劇評講座

2021年10月11日

SPAC ふじのくに⇄せかい演劇祭2021■優秀■【三文オペラ】小田透さん

カテゴリー: 2021

「戦略的ハッピーエンドの演出的アンハッピーエンド」

 4月末の18時は夜というにはまだ明るい。中途半端な狭間の時間、ただっぴろい灰色の広場の中央奥に、黄色のショベルカーが異様に鎮座している。これから2時間のあいだ束の間の舞台となるはずの広場を現実世界の歩道から隔てるのは、杭とロープだけだ。ぼろきれのような長いコートをまとった人々が、生気なく、ひとりまたひとりと、ロープの向こうからやってきては、寒そうに地べたに横たわっていく。虚構が現実に侵入してきたのか、それとも、別の現実がいまここにある現実に闖入してきたのかと、観客は自問せざるをえない。ジョルジオ・バルベリオ・コルセッティ演出『野外劇 三文オペラ』は、本来ならソロで歌われる「刃(ヤッパ)のマッキーのモリタート」を合唱させることによって、わたしたちの現実感覚を切り崩す群集劇として始まっていく。 続きを読む »

SPAC ふじのくに⇄せかい演劇祭2021■優秀■【おちょこの傘持つメリー・ポピンズ】小田透さん

カテゴリー: 2021

「ウィズコロナ様式の可能性と野外劇」

 舞台のうえには傘屋の仕事場とおぼしきものがポツンと立っている。色とりどりの傘が並んでいる。開いたものが手前に、閉じたものが下手側の天井からぶら下がっている。上手側の一段高くなったところの机には傘職人のおちょこがいる。開いた傘の後ろで居候らしき檜垣が寝転んでいる。野外劇場である有度の舞台裏にそびえる大きな木のせいで、昭和の匂いをただよわせる舞台装置はやけに小さく、いかにも作り物めいて見えるが、作り物でしかない歴史的時間と、それにシンクロしない自然の風景という不釣り合いな場のなか、事実とゴシップ、虚構と妄想が混ざり合う。そこからなにかとても奇妙で異様な舞台的真実が迫り出してくる。 続きを読む »

SPAC ふじのくに⇄せかい演劇祭2021■入選■【おちょこの傘持つメリー・ポピンズ】森川泰彦さん

カテゴリー: 2021

おちょこの傘持つ芸術史的記憶

 
 この戯曲は、映画『メリー・ポピンズ』を出発点とする大気をめぐる主題群と、創作当時の社会的事件、そしてそこから連想された芸術史的記憶という三つの要素からなっている。
 『メリー・ポピンズ』に由来するのは、傘を持って飛来する若く美しい女性のイメージであり、精神分析的に言えば、幼児的万能への退行を可能にするファリックマザー(男根を持つ理想の母親)との邂逅である。開いた傘は勃起した男根、(象徴界への参入が不可能にした)現実界との接触を可能にする母のファルスの隠喩なのだ。おちょこは飛び上がる度にあえなく落下するが、かかるファルスが実在するかのごとき錯覚は、つかの間の享楽をもたらすのである。「おちょこ口」とは傘(男根)が使用不能(性的不能)になった状態であり、つまりはその直前の射精を示唆している。 続きを読む »

