2012 年 1 月 20 日

『オイディプス』(小野寺修二演出、ソポクレス作)

カテゴリー: オイディプス

■準入選■

小野寺修二「オイディプス」について

仲田あゆみ


例えばレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」は、古典絵画として余りにも有名だ。モナリザは初めコローなどの画家によって捧げられてきた主にオマージュの対象だったが、現代では多様な変容を遂げるに至った。マルセル・デュシャンによって髭を付けられ、アンディ・ウォーホルによって複製され、その後も多くの作家によってコラージュされ加工され、日々新たなモナリザが生み出されている。モナリザは、最早美しくも謎めいた女性の肖像画であるだけでなく、作家にとっては切り貼り自由でアレンジ自在な恰好のモチーフとなっている。数多くの、言わば亞流のモナリザが一堂に会す展覧会が企画される事さえある。

それと同じような事が「オイディプス」にも言えるだろう。ギリシャ時代より現代まで数え切れぬ程演じられ、様々な媒体に影響を及ぼして来た演目であるが故に、それら無数の「オイディプス」や他のギリシャ悲劇、その派生作品と同じ舞台に上がる事にもなる。小野寺修二が「オイディプス」を演目として選択することは、挑戦である。台詞を必要としないパントマイムの出身である彼が敢えて「オイディプス」と云う台詞劇を選ぶのだから、尚更のことである様に思われる。実際、小野寺の手によるこの舞台には多くの試みがなされている。以下では紙幅の都合により、その一部について述べたい。


小野寺の「オイディプス」には観客の意表を突く表現によって演じられる場面が多々ある。その一つは、特に映像においてはよくされる表現だが、登場人物の心理描写である。オイディプスが、かつて三叉路で口論の末に殺害した人物が先王ライオスかも知れないと疑う場面では、舞台上でオイディプスの心理が具現し展開する。過去が思い起こされる度に三叉路が舞台に出現し、問題の出来事が再現される。オイディプスは幾度もライオスと対峙する、或いは対峙させられる。オイディプスが自身の記憶の中にある三叉路に紛れ込むくだりは時に唐突だが、同時に観客も心象風景に巻き込まれる事になり、効果を上げている。それによりかえって、不吉な預言を裏付ける出来事が次々と明らかになっていく過程における登場人物の混乱や葛藤を体験する事になっている。

一つの役を三人が次々に演じ、かつ、それぞれが個々のキャラクターを主張する演出もある。オイディプスの妻イオカステは、イオカステの二人の侍女も加わり三人で演じられる。三人が一連の台詞を口々に述べる。イオカステに話かけようとする伝令が、三人のイオカステのうち誰に話したら良いのかと迷う場面もある。観客は演出の効果としてごく自然に受け入れていた約束事との間で不意に生じたユーモアに笑う。オイディプスを演じる三人もまた、常に三人が同じ場所にいるわけではなく、一人のオイディプスが喋っている間に、別のオイディプスが別の場所で何かしていたりする。演劇独自の面白い表現である。


小野寺はオイディプスの運命を余り隠さない。「オイディプス」と云うギリシャ悲劇を知らない観客に対しても物語の輪郭が判るように、時にははっきりとオイディプスの素性や運命を説明する場面を劇中に設けている。

興味深い事に、観客は二重の視点で以て観劇する。私たちはオイディプスに共感することで、神託に翻弄されるオイディプスの視点に近づく。それと共に、劇中のオイディプスが未だはっきりとは知らないうちから、オイディプスの意志に反して神託の通りに全ての物事が運んでいる事を知り、結末を期待してもいる。それは観客がオイディプスの宿命を預言する神々の視点にも近づき、その世界を受け入れる事をも意味しているのではないか。

ギリシャ悲劇が観客を招き入れようとしている世界は神々の世界である。「人間の手によっては変えようのない宿命が存在する」と、悲劇「オイディプス」は我々に伝える。しかも、神々が下す宿命は、本質的にはオイディプスの過誤によりもたらされたのではなく、理不尽極まりない。オイディプスは努力によってそれを避けようとしたにも関わらず、どうしても避けられない。神々は終始一貫して彼を救おうとはしない。神々の僕たる預言者もまた、オイディプスに如何なる未来が待ち構えているのかを知りながら非協力的だ。観客が舞台に関与できないように、誰も彼を救う事は出来ない。神々は一体何故オイディプスを悲惨な運命に陥れるのか、それは判らない。究極的に世界は不可知である。人間の目から見れば計り知れないと結論するしかない。

現代において「オイディプス」が演じられる事にどの様な意義があるのか。小野寺は饒舌にも観劇の意味を劇中で語っている。福田恆存の『人間・この劇的なるもの』からの引用である。以下では部分的に要約しながら記す。

「オイディプス」が演じられる事は、「全体感の獲得をうながすものにほかな」らない、と彼は言う。「路傍の花」が私たちに季節を知らせる様に、オイディプスは神々の世界の存在を知らせる。私たちはオイディプスによって導かれ、「全体」を、即ち世界の神秘を体験しようとするのだ。「それは自己と対象とのあいだに、あるいは自己のうちにある自己の情念とそれを否定してくる外界とのあいだに、調和と均衡とを保とうとする試みである。いってみれば、違和感の消滅にほかならぬ。」神々の手を離れようともがき葛藤するも、自ら運命の扉を次々と開き、必然の破滅へと向う。人間の自由意志で行っているように見える物事ですら、ことごとく神々の手中にある事を証明する。それこそ「個人が、人間が、全体に参与しえたと実感する経験そのものである」……。

小野寺による「オイディプス」が成功したと言えるならば、少なくとも観客は、人間には計り知れない神々の存在する不可知の世界において生き、そして破滅の道を辿るオイディプスの悲劇を経験し得た筈である。

『ガラスの動物園』(ダニエル・ジャンヌトー演出、テネシー・ウィリアムズ作)

カテゴリー: ガラスの動物園

■準入選■

ジャンヌトーさんの「ガラスの動物園」

渡邊 敏

「欲望という名の電車」という映画を見たのは、高校生の時のこと。偶然テレビで見た白黒映画は、繊細さと暴力的なものがいっしょになった映画で、主人公のブランチが哀れでならなかった。そのとき、テネシー・ウィリアムズという人の名前は、荒々しさと、猥雑さ、美しさといっしょに私の中に記憶された。

二週間ほど前、長い間忘れていた彼の世界に久しぶりにひたった。「ガラスの動物園」のリーディング・カフェ。そうそう、この感じ、と体が思い出していた。台詞を声に出して読んだだけなのに、頭の中がぐるぐるし出し、終わった時には作品を「見た」ような満足感があった。不思議。それから、舞台も見に行ってしまった。10月29日、土曜日。

薄暗かった舞台に灯りがつくと、白い四角があった。紗、のようなうすもので囲われた空間。床も綿布のようなものが厚く敷き詰められ、裸足で歩いたら気持ち良さそうだ。
ああ、これは「テネシー・ウィリアムズの」ガラスの動物園じゃないんだ、と思う。
ミニマルで美しい舞台装置にはアメリカ南部の匂いはないし、ローラは色味のないメーク、衣装で、透明に近い雰囲気で、ひっそりとしゃべり、息をし、歩く。弟のトムは「多感な青年」ではなく、人生を知り尽くしたような中年男が語り手のトムと若かりし日のトムの両方を演じている。

母親の解釈も、ずいぶん違っていた。ちょっと時代遅れで、見栄っ張りだけれど、娘を愛している、ごく普通の母親を想像していたのだけれど、ジャンヌトーさん演出のアマンダは病的で支配的、神経衰弱ぎりぎりのようだった。ローラを問い詰めたり、トムにコーヒーの飲み方までとやかく言ったりするところでは、この家の不幸の根源はこの母親なんじゃないかと思える。「お客様」をお迎えする日の、踊り子みたいな黄色の衣装は、痛ましくて笑えない。「ガラスの動物」って、この家族3人全員のことだったのだろうか。じゃあ、あの真綿の床はクッション材?

