2015年5月20日

<スパカンファン>最強チームが仲間入り!?

さて、今週末23日(土)、24日(日)に清水マリンパークで初お披露目となる新生スパカンファンによる『ANGELS』。
公演まで秒読みの段階に入り、稽古もより一層熱が増してきました。
そんなスパカンファンに、心強い仲間が加わりました!
それは、『ANGELS』と同日、同会場にて『ダンシング・アフリカ~メルラン・ニヤカム 太陽のステップ~』に出演する6名のカメルーン・ダンサーたち。来日直後の長旅の疲れも感じさせず、スパカンファンとの合同トレーニングを笑顔で楽しんでいます!

言葉が通じなくても、カメルーン・ダンサーズとスパカンファンはダンスを通じてすっかり打ち解けた様子。
子どもたちはステップを教えてもらったり、一緒に振りを合わせてみたり・・・とお互いに刺激し合って、『ANGELS』の進化は止まりません!

『ANGELS』 in 「ふじのくに野外芸術フェスタ2015」は、海風の心地よい清水マリンパークの屋外ステージにて5月23日(土)・24日(日)各日16:30開演、そしてニヤカムさん&カメルーン・ダンサーズが出演する『ダンシング・アフリカ~メルラン・ニヤカム 太陽のステップ~』こちらは『ANGELS』の終演後すぐ、17時より開演いたします。
いずれも入場無料・予約不要です!客席は入れ替え制ではございませんので、ぜひ2作品続けてたっぷりとお楽しみください。
テンションが最高潮に達したエンディングでは、きっとあなたも踊り出したくなるはず!

☆「スパカンファン・プロジェクト」の詳細はこちら
☆「ふじのくに野外芸術フェスタ」の詳細はこちら

☆『ANGELS』紹介動画も公開しました!ぜひご覧ください。


2015年5月13日

<スパカンファン>動物観察!

先週の日曜日、スパカンファンの子どもたちは、ニヤカムさんと一緒に日本平動物園を訪れました。
来たる5月23日(土)・24日(日)に清水マリンパークにて上演される『ANGELS』では、
動物たちの動きをダンスに取り入れています。

ということで、今日は皆で一緒に<動物のリアルな動き方>を観察しました!

ニヤカムさんが語りかけると…?
なんと動物たちはニヤカムさんのそばに寄ってきましたよ!
ニヤカムさんの笑顔に、チンパンジーくんも微笑み返してくれました。

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最後は皆で一緒に歌を歌いました!
オランウータンくんも興味津々で、一緒に楽しそう♪

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さて、動物たちの動きを取り入れた『ANGELS』、どんな作品になるでしょうか。
あなたもスパカンファンたちに会いにきてみませんか?

『ANGELS』 in 「ふじのくに野外芸術フェスタ2015」は、海風の心地よい清水マリンパークの屋外ステージにて
5月23日(土)・24日(日)各日16:30開演、入場無料・予約不要です!

衣裳や小道具も準備中!

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☆「スパカンファン・プロジェクト」の詳細はこちら
☆「ふじのくに野外芸術フェスタ」の詳細はこちら


2015年5月10日

いざ、『マハーバーラタ』!

ゴールデンウィークの「ふじのくに⇄せかい演劇祭2015」、
たくさんのお客様にお越しいただき、無事に幕を閉じました。
遅ればせながら、ご来場いただいた皆様、
いろいろな形でご支援くださった皆様、
本当にありがとうございました!
私はほぼ全演目の劇場受付で皆様をお迎えしていましたが、
お客様が楽しんでくださっているのをひしひしと感じる
嬉しい毎日でした。

さて、演劇祭が幕を閉じた翌日、駿府城公園では早くも
ふじのくに野外芸術フェスタ2015『マハーバーラタ ~ナラ王の冒険~』
仮設舞台・客席の仕込みが始まっておりました。
昨日には舞台はほぼ完成!

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本日は俳優による場当たりです。
午前中に会場入りし、小道具や楽器を出してセッティングを行なったのち
正午頃から、『マハーバーラタ』のあの音楽が
駿府城公園の広い広い空の下に響き始めていました。

青空、強い日射し、周りの緑、大きなリング状の舞台に
この音、そして台詞が聞こえてくると、
ブルボン石切場のとてつもない崖こそありませんが、
昨年7月のアヴィニョン演劇祭での日々が
湧きあがるように思い出されます。

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▲アヴィニョン演劇祭 ブルボン石切場の様子

連日、約1,000人のお客様を2週間に渡ってお迎えしたアヴィニョン公演、
そして9月のKAAT神奈川芸術劇場での凱旋公演でも
満員のお客様に熱い声をいただいた『マハーバーラタ』。

やっと、やっと静岡で凱旋公演が出来る喜びといったら、ありません!!

