劇評講座

2024年8月19日

SPAC秋→春のシーズン2022-2023■入選■【ペール・ギュント】はやしちひろさん

カテゴリー: 2022

SPAC版 『ペール・ギュント』は形にすることや、形にしたそのものに囚われてしまった罪悪感や後悔の澱を流してくれた。
ペール・ギュントは叫ぶ。特に欲望を、ドラマチックに放つ。それが続く。なぜこんなに叫ぶのか。強調表現を濫用すれば、観客には、どのフレーズどの場面が重要なのかがわからなくなる。しかし、ギュントには叫ばざるを得ない理由がある。叫ばれないものを否定し、自分を叫ぶこと(体現)によって自分をアピールしている。
ギュントはなぜ、自分が体現してきたものに、ここまでしがみついたのか。それは、「自分はペール・ギュント自身でなければならない」という強迫観念にも近い思考を抱いていたからである。共同体を追い出され、さらに母親まで失ったギュントは、自分の自己同一性を確認するための基盤を失った。残るものはバラバラの自己の断片らしきものだけである。人との関係の中で自分が連続して自分であることを確認できなくなったギュントには、神の意図を問い続け、神との関係性の中で自己を確認して生きるという選択もあったかもしれない。しかし、そうしなかった。彼が選んだのは、「ギュント」は別の存在とは明確に区別できるかけがえのない存在だということを、形あるもの(言葉、行動、成果など)によって証明することだった。自分というものは本来定まった形のないもの(くねくね)だが、彼はそれに抗い、確固たる自己像を作り上げようとした。
ギュントは「紛れもないこの自分」というものを構築することに注力し、それ以外から目を逸らした。「王になる」と宣言し続け、そのための行動を選択し続けたのは、彼が自分の欲求の実現こそが自分として生きたことの証になると考えたからだろう。
王にこそならなかったものの、彼は十分に欲望を実現した。けれども飽くことなく、求める人生を送り続けた。ペール・ギュントの乾きは、自分の口にした欲望を実現しても癒されない。「生きていれば希望はある」と繰り返していたのは、満たされない心を押し隠す虚勢のようにも聞こえた。
彼はどんなに所有していても、内心のところで不安定であった。彼は貧しい船員たちに、気前よく金を分け与えようとしたが、彼らに家族がいることを知って腹を立てる。彼も本当のところでは、富や名声ではなく、自分の存在を丸ごと迎え入れてくれる人間関係の中にあることに憧れていた。
そんな孤独感に薄々気づいているものの、形になるものにすがってしまうのがやはりギュントだ。船が難破して海上を漂流するギュントの前に「表出されなかったもの」たちが現れる。言葉にされなかったもの、歌われなかったもの、行われなかったもの…が次々に出てきて瀕死のギュントに怨嗟を向ける。ギュントは、そういった自分の別の可能性だったかもしれないものたちにとりあわず、ただそれまで自分が言葉にしてきたもの、行ってきたことだけにすがっていた。その様子は、海上で彼が小さな丸太だけに必死にかじりついて離すまいとしていた様子とおなじであった。
荒れ果てた場所で、ペール・ギュントは、ボタンづくりに出会う。彼は、他の者と一緒に溶かされることを拒絶し、自分がほかの誰にも代えがたい自分であることを証明するために奔走した。自分は何者でもなかったという現実は、強い苦痛と恐怖を彼に与える。何者かになろうとして足掻く様は、なんだか「寂しい近代人」のさもしい醜態を見ている気分だった。
このペール・ギュントの末期は、近代の個人を連想させるだけでなく、国家が欲望の実現によって国力を示そうとし、そうして滅んでいく様と重なった。特に、太平洋戦争末期の日本の姿に。「強い国」になることを目指し、それ以外の可能性を否定して、日本は戦争へと突っ走った。孤立を深め、敗走を重ね、弱っていく一方だったが降伏は選択出来ず、ついには一億玉砕が叫ばれた。何者でもないものであるよりは、地獄に落ちる方がよっぽどましだと考えたギュントと同じである。ギュントも日本も自分は結局何者でもなかったのだという深い絶望と孤独のうちに命を終えると思われた。ギュントとともに倒れたすごろく遊びをしていた瀕死の軍国少年は、大日本帝国の終焉を象徴していた。
ギュントはソールヴェイのもとで臨終の時を迎えた。それが彼の救いとなる。ソールヴェイは、「それはあなたの罪ではない」という言葉をギュントに送った。彼女は何者だったのだろう。有の根源にある無、無限定である。ソールヴェイは、「あなたは私の夢の中にずっといた」「あなたは私から生まれた」と言った。ソールヴェイのモデルは、例えば、国家以前にある故郷、自我以前のさまざまなものが混ざっている状態、ことば・行動になる前の状態など、万物の始原である。
彼女から生まれたものはあまねく、どこから生まれどこにいるかも忘れ、自立自存していると錯覚しながら、彼女を顧みずに生きていく。彼女はずっとあり続け、生まれたものが育って生きているのを眺める。そしてそれがまた自分に溶けていくときが来たのなら、それを迎え入れる。
ギュントは全てを悟った。何者でもなかったことは彼の恥でも、彼の存在の卑小であることを意味するものでもなかった。彼は孤独でもなかった。彼は全てを包括する彼女の一部だったのだから。
彼女を忘れ、形になるものにすがった罪は赦され、孤独も癒やされた。これで穏やかに「振り出し」に戻れる。