2015年6月2日

■準入選■【マネキンに恋して―ショールーム・ダミーズ―】原田初さん

 本作「マネキンに恋して」を観劇した5月4日の静岡市内は昼間でも風が吹くとまだ肌寒かった。横浜でも有数の繁華街である野毛在住の私は、前日、野毛の町の匂いが染み付いた冬物の衣類をしまい春夏物に入れ替えたので、当日着ていた服は上下ともに七分丈である。横浜を出たときの気候ではちょうどよい服装のはずであったが、静岡芸術劇場に着き、外に出てみると少し寒い。開場まで時間があったので、劇場前にあるセブンイレブンで「揚げ鳥」を買って車に戻った。車の中が醤油と油の匂いで満たされていった。 続きを読む »


■入選■「身体による思考」とは何だろうか?―『マネキンに恋して―ショールーム・ダミーズ―』を観て― 番場寛さん

 数年前に京都芸術センターに招かれたジゼル・ヴィエンヌは自身の口から人形を使った演劇を創作していたと説明したが、今回の二つの作品にたいする期待は、ある意味で裏切られた。
 『マネキンに恋して』」というタイトルはあまりに説明的である。人間、それも男が人形、特にマネキンに恋をしてしまう話は数多く創られてきた。例えば映画では『ラースと、その彼女』のように現実の女性と接することもできない青年が、何も動かず、言葉も返さないマネキンに服を着せ、語りかけるだけでなく、自分の「彼女」だと周りの人にも承認を迫り、一緒に生活する様は十分説得力のあるものだった。 続きを読む »


■準入選■【よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン】山口侑紀さん

 このスペインの「体験型演劇」について語るには、少々の迂回を必要とする。というのも、この「新しい」パフォーマンスに類似したものを、私は既に4年前に体験したことがあるからだ。1988年の創立以来、30ヶ国、130以上の都市で、800万人を動員している「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」(以下、DID)。これとの比較なしに『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』(以下、ちょっとしたレッスン)について語ることは、(少なくとも私には)不可能に思われる。 続きを読む »


■準入選■『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』を「観て」 番場寛さん

 演劇を成り立たせているのは目の前で繰り広げられている光景を「演劇」とみなす「観客」の意識である。それは日常の物品を美術館という場で「オブジェ」と観ることを強いる、マルセル・デュシャンの「レディメイド」の「作品」と同じである。言い換えれば、演劇とは日常生活での人の眼差しを「観客の眼差し」へと変える「装置」のことなのだと思う。ではそうした装置によって生み出される「観客の眼差し」とは一体どういうものであろう? それは目の前で繰り広げられている光景を、同時にそれが別の時空で繰り広げられている光景として見ることのできる思考のことである。 続きを読む »


■準入選■【『よく生きる/死ぬための ちょっとしたレッスン』】みることについてかんがえた 大野博美さん

 ふじのくに⇔せかい演劇祭2014初日、劇場から離れ、静岡市街地にある「もくせい会館」にて「これ」が始まった。
「体験型演劇」という単語以上の予習はしていない。
「体験型」あるいは「劇場を離れて」という試みは近年のF/T(フェスティバル/トーキョー)などでも盛んに取り入れられている。
それは時として「演劇とは何か」という根源的な問いにまで遡ることにもなる。
しかし、そのような難しい問題にはひとまず目をつぶるとして、、、
そう、「目をつぶる」というのが、この演目では重要な要素であった。 続きを読む »


■入選■【ジャン×Keitaの隊長退屈男】山口侑紀さん

 コメディー作品を見たような、けれども、トンデモなく「オソロシイ」ものを見てしまった後のような。観劇後しばし呆然として立ち尽くしたその劇について、私は今書こうとしている。そんなこと出来るのだろうか? しかし言語を超えた、日々消化される悲劇のカタルシスを乗り越えたリアルの表象を、その劇は現にやってのけたのだ。 続きを読む »


■準入選■【ファウスト 第一部】渡邊敏さん

 かの有名なゲーテの「ファウスト」。私は読んだことがなく、筋を何となく知っている程度だ。名詩集か何かでレモンやすみれの花を歌った詩を読んだくらいで、ゲーテには縁がなかったのだ。ゲーテは死ぬとき、「もっと光を!」と言ったとか。
 ダンテの「神曲」を読もうとして、まだ地獄めぐりのところで挫折したことがあって、「神曲」も「ファウスト」も人間の身でありながら案内役の手引きでこの世やあの世を巡るところや、「永遠の女性」なる存在(ダンテのベアトリーチェ、ファウストのグレートへン)に導かれるところが似ている。キリスト教の世界観や、聖母マリアのような女性像が共通しているのだろう。そこで一番の共通点は、人間が知性の力ですべてを見尽くそう、知り尽くそうとし、限りなく神に近づこうとする欲望だ。これが西洋人の飽くなき理想像かしら、と思う。 続きを読む »


■入選■【ファウスト 第一部】山口侑紀さん

 「嬲」という漢字がある。なぶる。辞書によると、おもしろがって人をからかったり苦しめたりする、愚弄する、もてあそぶようにいじる、という意味の漢字であるようだ(三省堂大辞林)。SPAC「ふじのくに⇔せかい演劇祭」のパンフレット、『ファウスト 第一部』のページには、まさにこの字のような写真が使われている。金髪の美しい女性を挟んで、シャツの前をはだけた二人の男が密着している姿。女は、グレートヒェンであろう。男は、どちらかがファウストで、どちらかがメフィストであろう。観劇前の私は単純にそう考えていた。しかし、この写真、「嬲」の構図こそが、ニコラス・シュテーマン演出のこの『ファウスト 第一部』の核であったのだ。 続きを読む »


■入選■【ファウスト 第一部】大野裕果さん

「よい本」との出会いは人生を豊かにする。

だから本をたくさん読みなさい、と周りの大人に言われながら育ってきた。

しかし、人生を豊かにするよい本との出会いというものが、単に本を一冊読み終わったあとで「あー面白かった」と思うだけのものではなく、そこに記されている言葉ひとつひとつをその後の人生をかけてじっくりと自分の中に落とし込んでいきたい、と思えるようなゆったりとしたものであるということを気づかせてくれたのは、ゲーテの「ファウスト」だった。 続きを読む »


■入選■【マハーバーラタ~ナラ王の冒険~】人から世界へ、世界から人へ 中谷森さん

 森を彷徨うダマヤンティ姫が、夫・ナラ王の居場所を大樹に問いかけると、ひとふきの風が吹いてざわざわと木の葉が共鳴し、さながら野外劇場の周囲の森もまたこの祝祭に参加しているようだった。そのようにして古代より人は、物言わぬ樹に感情を与え、目に見えぬ神に形を与え、また恐ろしい獣に意志を与え、壮大な宇宙を想像してきたのだろう。 続きを読む »