『マハーバーラタ』はもう舞台芸術公園で観たよ、という方、
どうぞ油断なさらずに。
リング状の舞台に囲まれて観る『マハーバーラタ』は、
間違いなく新たな体験になります。

そしてアヴィニョン版はKAATでもう観たよ、という方も、
ぜひ、野外で! ばーんと開けた、静岡の夜空の下で!!!!!!

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今回も、多くのお客様にお会いできるのが
ただただ楽しみです。

チケットは好評販売中。
16日(土)へのお問い合わせが多くなっておりますが
どの日もまだご予約承っております!

そして、同じくふじのくに野外芸術フェスタ2015の中で上演される『身も心も』と
シズオカ×カンヌウィークさんのマルシェ、
駿府城公園での『マハーバーラタ』をぜーんぶハシゴできる
浜松、三島・沼津からの無料バスも運行いたしますので、
こちらもぜひご利用ください。

お待ちしております!

制作部・中野三希子

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ふじのくに野外芸術フェスタ2015
『マハーバーラタ ~ナラ王の冒険~』
5/15(金)・16(土)・17(日)
駿府城公園/各日19時開演
http://spac.or.jp/15_yagai_mahabharata.html
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2015年5月7日

シンポジウム:アングラ!カルト!アヴァンギャルド!!! ――映画におけるオルタナティブ――

4/26に行われましたシンポジウムの要約版です。
ぜひご一読ください!
☆連続シンポジウム、詳細はこちら

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オルタナティブ演劇大学
静岡シネ・ギャラリー×SPACコラボ企画

アングラ!カルト!アヴァンギャルド!!!
――映画におけるオルタナティブ――

◎登壇者
大岡淳(演出家・劇作家・批評家/SPAC文芸部)
横山義志(西洋演技理論史研究者/SPAC文芸部)

 2015年4月26日、静岡市のミニシアター、静岡シネ・ギャラリー併設のサールナートホールで、演劇祭の関連企画が開催された。アレハンドロ・ホドロフスキー監督『ホーリー・マウンテン』、寺山修司監督『田園に死す』の映画上映会と、SPAC文芸部・大岡淳と横山義志によるギャラリートークである。トークでは、ホドロフスキーと寺山の作品の時代背景や問題意識に照明が当てられた。以下にその一部を掲載する。

■60年代から70年代へ
大岡 『ホーリー・マウンテン』は1973年の映画です。1968年という年が、世界中で学生反乱が起きたことで節目になっているわけですが、日本で若干先行してアングラ演劇が出てきました。そこから半世紀が経ちました。映画の場合も、60年代後半から70年代前半に、商業的な娯楽映画から脱皮した映画づくりが行われ始めます。70年代のカルチャーは、政治闘争の挫折が前提になっています。政治から芸術、スピリチュアル、ニューエイジ運動に行く人もいるし、日本だと、民俗学がよく読まれました。歴史の古層を掘り起こすという方向に行ったりするわけです。もっとわかりやすい例で言うと、60年代のフォークは反戦歌でした。加川良、岡林信康…こういったフォークシンガーの歌は、皆で歌えます。岡林信康の『友よ』でしたら、「友よ この闇の向こうには 友よ 輝くあしたがある」と肩を組んで、バリケードの中で。70年代になると吉田拓郎の時代です。『結婚しようよ』だと、「僕の髪が肩までのびて 君と同じになったら 約束どおり町の教会で 結婚しようよ」という風に非常にパーソナルなことを歌う。井上陽水『傘がない』なら、「都会では自殺する若者が増えている 今朝来た新聞の片隅に書いていた だけども問題は今日の雨 傘がない」。デートの日に傘がないことのほうが大問題だというパーソナルな歌です。日本ではミーイズム(自己満足を優先し他人に関心を払わない考え方)なんて言い方に移り変わっていきますが、ともかく、そういう時期に当たっている。近代合理主義に対して疑いの眼を向けるという意味では、60年代後半と70年代前半には通じているものがある一方で、ある種のレジスタンス(抵抗運動)が60年代末に多かったとすると、70年代はそこからの逃避です。逃避と言うとネガティブですが、政治から抜け出て別世界をつくっていくんです。
横山 『ホーリー・マウンテン』を作った時には、カルト的なことを実際にやっていたみたいですね。ホドロフスキー(錬金術師の役で出演)と奥さんのヴァレリー・ホドロフスキー(映画ではセルという役)が日本人の禅道士と1週間寝ないで修行したり、出演者全員で1ヶ月くらい共同生活をしたりしています。中南米のアリカという神秘主義的なグループがあって、ヨガとスーフィーと禅とカバラを混ぜたような実験をしているグループですが、そこでLSDやマジックマッシュルーム(ともに幻覚作用をもたらす覚醒剤)を使って神秘体験をした後に、映画をつくったらしいんです。でも面白いのは、そこまでして作った神秘的なものを、映画の最後にあっさり崩すようなところもあったりして、いわゆるカルトとは違う感じがしますよね。
大岡 政治闘争のバリケードの中に立てこもった学生さんたちが、運動が収束していった後も、バリケードの中の解放区を日常生活の中へ持ち込めないかと考えて、コミューンというものが生まれてくるんだと思います。そのコミューンが時には自給自足を目指す運動や非常にカルト的な宗教になっていきます。そういう時代背景を踏まえて『ホーリー・マウンテン』を見ると、空気がよく伝わると思います。自分で自分を茶化せるところが、ただのカルトとは違う、ホドロフスキーという人の爽やかな一面ではないかと思いました。諧謔精神に溢れていますよね。