こんな時代だから、ローラがタイプ学校をやめたことがバレて母親になじられるシーンは、重くて、身につまされた。人並みの生活を送れない娘に「この先どうするの」と問い詰めるのを聞いていると、ひきこもり、ニート、という言葉が浮かぶ。ローラが学校に行くふりをして、一日中歩き回り、植物園や映画館で時間潰しをしていた、と打ち明けるところでは、リストラされたことを家族に打ち明けられずにいるサラリーマンを連想した。今の日本だからこそ、そういうテーマの作品、と思う人もいるかもしれない。

このお芝居の圧巻は、暗闇の中、蝋燭のあかりで、ローラがジムとダンスし、キスし、一瞬のロマンスを味わった後、夢破れるシーン。リーディング・カフェで読んだときから、どんな風に演じられるのか期待していた。私が思っていたより、ずっと抑えた演技で、ローラの顔は、静かで、でも、内にぽっかり穴があいたようだった。

こうして戯曲や舞台にふれてみて、想像力というものの楽しさ、すごさを感じた。ジャンヌトーさんの舞台は、私の想像とはちがう世界を見せてくれて、あの白い空間は、トムの回想の空間であり、ローラが安らいでいた純白の繭のようでもあり、世間から隔絶した家族の空間でもあり・・・。その中に、トムだけは靴をはいて入り込んでいて、あれ、と思う。ベールのような幕は、「お客様」が現れてドラマが起こる兆しに、はたはたとはためき始め、ドラマが起きると、もう乱れたままだった。

終演後、ジャンヌトーさんは「芸術は安心させるものではなく、人の心を揺るがすもの」と語っていた。始めから終わりまでひりひりする舞台。でも、痛さも心地いい。
ローラはあの後どうなったんだろう、と想像しながら、帰りのバスに揺られた。遠くの町の灯りが、舞台に置かれていたガラスの動物みたいに輝いていた。普通の人々がねがう「人並み」の幸せが訪れなかったとしても、まだいくつもの美しいドラマが彼女には訪れたにちがいない、と思った。

観劇日 2011年10月29日

2011 年 12 月 26 日

『ガラスの動物園』(ダニエル・ジャンヌトー演出、テネシー・ウィリアムズ作)

カテゴリー: ガラスの動物園

■依頼劇評■

手品の種に仕込まれた思い出

野中広樹(演劇評論)

テネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』は、冒頭でトムが客席に向かって話しかけるように「思い出の劇」である。1944年にシカゴで試演され、翌年、ニューヨークで初演された。

原曲では、1930年代、アメリカ中西部にあるミズーリ州セントルイスの路地裏が舞台だが、ダニエル・ジャンヌトー演出においては、時代性と地域性が注意深く取り除かれている。おそらく普遍的なドラマとして『ガラスの動物園』を上演したいという意図によるものだろう。そして、時代と場所が特定できない分だけ、個人的な「思い出」であることが突出している。

劇が始まると、まずはじめにトムを演じる役者(阿部一徳)の年齢が、従来の上演と較べてずいぶん高いことに気づくだろう。トムはローラ(布施安寿香)の弟という設定であり、場面によっては姉弟として演じるところも出てくるため、弟あるいは同年代に見える役者が扮することが多い。ローラの年齢は「高校をやめてから6年」という台詞から推定すると23か24歳なので、今回の舞台では、時間がいたずらをして、トムとローラは親子のようにも見える。しかし、この不自然さは、『ガラスの動物園』の劇全体がトムの「思い出」のなかの出来事であることを際立たせる効果にもつながっていく。

もうひとつ、舞台が透明な紗幕で二重に蔽われているのも大きな特色である。しかも、かつてウィングフィールド家が4人で住んでいたにしては、ずいぶん広くて、がらんとした空間だ。だが、これも「思い出」の空間を創りだすのにひと役買っている。そこにはトムの「思い出」を甦らせるための必要最小限の装置しか置かれていない。ある場面では、テーブルと蓄音機、またある場面では、大きなボンボリのような照明と縦長の鏡と蓄音機が置かれているだけだ。そこからは大きな不在が見えてくる。言うまでもなく、芝居が始まるまえに、この家を出ていった父親の不在である。

もう一度、冒頭に戻ろう。

はじめにトムが客席に向かって話しかけるとき、漆黒の闇に包まれた舞台上にスポットライトが当たり、トムは白い点のように浮かびあがる。「この劇は思い出です。思い出の劇なので、ほの暗い明かりに包まれ、センチメンタルで、現実味がありません」このときトムは二重の紗幕の外側にいる。時間の流れからして、紗幕の外は「現在」だろう。

そして、二重の紗幕に囲まれたいちばん内側の空間は、トムの「思い出」の世界である。そこでは、ローラはまだ20代前半で、母親のアマンダ(鈴木陽代)も若い。その世界に行き着くには、ずいぶん時間をさかのぼる必要があるため、薄暗くてぼんやりしている。

トムの意識は常にローラに向かっているせいか、母親のアマンダが話しているときは目を凝らす必要があるほど見えにくいのに、ローラの場面になると、にわかに舞台が明るくなる。そこでは、母親は主として声の記憶にすぎないが、ローラは具体的なイメージを伴って出現する。そこからも『ガラスの動物園』はローラについての思い出の劇であることが見てとれる。

内側の紗幕と外側の紗幕に挟まれた細長い部分には、上手寄りの舞台前面に、ローラが大切にしていた「ガラスの動物園」が設置されている。ここだけはローラの聖域で、だれも踏み込むことはできない特別な空間だ。ただし、2度だけ例外がある。

ひとつは、毎晩の外出をめぐってトムとアマンダがはげしく口論する場面。母親に悪態をついたトムは、怒りにまかせ、勢いあまって内側の紗幕を飛び出し、ローラの「ガラスの動物園」をうっかり踏みつけてしまう。ガラスが脆くも割れる音がする。この瞬間、わたしは思わず息を呑んで縮みあがった。すでに取り返しのつかない出来事が起きてしまったことをあざやかに知らされる。すばらしい演出だ。

テネシー・ウィリアムズは、現実においても、この劇のように姉を置き去りにしたことを一生悔やみつづけた。そして、その悔恨の情が『ガラスの動物園』を書いたいちばんの動機だったのだろう。そのことは、これに続くもうひとつの例外を見れば、劇作家がこの戯曲に込めた想いが理解できる。

それは、トムが友人のジム(牧山祐大)を招いて連れてくる場面である。友人のジムは、劇のはじめのほうでローラが母親に打ち明けたように、高校時代に憧れていたたったひとりの同級生だ。『ペンザンスの海賊』で美声を聞かせ、弁論大会では優勝し、ローラが肋膜炎(プルーローシス)で休んだあとには病名を聞きちがえて、ずっと「ブルー・ローズ」と呼びつづけた男性である。

