劇評講座

2012年11月8日

■入選■【おたる鳥を産む準備】鈴木麻里さん『おたる鳥をよぶ準備』(構成・演出・振付:黒田育世)

■入選■

おたる鳥を産む準備

鈴木麻里

 「あ、流れ星! あなたの願い、叶えてあげましょう。……私ダンサーになるの!」と繰返し叫んで走り回る水色のレオタードの女、客席後方からスーツケースをガタゴト引いて降りて来てピンク色のビキニ姿になったかと思うと白粉を頭から引被る女、ペットボトルを股に挟んで立小便の様に水を流す女、肩車や片足立ちして連なって練り歩く行列など、開幕から不可思議な様子の女たちが次々と現れた。雨が降りしきる野外劇場の舞台には、まぶしく光る人工芝が青々と敷き詰められている。

 おたるはおどるの語源であって「満ち足りて体が動きだすこと」だと、鳥になったおたるが自らの死体を食べてくれることを夢見たと、プログラムには記されている。鳥をよぶ準備とは、体を満たしておたるを育み鳥に羽化させることなのだろうか。鳥葬を待つ屍を目指すことなのだろうか。

 いつか私が死んでいるとき何処かで誰かが踊っていて何処かで誰かが死んでいるとき私は踊っていると黒田が背中を地に着け差上げた足を打鳴らしながら歌うと、ミニマルミュージックが突如流れ舞台前方では世界の国々の名があらん限りマイクを通して呼ばれた。彼女は拍子を踏んで踊る。

 世界地図を貼られたパネルが舞台中央にあって、女性の胸を象った真白な花器を捧げ持つ女たちがその周りをぐるぐる延々と走り続けている。歌を始める前、黒田はリンゴを一口かじっては「愛してる!」と口にすることを無数に繰返していた。彼女たちは、知恵の実から言葉を得たと同時に永遠に喪われた母の乳房を頭上に浮かべ求め続けている様にも見えてくる。

 この場面を観ていて思い起こされたM・ベジャール振付『ボレロ』では、真赤な円卓の上で一人踊る「メロディ」を黒い床にひしめく男性ダンサー「リズム」たちが取り囲んでおり、欲望を示唆するピストン運動を延々と繰返す。人工芝の緑がボレロのステージの赤と補色を成すことも相まって、男根が欲望の対象に納まることで帰結するドラマに比して女たちの欲望はどんな道程を辿るのかという興味をそそられた。

 倒れて死体の様になった女に、別の女が代わる代わる馬乗りになって腰を振りながら喘ぎ声を出す場面があった。
 黒田が、股間で数回前後させたビニール傘の先を顔に向けて片足立ちで「あかんべえ」し、今度は横向きにして上から順に体の数カ所に打ち付けてうつぶせになり、反って天を仰ぐ。正座して両手を下腹部に揃えがたがた震えたのち気持ち良さそうに右に傾く。左足で立って右手を水平に伸ばしながら七三にやってくる。舞台全面中央で花器を捧げ持ちながら祈る様に跪く黒いワンピースの女に黒田がおーいと呼びかけると、「あ、流れ星! あなたの願い、叶えてあげましょう。……私ダンサーになるの!」と駆け回りながら叫んで跳ねて地に倒れ立上がって自らの腰を腕で前後から包んだ。
 「私も!」と黒田は彼女に抱きつく。「私ダンサーになるの……」「私も……」と親密に繰返しながらくるくる回るうち抱擁が外れお互いに空気を抱いて旋回する中でそのまま倒れて死体の様になったダンサーに、別のダンサーが馬乗りになって腰を振りながら喘ぎ声を出す。3人交わったところで、黒田が再び件の振付を始め、生き返った彼女も粛々と舞台中央でのお祈りに戻る。

 相手の触覚を知り得ない異性結合や男性間の同性結合とは異なり、女性間の同性結合では、類似した感覚が同時に複数発生することによって同情的・共鳴的な感覚が強くなる。その繊細な一体感は精神面に接続するところも大きい。また、時間的制約を抱える男根に比して、底無しの世界でもある。

 この振付は数えきれないほど繰り返され、刻々とその姿を変えていった。肉体が酷使される中で表面に現われる主張が削ぎ落されていき、体が情感に満ちていき、観ているこちら側が目を向ける対象も振付や言葉の意味から二人が孕む体の状態へと移り変わっていく。
 二人の一体感がどんなに高まっても、抱擁はいつも解け女は地に倒れて死んだ様になる。無底である代わりに行方のない行為を、黒田たちはそれでも続ける。

 冒頭では明るい色をまとって登場していた肩車や片足立ちした女たちの行列が、終幕では葬列のごとく黒一色をまとって登場する。奥のパネルには、リンゴが一つなっている木の絵が現れた。黒田はその前で死んだ様に倒れている。一つリンゴのなっている立体的な木も、舞台の真ん中に運ばれてきた。これが地に倒されると、リンゴは落ちて、誰にも食べられることなく転がっていってしまった。
 女たちが木に群がって一斉に枝を折り始めた。その様子が火葬の準備を思わせ、ものものしい空気が醸し出されていたその時、黒田が起き上がって唐突に吹き出した。釣られて、女一同大笑いした。

 自他未分への回帰願望が性倒錯の原動力だとするならば、黒田はそれを飽くまで健康的に発露した。飽きるまで遊んで、狂気に踏み込む前に蘇生した。

 舞台で上演された第一部を終え、第二部では客席側に設えた小さなステージを舞台側から観客が見上げた。ダンサーの肖像画たちに囲まれて、黒田は白でも黒でもないグレーの衣裳をまとい鳥の様に踊った。
 彼女は鳥葬ではなく、おたる鳥を孕んだまま生きることを選んだ。

参考文献
藤田博史『人形愛の精神分析』(2006年4月、青土社)
稲垣足穂『A感覚とV感覚』(1987年5月、河出書房新社)
G.K.チェスタトン(福田恒存・安西徹雄訳)『正統とは何か』(1973年5月、春秋社)