劇評講座

2008年8月14日

『若き俳優への手紙』(オリヴィエ・ピィ作・演出)

カテゴリー: 若き俳優への手紙

道徳劇は蘇るのか?――オリヴィエ・ピィ演出『若き俳優への手紙』

                             北村 紗衣

 オデオン座の芸術監督であるオリヴィエ・ピィ作・演出『若き俳優への手紙』は、2008年Shizuoka春の芸術祭の締めくくりとして、6/28(土)及び29(日)に野外劇場「有度」で上演された。
『若き俳優への手紙』は演劇そのものを主題とする二人芝居で、もともとはコンセルヴァトワールで演劇を学ぶ学生に向けて書かれたものである。プロローグではジョン・アーノルド演じる男性の詩人が登場し、舞台を志す若者に真の「反抗」を教えると宣言する。彼は舞台上で化粧をし、かつらをかぶり、女物のローブをまとって老いたる悲劇の女神に変身し、一種の劇中劇を始める。女神が言葉(parole)の芸術を称えていると、「コミュニケーション担当大臣」や「豚」などという名札を下げた演劇の敵たちがやって来て攻撃を仕掛ける。彼らは重みのある言葉ではなく無味乾燥で効率的な伝達(communication)のみで全ては事足りると主張して女神を嘲う。一方、味方となる「真の観客」も登場して女神を励ますが、この敵及び味方の役柄は全てサミュエル・シュランが演じている。激しい議論の果てに劇中劇は終わり、エピローグでは女神は化粧を落として再び男の姿に戻る。そこにシュラン扮する若者がやって来て、先程まで自分の友がここで言葉の芸術を称えていたと語り、演劇の力を肯定する台詞を口にする。これによって女神の努力が無駄ではなく、演劇という言葉の芸術が若者によって受け継がれ、生き続けることが暗示される。
 劇中劇という入れ子構造を採用し、演劇論を主題としている点で『若き俳優への手紙』は典型的なメタシアターの作品である。しかしながら「メタシアター」といういかにも近代演劇らしい言葉とはうらはらに、この芝居は驚くほど古風な印象を与える。
 この芝居の「古めかしさ」は、抽象概念を擬人化して舞台に出すという中世カトリックの道徳劇(morality play)を思わせるスタイルに起因している。中世の道徳劇の多くは、「人間」(Man)や「万人」(Everyman)というような全人類を象徴する名を持つ主人公が、「悪徳」(Vice)の誘惑で道を踏み外しそうになり、それを「美徳」(Virtue)や「善行」(Good Deeds)などが救済しようと努めるという筋書きになっている。抽象概念は全て擬人化された役柄として舞台に登場し、善悪の葛藤はそうした登場人物同士の争いとして表現される。こうした道徳劇は大衆の教育を目的として中世ヨーロッパで広く上演されていた。
 『若き俳優への手紙』はこうした道徳劇の方式を忠実に踏襲している。主人公である悲劇の女神は演劇の擬人化だ。一方、敵たちは演劇の力を封じようと企む「悪徳」の擬人化だと言える。『若き俳優への手紙』においては「言葉の受肉」という表現がしばしば用いられるが、悲劇の女神とその敵たちは、まさに抽象概念が肉をまとった存在、「言葉が受肉した」存在として舞台に登場する。
 『若き俳優への手紙』は、アレゴリーとしての人物が登場するという点のみならず、若き観客を演劇の「美徳」へ教え導く教育的役割を担っているという点においても中世の道徳劇に近い。男性の俳優が女装して女神を演じるという一見現代のドラァグの文化に通じるような演出も、中世劇においては男が女装して女を演じることもあったという経緯を考えれば一種の「先祖返り」である。言葉の受肉がテーマであることも含めて、この作品は伝統的なキリスト教、さらに言えばカトリックの哲学を忠実に踏襲している。
 しかしながら、「言葉の受肉」を論じる際に、演劇に敵対する「悪徳」をも擬人化して舞台に上げることは果たして賢明なのだろうか。女神は演劇における言葉の受肉の重要性を切々と訴え、薄っぺらな「コミュニケーション」においては言葉が受肉しえないと語る。しかしながら皮肉なことに、彼女をあざ笑う演劇の敵たちは既に肉体を獲得して舞台に姿を見せてしまっている。言ってみれば、この芝居においては受肉しえないはずの敵たちが受肉して舞台に上がり、言葉の領域を侵犯しているのである。得られぬはずの肉体を得てしまった演劇の敵たちは、不遜な肉体で老いたる女神を愚弄する。女神の意志は若き俳優によって引き継がれるものの、肉をまとった「悪徳」たちはあまりにも強力に見える。
 現代の観客は、おそらく中世ヨーロッパの観客に比べると抽象的な事柄を擬人化することには慣れていない。抽象を抽象のまま考えることに比較的慣れている現代の観客に対しては、演劇に敵対する悪徳を徹底的に「受肉」し得ない存在として提示したほうが効果的だったのではないだろうか。『若き俳優への手紙』は中世の道徳劇を現代に再生させる意欲的な試みであるように思えるが、悪徳に肉体を与えてしまったがゆえにかえって焦点がぼやけてしまったように思われる。薄っぺらな言葉が横行する現代社会において道徳劇が敵として必要としているのは、昔ながらの方法で擬人化された悪徳ではなく、実体がなく軽薄な影にすぎないがゆえによりいっそう不気味な悪徳なのではないだろうか。

(観劇日:6/28)

2008年8月5日

『かもめ・・・プレイ』(エンリケ・ディアス演出、チェーホフ原作)

   『かもめ』の演劇論

                  奥原佳津夫

 モスクワ芸術座やマールイ劇場の『かもめ』を正統な上演と呼ぶならば、このブラジルのカンパニーによる上演もまた正統なものと云いうるのではないか。戯曲『かもめ』は、広く知られるようにスタニスラフスキーによる近代リアリズム演劇の出発点であると同時に、作者チェーホフの演劇論、芸術論にほかならないのだから。
 この作品は、戯曲を上演するのではなく、演出者(エンリケ・ディアス)と俳優たちが戯曲と向き合う様を上演として提示することによって成立している。“playing the play”とは「ホモ・ルーデンス」の概念を思い出させるような懐かしい響きだが、その意味では、戯曲を見事に遊びたおして見せた。
 冒頭、女優の一人が「失敗した戯曲を上演するにはどうしたらいいのか?」「舞台上で時間を表現するにはどうしたらいいのか?」と問いかける所から始まるとおり、彼らが戯曲と対峙するその切り口は明確である。

