劇評講座

2022年9月8日

SPAC ふじのくに⇄せかい演劇祭2022■入選■【私のコロンビーヌ】冨田民人さん

カテゴリー: 2022

オマール・ポラスへの手紙~「私のコロンビーヌ」、平和の鳩

オマール・ポラス様
 私は、神奈川県在住で、熱海で東海道線を乗り継いてやって来ました。2時間弱かけて。これは東京に行くのと余り変わりません。
 長いトンネルをぬけ、富士の近くの工場地帯をぬけ、平家が戦わずして退散した富士川を渡り、清水を通過すると、前方に見たことのない、巨大な怪物が見えてきて、驚いたのでした。
 東静岡の駅を下りて眺めると、それは磯崎新設計の静岡県コンベンションアーツセンター“グランシップ”なのでした。あなたの出演される静岡芸術劇場は、グランシップ内にある舞台芸術のための専門施設ですね。定員は400人、レンガの石壁が深紅の客席と闇深い舞台を囲み、馬蹄形の客席からなる劇場空間です。 
 私は上手側2階席から見下ろして観ました。開演前、半円形の底に当たるステージは、闇に包まれていました。あなたは1階後方から下りてきました。観客と会話をしながら劇に入っていきました。時々に観客と交流しながら、魅せていきました。そのような演出は観客との共時体験を作り上げ、現実感を出していました。たとえば、突然携帯の音が鳴り出し、芝居が止まりました。それが日常でのようにあなたは携帯に出て、お姉さんの死を知るのですね。この時、観客も同時にあなたのお姉様が亡くなったことを知らされたのです。そして、この演出が心に残らない筈がありません。 
 あなたの国コロンビアでは、2016年に革命軍と政府軍との和平合意がなされたようですが、まだまだ不安定な情勢のようですね。パリやスイスは平和で、文化活動が安全に行われていますか。しかし、今年になってロシアがウクライナに侵攻して、欧州、いや世界全体が不安に陥っています。新型コロナウイルスの蔓延も拍車をかけています。あなたは1999年以来、12回目の静岡公演ですが、このような情勢下、一人芝居をどのようなお気持ちで演じられたのでしょうか。
 テキストは、あなたが1963年コロンビアに生まれ育ち、20歳でパリに出てから今までの半生を語ったことを、フランスの詩人・劇作家のファブリス・メルキオさんが聞き書きをして作られたんですね。公演は原語だったので、私は上手上方のスクリーンに映された日本語訳を見ながら観ました。
 小学校の時にいじめられ、家庭では母に「教養を身につけよ」と言われる反面、父は「教養はいらない。豚でよい。」と理解がありませんでした。
 コロンビアにいた時、あなたは迷っていました。兵士にも志願したのですね。戦場には行かれたのですか。あなたの国は、あなたの生まれた1960年代から政府軍、左翼ゲリラ、極右民兵の三つ巴の内戦が続いていました。そしてあなたが20歳、1980年頃には麻薬による暴力も横行していたんですね。
 コロンビーヌの元はコロンブ、コロンブスで、鳩の意味だと舞台で教えてくださいました。そして、鳩はやはり平和の象徴なのだと。
 あなたは本を読み、ニーチェに共感しました。その教えは、「まず行動せよ。」だということを理解し、大西洋を渡ることを決断されたのですね。
 それでパリに出る。家族の反対を押し切って。
 そうしてやって来たパリはコロンビアと比べてどうでしたか。その対比に面食らいながらも、地下鉄で人形劇を演じたり、演劇の道に精進したのですね。
 人生の節々の出来事での照明の効果が凄かったです。基本、舞台は暗闇で、あなたにスポットライトが当てられていました。けれども、ある場面になると、白い滝のように光がざあざあ舞台の上から下へ流れました。
この場面は記憶に焼きついています。
 月がキイワードだと感じました。オマールさんは「(ファブリス・メルキオは)私と一緒に標高2600メートルのアンデス山脈の山頂までよじのぼって月と対話し」たと語っていらっしゃいます。その月のイメージも強く残っています。
 やはり何といっても、肉体のエネルギーを奔出させる演技に魅了されました。あるシーンでは走る走る。あるシーンでは踊る踊る。手とか足とか、肉体がしなやか。声もしなやかに叫んだあなたの魂が私の心に響いてきました。メルキオさんが「あんなふうに筋肉がひきつるのも、同じ場面で30回も走って疲労困憊するのも」想像できなかったと語っていました。その肉体や声について、メルキオさんは「内側にいながら同時に外側にいること、やりながら同時に見ていること」に驚嘆しています。まさにそのように、あなたがその時々に生きた証としての内面の表れなのでしょう。そのエネルギーが私の心を打ったのです。
 今回は本当に、渾身の熱量で私たちを熱くしてくださり、ありがとうございます。また、どこかで、お目にかかりたいと思っています。