■カルトの暴力を批判する
横山 『ホーリー・マウンテン』は、見ての通り、かなりお金がかかっています。アレン・クレインのプロデュース。ビートルズのプロデューサーです。ジョン・レノンとオノ・ヨーコが共同で資金を出しています。「100万ドル出すからつくれ」とホドロフスキーにつくらせた作品なんです。メキシコで撮影されていますが、メキシコ映画史上最高資金だったらしい。ここまで馬鹿馬鹿しい映画をこれだけのお金をかけてつくるのは凄いと思いますが、ショービジネスのトップにいた人たちがお金を出したのがおもしろいところでもあります。
大岡 まだ大らかな時代だったんですね。
横山 ホドロフスキーがどっぷりカルトにならなかったのは、演劇をやっていたことも関係しているように思います。
大岡 どういう意味ですか?
横山 この映画は映画的ではないという特徴があると思います。仕掛けが演劇的です。血が出て人が死ぬ場面でも、見ていると仕掛けがわかりますよね。
大岡 異化効果ですね。偽物ですよ、ということが露呈しています。ある種のイリュージョンに没入しようとしても、どこかで遮られたり、茶化されたり、突き放されたりしてしまう。映画と演劇の融合という意味でおもしろい形になっていますね。
横山 カルト的なものを考えると、映画が製作された73年は、68年と90年代のオウム事件の間をつなぐような時代だと思います。その間に、カルト的なものが新たな制度になってしまうことへの批判が、ホドロフスキーにはあります。70年代のセックス、ドラッグ、ロックンロールのなんでもありの時代の中で、オルタナティブ自体が新たな制度になってしまうという危険性が露呈してきたのではないかという気がします。
大岡 難しいですね。演劇の場合も、70年代前半くらいに、文明生活、資本主義から隔絶した場所で、共同で何かするということをやっていた人は多いです。アメリカのリビング・シアターのジュリアン・ベックなんて人は非常に攻撃的で、資本主義に対する憎悪を隠さない。観客席に着飾っている女の人がいて、女性をですよ、劇団の俳優が本気でぶん殴るんです。「なんで着飾って来てるんだ!」って。連合赤軍のあさま山荘事件(1972年)の後で明らかになった、いわゆる山岳ベース事件(1971~1972年)で、女性の同志に「アクセサリーしているからダメだ!」とか「化粧しているのは自分のブルジョア的意識を克服していないからよくない!」とか言って、「総括せよ!」でリンチ、あげくは殺してしまうという悲惨なことがあったわけですが、リビング・シアターも似たようなことをやったと思います。観客のブルジョア性を暴力で否定していました。カルトから暴力が生まれるという問題がありますね。オウム真理教の話をここでする必要はないかもしれないけど、ちょっと難しいなと思いますのはね、麻原彰晃(本名・松本智津夫、オウム真理教教祖)という人は当初、ユーモラスな人に見えていたんです。テレビ朝日の『朝まで生テレビ!』の最初の頃、宗教特集の回で色んな宗教家が出ていたんですが、明らかに麻原が圧勝でした。今から考えればいい加減なのかもしれませんが、仏典の知識をがんがん言って、ほかのゲストを論破し、ちょっと人間臭いところも見せる。人間臭さや笑いを差し挟む部分があれば、カルト集団が暴走しないで済むのかというと、そうとも言えないわけです。笑いながら人を傷つけることもできてしまうという人間の複雑な一面が、とても難しいところです。