 野外劇場にしつらえられた、真っ白な裸舞台。点々と置かれたガラス鉢の植物、無造作に転がる野菜、途中まき散らされる土——無機質なものと自然物とが絶妙に配置されたスタイリッシュな空間である。
 俳優たちは、何の区切りもなく、時に役を演じ、時に役へのアプローチを語る。それは、近代劇の稽古場を知る者なら覚えがあるプロセスであり、場面の前提条件を想像し、人物の内面を忖度するその過程は、スタニスラフスキー(システム)へのオマージュであるのかもしれない。
 とはいえ、演出者は近代劇への訣別を示していて、一つの役を一人の俳優が一貫して演じることはない。各場面は一旦エチュードに分解され、再構成された趣——そこから、ニーナの登場をを二人のトレープレフが出迎えたり、トリゴーリンの出発を三人のアルカージナが引き留めたり、という魅力的な場面が現出する。(この方法によって、トレープレフとトリゴーリン、ニーナとアルカージナの交換可能な同質性が浮き彫りにされた。)
 チェーホフのテクストも適宜パラフレーズされ、彼ら自身の言葉と地続きのものにされていたようだ。(そこには『かもめ』初演から現在に至る百年間、二十世紀という時間を想起させる事象への言及もちりばめられている。)確かな造形力を持ちながら畏まらない、南米の俳優たちの演技が生かされていた。

 初演当時、『かもめ』が画期的な作品であり、演劇史上の事件であったことを喚起すべく、第一幕の終りに、モスクワ芸術座初演時の様子が語られる。この上演でスタニスラフスキー演じるトリゴーリンに対してトレープレフを演じたのが、当時若手俳優であったメイエルホリドであることを知る我々は、「新しい形式が必要だ」と語るその台詞に歴史の皮肉を感じずにはいられない。
 極論すれば、二十世紀の演劇は、そして現代演劇のすべては、スタニスラフスキーとメイエルホリドの間に(あるいは、アルカージナとトレープレフの間に)、その位置を占めていると云える。(演出者は十九世紀的なものへの目配りも忘れず、劇中『椿姫』の台詞を引用してみせる。)
 近代劇の枠内に留まろうとするのでないかぎり(演劇という表現形式に自覚的であるかぎり)、トレープレフの失敗に終わる劇中劇がいかに重要な意味を持つかは容易に理解できよう。彼が自信過剰な田舎の青年にすぎないのか、新たな形式を模索する芸術家なのか、観客はこの劇中劇の成否で判断するのではないだろうか?月並みな手法で処理できる場面ではない筈だ。(この部分のチェーホフのテクスト自体、後のハイナー・ミュラーを思わせ、そこに語られる終末の情景同様、未来に向かって開かれたものと云えるかもしれない。)
 さて、本編自体が極めて前衛的なこの上演で、新しい形式の劇中劇はどのように処理されただろうか?メイキング映像をバックに、制作裏話を語るナレーションにかき消されながら、全裸のニーナが台詞を口にする——という、おそらくは苦肉の策で、演出者は何の形式も提示しないことを選んだ。新しい形式は、依然未知のものとして未来に託されている。

 あたかも稽古場でのように、ヘアドライヤーは銃に、カリフラワーはかもめに、ジャケットは人間にと、見立ての小道具を駆使して物語は進んでゆく。
 終幕を前に、ニーナを演じる女優が身を横たえたまま、両腕をゆっくりと羽ばたかせながら、モスクワに出たニーナの失墜を語る。その腕の動きにつれ、撒かれた土に大きく弧が描かれる。泥にまみれたかもめの鮮やかな表象であった。
 大詰、出演者一同は舞台後方の椅子に一列に居並びながら、私語を交わすなど舞台上のアクションには無関心のままである。一人取り残されたトレープレフは、ヘアドライヤーでの拳銃自殺をためらった末、舞台中央の泥の上に真っ赤なトマト一つを置くと、静かに踏みつぶした。
 我々は、(戯曲では一言触れられるだけの)孤独な芸術家の死に立ち会わされる。新たな形式を求める前衛芸術家は、孤独のうちに破滅するしかないのだろうか?彼は敗北したのだろうか?
 演出者の答えは違うと思う。このラストシーンは、無条件に美しかったのだ。真っ白は舞台、土のコントラスト、潰されるトマト——トレープレフの自死を、これほど美しく描いた上演を私はかつて知らない。この美こそ、自身新たな形式を模索する演劇芸術家である演出者の回答であり、矜持でもあろう。

 最後に——今回の野外劇場での上演は、自然の借景、何もない舞台、という劇中劇そのままの設定にこの作品を置き、トレープレフの新形式の劇が『かもめ』そのものを包摂するかのような入子構造の妙味で、この作品に興を添える好企画であった。

(於.舞台芸術公園 野外劇場「有度」 2008.6.7所見)

2008年7月28日

『剣を鍛える話』(中島諒人演出、魯迅作)