この場面が始まるまえに、演出のジャンヌトーは、舞台を二重に蔽っていた外側の紗幕をゆっくりと取り払った。思い出がそっと開かれてゆく。そして、剥きだしにされた内側の紗幕も、どこからか吹いてきたかすかな風を受けて、まるで生きているように静かに揺れはじめる。この空間が、トムの「思い出」そのものであるならば、これから起きる出来事を思い出すことが、トムを深い部分で動揺させずにはおかないのだろう。

そのうちに夏の雨が降りはじめ、さらに紗幕の揺れが大きくなる。すると、唐突に照明が消える。トムが督促を受けていた電気代を船員になる組合費にまわしたため、未払いで止められたのだ。しかたなく、数本のロウソクに火をともして、ジムは内気なローラのいる居間へと話しにいく。そこは内側の紗幕を越えたところにあるローラの聖域である。

ロウソクの小さな光による魔法だろうか、いつも引きこもりがちなローラは、珍しくジムと高校時代の思い出話に興じる。ローラはいちばんお気に入りのユニコーンを紹介し、光にかざして魅力を語る。そのうち、盛りあがったふたりは、路地の向こうにあるダンスホールから聞こえてくる音楽に合わせてダンスをはじめる。足元に置いた本物のロウソクの炎がゆらゆらと揺らめき、ジムに手を取られて踊りながらくるくるまわるローラをほんのりと映しだす。なんという幻想的な場面だろう。しかし、途中で「ガラスの動物園」にぶつかり、中断してしまうのだ。そして、ローラは角のとれてしまったユニコーンのいる「ガラスの動物園」に、ひとりで取り残されてしまう。

ブルー・ローズという「不可能」を意味する薔薇の名前、ユニコーンという空想上の動物、華奢なガラスの動物たち、そしてロウソクの炎――あまりに美しく儚い思い出によって、ローラの人生最高の瞬間を彩ってみせる。これこそが『ガラスの動物園』で劇作家が実現させたかったことに他ならない。ジャンヌトーはこれらすべてをトムの「思い出」の世界に作りだし、ロウソクの炎が作りだした魔法の空間で、ローラを初恋の相手であるジムとエレガントに踊らせてみせた。

トムははじめに「手品の種はポケットに仕込んであります」と語った。つづけて「僕は、感じのいいまやかしに見せた本物をお目にかけます」と述べた。最後の場面までたどりついたとき、私たちはこれまで見てきたのが、劇作家に実際に起きた出来事であることを知る。

テネシー・ウィリアムズの本名はトマス・ラニアー・ウィリアムズ、すなわち愛称はトム、ローラのモデルになった姉の名前は、ブルー・ローズならぬローズである。これは劇作家自身による姉ローズの思い出であり、実現してほしいと願った夢だったのだ。

■執筆者紹介

野中広樹(のなか・ひろき)

演劇評論。1962年生まれ。学習院大学文学部卒業。出版社勤務の後、演劇評論。「テアトロ」「東京人」「レプリーク」などに寄稿多数。

2011 年 11 月 14 日

『WHY WHY』(ピーター・ブルック演出)

カテゴリー: WHY WHY

■準入選■

「演劇人」の常識 〜ピーター・ブルックによる演劇リサーチ『WHY WHY』

柴田隆子

演出のピーター・ブルックは、裸舞台を横切る人間とそれを見つめる人間がいれば演劇行為は成立するという、非常にミニマムな形で「演劇」を定義したので有名だが、今回の公演は、ほぼその定義に近いものである。椅子やドア枠などごくわずかな小道具だけで、イリュージョンを作り出すような舞台装置は一切なく、ミリアム・ゴールドシュミットの語る「言葉」、それを支えるフランチェスコ・アニェッロの「音楽」、そして彼らの身体の「動き」からなる。これといった筋はなく、「舞台」は観客の想像力の中で引用の織物を紐解き、記憶と紡ぎ合わせて新たに織り上げる、『WHY WHY』はそんな演劇体験の場であった。

2010年にピーター・ブルックとマリー=エレーヌ・エティエンヌによって書かれた本作は、アルトー、ゴードン・クレイグ、シャルル・デュラン、メイエルホリド、世阿弥、シェイクスピアのテクストからなる、まさに「演劇」の舞台であった。「私は誰?」という俳優の問いに始まり、「芸術は何のために」と問う場面で終わるこの上演には、終始「演劇」をめぐる問いがある。なぜこの舞台は上演されているのか、なぜそれを観るのか、なぜ演じるのか、なんのための劇場なのか、なんのために演劇はあるのか、私とは誰で、どうして今私はここにいるのか。古今東西の演劇人らの言葉は、それらの問いを考えるための媒介にすぎず、その答えは観客が自ら考えなければならない。つまり、この作品は舞台を支える「演劇」のコンベンションを理解し、これらの問いを自らの問いとして受け止めることができる観客を必要とするのだ。

舞台上の「演劇的行為」は自明に「演劇」にはなりえない。そこには演劇を「演劇」たらしめるコンベンションが存在する。それは日常的な振る舞いの延長線上にある日常のコードであるときもあるし、その作品が所属する文化圏の慣習や、その演劇形式が独自にもつ決まり事だったりする。観客が想像力を羽ばたかせるには、土台となる世界観や枠組が必要であり、今回はそれが、ロイアル・シェイクスピア・カンパニーと国際演劇研究センターに長年関わってきたブルックにとっては当然のことだが、西洋を中心とした演劇理論であった。テクストで引用とその構造を確認したい気持ちに駆られるが、それはあくまでテクストベースの「意味」に過ぎず、舞台上で上演されるパフォーマンスは、観客の持つ演劇体験と呼応して、「問い」にさらに広がりを持たせていく。

演劇は書物とは異なり、辞書で調べたり引用を確認することはできない。むしろ語られる言葉のもつ多義性を、音や響きに身振りなどを加味して想像力で膨らませるところにその醍醐味がある。「死を忘れるな(Memento mori)」「芸術の女神(Muse)」「亡霊(Geist)」の含意は、単にこれらを「死」「芸術」「知」の表象と置き換えて理解すれば事足りるというわけではない。前提となる西洋的知の枠組があり、それに呼応あるいは対抗する形での「演劇」の「言葉」なのだ。それに「言葉」は上演の一部にしか過ぎない。『リア王』や『ハムレット』の有名な場面は、かつてブルックが演出した場面が記憶の中で重なり、耳慣れぬ言葉の後「スターリン万歳」で言い過ぎたといわんばかりに口元を押さえるミリアムの演技は、ひょっとしてこれはメイエルホリドの「弁明」なのかと想像はどんどん膨らむ。「マリオネット」はクレイグだろうが、「蝋人形」が燃えるのはひょっとしたらタデウシ・カントールだろうか、「おやつの時間(Brotzeit)」は・・・。舞台をそっちのけで自身の演劇的記憶に沈殿していく。フランチェスコの音楽は時にそれを助長し、時に舞台に引き戻してくれる。

