の象徴である「バオバブの木」なのだそうである。照明で色とりどりに照らし出されたり、影絵のダンスを映し出したりした。

衣裳は何パターンもあり、ダンサーたちは早着替えで臨んでいた。

素晴らしい舞台装置・仕掛けの数々である。

夢や希望を語るには格好のシチュエーションである。

しかし…この手のテーマのモノにつきまとう胡散臭さ…にいつもうんざりしてしまうのは自分だけではあるまい。夢だの希望だの愛だの平和だの声高に語られれば語られるほど、「青臭いなあ」とか「そんなことアル訳ナイじゃん」などと思ってしまうのだ。

先に書いたが、この舞台が、夢や希望を描いていたと知ったときは少なからず驚いた。というのも、この舞台には「胡散臭さ」をほとんど感じなかったからである。

解の一つは、対立軸に「オトナ達」を持ってこなかったことがあるのではないだろうか。「生きづらい社会を作ったオトナ達」を対立軸にして「正義の子供たち」が世の中を救うというありがちな構図が無かった。舞台にいる子供たちは、コドモではなく、一人一人のダンサーたちであり、コドモでありオトナであった。人間であった。子供は決して純真無垢で正しいイキモノではないのである。ミドルティーンの出演者達は、その表現者として最適であった。

何でも労せずに手に入る環境の中で、子供たちは、夢や希望を失ってしまったという。

理由は様々あろうが、ニヤカム氏は、その閉塞感の理由が、バーチャルな世界にあるのではないかという仮説にたった。

私が子供だった頃より、この国は、ずっと豊かで便利で安全でクリーンな社会を実現してきた。そして、それは様々な感情・体験に「身体」を伴わないという弊害をもたらしてしまった。

そんな大人たちがお膳立てした、安全でクリーンな世の中で、自分のチカラ・身体で何かをつかみ取る事はむずかしい。しかし、この舞台のダンサーたちは、それを成し遂げたようにみえたし、舞台を観た私たちにも、それが可能である事を、思い知らしめた。

しかし、それはニヤカム氏の稀有な演出やSPACの組織力という、完全に守られた環境で成し遂げられたものだ。実は大いなる矛盾を抱えていたのだが、ニヤカム氏は、それすらも見越していたのではないだろうか。してやられた!脱帽。 (了)