カテゴリー: 剣を鍛える話

祝祭的寓話の革新的演出
―中島諒人演出 魯迅『剣を鍛える話』劇評

森川泰彦

 まず、形式についての検討から始めよう。この上演の最大の特徴は、語り物形式を採用することにより、小説のすべての言葉を舞台に上げたことにある。それでは、かかる手法をとる理由はどこにあったのか。それはこの小説が、極めて豊かに広がる主題論的体系を有する作品だからである。この作品においては、寓話の寓話とも言うべき重層的な意味を帯びた登場人物たちの行為が、グロテスクなカーニヴァル的世界を繰り広げてゆく。相互に木霊し合う細部を形作っている地の文を切り捨てて、現代演劇のスタイルで上演してしまえば、この作品の魅力はあらかた失われてしまうのである。
 しかし、これを劇として成立させるのは容易なことではない。小説は、言葉だけで成り立つべく編まれているのであり、そのまま舞台化すれば語り(語られるもの)と視覚形象(見えるもの)がだぶってしまうのだ。しかし演出家は、そのようなハードルを、数々のテクニックを駆使して乗り越えることに成功している。
 まず、演技は簡略化され、言葉をそのまま再現しない。また、語られる視覚的事象が語りに遅れて現れたりもする。語りと視覚形象の間に、絶えず様々なずれが持ち込まれるのである。これは両者に存在意義を与えると同時に、そのせめぎ合い自体を舞台上の劇的表現の一部とすることになる。視覚形象には一定の抽象化が施され、特に演技は、伝統演劇に観られるような様式性を帯びる。しかし、完全な様式と異なり、ある時は言葉に接近して具体的(=リアリズム的)になり、ある時は乖離して抽象的になるといった具合に、両者の離接振り自体がこの上演を構成する重要な要素となっている。このような様式なき様式は、舞台にリズムを生むと共に、その予測不能さがサスペンスを生むことにもなった。
 加えて、「仕掛けの露呈」に関わるブレヒト的な手法も的確に用いられる。語り手の語りが演技者の発話に移る過程で、両者が同時発声したり、異時発声(語り手の語りを演技者が繰り返す)したり、片方が口パクになったりといった「遊び」が、随所に盛り込まれているのだ。このように、言葉に対して視覚形象が一定の自律性を持つことが、この舞台を極めて豊かなものにしている。また、暗めの照明を基調とした抽象的空間に、質感豊かな衣装、小道具が置かれるという模範的なセノグラフィーは、この作品のグロテスク・リアリズム的な幻想性をよく支えていた。
 工夫は、このような視覚面と言葉の関係をめぐるものだけではない。聴覚面との関係においても際立った技巧が使われる。まず、聞き取れなければすべての言葉にこだわる意味がなくなるから、明晰に発音することが当然の前提となる。その上で、言葉の有する音声としての物質性を際立たせるべく、誇張された語り口が採用される。さらに太鼓の強い連打を中心とする、まさに「劇的」な効果音を随所に挟むことで、語りの冗長さ単調さが避けられる。きびきびとした役者の動作もそれに連動する。これらを実現するためには、通常の芝居でのそれとは異なる高い技量が要求されるわけだが、役者たちはそれに見事に応えていた。
 この舞台は、伝統演劇の主たる手法の一つである語り物形式を、上演テクストの内容に即する形で、鮮やかに使いこなして見せた。現代演劇に新たな可能性を開く優れた舞台であったというべきである。
 次に、テクスト細部の形象化を検討しよう。まず今回の舞台では、眉間尺の母の父についての語りの際に、父を視覚形象化し、その父親役の役者を黒い男役の役者と兼ねさせていた。これは、黒い男が実は眉間尺の父であるという解釈に適合する。眉間尺の母を娶り、眉間尺をもうけたことも含めて、彼自身の復讐のための謀だと解して初めて、この物語の数々の謎が明らかになるのだ。またこの演出では、眉間尺の生首を、うっすらと青く塗ったマネキンの首によって表していた。これは、眉間尺の首が青剣の寓意であること、つまり「剣を鍛える」とは、彼の成長の寓話であることを示すものである。さらに演出は、大王の鼻を赤くしていた。これは、眉間尺親子の安眠を妨げた鼠が、臣民を苦しめる暴君の分身であることを示している。さりげなくテクストの構造的理解を誘導するこれらの演出は的確である。
 また、大王の前に現れた黒い男は、ひょうきんな扮装をし、おどけた声で口上を述べる。これはテクストに直接書き込まれていないものを、適切な読みに基づいて掘り出した説得力ある演出と言える。男は大王の気を紛らせるためのエンターテイナーとして登場しなければならないわけだし、この作品の本質はカーニヴァルにあり、その上演はクライマックスに向かってグロテスクな笑いを増していくべきだからである。
 カーニヴァルにおいては、「真面目、恐怖、教条主義」を特徴とする公式文化に支配された日常的生活が、「自由、笑い、陽気な相対主義」を特徴とする民衆文化に突き動かされた非日常的混乱に取って代わられるとされる(バフチン)。黒い男の魔術により、生首が乱舞し噛み殺し合った末、暴君の「恐怖」の支配が崩壊するこの物語の世界は、まさにカーニヴァルそのものなのだ。
 最後に、テクスト外部の形象化について検討しよう。この演出は、ブレヒト的な手法を用いることにより、テクスト外の「歴史」を巧みに舞台に取り込むことに成功している。まず物語最後の人民が行列を見る場面、人民を演じる役者たちは、それまでの誰かを演じるための表情を一変させ、鋭く冷ややかな眼つきでじっと観客席(行列)を眺める。見られる者(客体)であった彼(女)らが、見る者(主体)になる瞬間である。これは、有史以来、支配の客体であった人民が政治の主体となる時代の始まりを告げるものだと解し得る。またこの演出では、最終行の「1926年10月作」まで発話の対象としているが、これは効果的にこの時代を想起させる。そしてこの演出では、語りが始まる直前、民衆の子供がこの話を幾度も聞きたがり、母親もまたそれに喜んで応えるという場面が付加されている。この数少ない創作部分は、語りの導入を正当化すると共に、人民の革命願望を表象し、革命到来を暗示する物語終末の場面と響き合うことになるのだ。
 他方でカーニヴァルは、民衆の不満を解消させることで社会秩序を安定化する、「ガス抜き」の装置でもある。そこで演出家は、革命到来を謳い上げたりはしないし、また人民を美化したりもしない。行列を見つめる場面のすぐ後の行列の混乱を示す場面では、我先に人を押しのけて前へ出ようとする人民の姿を描き、最後には悠久普遍であるかのような人民の生活を凝縮した場面を付け加えてこの劇の幕を下ろすのだ。テクストの内容にふさわしい、バランス感覚を備えた演出だというべきである。

(2008年6月14日観劇)

『アンティゴネ』(ハナン・スニル演出、ソフォクレス作)