知的ゲームのようでとても楽しく、座していながら演劇体験に参加している気分も十分味わえる。しかし、ここで発せられている「演劇人」の言葉は、問いは、そのような知的好奇心のためにあるのではない。ここでは俳優と観客との丁々発止があるべきで、「演劇人」としてのそれぞれを見つめる場が期待されていたはずなのだ。しかし、残念ながら舞台と客席の溝は、少なくとも私にとっては深く感じられ、他者としてそのことを認識できたのは別な意味で収穫ではあったものの、ブルックやゴールドシュミットら向こう側の「演劇人」との差異を大きく感じざるを得なかった。

「演劇」の意義を問い直すこと、それは、今、日本においてなお一層必要なのは間違いない。その意味でこの上演の「問い」は非常にタイムリーであった。しかし今回の舞台はあまりにも西洋の「知」がベースになっており、ドイツ語上演ということもあって、それがどれほど観客に理解されたのかは疑問である。問いを共有する前提として、世阿弥すら取り込んでいる西洋の演劇的知にアクセスできない観客は、そこから排除されてしまう。そして日本の一般的観客の多くは、演劇的知をこうした西洋的文脈では少なくとも捉えていない。

その意味でこの舞台は特権的な「演劇人」のための舞台であったといえる。急遽決まった上演であり、SPACに集う優秀な「演劇人」には有用な舞台だったのだと思う。だが、今日の状況において本当に必要なのは、このような西洋演劇的知のコンベンションによらず、「一般」とよばれる観客の「生」に響く「演劇」ではないだろうか。今こそ演劇の本当の力が試されていい時である。今回の『WHY WHY』での問いに対し、これを観た「演劇人」がなんらかの演劇的行動をすることで初めて、この舞台の真価が問われることになるだろう。

2011年6月18日 静岡芸術劇場 観劇

2011 年 10 月 9 日

『天守物語』(宮城聰演出、泉鏡花作)

カテゴリー: 天守物語

■依頼劇評■

お祭礼(まつり)だ!——宮城聰演出・SPAC公演『天守物語』を観る

若林幹夫

木々の緑を背にした野外劇場の舞台の中央奥に、祭壇よろしく巨大な獅子頭が鎮座している。「獅子頭」と書いたが、緑の鱗に覆われ、角を生やした竜の形だ。もっとも獅子頭はいわゆる「獅子=ライオン」を象ったものもあれば、鹿(大和言葉ではこれも「しし」だが)や竜を象ったものもある。鏡花の脚本はその形を指定していない。やがて、その前に楽器を手にした役者たちが現れ、太鼓や鳴り物が激しいリズムを刻みながら、儀式の始まりのように踊り始める。どこか異国的なリズムと舞がしばらく続いた後、

——あれ、夫人(おくさま)がお帰りでございますよ。*1

と、舞台上を舞っていたうちの一人、青い衣をまとった侍女・桔梗役の役者(舘野百代)が言う。いや、この書き方は正確ではない。気がつくと舞台の上には別の役者(三島景太)も座していて、声はこの役者から発せられた。所作を演じる“ムーバー”と声を演じる“スピーカー”との二人一役で演じられるこの舞台で、ムーバーが女ならスピーカーは男、ムーバーが男ならスピーカーは女が担当する。動きに特化したムーバーの所作は舞や文楽人形のように、そして異性の言葉を語るスピーカーの語りも義太夫や講談のように、それぞれ様式化されている。からだと声の間の協和音や不協和音に楽音が重なる祭式のような舞台に、「あれ、夫人(おくさま)が…」という声が祭神の来臨を告げるかのように響いて、宮城聰演出のSPAC公演『天守物語』は始まる。

「夫人」というのは姫路城の天守五重に棲む妖怪富姫(ムーバー(以下M):美加理/スピーカー(以下S):阿部一徳)。その富姫が、猪苗代から訪ねてきた妹の亀姫(M:榊原有美/S:仲谷智邦)への土産として城主寵愛の鷹を捕ったことをきっかけに、鷹匠の姫川図書之助(M:大高浩一/S:本多麻紀)と知り合い恋に落ちる。天守に登った証にと富姫が渡した家宝の兜を、盗んだものと誤解され、逆賊として追われ、再度天守にあがった図書之助を富姫は獅子頭の母衣(ほろ)の中に匿い、自らもそこに隠れて追っ手たちを迎えるが、追っ手たちが獅子頭の両目を傷つけると、二人共に視力を失ってしまう。こうして追い詰められた二人は、一緒に死のうとする……、というのが舞台のあらすじである。だが、この悲劇と見える舞台には、最後にどんでん返しが待っている。甘美に死を語り合う恋人たちの前に唐突に、獅子頭を彫った楊子削(ようじけずり)だという近江ノ丞桃六(おうみのじょうとうろく)が現れて、獅子頭の両目に鑿を振るうや、二人は視力を取り戻す。

——世は戦(いくさ)でも、胡蝶(ちょう)が舞う、撫子(なでしこ)も桔梗(ききょう)も咲くぞ。……馬鹿めが。ここに獅子がいる。お祭礼(まつり)だと思って騒げ。槍、刀、弓矢、鉄砲、城の奴ら。

という桃六の宣言と共に、舞台はハッピーエンドを迎えて終わるのだ。

ギリシア演劇の機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)によるかのようなこの解決は、悲劇のクライマックスに向けて緊張を高めて舞台を見守ってきた側からすると、“あんまり”と言えばあんまりである。だがそれが、桃六の高らかに宣言するような「お祭礼(まつり)」だと思えばどうだろう?

歴史的・伝統的な祭礼の多くは、神や精霊や死者などの、大和言葉では広く「もの」とも呼ばれる、人の力の及ばない、けれどもその力を人の世に様々な形で及ぼすとされる存在との交流が、儀礼化され、儀式となったものだ。富姫や亀姫、侍女たちはそうした「もの」(あるいは「もののけ」)である。天守とそこに棲むもののけたちの世界と、下界の人間たちの世界という二つの世界と、それらの世界の境界を越える交流を描いた『天守物語』は、祭礼的な構造をもっている。宮城の演出は、以下に述べるように、その祭礼的な構造が内包するダイナミズムを、時に鏡花の原作を越えて描き出した。

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『天守物語』(宮城聰演出、泉鏡花作)

カテゴリー: 天守物語

■依頼劇評■

獅子が竜。桃六が鷹。

奥原佳津夫

「それまで鏡花は、小説を脚色した通俗劇をとほしてのみ劇壇に知られてゐたのが、死後はじめて、ユニークな、すこぶる非常識で甚だ斬新な、おどろくべき独創性を持つた劇作家として知られるやうになつた。」とは、『天守物語』初演に接しての三島由紀夫の評。その「すこぶる非常識で甚だ斬新」な要素が、現在この戯曲の人気を呼び、それぞれ演劇観の異なる大小のカンパニーが様々なアプローチで、近代劇の枠を遥かに超えたこの戯曲に挑む魅力となっているのだろう。
SPACの『天守物語』の特徴を要約すれば、二人一役の手法で上演されるアジアの民俗芸能的祝祭劇、ということになろうか。そのアプローチの成否を、原戯曲に照らして考えてみたい。

