■卒業者劇評
母なる海が煽り立てたマゾヒズム的生成変化の舞台
―フェルナンド・ペソア作 クロード・レジ演出『彼方へ 海の讃歌』劇評
森川泰彦
1 テクスト分析
I 大意
II 解釈
i マゾヒズム幻想論
ii 生成変化論
2 上演分析
I 演出家の読解
II テキスト・レジ
III 演出
i 前説
①〈現実〉〈虚実〉〈虚構〉
②「空無」「欲望」「力動」
ⅱ各説
①〈物体〉
②〈身体〉
③〈光〉
④〈声〉
⑤〈空間〉
iii 総説
①一体的〈虚実〉
②無と力の美学
③無意識的「交歓」
3 レジ演劇導入の意義
1 テクスト分析
この舞台が上演対象とするのはペソアの長詩であり、これをほぼそのまま一人の役者が「朗誦」することが、その大部分を構成している。従って、この舞台の享受においてかかかるテクストの理解は決定的に重要であり、まずはこれを詳しく分析しておく。
Ⅰ大意
波止場に佇む一人の男が、遠く入港してくる貨物船を眼にするところから、「物語」は始まる。動力船に我知らず同一化し、己と世界のアイデンティティの揺らぎを感じ始めた男は、内なる「はずみ車」を回して想像の大海に乗り出すのだ。まず、「絶対の隔たり」である「在りし日の海」の「神秘」に想いをはせながら、彼は「水の夢」に囚われ始める。海は様々に彼を呼ぶが、それを集約するのは、「イギリスの船乗り、わが友、ジム・バーンズ」の叫びである。彼はその声に「おれの血へ向けられた古の愛」を感じ、狂おしく出発へ駆り立てられて、「人生の窮屈さ」に「激昂する!」。海洋冒険者たちへ、「おまえたちと道徳観念をなくしたい!」、「遠くで自分の人間性が変わるのを感じたい!」「規律ある、繰り返しの生活を」「脱ぎ捨てたい」と羨望を込めて呼びかける男は、雄叫びを上げつつ次第に常軌を逸してゆく。反乱を起こして船長を首吊りにする船乗りたちに血を滾らせた彼は、ついには、古の「凶暴で強欲な大海賊の歌」が轟く中、自ら非道な殺戮に加担して愉しむに至るのだ。
ところがそうした「サディスティック」なイメージは、二度にわたって「マゾヒスティック」なイメージへと一転することになる。「おれの人生を」「海に投げ入れたい」男は、「苦痛を孕みながら享楽的に『死』に導くこと」を欲し、「おれを切り刻み、殺し、傷つけよ!」と叫び、「おれは生身のまま、世界のあらゆる海賊犠牲者たちの集大成になりたい!」、「海賊たちに犯され、殺され」「たすべての女になりたい!」と告白するのである。「夢がその絶頂に達しようとするなか、おれは完全に自失し、」「おれの中の女性性」が「おまえたち(=海賊)となる」。「とめどない官能性の中で」「おれは服従の役割をいつまでも誇り高く手にしたい」と洩らす。言葉にならない叫びは極まり、「おれのなかでなにかが砕け」、その結果「おれの魂は空になり」「夜の海だけ」が残る。その「『海』の深いところから」「セイレーンの声が」「生まれ」、「この歌の響きはおれの過去から二度とふたたび手にすることのなかったあの幸福を呼んでいる」。彼は、「息子を亡くしたこともあっておれをかわいがってくれた年老いた叔母」の歌った船の歌を思い出して涙を流し、「美しき王女」の歌や「誰かに壊されたおれの人形」の想い出に浸りながら、「子どもとしていつまでも、喜びのままいつまでもいることはできないのか」と嘆く。崩壊しかかった想像力を呼び覚まそうと苦闘する中、「突然に、より遠くから、より深くから」やってきたのは、「思いがけない冷たさ」である。「バーンズの古の声」が、「おれのなかで母親の膝と妹の髪のリボンといったたわいもないことについての不可思議な慈愛の情の声となり、事物の表層を超えて奇跡的に到来する」。それは、「絶対的なるものの声」となって「おれを呼ぶ」のだ。
その後「おれは閉じていた眼を開」き、「夢から抜け出」して「神経の休まるここ実在の世界に」帰って来たこと喜ぶ。そして「すべてがしっかり整備され、すべてがとても自然に配置され」た「現代の海の生活」に感心しながら、「自分の時代を誇らしく思」いもする。しかし「現実のむき出しの時刻」、残ったのは「おれの悲しみだけ」である。
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