カテゴリー: アンティゴネ

『アンティゴネ』における議論の政治
―ハナン・スニル演出 ソフォクレス『アンティゴネ』劇評

森川泰彦

 『アンティゴネ』は「対立の劇」である。この劇では、国家の敵ポリュケイネスの埋葬禁止の是非と、それを敢行した妹アンティゴネの処罰の是非をめぐって、アンティゴネが主張する神の掟とクレオンの主張する国の法がぶつかり合う。どちらが正しいかを原理的に決定できない対立が生じ、しかし決定を下さなくてはならないという極限状況が、この劇の基本構造をなしているのである。
 そしてまた、『アンティゴネ』は「議論の劇」である。登場人物は、ひたすら政治的な正当性をめぐって討議する。たとえそれが、肉親の埋葬や自己や許婚の生命という重大な私的利害に関わることであれ、ひたすら弁論によって、自己の主張の公共的正当化を図ろうとするのである。この劇の大部分は議論によって構成されているのだ。まず物語は、アンティゴネとイスメネの埋葬実行の是非をめぐる議論に始まる。これは私的な会話であるが、捕えられたアンティゴネは、公的な場でクレオンに同様の議論を挑み、クレオンもこれに応じる。続いてクレオンは、アンティゴネを弁護する息子ハイモンとの論戦に応じる。そして最後の預言者テイレシアスとの議論の後、急にクレオンは、自己の主張を全面的に撤回することになる。
 ではなぜ、登場人物たちはこれほど雄弁なのか。そしてなぜ、その発言において、公的正義を私的利害に優先させるのか。クレオンは独裁者であるのなら、なぜ相手の発言を封じ命令だけを下さないのか。同じ日に上演された魯迅の『剣を鍛える話』においては、大王の「発言はいつも短い。」これが絶対的権力者の通常の姿であろう。また、なぜクレオンは急に弱気になるのか。
 以下のように解すれば、これを合理的に説明できる。つまりは、クレオンは絶対的権力者ではないのである。「全体主義」と言われる政治体制の中にも、様々な類型がある。民主政でないとしても、首長に権力が集中しているとは限らず、複数の主体が権力を分かち持っている寡頭政も広く存在する(権威主義体制)。それではクレオンは、誰と権力を共有しているのか。それはテーバイの長老たち(コロス)である。彼は「同輩者の中の第一人者」に過ぎないのだ。だから彼は、自己の政治的決定を常に長老たちの前で正当化し、その(暗黙の)同意を得なければならない。だから挑戦者たちは、長老たちを味方につけるべく、言葉によって王に闘いを挑むのである(もっともアンティゴネの主張は、現世の公共性にとどまらない点で特殊であり、その検討は極めて重要であるが、紙幅が限られているので割愛する)。
 原理的に決定できない決定を執行するためには、裁定者の権威だけがその担保となる。戦勝の高揚の中で、既に決断に踏み切っていたクレオンは、そのように考えて後に引くことができない。彼は、自己の権威を印象付けるべく振る舞いつつも、同時に長老たちの説得に必死になる。家父長主義的な長老たちは、女に負けてよいのかと煽られてクレオンへの忠誠を維持し、民衆はアンティゴネを支持していると聞いてハイモンに傾きかけるが、踏みとどまる。彼らの中には信念を変えぬ者もいようが、大部分の者は、どちらが正当なのか迷い続けて、揺れ動く。そして程度の差はあれ、優勢な方につこうと周りをうかがう日和見主義者でもある。
 このような流動的状況を決定付けたのが、王も認める権威者テイレシアスの態度表明である。長老たちは一人ではクレオンに歯向かえず、その世俗的権威を畏れなければならないが、彼らの多数の支持がなければ、クレオンは直ちにその座を失う。そして、テイレシアスという宗教的権威の反対を目の当たりにして、まさにその危険が迫ったのだ。クレオンは己の形成不利を悟って、態度を変える。独裁者を「演じる」のをやめたのである。後は、普通の人間に戻ったそれなりに優れた男が、過酷な運命にさらされ転落していく様が描かれることになる。
 今回の上演は、クレオンの権力の限界とそれに関連した長老=コロスの重要性に着目した点で注目すべき舞台であった。クレオンは、最後を除いて堂々と自信ありげに振舞いつつも、絶えず長老たちの動向を気にし、直接の論敵たちの方ばかりでなくそちらにも語りかけ、彼らが反対意見を述べようとするなら、機先を制しようとしたのである。そしてこの舞台では、発言者が常にコロスを意識するために、体や首の向き、視線の動きが必然的に運動性に富むものになる。これは、舞台上に台を設けて、簡単な移動により身体の高低差や視線の上下を作り出すことを可能にした美術や、特にクレオンを演じた役者の高度な技量とあいまって、豊かなスペクタクルを形作ることになった。
 しかしながら、先に述べた立場からは、演出家の読解は不十分である。まず演出ノートによれば、コロスは「尊敬すべき経験豊かな大衆」で「現代における世論を体現する存在」であるという。また、アフタートークでの発言では、クレオンは短絡的思考の現役の司令官、コロスは思慮深い退役軍人であると位置付けられていた。しかし、テクストはコロスをそのように理想化していないし、かかる解釈では、ポピュリズムに対する批判を欠くことになる。さらには、そもそも民主主義国家(イスラエル)を、権威主義国家テーバイに直接重ね合わせることはできないのだ。
 そして最も重大な欠点は、そのような理解では、王と長老たちとの、また長老同士の間の、イデオロギーや利害の対立・緊張関係が基本的に存在しなくなってしまうことである。実際の舞台も当然これを反映し、対立が生じても原理的なものにはなっていなかった。このような演出では、この劇が持っている政治劇としての可能性、現代にも通じる政治の本質を描いた普遍性が、十分捉えられているとはいえない。長老たちの支持獲得をめぐる『言葉の政治』に着目するにとどまらず、彼らに出自や信条により異なる政治的主体性を与えて初めて、それが実現するのである。そうして初めて、異なる意図を持った様々な主体に働く多様な力のぶつかり合いとそのダイナミックな変化を、ギリシャ悲劇特有のコロスを活かして顕在化する演出も可能になる。そしてそのためには、せりふを意味論的に理解するだけでは不十分であり、語用論的に把握する必要があるのだ。今回の舞台は、すぐれた着想を有し、かつそれを巧みに形象化していたが、これらの点で不徹底に終わったと考える。
 なお、日本の古典演出においては、テクストにきちんと向かい合うことのない安易な改竄が横行しており(根拠があれば改作を否定はしないが)、特にギリシャ悲劇の合唱部分は、扱いが難しいためきちんと上演されることは少ない。この点この舞台では、コロスの合唱なども省略せず、かつ無理なく上演していた。そしてギリシャ悲劇は、能がそうであるように本来音楽劇でもあったのだが、この舞台では、台を太鼓代わりにした荒々しい演奏や、アンティゴネの歌など、優れた舞台効果を有する音楽に富んでいた点でも、見応え聴き応えがあった。これらも高く評価すべきである。

(2008年6月14日観劇)

2008年7月27日

『遊べ! はじめ人間』(メルラン・ニヤカム振付)

カテゴリー: 遊べ! はじめ人間

「悦びの彼方の身体」~『遊べ! はじめ人間』より
                              高原幸子

 はじめに預言があった。村の語り部によって世界で今なにが起こっているのかを告げる預言。それは言葉がそのまま「音」であることで意味を与えるものだという。
 そこからドラムのリズムが流れ始める。通常私たちがする呼吸よりも速いペースのリズムの流れ。そこに5人の身体が躍動し始める。体のなかに既にあったリズムが、アフリカの日常の中に与えられているリズムが、踊りとして現れる。
 この舞台が植民地の歴史を含む近代ヨーロッパを通じたところの「アフリカ的なるもの」の表象をしているのではなく、それを突き抜けた異種混淆の地平を見出しているとするのなら、それはこの「音」と「リズム」が主役となっているからだと言っても過言ではないだろう。「はじめ人間 ― Recreation Primitive」という原初的な人間の再創造には、性別も、社会的格差も、人種的差異も顕在化したものではなく、白塗りによって体を浄化した一種のトランス状態(忘我/陶酔)のなかでの身体の躍動が迫ってくる。
 私たちはそれぞれ個々の物語りを生み、大きな物語りに同化し、生を与えられている。しかしその物語りは個々の主体、ある集団の主体がなければ語ることができないものだ。言い換えればある役柄が明確でなければ物語は生み出されない。しかし物語りはその展開が一定の社会的承認どおりに動かなければ、ほぼ悲劇性を生み出す。
 この舞台にはこういったかたちの「悲しみ」の感情が現れない。いや、その名をつける以前の独りであることの驚嘆の声、衣装をまとった女たちが男たちに怒りをぶつける場面など、感情というものは表わされる。しかし物語りを背負った一人の人間が苦悩し、その主体の破壊に立ち会うまでの悲劇性は現れない。その代わりに、舞台前方で眠りにつくダンサーたちを後方から出てくるミュージシャンたちが色つきの棒で音を出しながら起こしたり、蝋燭や花の形をしたオブジェなどの光にダンサーたちが魅せられていくように、原初的な悦びに満ちた場面が途切れなく続いていく。
 一つ、こういった原初的な身体の悦びに対比されるものとして映像と音楽があるだろう。舞台中央に設置されたスクリーンいっぱいにダンサーたちの顔の表情、踊りながら切り離されていくユーモラスな身体、アフリカの何処からしい現実の映像といったものが映しだされる。音楽も、クラシックから現代アフリカのメランコリックな歌、民族音楽といったものまでもがダンサーやミュージシャンたちの歌声と交錯する。
 独りの人間の発する言葉は「悲しみ」のなかに置き去りにされるが、意味を作り出す「音」は、そこから遠く離れた場所へと、見て、聴き、体を動かす者たちを連れて行ってくれる。それは決して現実から切り離された「想像領域」なのではなく、世界の現実を認識する以前に保持されている身体の「想像領域」なのだ。
 振付のメルラン・ニヤカム氏はそこにダダイズムの影響を言及するが、20世紀初頭の社会秩序や戦争への抵抗は、そのまま現在の2000年代の大きな物語りを失った私たちが突きつけられている問いでもある。
 アフリカの日常のなかに与えられているリズムに呼応する身体内のリズム。それをアフリカ的な生命の躍動感などという表象をするのはできるだけ避けてみたい。常に既に自然に行為するように、ふるまうようにと馴らされている私たちの日常は、張り巡らされた社会規範のなか、実はこのようなリズムに気づかされないように生き延びさせられているのかもしれない。
 ニヤカム氏が「私たちは急ぎすぎている」。「本当の価値を失っている」。「自然を忘れないように」、という警告を発しているとすれば、それは資本や社会秩序が構成するこの世界の悲劇性に満ちた現実にしか置かれることはない私たちの身体に対してであり、ダンスが醸し出すプリミティブなものへの誘いは、決して太古の人間への素朴な回帰ではなく、今ある現実においていかに身体の「想像的領域」を開いていくのか、という問いに結実していくだろう。
 悦びに満ちた身体の躍動が、「悲しみ」を解きほぐすように、言葉を「音」として享受する、研ぎ澄まされた身体を取り戻すことが見出される。私たちは、いまだ「悦びの彼方」にある身体しか持ちえていないことを思い知らされるように。
(以上)