まず、戯曲解釈の面から云えば—アジアの民俗芸能的祝祭劇というコンセプトは、この戯曲の一つの解釈として当を得たものと云える。
天守五重の魔所には、その霊力の源たる獅子頭が据えられており、討手がこの獅子と大立ち回りになる大詰めは周知のとおりだが—この獅子頭は“加賀獅子”である。そもそも、各町一基の獅子頭を祀って守護神とするのは、鏡花の郷里金沢の風習だが、そこに伝わる獅子舞“加賀獅子”は、珍しい“殺し獅子”の演舞である。すなわち、“棒取り”が得物を取って獅子に立ち向かう型で、藩政期には武芸奨励策として伝え広められたという。鏡花は、郷里の郷土芸能と祭礼を念頭に置いて、この戯曲を構成しているわけである。

さて、上演だが—劇場に足を踏み入れると、まず四本の柱を立てた奥に聳え立つのが、獅子頭ならぬ竜の頭なのに目を疑う。この竜頭は、富姫、亀姫、侍女ら打ち揃って、鯉のぼりを加工した鱗のきらめく衣装なので、鯉が滝昇りして竜と化す故事になぞらえ竜神の眷属の意か。あるいは『夜叉ヶ池』や『海神別荘』の竜神との同質性を示したものか、異種婚に付きまとうメリジューヌのイメージを想起させるものか。確かに洪水を起こす獅子頭ではあるが、「獅子」の台詞はそのままに竜の形象は違和感がある。それをおして、あえて竜を提示した意図を想像すれば、この上演では富姫の前生を匂わせる自害した上臈の挿話がカットされていることと合わせて、富姫ら妖かしを人間界との過去の繋がりを持たぬ自然霊的な魔界のものとし、その魔界は(汎アジア的な水神の形象としての)竜を通じて直接自然界に繋がるもの、と設定したことにあるようだ。

富姫の登場から始まる上演は、約一時間。当然、台本は大幅にカットされており、登場人物も整理されている。侍女らの台詞は「桔梗」と呼ばれる一人に集中させ(コミカルな役作りなので年嵩の奥女中・薄の名は枯れすぎなのだろう)、舌長姥は割愛されて、亀姫のお供は朱の盤坊ひとり。作品の構造上不可欠ではないが、やや寂しい。
演出者(宮城聰)は、舞台と客席を隔てぬ祝祭空間の創造に心を砕いているようだ。富姫、亀姫の客席側からの登場、朱の盤坊の目隠し鬼遊びや、図書之助が天守の下層で踏み迷う場面での客席通路の使用からも、それは窺える。例えば、東南アジアの雑踏で、観客も演者も渾然としたままに繰り広げられる祝祭の演舞の如き物がイメージされているのではないかと想像するのは、原色の衣装の色彩や、絶え間ない打楽器のリズムに煽られてのこと。模型の鷹が滑り降りる仕掛けや、これ見よがしに取り出される生首から滴る血潮が目指すものは、見世物性の復権であり、“広場の演劇”であろう。実際、亀姫と朱の盤坊の帰還の場面で、ロケット花火を飛び去らせる稚気など心躍る“お祭り”の楽しさである。
では、この上演が民俗的な祝祭劇として成功していたか、というと正直物足りない。問題点は、ラストシーンに顕著であるように思う。

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2011 年 9 月 26 日

『タカセの夢』(メルラン・ニヤカム振付・演出)

■依頼劇評■

タカセの夢

譲原晶子

ダンス・パフォーマンス「タカセの夢」は瑞々しい存在感を放つ作品だった。はじめはどういう企画なのかよく掴めなかったし、そして今でも、今後何処へ行く作品なのかが読めない宙づり感がある。にもかかわらず、観客に戸惑いを感じさせることなく作品として実にしっかり存在していた。

作品を観るとき人は無意識のうちにその周辺を参照にするものであるが、ちらしに「『こどもが踊る、世界レベルのコンテンポラリーダンス作品』という、ありそうでなかった公演」という主催者によるこの作品の位置づけが、何を意味するのかよくイメージできなかった。「こども――といっても中高生であるが、簡単のためこう呼ぶことにする――が踊る」公演がとりわけ珍しいわけでもない。全国のホールはお稽古場の発表会で溢れているし、「子供のための作品づくり」といった企画もこれまでもなされてきている。世界に目を向ければ、コンクールや舞踊学校の学校公演では、世界レベルの高校生の踊りなど普通に見られる。それに「世界レベル」に挑戦するにはそれに見合う鍛錬の時間を要するのに、たったの一公演を通してそれに挑戦するとはどういう意味なのだろうか・・・。ただ、公演の目的という点からいえば、発表会や「子どものための作品づくり」は100パーセント出演者のための企画であり、家族や親戚、友人が集まる内輪の祭のようなものである。そこでは演技者の技量も問われないし、演目が作品として成立しているかなどということも問われない。プロを目指す若者が自らが達したレベルを披露することでデビューの機会を狙うコンクールや学校公演もまた出演者のための企画であり、こうした公演の会場では、作品主体の公演とは全く違う空気が流れている。
「タカセの夢」は企画として、確かにこの種の教育路線の催しとは一線を画していた。それは、一般の不特定多数の観客に向けられた一作品であり、しかも、将来プロを目指す専門家の卵によるものではなく、舞踊経験のない者までを含めたまさに「静岡の子ども」による公演であった。そこにはもちろん世界レベルの個人技はない。その代わりにそこに見られたのは、子どもの身体を鍛錬途上のものとみなすのではなく、これをひとつの立派なダンスの素材と扱おうという明確な態度である。振付家もその他の制作者も、一般の作品と何ら変わらぬ態度で臨んでいる。作品を観て、主催者のいう「世界レベル」とは、「世界中の不特定多数の観客に、作品として受容されることのできる作品」という意味だということが、よく理解できた。

写真家が捕えた子どもの写真のようなダンス作品だった。作品の内容自体は、極めて純朴で、何気なく、どこかにありそうな穏当な作品であったが、そこには、プロによって狙い定められた子どもたちの、そのオーラとエネルギーが、作品のエッセンスとしてしっかりとキャッチされ、定着されていたという意味において、そう感じた。そしてそれによってこの作品は――振付家ニヤカム氏自身も言うように――「日本の子どもによらなければ成立し得ない作品」となり、これがこの作品の力強いアイデンティティーとなっていた。
どのようにしてこんな作品が成立し得たのであろうか。舞踊には舞踊語彙や技法があり、またそれに即して訓練された舞踊の身体があり、これらを前提として振付家は作品をつくる。振付家は、舞踊語彙を共有していてコミュニケーションが可能なダンサーを使い、また自分の作品イメージにあったダンサー、それを踊れるダンサーを選んで振付ける。ところが「タカセの夢」ではこうした制作プロセスは覆され、出発点にまず「子どもの未熟な身体」が置かれたのである。そして、前提となるべき舞踊語彙も、舞踊の身体もない、零からの出発である。
「タカセの夢」もオーディションによるダンサーの選抜から始められはした。4倍ほどの倍率だったようだが、「とくに厳しい競争はなく、或る程度動きまたは声のコントロールができる子をとった」とニヤカム氏は語る。「最初の困難は、子どもたちがみな周囲に縛られ過度に引っ込み思案だったこと。『自分を受け入れなさい。』『自分を好きになりなさい。』と言い続けることで、徐々に子どもたちは解放されていった。そして最後は日本人特有の素晴らしい集中力で、普通ではありえない短期間でのリハーサルで完成することができた。「タカセの夢」にも、制作のプロセスのなかに教育という要素はあったわけだが、振付家の指針を教え込むという意味では、教育という要素は舞踊作品の制作では必ず存在している。この作品が放つオーラとエネルギーは、まさにこの振付家の手にかかって子どもたちから引き出されたものであることがよくわかる。
この作品では、身体、動きは、造形されようとはしていない。繊細な身体制御にはこだわっていない。その一方で、アンサンブルの動かし方、リズムの構成、場面の切り替えなど、作品の構成は細やかな技で満ち溢れている。そのきっちりした組み立ては、ダンサーの集中力によって完璧に維持され、決して乱れることはない。舞台全体を念入りにまとめることで、そこに未熟な身体がそのまま存在することができる場所が与えられている。そこで、未熟な身体がその未熟ないまを謳歌するのである。
振付家が舞踊家に一方的に振付けるのではなく、振付家と舞踊家の間に作品を生みだそうという創作の在り方は、コンテンポラリーダンスと呼ばれる活動のなかで盛んに進められてきた。この作品にも、両者の相互作用がさまざまな場面に見られる。日本人の振付家であったらおそらく、日本の歌や遊びをこれほど多用することはないであろう。個々の出演者たちが時折見せるソロの動きには、どこかで習ってきたのであろう「型」が散見され、「型破り」はないものかと思うところもあったが、こうした姿自体が我々の写し絵なのだろうと納得するしかない。舞踊の引き出しやすさという点からいえば到底扱いやすいとは思えない日本人を、ここまで使いこなしたニヤカム氏の技量は相当なものだと言っていい。あるいは、ニヤカム氏と静岡の子どもたちは格別相性がよかったのであろう。作品を観る限り、静岡での両者の出会いは幸福なものだったに違いない。