■母性的秩序からの解放
大岡 寺山修司も新しいコミュニティをつくりました。ふるさとからあぶれて、憎悪を抱いているような、はぐれ者たちを寄せ集めて、劇団天井桟敷のメンバーにしていきます。家出人たちを集めたわけです。寺山は『家出のすすめ』という本を書いています。彼にとっては、一夫一婦制や家族制度が攻撃対象です。これは極めてブルジョア的な装置で、人間を支配する制度にすぎないんだと。制度化されたものへの批判が根底にあります。『ホーリー・マウンテン』で言えば、キリスト教ですね。キリストの似姿みたいな主人公が、それこそ「クライスト・オン・セール(キリスト大安売り)」に失望するという場面がありましたが、商品化され量産される信仰をぶち壊すことから始まるわけですけど、ぶち壊した後につくり直します。そこまでは70年代に映画も演劇もやった。つくり直した後、またそれがおかしな制度にすり替わっていく時に、そこをどう抜け出ていけるのかが、難しい課題なんでしょうね。
横山 『家出のすすめ』で思い出しましたが、この本を読んで寺山に弟子入りした森崎偏陸さんという方がいます。森崎さんが、寺山のところに行ったら、寺山のお母さんも一緒に住んでいて、おいおいと思ったというエピソードがあります。
大岡 あれだけ母殺しの話を書いておきながらね(笑)。寺山のお母さんの本を読んでもわかるのですが、基本的に親子仲はとてもいいんです。親子関係の実際の感情はまた別だったかもしれないですね。演出家・鈴木忠志が長谷川伸『瞼の母』を演出した時に、美術評論家・石子順造と寺山修司の対談を引用しています。そこで寺山は「実際の母親を大事にするのはかまわないけれども、幻影としてのお母ちゃんはよくない」と言っている。「おふくろの味はよくない」「母親から台所を奪還せよ」と言います。東大闘争の時に、キャラメルママというのがありましたね。「キャラメルあげるから出てらっしゃい!」とバリケードに立てこもった子どもに向かって母親たちが語りかける。最終的に寺山が標的にしていたのは母子関係、母性的な秩序です。決して父性的な抑圧があるわけではなく、「好きになさい、好きになさい」と言われるんだけど、本当の自由はそこにはないということのほうが、日本社会にとって大きな問題じゃないか、と言いたかったのではないでしょうか。我々にとっては、頑固おやじから厳しく言われて反発するより、「どうぞどうぞお好きにやりなさい」と言われちゃう感じのほうが問題なのかもしれないと思います。小説家・中上健次が『枯木灘』でそのことをテーマにしています。何をしても許してしまう父親、いわば母親的な父を描いているんです。秋幸という主人公が、これに対してどう闘えばいいんだという感じになっちゃうんです。その感じを、寺山はずっと問題にしていたのかなと思います。母親的な懐の深さが本質的には人間を不自由にしてしまうことに対して、そこから抜け出て、新しいコミュニティをつくろうとするのが寺山の考えなんだけれども、それもまたただの幻影にすぎないんじゃないかという自己懐疑、自己諧謔、そんな仕掛けも、寺山作品には必ずあります。『田園に死す』(1974年)ではそんなところを楽しんでいただけるのではないかと思います。

2015年4月26日 静岡市葵区のサールナートホールにて
構成:西川泰功


2015年5月2日

『ふたりの女』初日観劇レポート

4月29日、6年ぶりに野外劇場で上演された『ふたりの女』。
初日を観劇した演目担当のシアタークルー(ボランティア)さんが、レポートを寄せてくださいました。

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夢は現実の投影であり、現実は夢の投影である。
ジークムント・フロイト

洗練された高い身体性と観客を巻き込む祝祭性。SPACの演劇作品には、この二つの要素はいつも欠かせない。
『ふたりの女』もまた、鍛錬された俳優の身体と演出家・宮城聰による戯曲の深い解釈、さらには巧みな音響効果、照明に至るすべてが、この作品に深淵さを与えている。そして観客は、その世界に引き込まれ、魅了される。

源氏物語に着想を得ながら、能の「葵上」やチェーホフ「六号室」を巧みに織り交ぜて、唐十郎が生み出したこの作品を宮城聰が演出。六条の怨念がアオイに乗り移るのだが、しだいに二人の女は、心理的に交錯し始める。相手役である光一も、二人の女の人格倒錯に混乱し、精神的に病んでいく。こうした正気と狂気との境界の不明瞭が、この物語の最大の見どころ、魅力である。つまり、この物語は、六条とアオイ、光一の心理的倒錯によって形成されており、登場人物たちの感情の動きを追体験しながら、この作品を観ることで、観客は、この物語に自ずと引き込まれていく。


我々には、意識と無意識という二つの状態がある。しかし、この作品を通して、我々は、意識でも無意識でもない、それらを超越した心理状態になるのである。

泰井良(たいい・りょう)
1972.9.5 神戸市生まれ
静岡県立美術館上席学芸員、俳優。展覧会企画のほか、市内劇団でも活動中。

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『ふたりの女』は5月3日(日)、6日(水・祝)も舞台芸術公園 野外劇場「有度」にて上演されます。
3日は残席わずかですので、チケットはお早目にご予約ください。

★『ふたりの女』リピータープレゼント!
「もう一度観たい!」
初日にご来場いただいたお客様から、そのようなお声を数多くいただきました。
ありがとうございます。
そこで!
5月3日、6日の『ふたりの女』の物販コーナーにて、
「2度目の観劇です」と申請してくださった方には、
特製しおりをプレゼントいたします!!
なんと、六条/アオイ役・たきいみきの手作り。
愛のこもったしおり、ぜひゲットしてください♪

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『ふたりの女 平成版 ふたりの面妖があなたに絡む』
5月3日(日)、6日(水・祝)各日18:00開演
舞台芸術公園 野外劇場「有度」
http://spac.or.jp/15_two-ladies.html
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2015年4月25日