2008年7月1日

『エリザベス2世』(ゲルト・フォス演出・出演、トーマス・ベルンハルト作)

カテゴリー: エリザベス2世

エリザベス2世、来臨せず
                      奥原佳津夫

 裸舞台に肘掛椅子と小卓、貼りものの柱時計。車椅子に乗って登場した老紳士が、膝の上に台本を開いておもむろに語り始める̶̶「『エリザベス2世』、作・トーマス・ベルンハルト。」
 ヨーロッパ式言葉の演劇の極北に位置する作品であり、ベルンハルトのテクストと演じるゲルト・フォスの演技にすべてを負った、愚直なまでにストイックな上演であった。
 主人公のヘレンシュタイン以下、すべての台詞とト書きをフォスが語る一人芝居。はじめ、海外公演のために簡略化した暫定的なリーディング上演なのかと思ったが、やがてどうやらそうではないことに気づく。「一人芝居ヴァージョン」として成立した作品なのだ。
 ストーリーは至って単純、エリザベス女王の行幸を見物すべく数多の知人が厭世家ヘレンシュタイン家のバルコニーに詰め掛ける。その朝、彼が使用人相手に垂れ流す言辞の数々̶̶。
 「エリザベス2世」が何か展開に関係するわけではなく、烏合の衆が群がる対象、虚像という意味からだけ云えば、日本の政治家でもテレビタレントの名前でもいいわけで、人を食ったタイトルである。
(そこにはオーストリア特有の政治的背景や国情があるのかもしれないが、オーストリア演劇とドイツ演劇の区別もつかない門外漢なので目をつむる。)
 さて、この「一人芝居」という上演形式の故に、舞台を観ながら、三つの次元からこの『エリザベス2世』という作品を味わうことになった。まずは、その視角性を排した舞台から、文学としての戯曲自体を味わい(独語を解さないので、実際字幕で活字を読むことになる)、次に完全上演された場合の舞台面や登場人物たちを想像させられ、そして現前するパフォーマンスそのものを楽しんだ。
 いきおい、文学(小説)と戯曲と上演、あるいは、戯曲(劇作家によって書かれた言葉)と台詞(俳優によって発せられた言葉)のあわいについて考えさせられた。
 この作家の一人称小説がそのまま舞台上演されたとも聞くが、この戯曲にしてからが、テクストのほとんどは主人公の一方的な語りに費やされており、一人称小説として充分に楽しめるだろう。しかしこの上演が、活字を音声化した「朗読」ではなく、「一人芝居」として成立しているのは、俳優の身体とその台詞を支える作品世界の確かな構築によって、言葉が充分な空間性を獲得しているからである。
 一人の極めて自己中心的な人物の内面に焦点をしぼり、その視点から外界を認識するベルンハルトの作風と相俟って、その戯曲全体を一人で語りきることによって舞台上に作品世界を成立させるゲルト・フォスは、限りなく作者ベルンハルトに接近してゆく。
 ヘレンシュタインは絶え間なく語りつづける。それは時に暴言であり、時に脈絡を欠いた連想である。だが、その言葉の大部分が向けられた使用人のリヒャルトには決まり切った相槌しか期待できず、対話が成立することはない。さらに彼は、この腹心ともいうべきリヒャルトが自分に殺意を抱いているに違いないという猜疑に秘かに怯えている。
 事故で両脚を失い、視覚、聴覚の衰えを感じながら誰を信じることもできない老人の孤独。
 一見、リアリズム演劇を思わせる日常的な道具立てながら、その孤独な言葉の渦を聞くとき、我々が作品世界に感じるのは、例えばチェーホフの中にベケットを見る視点、あるいはベケットを通してチェーホフを見る視点に通じるものである。
 こう考えると、孤独な主人公一人にすべてを語らせる「一人芝居」という上演のヴァリエーションが的を獲たものに思われる。
 途中、柱時計のネジを捲くのと一旦椅子に掛け替えるわずかなアクションを除き、台詞を語り続けるだけの上演に、退屈さがないと云ったら嘘になるだろう。意外だったのは、フォスがヘレンシュタイン以外の脇役の台詞を、ト書きを読むのと同列に処理したことだ。
 俳優にとって何役もの人物像を演じ分けるのは魅力だろうし(小物なら迷わず腕の見せ所と心得たろう)、化けるタイプの俳優フォスには容易なことだっただろう。あえてそうしなかったところに、演出者ゲルト・フォスの理解の深さと抑制を感じる。(この他に彼の演出作品があるのか寡聞にして知らないが、上演後の質疑応答で、かつて映画監督を志したと聞き、なるほどと思った。)少なくとも自分の演技を的確に操れる演出者であることが、優れた演技者の必要条件だと思っているが、ゲルト・フォスはまさしく名優であった。
 彼の言葉の聞き役である脇役たちが、個々の俳優によって演じられた場合、どのような人物像が提示されるだろうか?主人の言葉に唯々諾々と従う女中も、全面的な肯定の裏に隠れて一切本心を覗かせないリヒャルトも、その受動性や無人格性によって、ヘレンシュタインの孤独を際立たせる存在になるのではないか?フォスはそれらの役を、あえて演じないことによって完全な空白として提示したのだ。
 思えば、他者との関係性を否定したヘレンシュタインにとって、周囲の人物たちはいないも同然であり、それは彼の感知しないところで世間を賑わすエリザベス女王の行幸とて同じこと。ベケットの「ゴドー」同様、決して登場することのないタイトルロール「エリザベス2世」は、不在の象徴であるのかもしれない。この「不在」の劇は一人芝居にふさわしい。
 ラストに用意された(人々が殺到したことによる)バルコニー崩落は、チェーホフの皮肉な掌編を思わせもする。見下ろして、「みんな死んだな」と一言、この大詰めを語るフォスの語り口は、落語のオチにも似た味わいで痛快であった。
(於.静岡芸術劇場 2008.5.31所見)