SPAC ふじのくに⇄せかい演劇祭2021■入選■【アンティゴネ】山上隼人さん

カテゴリー: 未分類,2021

『アンティゴネ』における「四次元的演劇空間」の創造

 演劇とは「空間的」芸術作品である--。そう信じていた私にとって、2021年5月3日、駿府城公園・紅葉山庭園前広場で催されたSPAC公演『アンティゴネ』は衝撃的だった。「舞台上で役者が横一列に並ぶ」「舞台後方の壁面に役者の影を映す」など、極めて「絵画的」だったからだ。しかし、それによって演出が失敗しているかというと、そんなことはない。むしろ、美しいことこの上なく、「四次元的な演劇空間の創造」により、舞台作品として成功しているのだ。
 舞台は床一面が水で覆われ、そこに浮かぶ上手、中央、下手の3カ所の岩場によって装置が構成されている。「ムーバー」と呼ばれる「動きをみせる役者」たちは岩場に立ち、それぞれの役を演じる。一方、「スピーカー」という「声で演技する役者」たちは、水の中で腰掛けたり、立ったりしたままセリフを言う。つまり「二人一役」であるわけだが、特筆すべきはムーバーの演技だ。彼らは3カ所の岩場に分かれて演技しているため、一向に交わらない。ほとんどが、客席に向かって演技している。顔を突き合わせて「対話」することなど無いのだ。 続きを読む »

SPAC ふじのくに⇄せかい演劇祭2021■入選■【アンティゴネ】菅谷仁志さん

カテゴリー: 2021

生者の葬式としてのアンティゴネ

 亡くなった家族と一度も対面することができなかった―。いま、日本中にあふれる現実だ。新型コロナウイルス感染症は、予防を名目に弔いの場を奪い、感染した死者に対して不平等を強いる。遺族には死の事実が伝えられるのみで、突然目の前に骨だけが帰ってくるという現状は「身体なき死」とも呼べる事態に直面している。遠く2500年前、反逆を理由に弔うことを禁止された兄ポリュネイケスの魂を、国王クレオンの命令に背いてでも弔った主人公アンティゴネ。その物語を通して「死ねばみな仏」という死生観を描いた宮城聰の演出は、現実問題として社会が平等を担保できなくなっている今、何ができるのか。その答えを「身体なき死の葬式」として示し、世界に鎮魂を届けた。 続きを読む »

ふじのくに⇄せかい演劇祭2021■選評■SPAC文芸部 横山義志

カテゴリー: 2021

 ふじのくに⇄せかい演劇祭2021劇評コンクールには計16作品の応募がありました。16作品の内訳は、『アンティゴネ』9、『おちょこの傘持つメリー・ポピンズ』5、『三文オペラ』2でした。コロナ禍のなか、多くの方に劇評を寄せていただき、とてもうれしく思いました。

 今回、最優秀賞に選ばれたのは小木郁夫さんの【アンティゴネは、なぜ<過剰に>天を仰ぎ見たのか?】です。「約10分をかけ、[…]力無く地面にうずくまっていたアンティゴネが、[…]最終的には常人の為せる体屈角度の限界にまで仰けに反り返り、その姿勢を数分に渡り維持する」というたった一つの動作に注目し、その過剰さを従来の西洋文学史における戯曲解釈に反して「神の法それ自体への「挑戦」」とみなし、さらにキリストと重ね合わせるというかなりアクロバティックな展開なのですが、具体的な演出と丹念に突き合わせ、説得力をもたせています。静岡で二回、さらにアヴィニョンでもご覧になったという観劇体験から、「終劇後にふしぎな「原罪」を負ったような感覚」の根源を、時間をかけて突き止めてきたことがうかがわれます。
続きを読む »

2021年3月21日

秋→春のシーズン2020-2021 劇評コンクール 審査結果

カテゴリー: 2020

秋→春のシーズン2020-2021の劇評コンクールの結果を発表いたします。

SPAC文芸部(大澤真幸、大岡淳、横山義志)にて、応募者の名前を伏せて全応募作品を審査しました結果、以下の作品を受賞作と決定いたしました。

(応募数6作品、最優秀賞1作品、優秀賞1作品、入選1作品)

(お名前をクリックすると、応募いただいた劇評に飛びます。)

■最優秀賞■
美和哲平さん 【宮城聰演出『ハムレット』における「主権者の非現前性」について】(『ハムレット』)

■優秀賞■
小田透さん【コロナ禍時代の舞台の可能性と不可能性】(『妖怪の国の与太郎』)

■入選■
福井健吾さん【―再認識させられる人間社会―】(『みつばち共和国』)