『メフィストと呼ばれた男』稽古場ブログ12 出演者インタビュー美加理


◆美加理(みかり)◆

登場人物紹介◆レベッカ
ユダヤ系のスター女優

Q. 美加理さんの演じるレベッカはどんな人物ですか。
 レベッカは、設定ではユダヤ人で、スター女優ということになっています。ナチスが第一党になったときに、自分が何に立脚して演劇をしているか、生きているのかということとを天秤にかけ、彼女は劇場を去るということを選びます。
 レベッカも他の登場人物と同じように、モデルとなる人がいます。エリザベート・ベルクナーさんというユダヤ人で、ドイツで活躍されていた女優さんです。(彼女は、イギリスに亡命し、ローレンス・オリビエとの共演映画『お気に召すまま』などで活躍されていて、ご自身の経験を元にした映画『イヴの総て』もあります。バーグナーさんがモデルの大女優マーゴ役を演じるのは、ベティ・デイビスさんです。)若い頃には少年や純真無垢な少女のような役を多くやっていらっしゃるようで、レベッカもこのお芝居の中では、そういうタイプの女優として描かれています。最初の劇中劇ではシェイクスピアの『ハムレット』で、主人公クルト演じるハムレットの母親ガートルードを演じますが、その後のシーンでは、『ロミオとジュリエット』のジュリエットや『ファウスト』のグレートヒェンのような純真無垢な役も演じています。
 ナチスの時代の話の中で、彼女一人がユダヤ人ということで、どう演じたらいいのか考え、いろいろ資料を読んでみたものの、それだけでこの人をとらえるのは、途中でやめました。この状況の中を生きた一人の女優をそれ以外のところで何かつかまえられたら、そこをもう少し膨らませていきたいと、作業をすすめてきました。
 亡命先での彼女の生活が描かれる後半では、レベッカのような女優が演じるには意外なチェーホフのある役を稽古しているシーンがあります。作者のトム・ラノワさんは、その台詞と彼女の状況に重なるものを見いだして、創作していると思うのですが、そこに出てくる台詞には、「そうだよね、そうですよね!」と私自身もすごく共感できるものがあります。その台詞の本当の意味は何だろうなとさらに深く考えながら、それをヒントにレベッカ像を探ってきました。彼女には自分の内面を吐露したり、他の登場人物への思いを表したりする言葉が少なくて、多くは劇中劇の芝居の台詞です。そういうところに難しさがありますが、居ずまいや、まとっている空気などで、お客さんが何か想像してくださるように演じられたらと思います。


【稽古風景より】


【稽古風景より:『ハムレット』のガートルードを演じるガートルード(右はハムレット演じるクルト・阿部一徳)】

Q. 作品の見どころを教えてください。
 この作品では、劇場の空間が普段はなかなか見られない仕方で構成されていて、ひとつの都市や街のジオラマように、劇場の全貌が見られるのが面白いと思います。ジオラマの上で、たとえば津波や台風や地震がどのようにやって来るのかを見るのと同じように、劇場という空間で、人々の生活を知らず知らずのうちに蝕んでいく何かが、どんな顔をしてどんなふうに忍び寄ってくるのか、その気配や空気を感じてもらえるのではないかと思います。そして、そこで起こっているものは、劇場という空間の中でありながらも、私たちの生活とシンクロするものとして、一瞬一瞬、体感してもらえるのではないかと思います。
それから今回の演技スタイルは、台詞はあくまでも論理優先で、言葉は淡々と素早く、エモーションを乗せずにしゃべるという方法をとっています。その上で、多方向に自分の感覚を開いて、沢山のものをキャッチし、お互いの関係性の中で、感情的なものを作っていくというスタイルです。そういうスタイルに挑戦しているのも、楽しみにしていただけたらと思います。必然的に劇中劇以外の日常のやりとりの台詞は、比較的小声で行われます。音響さんが高度なサウンドデザインを駆使してくださっていますが、聞き耳をたてなくてはならないくらい聞きづらい部分も、演出であえてつくってありますので、是非耳の掃除をしていらしてください。2幕になるとまた怒涛のようにそういうシーンがあります。耳かきを持ってきて、もし前半でよく聞こえないなと思ったら、耳の掃除をしてください(笑)


【稽古風景より】

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SPAC新作『メフィストと呼ばれた男』
4/24(金)・4/25(土)・4/26(日)
静岡芸術劇場
http://spac.or.jp/15_mefisto-for-ever.html
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2015年4月24日

