劇評講座

2016年2月10日

■準入選■【グスコーブドリの伝記】髙橋顕吾さん

カテゴリー: 2015

 宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』。カタカナ部分が覚えにくいのは年のせいだろうか、漢字がバシッと決まっている『銀河鉄道の夜』の方が宮沢の作品としてはイメージしやすい。宮沢は、多々震災が絶えない郷土岩手で念仏を唱える母の背をゆり籠に、繰り返し地元を襲う冷害に打ちひしがれる農民たちを目の当たりにしながら育った。浄土真宗門徒であった父とは対立しながらも、自身は後に法華経へ傾斜していく。中でも「一乗妙法」という、法華経の教えがあれば万人成仏できる、という平等感は宮沢の「自身に執着しない」考えを育み、「久遠本仏」という、釈迦は永久の仏である、という法華経の一神教的側面は、宮沢の「『神』の手に委ねられた世界観」を醸成したのではないか(そしてこの点は後に、同じく一神教であるキリスト教への関心へと繋がる)。 続きを読む »

■準入選■【グスコーブドリの伝記】平井清隆さん

カテゴリー: 2015

 照明の落とされた仄暗い舞台。主人公のグスコーブドリが無言で装置を動かしている。しんと静まりかえった劇場に響くのは、装置の軋む音と車輪が動く音だけだ。固唾を飲む事すらできない程の静寂と緊迫。やがて作業が終わり装置が作動する。冷害を防ぐための人為的な火山噴火が成功する。グスコーブドリの生命と引き換えに。 続きを読む »

■準入選■【グスコーブドリの伝記】ドラマの力でブドリは蘇った 望月秋男さん

カテゴリー: 2015

 文学作品というものは、もともと書き終わるやいなや作者の手を放れ、読者の心の中に入り込むことで新しい生命(いのち)を育ませるものだ。
 そのことをまざまざと見せつけてくれたのが、今回のSPAC宮城聰演出の劇『グスコーブドリの伝記』だ。氏は宮澤賢治の童話を国民文学と位置付け、老若男女だれもが楽しめるドラマに仕立てあげたいと抱負を語っている。
 それで思い出したことがある。賢治は自分の作品を「少年小説」と呼んでいたらしい。少年たちのための小説という意味あいでもあるだろうが、私には書き手自身が少年になりきって創った小説のような気がしてならないのだ。 続きを読む »