2008年6月15日

『消された官僚を探して』(ラビァ・ムルエ作・演出)

ベイルートで記憶を死守する――『消された官僚を探して』

北村 紗衣

 レバノンのアーティスト、ラビア・ムルエの一人芝居『消された官僚を探して』は、5/14に静岡舞台芸術センターで上演されることになっていた。ところが5/7にレバノンで武力衝突が発生し、ヒズボラがベイルート・ラフィク・ハリリ空港を封鎖したため、出演者であるラビアは出国できなくなった。
 一時は上演が危ぶまれたが、『消された官僚を探して』はラビアが直接舞台に姿を現さず、スクリーンを通して観客に語りかける作品であることが幸いした。ラビアの強い希望により、ベイルートのスカイプで映像を生中継するという手段で公演が行われたのだ。上演前の解説によると、ラビアはたった1日で自宅にインターネット回線を3本引き、直前までリハーサルを行ってやっと中継できる状態までこぎつけたという。中継状況は良好とは言えず、上演中にラビア宅が停電して映像が途切れ、発電機を用いて中継を再開する一こまもあった。しかしながらラビアはそんな中でもユーモアを忘れず、観客に良い舞台を提供しようという気概に溢れていた。
 しかしながら、最先端の情報テクノロジーを活用し、血の滲むような努力をしてラビアがベイルートから静岡の観客に発信したものは、なんと「新聞の記事」であった。『消えた官僚を探して』は、大金とともに行方不明になったレバノン財務省の官僚についての新聞報道をひたすらラビアが検証し、その様子を舞台上の3つのスクリーンに映し出すという作品だ。それぞれのスクリーンには、ラビアがスクラップした新聞記事、観客に語りかけるラビアの顔、手書きの検証メモが映し出される。観客は、ベイルートからわざわざインターネット中継で新聞を読まされるという奇妙な事態に直面する。このデジタル化の時代になぜ新聞なのか。ラビアが発信しているものは一体何なのだろうか。
 我々がまず圧倒されるのはラビアが提供するニュースの多さだ。ラビアはレバノンの主な新聞から官僚失踪事件の記事を全て切り抜き、日付順に整理している。新聞に汚損などの問題があれば新聞社に問い合わせ、雑誌などの記事もできるだけ保管する。その膨大な記事をスクリーンで見せられた観客は情報の洪水に溺れ、事件の仔細を追うことはほとんどあきらめてしまう。一方で情報収集に対するラビアの執念はひしひしと伝わってくる。
 ラビアいわく、治安の悪化に伴い、増加する失踪者の記事を切り抜くようになったことが記事収集のきっかけだという。この作品の出発点は、あらゆる物がいつなくなるかわからないレバノンという場所で失われていくものの記憶を保存し、整理することなのだ。最後に紹介される記事が、失踪した官僚のほとんど原形をとどめぬまで損壊された死体に関するものであることは示唆的だ。極度に治安の悪化したレバノンでは、どんな人間であろうともいつ消されるかわからない。
 一方、新聞は内戦下であろうと毎日発行される。スクラップブックに貼り付ければ何十年でも保つ新聞は、実のところ、電気がなければ利用できず、多くは20年程で壊れてしまうデジタルの記録媒体よりも強靱だ。新聞は人間すらいつ消されるかわからぬ場所においては最も頼りになる資料であり、レバノンの人々に情報を提供し、過去を保存してくれる。ラビアはそんな新聞記事を集めて保管することで、レバノンを取り巻く破壊の渦に抗おうとしているように思われる。
 しかしながら、ラビアは新聞が常に信用できるわけではないことも仄めかす。官僚失踪事件に関する記事は錯綜し、時として不明確だ。ラビアが行う新聞記事の検証は、新聞が貴重な情報手段であることを確認する一方、読み手のほうもその情報の価値について意識的に考えねばならないことを示唆する。ラビアはいくつかの新聞に掲載された不鮮明な写真を比較し、オリジナルの資料にあたることが重要でコピーには疑いの目を向ける必要があることをさりげなく観客に印象づける。また、ラビアはある日から16日間、ぱったりと官僚失踪事件の記事が新聞に載らなくなったことに触れ、この「空白の16日間」のかわりとしてショパンのワルツを3分間観客に聞かせる。この3分間は、大量の情報に疲れた観客を休ませる一方、ジャーナリズムの気まぐれさを諷刺する捻れたユーモアとして見ることもできるだろう。ラビア・ムルエはいつ失われるかわからない情報を並々ならぬ情熱で収集し保存する一方、自らの頭で自由に考え、その信憑性を疑うよう観客に勧める。
 『消された官僚を探して』は、レバノンという不安定な場においてたやすく失われかねない記憶を保存したいという切迫感から生まれた。ラビア・ムルエがこの舞台において果たしているのは、小さな文書館を作って観客と情報の橋渡しをする誠実な「司書」、脆い記憶を風化から守るアーカイヴ管理者の役割である。彼は危機的な状況にあっても情報を蓄え、整理し、それについて自由に考えることがいかに芸術にとって必要かを観客に示す。ベイルートからラビアが発信したのは単なる新聞のニュースではない。彼が発信したのは、失われてゆく記憶を保管することの重要性、そして保管した小さな新聞の囲み記事を通して自由に考えることの重要性なのである。

(観劇日:5月14日)

『サド侯爵夫人』(鈴木忠志演出、三島由紀夫作、SPAC)

カテゴリー: サド侯爵夫人

身心を励起した声は、エネルギーとなって……
      ――― 鈴木忠志演出『サド侯爵夫人(第2幕)』を観る

                    阿部 未知世

 <Shizuoka 春の芸術祭>に先駆けて、4月5日から始まった、鈴木忠志演出作品2本の連続上演。初日の4月5日に上演された『サド侯爵夫人(第2幕)』は、この企画のキャッチコピーそのままに、まさに<息つまる、言葉の格闘!>そのものの、力に満ちた舞台だった。

 三島由紀夫の手になる3幕もののこの戯曲は、こんな物語である。
 サド侯爵はスキャンダラスな男。しかしその妻ルネは、そんな侯爵と別れない決意をしている。何故ならサド侯爵は、美と醜、善と悪がひと続きになった無垢な<悪徳の怪物>。ならば妻であるルネは、<貞淑の怪物>になろうと心を決めたのだから(第1幕)。
 貞淑な妻ルネは、その貞淑さ故に、世間体が何より大事な現実主義者の母モントルイユ夫人との、長く厳しい対立が続く。その母の口から暴露されるのは、かつて密偵が垣間見た光景。それはサド侯爵の居城で行なわれた狂宴だった。
 自らの貞淑に命じられたからこその、悦びを伴っての、その時のルネの振る舞い。世間的な善悪や良識といった、どんな分類からも自由な、怪物であり無垢であるサド侯爵の存在に深く共感し、自らその存在に貞淑であることを選び取った、共犯者としてのルネがそこにいる。ルネはまっすぐに顔を上げこう言い放つ。サド侯爵すなわち<アルフォンスは、私だったのです>と(第2幕)。
 サド侯爵は自らの哲学を書くことで、精神の自由を獲得した。ルネはその哲学に殉ずるがごとく、生身のサド侯爵を受け入れることなく、自らの意志で修道院へ入る(第3幕)。