『メフィストと呼ばれた男』稽古場ブログ11 出演者インタビュー鈴木麻里


◆鈴木麻里(すずき・まり)◆

登場人物紹介◆リナ・リンデンホフ
女優で、ナチスの文化大臣・巨漢の愛人。

Q. 鈴木麻里さんの演じるリナ・リンデンホフはどんな人物ですか。
エミー・ゾンネマンさんという、ヘルマン・ゲーリングの愛人で、実在した女優がモデルになっています。エミーさんはチョコレート工場主のお嬢さんで、演劇学校は特待生として入学し、ワーマール州立劇場で長いこと主演女優を務めていたそうです。裕福な家で育ち、華々しいキャリアを持っていた人です。
リナはエミーさんよりも、もっと庶民的な育ちで、舞台ではこれまであまり大きな舞台や役に恵まれてこなかった女優、という設定になっています。そのぶん、ゲーリングの力で国立劇場に潜り込むときには、演じることへの欲望や不安で風船みたいにぱんぱんなのかも知れません。

Q. 文化大臣の愛人ということで、クルトが率いる国立劇場のメンバーに加わりますが、演技はあまり上手くないという、設定ですよね。
 あんまり経験はない状態で、あこがれていた国立劇場の舞台に出られるという、チャンスが降ってくる。一生できないと思っていたような役をやらせてもらえるけれど、共演者が自分の演技には返しにくそうだなということは明らかに分かっている。けれどもその役をどうしてもやりたいという葛藤はある。だって女優だから。
 リナはそもそも、舞台で演じることがものすごく怖い。だからすごく声を張り上げて、ポーズを決めないと、そこにいられない。自動的にそうなってしまう。それが思いっきりやっているとか、堂々としているとか、空気を読んでいないとか、人からは見えるんだと思います。だから、程よいリアクションがとれない100か0かの状態で、微妙な表現が出来ないんだと思います。心はチワワ、見た目はライオンみたいな状態です(笑)だから、演じているまさにその時に、いきなり誰かに「ヘタクソ」と言われたら、そのとたんに消滅してしまいそうな感じもあります。クルトのナチスについての台詞に「奴らの根拠のない自信の裏にあるのは、失敗への不安だ」というのがあるんですけれども、演じているリナはまさにそういう状態で、脆いものを抱えていると思います。
 リナは普段は気が利いて空気も読めるから、空軍大臣のような人にも気に入られて愛人になることができました。私自身は、ふだん生きていて、本当に空気が読めない人間なので、一番大変なのは、よく気が利くふだんのリナを演じることです。(笑)


【稽古風景より:左よりリナ・鈴木麻里、巨漢・吉植荘一郎、クルト・阿部一徳】


【稽古風景より:『ハムレット』のガートルードを演じるリナ】

Q. 作品の中で好きなシーンはありますか。
 好きなシーンはラストシーンです。毎回いろいろなことを想像させられるシーンです。台詞を聞いていると、ナチス政権下の、この劇場のこの俳優の具体的な物語でありながらも、全然違う古代や未来のことまで同時に想像させられます。主人公のクルト・ケプラーは演技の天才です。いま、たまたまこの時はこの人の体の中に入っていたけれども、才能というものは一人の生涯の内にはおさまりきらない何かで、それは世界の中で、ずうっと流れている川の流れの様なものとしてあるのではないかと感じさせます。
クルト役の阿部さんがSPACのレパートリーで演じられた別の役のこともたくさん思い浮かびます。『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険〜』の語り部であるヴィヤーサとか、『病は気から』の座長さん、『サーカス物語』のジョジョ、『忠臣蔵』の武士Cなど、数えきれません。クルトの生まれ変わりみたいだなあと思います。

作品の中で一番好きな台詞があって、「演劇?」っていうのと「ありがとう」です。どちらもこのラストシーンでクルトが言う台詞です。冒頭から3時間汗かいてひーふー言いながら“演劇”を上演してきた末に口からこぼれる「演劇?」っていう一言。それと、「ありがとう」。どちらも稽古である日、生まれてはじめて聞いた言葉みたいな感じがして、びっくりしました。ああ人って人生めちゃくちゃ苦労してぼろぼろになってゴールテープ切るまでに、「ありがとう」っていう言葉の本当の意味を知ることができたら万々歳なのかな、一生ってそういうものなのかなって、なぜか思いました。
そういう不思議なポケットのような場面が最後に待っている作品だと思います。


【稽古風景より】

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SPAC新作『メフィストと呼ばれた男』
4/24(金)・4/25(土)・4/26(日)
静岡芸術劇場
http://spac.or.jp/15_mefisto-for-ever.html
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2015年4月23日

