劇評講座

2024年8月19日

SPAC秋→春のシーズン2022-2023■入選■【人形の家】丞卿司郎さん

カテゴリー: 未分類,2022

『ドールハウス崩壊の奇蹟』

『人形の家』は女性の独立をテーマにした作品とよく云われる。
しかし著者のイプセンは女性を特化して描いたものではなく、普遍の人間の本質をテーマに描いたと語ったそうだ。

しかしSPAC版『ペールギュント』が男性原理の世界観で描かれた作品であるとすれば、SPAC版『人形の家』には男性と女性の価値観の違いからの衝突が見え隠れする。

『ペールギュント』が世界と精霊の住む冥界までを股にかけ飛び回る壮大な物語であるのに対し、『人形の家』は家庭の中の一室を主に展開する。
狭い家庭で三日間の間に、順風満帆だったはずの家庭像が崩れていく過程で、平凡な主婦であったはずのノーラの内面に変化が起きていく。

モボ、モガが闊歩する華やかな大正モダニズムの香りがまだ残る1935年の日本おそらく東京が物語の舞台。
『ペールギュント』が双六盤を模した舞台設定だったのに対し、ドールハウスを思わせる家具が描かれた床板の舞台設定を家庭の一室として、物語は展開する。
物語の進行に従い、部屋に敷き詰められた床板が、1枚ずつはがされていく。
そして最終的には家庭の土台自体が揺らいでいく様が描かれていく。

弁護士の妻、ノーラは一見、絵に描いたような幸せな生活を送っていた。
大病を克服した夫ヘルメルは、勤め先の証券銀行で栄転し、年明けから取締役へと昇進予定。
クリスマスパーティーの準備の最中、夫の昇進を目前に思わぬ来客が訪れる。
夫の元で再就職を旧友の未亡人リンデ夫人、不治の病を患う夫の友人ドクトル・ランクとのやり取りの中で、忘れかけていた過去の闇がよみがえる。
病に倒れた夫の療養費捻出のため、悪気なく行った借金の借用書の偽造が新たな火種になろうとしていたのだ。
借金している相手は夫の仇敵クログスタ、夫の昇進を妬みつつ、執拗にノーラにゆすりをかける。
思いもしなかった過去の詐欺行為の告発は、盤石だったはずの夫の地位をも揺るがしかねない事態へ。
そして三日の間、事態は大きく進展する。
ほんの短い間に理想の空間であったはずの家庭がもろくも崩れ去ろうとする瞬間、ノーラの求めた『奇蹟』とは…

終盤で浮き彫りにされるのは、夫ヘルメルの動揺と変貌だ。
華やかな装いと知性漂う絵に描いたような理想の夫像から一転し、妻よりも己の地位と名誉に固執し、世間体と体裁を気にする姿が描かれる。
この後、ノーラを失っただけでなく、敵だったクログスタと新たな家庭を持ったリンデ夫人をビジネスパートナーに仕事をする。
以前から憎み続け、妻を失う原因となった仇敵を養うこ破目になるのだ。
まして旧来からの友人であるドクトル・ランクもいない。
守ったはずの地位の中で、ノーラを失うだけでなく、かつてない孤独と屈辱、そして絶望を味わうことになる。
傍から、愚かな男と映るかもしれない。

しかし自分がヘルメルの立場であったら? という問いには誰もが困惑するだろう。
体裁を守るため、同じような行動をとるのではないだろうか。
地位や名誉にこだわるのは、愚かで悪と言い切れるだろうか?

子どものおもちゃと遊びはいわば価値観や興味の顕れだ。
男の子は武器、乗り物に興味を持ち、または大人の仕事を真似て遊ぶ。
刀や拳銃といった武器のおもちゃは古来に狩猟をしていた時代の感覚を呼び起こす。
古来から現代の仕事に至るまで、男性は家の外での活動が中心だったからだ。
それは劇中で登場するクリスマスプレゼントのサーベルにも表れている。
男性には家庭を守るため、常に外を意識することが求められてきたからだ。
自分が築いてきた名誉や地位は、同時に家族を守るための武器でもある。
ノーラの行為は法的に許しがたいとしても、感謝の心は間違いなくある。
しかし、それを認めることができないのは、今まで守ってきたノーラを始め家族の生活自体が揺らぎかねないからだ。

対して女の子はままごとなど家庭に特化した遊びをする。
タイトルとなっているドールハウスはいわば家庭の縮図であり、女の子の理想の未来の姿または憧れでもある。
男性の価値観が幼少期から外へ向いているのに対し、女性は内側へ向けられてきた。

終盤で描かれるのは、今まで聖域だったの家庭というドールハウスの崩壊だ。
舞台が進行し、ノーラの苦悩がひとつずつ重なる過程で、暗転の際、家具を描いた床板が一枚ずつはがされていく。
いつの間にかはがされた床板で足場が危うくなり、終盤では演者は自由に動くことすらおぼつかなくなっていく。

しかし、動きの中で姿勢を崩すのは、意外にも夫のヘルメルの方だ。
女性原理の価値観の象徴だったはずのドールハウスの崩壊は、むしろヘルメルの動揺と受けたダメージを表現している。
家庭という狭い世界のドールハウスの住人は、夫の方だったことを暗に示している。
むしろ、ノーラは、しっかりとした足取りで、崩壊したドールハウスの外へと歩んでいく。
重ねた苦悩の過程で、今まで過ごしていた家庭は夫が求めた幻想であることに気づいたかのようだ。
ノーラが求めていた奇蹟とは、ドールハウスの家庭が続くことではなく、変化であったことが終盤に分かる。

ヘルメルやクログスタの言動には『家族を養う』という意識が見え隠れする。
ヘルメルが終始一貫してこだわったのは、世間体であり、体裁だ。
また、リンデ夫人との再スタートで改心したクログスタが最初に気遣うのは、ノーラの家庭を破壊しかけたことへの罪悪感だ。
どちらにも家庭を守ることが第一であるという価値観が根底にある。

一方、ノーラやリンデ夫人、女性側の求めるのは夫婦間の『対話』であり、本当にお互いが理解し合うことのようだ。
世間体は関係なく、たとえどんな結果になろうと、話し合うことで理解したい。
一方は仮面の夫婦であっても見た目は完全な『家庭という場』、他方は夫婦間の『理解』、
お互いが求めていたもののズレが、すれ違いを生じていたことが終盤に分かる。
ノーラが切望した『奇蹟』とは、ドールハウスが本物の夫婦の住む家庭へと変貌することだったのかもしれない。

男性が家庭の外側へ女性が家庭の中へ価値観を持つようになったのは、それぞれの役割が由来していると云われる。
古来から夫は家庭を離れ、狩猟や漁で孤独な闘いを終えて家庭に帰還し、妻はその間、留守を預かる。
夫にとって家庭は闘いから解放された束の間の休息の場であり、焚火を見ながらぼんやり過ごす癒しを求める。
外へ出たら敵だらけの夫にとって、家庭は最後の砦であり、気の置けない癒しの空間である。無駄に気を使いたくない。
一方、留守宅を守り続けた妻は、不在の間に夫に相談できなかったことが山ほどあるし、その間に家庭起こったことも報告したい。
妻にとって家庭は自分が戦う戦場でもあり、夫には戦う自分を理解してほしい。
夫婦間のズレは、古来から家庭に求めるものの価値観の違いから起こり、続いているようだ。

『奇蹟』は今まで当たり前だと思っていた生活を崩壊させる。
どちらかがそれを受け入れることが必要になる。