劇評講座

2011年4月12日

『令嬢ジュリー』(フィレデリック・フィスバック演出、アウグスト・ストリンドベリ作)

カテゴリー: 令嬢ジュリー

■入選■

分裂と統合の帰結
SPAC公演<令嬢ジュリー>を観る

阿部未知世

<SPAC秋のシーズン>の演劇作品のトップをきって上演されたのが、ストリンドベリ作の<令嬢ジュリー>である。この公演で、フランスの気鋭の演出家フレデリック・フィスバックは、19世紀末という大きな時代の転換期のダイナミズムを、象徴的なかたちで現わすことに成功した。

物語は、貴族の令嬢ジュリーの、破滅に至る過程を描いている。

保守的な貴族の父と、自由主義的な今は亡き母。このふたつのアンビバレントな遺伝子のもとに生まれたのがジュリーである。貴族のプライドと滑稽ともみえるリベラリズム。その狭間で不安定に揺れ動く彼女は、夏至祭の乱痴気騒ぎの中、使用人のジャンにお相手をさせているうちに、いつしか一線を超えて……、結ばれる。

ともに働く料理女の許嫁がある身のジャンだが、いつになく安らぐジュリーに、事業の夢を語り始める。ジャンは下僕とは言え、充分に有能で才覚もある。ただ、金だけがないのだ。貴族のお嬢様ジュリーに金を出させ、ふたりで事業を始めようと持ちかける。

ジュリーはためらった後、父親の金を持ち出す。しかしジャンの打算と保身により、ジュリーとともに家を出ることは、ついになかった。あまつさえ、力なく佇むジュリーを死へと導いて……。

演出家フィスバックはこの一部始終を、夏至の白夜を彷彿とする、白を基調とした現代的なしつらえの中で展開させる。舞台美術のローラン・P・ベルジェが創り出すミニマリズムの空間は、物語の骨格をはっきりと際立たせる。加えてフィスバックは、原作にはないコロスを登場させる。生活者であり、市民であり、共同体の成員である彼らは、変革の担い手として、ダイナミックに活動する存在なのだ。

何故この舞台が、時代の転換期という情況を反映して、象徴的なのだろうか。分裂と統合という視点から考えよう。

19世紀末、リベラルな社会改革の潮流はすでに生まれてはいたが、ヨーロッパはいまだ階級社会であり続けていた。厳然と分割された階層構造が続いて来たとは言え、すでに貴族階級没落の趨勢は、否定しようもない。そして性は、いまだタブー視され、あまつさえ女性の性欲は、その存在すら否定されていた。当時人々は、精神と身体、身体と性が、程度の差はあれ分断された中で生きざるを得なかった。その中で起こった、ジュリーとジャンの情事は、階級を突破し、タブーを白日のもとに晒し。当時の社会が内包していた境界線を大きく踏み超える、衝撃的で破壊的な事件たり得たのだ。

ジュリーは没落しつつある階級を生きる一方で、時代を先駆け過ぎた意識のある、精神に深く大きな裂け目を持つ女性。彼女は、内的な分裂から生まれる様々な矛盾を、そのまま並置することで、かろうじて精神の安定を保っている。その意味でジュリーは、極めて脆弱な存在なのだ。

一方、平民のジャンは、貴族に対して表面は慇懃に使えている。有能であるが故に野望もある。しかしそれを実現する手段を持たない。それ故に思いと現実の間で分裂し、行動を起こせない無力な存在となっている。

こんな二人に訪れた夏至祭は、祝祭という非日常の時であり、夜がない非現実の時である。その時だからこそ可能となった、異なる二つの存在の融合の力は、コペルニクス的転回をもたらした。

ジャンは、実業家となる野望をもう隠さず、そのためにエゴイスティックな行動をとって恥じない。分裂していたジャンは、統合されることで力を得た。しかしジュリーは、自らが抱える分裂情況を、はっきりと認識することによって、これまでかろうじて保たれて来た精神の統合が破綻し、急に無力化する。

貴族と民衆という二つの力がこの時、ドラスティックに転換した。無力化する貴族と力を得る民衆という新たな図式が、息づくこととなった。ジャンに代表される民衆はいまや、貴族階級の象徴たるジュリーを破滅させるだけの力を持ったのだ。事実、ジュリーの父親の貴族はついに姿を見せず、ただ厳つい革のブーツでのみ象徴される。そしてエネルギーに満ちた民衆を象徴するのが、コロスなのだ。彼らはしかし、決してカマとハンマーを手にした、プロレタリアートではない。共同体の成員、市民社会の生活者として存在している。何故なら彼らの中には、伝統的な共同体の祭礼に登場する、異形のものが混ざっているのだから。

しかし、彼らは伝統を墨守し続ける存在ではない。事実、貴族の家の料理女はキリスト教を盲信し、尊敬できる人に雇われていることに自尊心の根拠を置いていた。彼女はいつしか、舞台から消え去って行った。演出家は、近代的な自我を持った市民社会の成員としての民衆を登場させたのだ。

歴史はまさに、この物語に呼応している。戯曲発表の翌1889年。ヨーロッパ最強を誇ったハプスブルグ家が支配するオーストリアでは、皇太子ルドルフが謎の死を遂げた。貴族の娘との情死との定説はあるが、交際相手の女優に断られた果てのこととも言われる(暗殺との説も)。この事件により、ハプスブルグ家によるオーストリア支配は終わりを告げた。当時の文化的最先端の地、首都ウイーンはまさに、こんな情況だったのだ。

時を同じくして、性の問題にも、微かな光が当たり始めていた。ジークムント・フロイドはウイーンにあって、精神分析を確立する歩みを始めていた。もしジュリーが精神分析に出会えていれば、こんな破滅的な結果には至らなかっただろうに。

フィスバックはこの戯曲を、ジュリーとジャン二人だけの、密室的な葛藤の物語を、より高次な、時代の転換期の悲劇へと昇華させることに、手堅く成功したのだ。

<了>