『メフィストと呼ばれた男』稽古場ブログ10 出演者インタビュー大高浩一


◆大高浩一(おおたか・こういち)◆

登場人物紹介◆宣伝大臣
ナチスの宣伝大臣として劇場を訪れる。

Q. 大高さんの演じる宣伝大臣はどんな人物ですか。
  宣伝大臣、原型となった人物はあのヨーゼフ・ゲッベルスです。劇中では分かりやすい敵役として登場し劇場を弾圧してゆく立場の人です。史実での所業を考えれば人知を超えた『悪』であるとしか言いようがないですが、劇中にあえてこの悪人の中に美徳のようなものが読み取れるとすれば、ノーブレスオブリージュというものを理解していたように思えるところかもしれません。
 プロバガンダの才能があったかれは、恐らく、愚民を扇動したのではなく、逆にドイツ民族の偉大さを信じ、大戦はそれにふさわしい誇りを取り戻す為の聖戦であったかもしれません。嘘で騙すのではなく、偉大で優秀な民族であるならば自分の言葉は必ず届くはずだという信頼に支えられていたのではないでしょうか。有名な総力戦演説の場面は私利私欲のない発言でないと成立しないように描かれているようにも思います。
 冷徹で傲慢な人物だとは思います。暴力の発動に何の躊躇もない凶暴さもあるでしょう。ただ、自分の考えを理解しない者に対し、それは相手がバカなのではなく、自分のプロバガンダの手法がまだ相手に届いていないのだと考えるような、妙な謙虚さも持ち合わせていたように感じます。
 頭は良い人だと思いますが『シェイクスピアは時代遅れだ!』とか深すぎて意味不明なスローガンを口にしたり、これはガチなのかボケなのか演じる上で迷う部分もありますが、人物に全く共感できないものの、最近それなりに好きになりかけています。ただ実際の場面ではショッカーの幹部がリアルな芝居に登場するようなものなので、正直、大丈夫かこれ?


【稽古風景より】

Q. 読者のみなさんへ、メッセージをお願いします。
 それなりに深刻なメッセージの込められた作品ではありますが、言うても演劇と言う娯楽ですので、俳優一人ひとりの魅力を楽しんでいただけたらいいと思います。ピュアな人物しか出てこないのがこの作品の美しいところであり怖いところでもあると思いますので。ファシズムについて考えるとかは、まあ、テーマとしてはあるんですがそれはこっちでこっそりやりますので。
通常の倍の上演時間ですが、敢えて言う、半額であると!

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【稽古風景より】

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SPAC新作『メフィストと呼ばれた男』
4/24(金)・4/25(土)・4/26(日)
静岡芸術劇場
http://spac.or.jp/15_mefisto-for-ever.html
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『メフィストと呼ばれた男』稽古場ブログ9 出演者インタビュー渡辺敬彦

出演者インタビュー、今回は俳優ヴィクターを演じる渡辺敬彦です。


◆渡辺敬彦(わたなべ・たかひこ)◆

登場人物紹介◆ヴィクター
40年以上のキャリアを持つ俳優・演出家。左翼活動家としても有名。主人公クルトが国立劇場の芸術監督になる前にその任を務める

Q. 渡辺さんの演じるヴィクターはどんな人物ですか。
 私が演じるヴィクターは、舞台となる劇場の芸術総監督だった俳優です。ナチが第一党になると、ナチスはヴィクターの後輩の俳優クルトを利用しようと彼を芸術総監督にし、ヴィクターはその地位を失います。ヴィクターは共産党員でばりばりの活動家でもあったので、ナチスはそれが気に入らなかったというわけです。俳優として劇場には残るのですが、その後も続けた政治的活動により、ナチスに長年拘束されることになります。ヴィクターは芸術や演劇よりも、政治活動に重きをおいた人物と言えるかもしれません。


【稽古風景より】


【稽古風景より:左はクルトを演じる阿部一徳】

Q. ヴィクターとクルトの2人を比較すると、同じ俳優・演出家でも、それぞれがやりたかったことはかなり違ったという印象を受けますが…
 ヴィクターも演じたり、役者として舞台に出たりするのがまずは好きだった。演劇に限らず、芸術というのは、まずは自分のために始める。そして演劇であれば、お客さんがお金を払って劇場に来て、生身の自分が演じるのを観て、笑ったり泣いたりしてくれることに喜びを感じる。そのうちに、自分のために始めた活動が、お客さんのためとか、誰かのためとか、人を幸せにするためとか、世界を平和にするためとか、そういう気持ちで支えられるようになる。そして更には、自分の芸術を通して何かメッセージを伝えていきたいと、だんだん気持ちが変わってくると思うんです。そうすると、お客さんが求めることに応えようと媚を売り、自分の本来やりたいことよりも、誰かの求めるものを満たすことを優先して作品を作るようなことにもなる。いつまでもオレはこれがやりたいんだと自分のやりたいことだけを求め続けるのは、独りよがりになりかねない。問題は、バランスだと思うんです。
 ある時からヴィクターは人々の関心を政治に向けるようにと政治的活動を始め、自分の仕事である演劇でもそれを目指していくようになった。ヴィクターはどんどんそちらの方向に進むことで、バランスを失ってしまった人なのではないかなと思います。
 演劇でも映画でも芝居でも、登場人物はそのひとつの作品の中で何らか変化を見せます。そういう観点からみると、主人公のクルトは、実はこの作品の中で、唯一最初から最後まで、その軸が変わらなかった人かもしれないと思います。クラウス・マンが書いた原作『メフィスト』の副題には「出世物語」とあるので、彼は出世のために自分を変えてナチスに迎合していったとも見える。社会の状況が変わったのであれば、それにあわせて自分たちの演劇も変えていかなくてはいけないと、政治的な方向に転換したヴィクターにしてみれば、クルトの選択はナチスへの迎合にしかみえません。けれどもクルトは、実は、状況にあわせて自分をかえずに、昔と同じように自分がやりたい芸術として演劇を続けることを選んだ。そのことがヴィクターには、クルトは変わってしまったと映るのかもしれません。