「型破り」といえばこの公演の企画者の宮城氏である。ニヤカム氏の作品の内容は穏当であったし、出演者たちはこんなに素直でよいものかと思われるほどの素直さであった。一方、この企画は既存のレール上にはない。はじめはどう転がるともわからなかったはずだが、自身の直感に対する確信が、先の見えない強さに支えられたときに、こんな推進力が発揮されるものだ。それは子どもたちに負けずに清々しい。さて、既存のレールからはずれて、この企画は今後どこへ行くのであろうか。
宮城氏の直感が何を捕えたのかが明らかになるにはしばらく時間がかかるであろう。個人的には――問いの直接の答えにはなっていないのであるが――この作品の「あの日、あの場所で、あの人たちの間で生まれた作品」という側面を大切にしていって欲しいと願っている。ちなみに作品にも固有名詞のタイトルがついている。リハーサル室での振付家と子どもたちの交感をそのまま運ぶ、その瑞々しさを客席で満喫して、舞踊は「場所の芸術」だと改めて感じたのである。「場所の芸術」といえばまず、複数の人がある時ある場所に集まらなければ作品は成立しないという、実演芸術の本性を指すのだろうが、客席であれ、リハーサル室であれ、人が集まることで初めて作品が存在できるということ、ただそれ自体の価値を、いま、もっと掘り下げていけないだろうかと思うのである。この作品を機に、リハーサル室での出会いと「ユメミルチカラ」から、それまで存在しなかったものを存在させようとすること、ただそれ自体の価値を、いま、もっと掘り下げていけないだろうかと思うのである。

■執筆者紹介

譲原晶子(ゆずりはら・あきこ)
千葉商科大学政策情報学部教授。著書に “Anne Woolliams, method of classical ballet” (Kieser Verlag, 2006)、「踊る身体のディスクール」(春秋社、2007)などがある。

2011 年 9 月 1 日

『ヒロシマ・モナムール』(クリスティーヌ・ルタイユール演出、マルグリット・デュラス作)

■依頼劇評■

重層化するテクスト、声、記憶
——クリスティーヌ・ルタイユール演出『ヒロシマ・モナムール』ーー

堀切克洋

暗闇に能管の音が響く。空気を破裂させるような高音の笛の音ではなく、どちらかというと親密な印象を与える音である。わたしたちの眼前には次第に不定形のフォルムが見えはじめる。やがて、その曖昧な形状のフォルムは、重なり合った二人の男女の裸体であることがわかる。しかし、それが「君はヒロシマで何も見なかった」——「いいえ、ヒロシマですべてを見たわ」という言葉の発話者であるかどうかを理解するには、もう少しの時間がかかる。その台詞がマイクロフォン、そして舞台上方に設置されたスピーカーを通じて発せられ、客席を包み込むような空間がつくられているからである。

●『ヒロシマ・モナムール』というテクスト

一般的に『二十四時間の情事』という日本語題の下で知られている『ヒロシマ・モナムール』というテクストは、アラン・レネ(1922-)による日仏合作の長編映画作品(1959年公開)のために、マルグリット・デュラス(1914-1996)がフランスにとどまりながら製作した「シナリオおよびダイアローグ」である(邦訳『ヒロシマ私の恋人』、清岡卓行訳、ちくま文庫、1990年)。日仏合作の「平和のための映画」を撮りに広島に滞在している30代のフランス人女性と、技術者でありかつ政治的活動を行ってもいる40才前後の(フランス語が堪能な)日本人男性。物語はこのふたりが出会い、そして別れるまでの「二十四時間」を描く。

映画を見たことがある方、あるいはシナリオを読んだことがある方ならばご存知の通り、ヒロシマという人類にとっての苛酷な経験を「書く」にあたって、デュラスが考案した方法は広島という場においてヒロシマという日本人の男を登場させることであった。さらに、この男と出会う女は、かつてヌヴェールというフランスの田舎町でドイツ兵と恋に落ちたことによって、地下室に軟禁され、村八分にされたという過去を持つ。その抑圧された記憶を呼び覚ますのが、ヒロシマという〈都市=男〉であり、それゆえに、この物語を通じて女はヌヴェールという都市の記憶を代表してみせるのである。

しかし、である。映画を見たことがある方も、そうでない方も、『ヒロシマ・モナムール』というテクストを一度手にとっていただきたい。この書物を開けば、デュラスのテクストがその筋の明解さ(二人の男女が出会って別れるだけの話)とは裏腹に、どれほどに重層的に書かれているかが理解されることだろう。とりわけ、ヌヴェールに関しては、映画で「ヌヴェール」を演じたエマニュエル・リヴァ(1927-)が——ユダヤ人の母親を持つことを示唆しつつ——語ったことの覚書きとして、一連のテクストがシナリオに付録されており、映画監督に対する指示や映画には収められていない場面も含めて、膨大な周辺的テクストが収められている。

このことに加えて、少なくともデュラスという作家にとって、ヒロシマという経験はその端緒においてすでに強制収容所という経験と深く結びついていたことも確認しておこう。折しも邦訳が刊行されたデュラスの『戦争ノート』(田中倫郎訳、河出書房新社、2008年)を参照すれば、政治犯として逮捕され、ブーヘンヴァルト強制収容所へと送られた夫、ロベール・アンテルム(1917-1990)の生還が、デュラスの「ユダヤ人化願望」に拍車をかけたという事実から、デュラスの経験がフランス人女性と日本人男性と重なり合う筋を持つ『ヒロシマ・モナムール』のドラマトゥルギーに書き込まれていると考えることも十分に可能だろう。

しかしながら、『ヒロシマ・モナムール』における男女の会話は、ほとんどが短台詞から構成されており、分量の面から言えば、周辺的なテクスト(筋書き、ト書き、付録など)とは好対照をなしている。つまり、男の問いかけと女の受け答え、あるいはその逆のやり取りからは、無駄な言葉が排除されている。そのため、演出家は基本的に、この膨大な量の周辺情報を俳優たちの短い発話に託さなければならない。そこで演出家はどのような方法をとったか? 「君はヒロシマで何も見なかった」——「いいえ、ヒロシマですべてを見たわ」という冒頭の台詞で示唆したように、この演出において決定的に重要な役割を果たしていたのは、「台詞(音声)の聞こえ方」である。

●いったい、これは誰の声なのか?

