韓国の劇団、シアター・カンパニー・ドルパグがふじのくに⇄せかい演劇祭 2023 にて「XXL レオタードとアナスイの手鏡」を上演した。2014 年のセウォル号沈没事故をきっかけに、犠牲となった高校生たちが暮らしていたアンサン市の協力を得て製作されたこの作品では、劇中に登場する 4 人の高校生がそれぞれ持つ生きづらさが複雑に絡み合って物語が紡がれていた。
高校生のジュンホは女性用のレオタードを着用することを好んでいるが、そのことを周りに打ち明けられないでいた。ある日、女性用のレオタードを着用した男性の写真が SNS上で拡散された。ジュンホの友人のテウやヒグァン、パートナーのミンジらをはじめ、学生らはその写真の男性が誰なのか、まるで犯人捜しをするように探り始めた。その写真を拡散した人物はヒジュであった。ヒジュはバイトをしながらソウルの体育大学入学を目指す学生である。ヒジュは体育の授業成績を良くしなければいけないため、写真に写る男性の顔のモザイクを外すと脅して、ジュンホとダンスのペアになることを要求した。体育教師のヨンギルは学生たちに「ダンスにおいて重要なことはペアを観察することである」と言う。ヒジュとペアになったジュンホはヒジュと関わり、互いに観察する中で、自分自身の問題に向き合おうとするようになった。一方で、テウやヒグァン、ミンジらは、写真に写る男性がジュンホであると気づき始めていた。ダンス発表会の授業の日、ジュンホが写真の男性であると確信したヒグァンは、ジュンホの衣装を隠してしまう。発表の時間が近づき、手立てが無くなったジュンホは女性用のレオタードの姿でダンスを踊ることを決意する。ダンス発表会の日から時がたった頃、ジュンホは周りの目を気にする母の決定により転校することとなった。
本作では 5 人の俳優が客席側から登場し、上演中は常に舞台上におり、終演後にはまた客席の方へはけていくという構成であった。客席側から登場し、客席側にはけることで、目の前で繰り広げられている物語の中にいる登場人物は私たちと同じ社会の一員であるということをより強く感じることができた。舞台は圧迫感を覚えさせるかのように際まで白い壁が埋め尽くし、蛍光の塗装がされた姿見と鉄棒、俳優が座るいくつかの椅子、モップ等の小道具から構成されていた。ジュンホとヒジュの乗り越えるべきものを象徴する姿見と鉄棒は蛍光の塗装によって暗い中でも発光し存在感を主張していた。
本作の終盤、ヒジュとミンジが同じタイミングで電話をする演出があった。二人は同じタイミングで電話をしているが、それぞれ話している相手は別である。ヒジュはバイト先の大人と、ミンジは彼女の母親と話していた。この演出はヒジュとミンジがそれぞれ置かれている状況を対比していたと考える。ヒジュから見たミンジは裕福で自分のようにバイトをしなくてもよく、勉強もできるため悩むことも少ないような存在である。ミンジから見たヒジュは自分ほど親に過干渉されることもなく、受験勉強や模試のプレッシャーを感じなくてもよい存在に映っているだろう。人は自分が抱いている悩みを分かってもらえるかどうかで相手を判断してしまう節があるのではないだろうか。しかし、本作に登場する人物はみな異なった生きづらさを抱えていたり、同じような事象に対して別の角度から悩みを抱えていたりしていた。誰一人として全く同じ生きづらさを抱える人はいないのではないか。このことに気づくことが大切である。相手は自分が抱えるような悩みを持たないからといって妬み、複数の生きづらさが絡んでゆくのではなく、自分が悩みを抱えているときに相手も何かと戦っているのかもしれないと考えてみることで、ジュンホとヒジュのように生きづらさを共有して互いに抜け道を見つけることができるのかもしれない。
自らが抱える悩みや生きづらさを妬みに変え、さらに誰かの生きづらさを生んでしまうという悪循環ではなく、それぞれが抱える悩みを共有することで、自分の生きづらさにも改めて向き合えるような関係性が社会の中に必要だと感じた。