■SPAC文芸部・大澤真幸の選評■
選評

秋→春のシーズン2020-2021 作品一覧

『みつばち共和国』(作・演出:セリーヌ・シェフェール 日本語台本:能祖將夫 台本下訳:井上由里子 通訳:平野暁人)
『妖怪の国の与太郎』(演出:ジャン・ランベール=ヴィルド、ロレンゾ・マラゲラ 台本・翻案・ドラマツルギー:ジャン・ランベール=ヴィルド、平野暁人、出演者ならびにワークショップ参加俳優一同 翻訳:平野暁人 音楽:ジャン=リュック・テルミナリアス、棚川寛子)
『病は気から』(潤色・演出:ノゾエ征爾 原作:モリエール(「モリエール全集」臨川書店刊/秋山伸子訳より)
『ハムレット』(演出:宮城聰 作:シェイクスピア 翻訳:小田島雄志)

秋→春のシーズン2020-2021■最優秀賞■【ハムレット】美和哲平さん

カテゴリー: 2020

宮城聰演出『ハムレット』における「主権者の非現前性」について

 宮城聰演出『ハムレット』の最終盤の展開は、とても奇妙である(※) 。それもそうだろう。なぜなら、それまでデンマークが舞台であったはずが、ハムレットとレアティーズの剣闘における王侯貴族たちの死とともに突如ジャズと明らかに玉音放送を意識したラジオが流れだし、空からはチョコレート入りの箱が降り、舞台にはそれまでのアジア風の衣装とは打って変わってもんぺに身を包んだ少女たちが現れるのだから。この唐突とも言える展開によって、観客は『ハムレット』の権力移譲のストーリーを、戦後日本の天皇主権からGHQによる統治へという権力移譲を必然、重ね合わせることになる。本稿では、「主権者の非現前性」という視角から、宮城の『ハムレット』におけるこの唐突な演出の意味合いと、いかに宮城が『ハムレット』から「日本」と「日本人」を描こうとしているかということについて探っていきたい。 続きを読む »

秋→春のシーズン2020-2021■優秀賞■【妖怪の国の与太郎】小田透さん

カテゴリー: 2020

コロナ禍時代の舞台の可能性と不可能性

 コロナ禍時代において演劇はもはや純演劇的であることを許されていないらしい。俳優はマスクを身に着けなければならないし、演出はソーシャル・ディスタンシングを内在化しなければならない。感染防止策という演劇外のものを舞台に登場させる必然性を捏造しなければならない。

 
 再演となる『妖怪の国の与太郎』は、このような疫学的要請にコミカルな回答を提示していた。マスクが妖怪のコスチュームに化ける。スプレーによるアルコール消毒が喜劇的な身振りとして繰り返される。SPAC芸術総監督の宮城聰の代名詞ともいうべきムーバー/スピーカー制――言葉と身体の自然なつながりの意図的な分断――へのオマージュのような演出は、2019年の初演では借り物めいたところもあったが、舞台下手にしつらえられた音楽隊とアテレコのためのスペースと、舞台中央に作られたやや小ぶりの演技スペースとの切り離しは、舞台上で縦横無尽に動いたり語ったりすることがはばかられるいま、まさに時宜を得たものであるように見えた。 続きを読む »

秋→春のシーズン2020-2021■入選■【みつばち共和国】福井健吾さん

カテゴリー: 2020

『みつばち共和国』―再認識させられる人間社会―

 With コロナの世の中で創意によって克服し開場を果たした「みつばち共和国」が SPACによって行われた。セリーヌ・シェフェールの演出は無駄が一切なく表現の数々は見るものの想像力を掻き立て、ミツバチの生活を通してその絶滅の危機を訴える。静岡のうつくしい森の中にある劇場は気持ちを落ち着かせ、客席から見ることのできる美しい舞台装置と映像、自然の音によってメーテルリンクの物語の世界に没頭させる。寓話的でその真意を探求させられる作品であった。 続きを読む »