【稽古風景より:『桜の園』でガーエフを演じるヴィクター演じる渡辺】

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SPAC新作『メフィストと呼ばれた男』
4/24(金)・4/25(土)・4/26(日)
静岡芸術劇場
http://spac.or.jp/15_mefisto-for-ever.html
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4/10演劇祭開幕直前 『メフィストと呼ばれた男』関連シンポジウム
【抵抗と服従の狭間で―「政治の季節」の演劇―】の動画を公開しました!
http://spac.or.jp/15_symposium.html
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『メフィストと呼ばれた男』稽古場ブログ8 出演者インタビュー山本実幸

出演者インタビュー、今回は女優アンゲラを演じる山本実幸です。


◆山本実幸(やまもと・みゆき)◆

登場人物紹介◆アンゲラ
若い女優。

Q. 山本さんの演じるアンゲラはどんな人物ですか。
 劇団の中で一番若い女優。お芝居がすごく好き。俳優として天才的なクルトに役者としても惹かれるし、一人の女の子としてもすごく惹かれていく。政治のこととかは気にはなるけれども、あんまり詳しくない。まだ本当に大人になりかけの女の子という感じです。
だからナチスが政権を取ったことを、「やばいな」とは思うけれども、ヴィクターのように共産党員でもないし、ニクラスのようにナチス党員でもないので、彼らのような激しく反応はしない。でも街で暴動が起こったり、ユダヤ人が迫害されたりするのを見て、単純にそれは人として良くないことだと考えている。


【稽古風景より(『ハムレット』のオフィーリアを稽古するアンゲラ・山本)】


【稽古風景より(左はハムレットを演じるクルト・阿部一徳)】

Q. 1幕は1932年、2幕になると、その13年後の1945年ですが、そうなるとアンゲラはまたかなり変わってくるのではないでしょうか。
 13年経つと、1幕に出て来た女優ニコルと同じ30代になっている。アンゲラは実はお嬢様だったんですけれども、亡命することで、ご飯が満足に食べられないとか、着るものにも不自由して、おしゃれとかも出来ないという経験をし、大人になっていったのかなと思います。前半1幕のアンゲラは、まだ大人になりかけているところ。2幕では、一人の大人の女性になり、今は自分で何もかも判断できて、自分の意志もちゃんと持っている、強い女性になっているんじゃないかなと思っています。彼女の変化していく様子が上手く見せられたらいいなと思っています。
 アンゲラは、何にも考えていないようで、実はけっこう人には流されないというところがあります。本人は無自覚かもしれないけれども、自分が一番大切なものに素直に生きているのではないかと思います。結局決めるところは、ちゃんと自分の意志で決めている。


【2幕の稽古風景より(左は大女優レベッカを演じる美加理)】

Q. 今回稽古していて難しいところは、どんなどころですか。
この作品は、お客さんが俳優たちを覗き込むという演出でつくられているので、俳優はお客さんに全部を見せるような演技はしてはいません。だから、大げさな表現は一切ないけれども、それでも見ていられる身体でいられることに、みんな挑んでいます。ここまでやってしまうと過剰な「表現」になってしまう、でもこれだとお客さんには何も伝わらない棒読みになってしまう…という感じで、いわゆる「表現」と、お客さんに私たちの日常と地続きと思ってもらえる「リアリズム」の間で、じりじりと綱渡りしています。お客さんに何かを見せつけてはいけない。けれども、お客さんが何かを感じてくれる、そこまでの何かは、きちんと届けないといけない。そこが難しいところです。

Q. 最後に読者のみなさんにメッセージをお願いします。
 登場人物の全員が、誰一人として同じ道を進んではいかないし、同じ決断をしていない。観ているお客さんも、自分はこの登場人物と共通点があるかな、これが自分かもしれないって思ってもらえると思います。そしてそれぞれの人がどのような結末を迎えるのか。たぶん、どの決断も正しいし、どの決断も間違っているのかもしれない。今を行きている人たちにも、リアルに感じてもらえる部分があると思います。

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SPAC新作『メフィストと呼ばれた男』
4/24(金)・4/25(土)・4/26(日)
静岡芸術劇場
http://spac.or.jp/15_mefisto-for-ever.html
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4/10演劇祭開幕直前 『メフィストと呼ばれた男』関連シンポジウム
【抵抗と服従の狭間で―「政治の季節」の演劇―】の動画を公開しました!
http://spac.or.jp/15_symposium.html
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