 これは論理劇、言葉の芝居である。
 三島は、自ら生み出す言葉の抽象性と浄化力に強い自信を持ち、最も下劣で汚らわしく、最も残酷で不道徳なことを、最も優雅な言葉で語らせている。しかし一方で、日本の新劇のセリフの演技的表現力には不満を持っていた(三島由紀夫<『サド侯爵夫人』の再演>、昭和41年7月1日、毎日新聞)。
 鈴木忠志自身も、三島が<サド侯爵をネタにして見事な論理を、こともあろうに演劇の戯曲として展開して見せ>ていながら、それが舞台になると<三島の理屈はほとんど説得力を持って届いてこな>いという不満を抱き続けて来た(鈴木忠志<『サド侯爵夫人』の上演にあたって>初演の演出ノート))。
 やがて機が熟して2007年、<演出家としての「男の意地」>(鈴木忠志、前掲文)がかたちとなった。その再演が、この度の公演だったのだ。

 その<サド侯爵夫人(第2幕)>は、こんな舞台だった。
 緞帳もない、黒を基調にした、光の少ない空間。床には白っぽい絨毯が敷かれ、中央には低く四角いテーブルと椅子数脚。奥には少し丈の高い小さな台。テーブルの上には陶器の大鉢、床にも陶器の胴を持つ大型の電気スタンドが2基。陶器はみな、土の色そのもののように模様のないくすんだ色彩(陶器:黒田泰蔵)。総じて、極めて簡素なしつらえである(美術:戸村孝子)。
 登場するのは、ルネ(高野綾)、その母モントルイユ夫人(久保庭尚子)、ルネの妹アンヌ(大桑茜)、サン・フォン伯爵夫人(内藤千恵子)、それに演劇研究者の男(蔦森皓祐)の5人。ただし男は原作には存在せず、舞台中央の一段と奥まったところにずっと居て、最小限度のト書きなどを語るのみの存在。
 発せられる言葉は確かに、美しく力強い。
 その声はしかし、伸びやかに発せられることはない。声は再び引き戻され、身体の内深くに籠められ、全身の細胞に浸透してそれを励起し、それを突き抜けて、全身から発せられるかのように、時に爆発的に、時に直線的に、時にぼわりと身体を包むように、充分なエネルギーを内に蓄えた言葉として空間に放たれる。
身体も、おおらかではない。極めて禁欲的に、重心を落とし、上体は静止したまま顔面も無表情に、時にすべるがごとく、時に大地を踏み鳴らすかのように歩を運ぶ(当然、ト書きにある具体的な所作はほとんど行なわれない)。
 身体が禁欲した分、言葉はなおエネルギーを増し、エネルギーが身体を透過した分、身体はそれだけ豊かに陰影を増す。
 それはまさに、600年以上の時間をかけて純化されてきた、能楽の身体技法と深く大きく通底している身心のありかた。そこでは言葉そして思いは、どこよりも骨肉化している。
 第2幕のクライマックスでルネは、どんな分類やラベルからも自由な、怪物的で無垢なサド侯爵そのものであることを、自ら宣言した。その時このルネは、単なる観念が発する薄っぺらな言葉を口にしたのではない。
 サド侯爵と確かに共有された、生身の哲学が、ここにいるルネ自身の身心に具現している。そう言い切ってもよいほどに、その場はエネルギーに満ちていたのではないか。そして場をともにする、私たち観客の心は深く強く、揺り動かされたのではないか。

 三島由紀夫の優雅なセリフが、ロココ風のしつらえの中で華麗に展開することを期待する向きには、大いに失望し、嫌悪する舞台だったことだろう。
 登場人物がまとう衣装さえも、グロテスクである。ルネの白く長いドレスは置くとして、他の3人の女性はみな、まるでオオトカゲのごつごつした皮膚のような、分厚くいかつい布をまとっていた(衣装デザイン:鈴木忠志、テキスタイル:堀内織江)それは、世間体や常識で分厚く身を包んでいる彼女たちを象徴してあまりあるものだった。
最後にルネは、美空ひばりの<誠ひとすじ、この道を行く……>という、野太い歌声とともに舞台から去って行った。第二次世界戦後の繁栄を身をもって築いて来た、多くの日本人の身心に受け入れられて来たこの歌声。その歌声の中で、妙に安心している私がいたことも事実だった。
 この感覚は、一体どこから来るのだろうか。
 否応もなく繁栄の原動力となって来た、私たち戦後の日本人。世代を超えて私たちは皆、繁栄や豊かさというひとつの共通の価値観を選び取り、鎧のように厚くそれを身にまとって生きて来た。その姿は、モントルイユ夫人のそれと、どれだけ違っていただろうか。
 しかし鎧をまとった個々人の裡深くには本来、無垢なる何ものかが宿っている。それはしかし、常識や世間的な価値から自由であるが故に怪物的でもある。その一筋縄ではいかない無垢なるものを深く眠らせたままで、私たちは邁進して来た。私たちは、意識するか否かに関わらず、みなその裡深くに一人ずつ、ルネを抱えているのだ。
舞台上のルネはしかし、怪物でもある無垢なる生き方を選び取った。その意味でルネは、孤独の只中にいる。そして世間的なるものと闘っている。
 そのルネが、戦後の日本人の身心に深く受け入れられて来た、美空ひばりの歌声とともにそこにあった。ひばりもまた、熱狂的に支持されつつもどこか怪物的な存在。そして間違いなく孤独な闘う人だった。
 日本人の身心を強く励起するひばりの歌声とともにルネに出会った時、呼応するふたつのエネルギーに触発されて私たちは、無垢なる怪物ルネが、それぞれの裡にいることを、切実に感じとったのではなかったか。
 その意味で、モントルイユ夫人とルネが延々と積み重ねた言葉の応酬。その厳しい対立はすなわち、(意識されないとはいえ)戦後の日本人が抱えてきた二面性の、深刻な葛藤に他ならないのではないか。そのことが、ひばりの歌声とともに明かされたのではないか。
 それ故なおさら私たちは、舞台上のルネの、ひとすじにおのれを貫く姿に感動し、いとおしく思えたのではないか。ひばりの歌声とともに歩み去る、ルネは崇高でさえあった。
 舞台に居たのは、フランスのロココ時代を生きたサド侯爵夫人ルネであるとともに、生身の私たちの、半身としてのルネではなかったか。
 この思いは、情緒に過ぎるのかも知れない。そして、劇作家三島の意図とも食い違うかも知れない。それは一体どこから来たのだろうか。演出家鈴木忠志の創り出した世界に負うところが大きいのではないだろうか。
                                  <了>

『サド侯爵夫人』(鈴木忠志演出、三島由紀夫作、SPAC)

