□△○の界(さかい)に。
宮城聰SPAC芸術総監督は以前に「芸術とは自分が孤独と戦った傷跡だ」と語ったことがある。SPAC新作『弱法師』は演出した石神夏希の傷跡とまでは言わないが、三島との格闘の軌跡だったのは間違いない。演出を依頼された時に「なぜわたしが」と感じたことはうそではなかろう。その戸惑いから始まった創作は謡曲などのオリジンと「近代能楽集」を行き来しながら磨かれていったはずだ。オリジン「弱法師」には救いがあったが、三島「弱法師」には救いがない。しかし、石神は俊徳(三島)の魂をどう救済するべきかという問いを立てた。格闘の軌跡として戯曲を二度繰り返すという驚くべき演出で我々を刮目させ、ひとまずの答えを差し出した。ただ創作過程でもうひとつの問いに気づいたのだと思われる。それは魂を救済したのは「誰か」である。
これらの問いを考察する前に触れておかなければいけないことがある。それは野村善文の手掛けた舞台美術である。必要最低限の舞台セットはシンプルそのもので、乳白色を基調にしたソリッドな空間を立ち上がらせていた。能舞台のような正方形をした高さ60cmほどの演台。その上部天井に設置された壁を意味する幅60cmほどの円柱がぶら下がる。そして演台には中央に脚立と両側に椅子2脚ずつ、扇風機、マイクスタンド。2mほどの高さがある脚立の存在感が際立つ。現代アートのインスタレーションのような空間は、さながらスタンリー・キューブリック監督「2001年宇宙の旅」のディスカバリー号室内のような雰囲気を醸している。
このミニマルな空間は、3つのパートで構成されていることに気づく。正方形の舞台。その上に脚立。そして円形の天井。これは幾何学的に見れば□△◯で表される。この三界は何を示すのか。たとえばキリスト教的に捉えれば地獄、煉獄、天国。あるいは仏教的ならば、地獄、俗世、浄土ということになろうか。上演終盤に正方形の舞台上で展開される爆撃による地獄絵図。あるいは窓の向こうに現れる極楽浄土からもその見立ては外れていないだろう。また□△○はそれぞれの内角の和が360°、180°、360°を示す。これは象徴的だ。地獄と浄土は姿は違えどそれぞれの調和のとれた円環の内にある。それにくらべて俗世を示す△(180°)の界(さかい)は秤のようにバランスが求められている。反転した事物を対極におくことによって辛うじてバランスを取る俗世。そこに配置される6人の人物。前後半での俊徳と桜間の反転。高安夫妻と川島夫妻の服装が補色になっているのもその表れだろう。青と黄色、赤と緑は円相環でみると正反対(180°)の位置にあり、お互いを補い合う関係だ。ただ興味深いのはその関係が夫同士妻同士ではなく、高安と川島夫人、高安夫人と川島のように男女の関係が示されている。これはどういうことだろうか。
さきほど「誰が」魂を救うのかという問いに気づいたと述べたが、そのためにもこの戯曲での男と女の関係を再考してみるべきだろう。その際に注目したい人物がいる。それは川島夫人だ。この舞台でひときわ目立つ赤できめたハイヒールとスタイリッシュなワンピースは母というよりは、女であることを強調しているように思われる。それは中西星羅をキャスティングしたことで一層効果的であったし、後半の山本実幸が演じた淡然たる桜間とは際立って対照的だった。そこはかとない色気を漂わせた川島夫人は、終盤に対話が物別れに終わり別室に促され、部屋を最後に出ていくといきに、桜間に小声で囁く。(これは後半の演出で強調されている。前半は俊徳にも聞こえるような演出だった)
「あの子は危険ですよ。大へんに危険です。あの子の持っている毒にお気をつけにならなくちゃいけませんよ」という夫人に桜間は「それはどういう?」と聞き返す。夫人はそれを受けて、「どうって・・・それは申上げられません。私の経験から申上げただけですよ」と言葉を残し去る。経験とはどのような経験だろうか。毒とは何か。夫(男)たちが部屋を出たあとに聞こえない声でこの台詞は発せられる。女から女へ。夕方で暗くなる部屋に残される俊徳と級子。男と女。この「性」を感じさせる台詞はこの戯曲の裏面にたゆたうもうひとつの主題ではないのか。俊徳(三島)の魂を救うのは誰か。菩薩か、母か、それとも女か。
舞台を去る時に俊徳を引いて退場する姿からも、その役割が桜間級子なのは間違いない。その時に彼女は果たして誰か。菩薩か、母か、それとも女か。それははっきりとは示されない。しかし、彼女が俊徳と触れることがゆるされる存在であることも確かだ。舞台の始まりを思い出そう。熊のぬいぐるみを抱いて登場する俊徳。桜間扮する八木光太郎は熊を表す帽子や靴などを身につけている。つまり俊徳は最初から桜間を触れていた/抱いていたとも見なせるのである。幕が降りる時にぽつねんと熊のぬいぐるみが残されていたのは、救いを象徴していたのだろう。なぜなら俊徳はひとまず桜間級子をはっきりと得たのだから。ただ筆者にはその時に彼女が菩薩か、母か、それとも女なのか判別できない。いや、あるいは判別する必要もないのだろう。石神の格闘の軌跡はミラーボールのような多面球となり、私たちが放つ裸の魂の輝きを乱反射する。今はその光の眩しさの中にただただ佇むだけでよいのかもしれない。
[ 観劇日 ]
2022年9月9日(金) 18:30「SCOT Summer Season 2022」創造交流館
2022年9月17日(土) 15:30 静岡県舞台芸術公園 稽古場棟「BOXシアター」