冒頭の場面は、わたしの記憶が正しければ、二人の台詞は舞台上方のスピーカーを通して観客に届けられていた。これにより、映画の冒頭のシーン(銀色にきらめく汗をかいた肉体の交わり合い)とは、同じ描写でありながらまったく別の印象を与えることに成功していたのである。ヴァレリー・ラングと太田宏の動きはけっして生々しくはない、どちらかというとコンテンポラリー・ダンスのような、抽象的なフォルムを薄明かりのなかで幻影的に見せる(舞台の観客は俳優の裸体を見ることにほとんど驚きを示さない)。二人の身体が表象している時間は〈1958年〉ではなく、同時代のどこかであるように思われる。

スピーカーから聞こえる台詞は、彼らが「発している声」ではなく、彼らに「発せられる声」のようにも聞こえる。かくして、わたしたちは「現代の男女の姿」に、〈1958年〉の——わたしたちが遅かれ早かれ、映画や書物を通じて夢想することになる——男女の風景を重ね合わせることになる。それは、原爆の風景から切り放された普遍的な、あるいはきわめて凡庸な男女の恋模様である。しかし明らかに、デュラスのテクストは映画とはまったく異なる響きを放つ。当然のことながら、そこには映画で使うことのできる技術(およびその限界)が存在しないからである。原作における時間や空間の統一性(ラシーヌ劇のよう!)は、いとも簡単に撹乱させられることになる。

たとえば、スピーカーを使わない二人の会話がほとんど普通の演劇(恋物語)を思わせると思えば、今度はそのスピーカーから(おそらく現在の)広島の音風景が流され、あるいは〈1958年〉の広島の風景が舞台全体に映写され、時間と空間はデュラスのテクストに応えるかのように、たえず重層化されてゆく。感情の吐露としての独白/小声で話す二人だけの親密な会話/他人にも聞こえる公共的な会話……という具合に、あれほどまでに単純だったはずの二人の会話は、まるで無限のマトリョーシカのように、発話の仕方や音声の届け方を通じて、時間と空間を往来するように観客の想像力を仕向けているのである。

ところで、映画版『ヒロシマ・モナムール』は、映像というメディアが対象のフェティッシュ化を得意としていることを示すように、「へんてこな場面」が何度か登場する。たとえば、二人が愛撫しているシーンの後ろではチャルメラの音が、フランス語で書かれたプラカードを掲げてデモ行進する場面ではきわめて大衆的な音楽が、リヴァが苦悶のヌヴェール時代を回顧する場面ではゲコゲコという蛙の鳴き声と歌謡曲が流れ続けているのである。これらは、急須からコーヒーが注がれる場面(この場面で女は浴衣を着ている!)や喫茶店の名称が「どーむ」であることにもまして、実に微笑を誘う。

このような映画的なユーモアの代わりに、舞台版『ヒロシマ・モナムール』では、日本の唱歌がふたつほど使用されている。ひとつは「椰子の実」(作詞=島崎藤村、作曲=大中寅二)という1936年につくられた唄で、劇中に太田が何度か口ずさむ——「名も知らぬ/遠き島より/流れ寄る/椰子の実一つ」。椰子の実というモノを叙情的に詠んだ歌詞は、どこか懐かしいが悲しげな印象を与える。もうひとつは「わたしの城下町」(作詞:安井かずみ/作曲:平尾昌晃/編曲:森岡賢一郎)という小柳ルミ子の1971年の唄である。このような歌謡曲の使用はけっして珍しくはないが、舞台を異化するには効果的な手法である。

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『シモン・ボリバル、夢の断片』(オマール・ポラス演出・翻案、ウィリアム・オスピーナ作)

■依頼劇評■

生き延びる〈ことば〉としての演劇
=「シモン・ボリバル、夢の断片」評=

柳生正名

開演前10分。観客は誰も梅雨時にそぐわぬ涼しさを感じたはずだ。場の緊迫感がそれだけの密度に達していた。眼前には、さながら大震災の直後を思わせる土手状の盛り土、そして建物の残骸。自らの坐るべき席は、そうした瓦礫とともに静岡県芸術劇場の大舞台上に据えられている。

開演。そして、クライマックス。盛り土の上には、演出家オマール・ボラス自らが演じるラテンアメリカ独立運動の闘士シモン・ボリバル。現在は中南米各国の広場という広場に彫像が立つ彼の、その生身に頭から液状の石膏が浴びせられる。文字通り「偶像化」していく存在として、観客の目前、というより、演者と観客が共に在る舞台上で、同時代的な生々しさをみなぎらせつつ、演じられるのだ。冒頭、同じボラスが演じる「演出家」の口から語られる「ボリバルの物語はお前たちの物語でもある」という〈ことば〉そのままに。

ボラスが7度目の来静に携えてくる舞台は、彼の母国コロンビアの建国200周年を記念して制作された「シモン・ボリバル、夢の断片」になるはずだった。解放者(リベルタドール)の称号を持つ対スペイン独立闘争の指導者ボリバル(1783〜1830)—現代日本人には19世紀のチェ・ゲバラとでも説明した方が伝わりやすいか—を主人公に2010年完成した作品である。

しかし、東日本大震災とこれに続く東京電力福島第1原発事故によって、計画は頓挫する。オリジナルの舞台をボラスとともに作り上げた同志たち、すなわち役者、スタッフの多くが来日を見送る中、「今回の静岡公演でオリジナル演出から変更された点はただ『ひとつ』。その『ひとつ』とは『すべて』」とボラスが語る結果になった。つまり、主演のボラス以外の全キャストはSPACの日本人俳優に入れ替わり、構成・演出も一変した静岡バージョン「ソロ・ボリバル」として上演することを余儀なくされる。

この静岡版のオリジナル演出からの変更点のうち、特筆されてしかるべきなのは客席の配置を中心とした舞台の在りようだ。開演前、観客は本来の劇場客席を素通りし、幕の降りた舞台に上がるよう求められる。そこには奥行き12〜3メートル、幅5メートルほどの土手状に盛られた土。その上が役者たちの演技の場となる。

そこに現われるのは、ボリバル自身と彼を取り巻く多彩な人間像—恩師シモン・ロドリゲス、独立運動の同志フランシスコ・デ・ミランダ将軍、妻マヌエリータ・サエンス、さらには地理学者フンボルト、ナポレオン、ボリバルの遺志を継ぐ政治家たち、テロリスト、群集、天使風の何者か、時の神クロノスなどなど。これら数多くの役柄が、ボラス以下、わずか5名の俳優らによって演じ分けられ、波乱に満ちたボリバルの半生—人格形成期から、南米諸国を独立に導き、現在のコロンビア、ベネズエラ、エクアドル、パナマに加えて、ペルー、ブラジルの一部までも含む大コロンビア共和国の初代大統領に就任しながら、同国が内紛によって瓦解後、失意の内に客死するまで—を描き出していく。

といっても、通常の歴史劇とは異なり、主人公の生涯における様々なエピソードをそのまま舞台上で再現することはない。ここまでに名前の挙がった実在の人物による、ボリバルについての証言めいた〈ことば〉、そして日本人俳優4人が演じるギリシャ演劇風コロス(合唱隊)による語り、というよりは、観客の思いをリアルタイムに代弁するかのような呟きによって、ボリバルと生涯を「浮き彫り」にする—そういった種類の叙法が採用されている。

話を舞台装置に戻そう。舞台中央に盛り上げられた赤茶色の土—これが、あまた人の汗と涙と血を吸ったラテンアメリカの大地を象徴することは言うまでもない。劇中は髑髏やボリバルの胸像などが掘り出され、ミランダ将軍や妻マヌエリータの口からボリバルへの愛憎相半ばする思いを独白の形で引き出すきっかけにもなる。時には、イリュージョン風の光景として、その上で現在のベネズエラ、コロンビアの国旗にみられる黄、赤、青3色のペンキがぶちまけられる。また、ボリバルに浴びせられた石膏を洗い流し、偶像化した彼の〈ことば〉に再び命を注ぎ込むがごとき「恵みの雨」が降り注ぎもする。

舞台上の客席は、この土手の両側面に配され、その上で、沈み込む土に足を取られながら演じる役者たちを、観客は横から観る形だ。それでいて、大団円に初めて舞台幕が上がると、寸前まで眼前で演じていた役者たちが、本来の客席からこちらの舞台を見下ろし、拍手を送る。役者と観客の立場が一気に入れ替わり、われわれは自分たちが観られ、問われる立場であることに気付かされるのだ。何を問われるのか?それが、本作のテーマを考える上で、重要なポイントとなる。

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『エクスターズ』(タニノクロウ作・演出)

カテゴリー: エクスターズ

■依頼劇評■

コペルニクス的転回は密やかに起こって

—— タニノクロウ作・演出<エクスターズ>を観る

阿部未知世

1、不穏な気配

<ふじのくに⇄せかい演劇祭2011>招聘作品のトップを切って上演された、タニノクロウの<エクスターズ>。この春、今回の演劇祭の概要が発表された時から、タニノクロウ、そしてこの<エクスターズ>には、一抹の不穏な気配が漂っていた。

何故なら<エクスターズ>は、タニノが約二カ月にわたって日本平山中に籠って生み出すのだと言う(他者と関わらない劇作の過程は、果たして可能なのだろうか?)。

そのタニノ自身は、医者から演劇人に転向したのだそうな(医師免許を持ちながら、演劇に関わった作家はいた筈。安部公房とか……)。

しかも前職は何と、精神科の臨床医なのだと(こうなったらもう舞台は、抑圧された願望など、精神分析的なおどろおどろしい世界に満たされて……)。

そのタニノが主宰する劇団は、<庭劇団ぺニノ>と名乗っている!(形而上的にも<庭>という概念にこだわった演劇空間の創出。もと精神科医としてはユング派の分析心理学の立場で、診断と治療に用いる<箱庭療法>を意識しない筈はない。詳細は略すが<箱庭療法>とは、非言語的な内的世界を非言語的なままに意識化することで、内的世界を把握し、その世界に変容をもたらそうとする試みなのだ)。

そして公演が近づく中で伝えられた、タニノが最初に創ったのは、台本ではなく舞台の空間そのものだったという事実で、タニノクロウなる人とその世界が擁するただならなさ不穏さは、極限に達した(製作のスタンスを重視するという、独自の演劇論を展開する人物であったとしても……)。もはや一筋縄ではいかない、手ごわい場が出現するのだと、覚悟せざるを得なかった。と同時にそれは、確たる期待をも生んでいだ。

2、舞台上で起きること

初夏の薄暮の野外舞台、<有度>。薄闇を切り裂くように、さっきホトトギスがテッペンカケタカと鋭く鳴きながら谷を渡って行った。そんな自然豊かな野外舞台。しかしその舞台は、上手から奥を経て下手まで、隙間なく高い板塀が取り囲んでいる。その高さたるや、十メートルはゆうにあるだろう。しかもそれはピンクやオレンジが混じった、治りかけの傷口か鶏肉のように、決して心地よくはない色彩に、まだらに塗られている。閉所恐怖症気味の人間には、はっきりと苦痛な空間が出現していた。

その空間にはしかし、長椅子やテーブルなどが置かれて生活感が漂う。加えてアップライトピアノとギター、かつて電蓄と言われたような大型のレコードプレーヤーもあって、音楽も豊かに存在するらしい。

爽やかな朝日が室内にも届いて、ゆっくりと時が流れ始める。そこにゆるゆると現れるのはおばあさんたち、総勢六名。おそろいの天使のような白く長いドレスをまとい、素人そのままに歌いピアノを弾く。このかそけき音楽世界を作り出しているのは、この老人施設に暮らしプレイルームに集う、やることと言えば<歌うことくらいしかない>おばあさんたちなのだ。

このおばあさんたちを世話するのは、三人の少年を過ぎたばかりの若者たち。彼らも歌うことには積極的だ。

いくつかのエピソードを紡ぐ中で明かされることがある。朝の爽やかな光に満ちた外では、何故か銃声が何回か。でも誰もそれに気をとめることはない。おばあさんたちの一人がトイレに立てば、みなそれに続いてぞろぞろと。一本の煙草をみんなで回し飲みして一服。ここでは各人がそれぞれの個性を際立たせることはない。みんな一体であり、しかもみんな内向きなのだ。

そんなおばあさんたちにとっては、テレビが伝える銃撃戦(ドラマなのか、リアルなテロもしくは犯罪の報道かは不明だが)も他人事だし、音楽の好みの違いもほんの一時の不協和音を生むに過ぎない。夜を迎えれば、みんなお休みの歌を歌ってこの部屋を立ち去る(私室で就寝なのだろう)。

世話する若者たちも、大差はない。やたらと身軽な者がいたり、どういう訳か場違いにも親からの独立を宣言する者がいたり、かなり太っていたりはするものの……。

そんな彼等に、その時が訪れる。<無音の誘惑>と名付けられた、その時が。おばあさんたちが去ったこの部屋で、若者たちは静かに歌い出す。暗闇よこんにちは……。<Sound of Silence>を歌い終えた彼等は、意を決したようにタキシードへと衣装を替え、一人がフリークライミングよろしく十メートル余りの壁をよじ登り始める。登り詰めた若者は、青く強い光を放つ大きく重いライトを、力を尽くして室内に向けてセットする。青色発光ダイオードの強い光が満ちる部屋。

やがて時は過ぎ、軽やかな音楽にスイングしながら、おばあさんたちが踊りこんで来る。こんどはとりどりに華やかな色合いのドレスを身に纏って。ドレスアップした彼女たちは、また歌い始める。苦境にある恋人を励まし支える歌、そして最後に<ふるさと>。歌い終えておばあさんたちは、にこやかに部屋を出て行く。今度はきっと街へ出ていくのだろう。最後の一人が板壁の縦一列だけを反転させて、彼女たちが去った後の舞台には、外の光景と大気が静かに流入して……。

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