カテゴリー: サド侯爵夫人

◆不在をめぐる物語―鈴木忠志版「サド侯爵夫人」、そして「ゴドー」    柳生正名

 不在をめぐる物語―三島由紀夫の「サド侯爵夫人」と題されたテクストを、こう読み取って、異論を唱える声は出まい。登場するのは、侯爵夫人ルネ以下、六人の女のみ。全体を統べる中心、であるはずの侯爵本人は一切、姿を見せない。放埓な性癖の咎を受け、獄中にある夫に貞淑を貫き通すルネは第三幕、釈放された侯爵との面会を何と拒む。常に女たちの話題の中心にいる侯爵だが、舞台への到来は最後まで却下され続け、物語は終わる。
 第二幕のみの上演となった今回の鈴木忠志版も、こうしたテクストへの理解が前提となっていることは間違いない。「侯爵の不在」が劇的な求心力であることは、サド邸サロンとして設えられた舞台の中心線を、徹底的に空虚化することで露わにされるだろう。
 その中心線上には果物や野菜が盛られた鉢が置かれるのみ。舞台は左右に分断される。下手に「貞淑の権化」たるルネ、上手は「肉欲」のサン・フォン伯爵夫人、「無邪気と無節操」を代表するルネの妹アンヌらの座。
 中心線すぐ下手に籐椅子が設えられ、その空席が、囚われの身の侯爵の「不在」を視覚化する。椅子には、サン・フォン夫人が自らの、そしてモントルイユ夫人が娘ルネと侯爵の間の、涜聖的な行状を暴く場面にのみ、座を占める。二人の口から発せられる、「サド侯爵は私です」と言わんばかりの、熱っぽく、しかし、どこか虚ろな言葉。それは、フランス古典劇の詩形を意識した劇作者の意図を逆なでし、読経のように平坦、かつ鶴屋南北ばりの五七調に、無理やり押し込められる。
 特徴的な演者たちの身体性。重心の揺れを抑え、発声と所作を一体化しつつ、極度に集中を高めていく点など、まさに能楽的だ。と、夢幻能が主役の現世における不在をめぐる物語であることが、自然に思い起こされる。わけても、複式夢幻能では、しばしばワキが演じる旅人の夢にシテ演じる霊が現れ、その夢を観客が観る構造をとる。
 鈴木演出は、「AとBと一人の女」などと同様、テクストにない男(演劇研究者)役を登場させ、ワキの役割を担わせた。ト書きや家政婦の台詞を断片的に語る、かと思うと、アメリカンポップスや美空ひばりの音楽を舞台に響かせ、いかにも戦後の昭和的心象に満ちた自らの内面を曝して見せる。
 三島描くところのルネが、自らの貞淑の論理的帰結として、待ち続けることで愛の純粋性を選び取る心理さえ、男の抱く演歌調「待つ女」の情緒的イメージに、容易に絡め取られる。かくして、彼は自らの夢と現実を行き戻りしつつ、自らが不在である夢を夢見る。
 これはほとんど、獄中のサド侯爵の心境そのものではないか。今回は、男が、ワキでありながら、不在のシテの存在をも最終的に担うことは演出上、舞台奥の中心線に近い座にほぼ不動で居続けることで、明確に示される。そして、観劇という行為自体、自らが不在の物語を窃視するという倒錯的な快楽に浸ることだ、と暴き、観客を挑発するのだ。
 今回、創作過程における三島の関心が、夫を最後に見捨てるルネの心理解明という当初の目論見から、サド侯爵という劇的中心の不在が貫かれる劇空間の「中空」的な構造そのものへと変化していったのではないか、と気付かされた。演出がその点を意識的に焙り出そうとしたこともあろう。それも、おそらくは、全篇を通じ題名役(タイトルロール)が舞台上に現れない不条理劇、サミュエル・ベケット作「ゴドーを待ちながら」を、大胆に参照する形で。
 例えば、演劇研究者の男が舞台中心線上のテーブルや鉢から野菜を取り、むさぼる、この演出特有の所作。ゴドーという常に不在の人物を待ち続ける(その点でルネと共通する)二人の男に、ベケットが人参や大根をかじらせる場面を髣髴とさせる。やがて、この二人の前に現れる暴君めいた男は、鳥の骨付き肉をしゃぶり、鞭を(サド侯爵張りに)振るいさえする。
 同じサディズムも、肉食中心の西欧では鞭がシンボルとなる一方、草食的な日本では緊縛が好まれる、という。今回の舞台も、役者の「カタ」にはまった身体性や台詞回しにどこか、草食が漂う一方、語られるテクスト内容(特にサド侯爵の行状)は「鞭と論理」の貫く肉食性に彩られる。
 こうした肉食/草食、ポップス/演歌、西欧/日本など、対立する二項のあわい。その、いずれの項にも属しえない隙間(つまりは中空)に立ちすくむこと。実はこれが三島由紀夫の存在論的な本質であると同時に、近代日本の在り様でもあった、のではないか。とすれば、今回の舞台は、戦後に至る近代日本の歩み行きに殉じた三島自身の内なる「中空」さえ、批評的に描き出して見せたことになる。
 ベケットがノーベル文学賞を得た一九六九年、事前に最有力候補と噂されたのが三島だった。結果的に受賞を逃したことが、翌年の鮮烈な自決という結末を導き出す、ひとつの伏線となった―そう思われてならない。
 一方、鈴木世代の演劇人にとって、「ゴドー」は一種母胎的な原点をなした。である以上、三島戯曲の最終到達点にベケットを忍び込ませた今回の舞台こそ、同じ昭和を生きた二人の芸術家が互いの臓腑を曝し合う、張り詰めた場となったことも当然の結果だった。そしてそこでは、鈴木の密やかな告白も漏れ聞こえたように思う。曰く「三島は私だ」と。(了)

2008年6月3日

『サド侯爵夫人』(鈴木忠志演出、三島由紀夫作、SPAC)

カテゴリー: サド侯爵夫人

〈亡命者の孤独〉に寄す
  ――三島由紀夫 作/鈴木忠志 演出 『サド侯爵夫人(第2幕)』を観て
藤山 一樹

 シェイクスピアの翻訳で名高い福田恆存は、自らの世過ぎをなかば自虐的にこう綴っている。
「他国語を自国語に置きかへることを自分の仕事にする翻訳者は、さういふ亡命者の孤独の中に暮さねばならない。たとへばシェイクスピアを翻訳してゐるときの私は、日本の中にゐて、日本人に取巻かれ、不自由なく日本語で用を足してゐても、母国のドイツ語を一々英語に直して喋らなければならぬ亡命者ティリヒと同じやうに孤独なのである」(福田、1987:87)。
 翻訳という仕事にかぎらず、日本人が西欧の文化と対峙しそれを自分の手で表現せねばならぬとき、終生、孤独がつきまとう。日本人は、西欧人に――「なりきる」ことはできても――「なる」ことはできないからだ。戯曲『サド侯爵夫人』を著した三島由紀夫もまた、そのことに敏感な作家であった。しかしながら、彼が『サド―』の創作にひとかたならぬ意欲を見せていたことも事実である。
 「もっとも下劣、もっとも卑ワイ、もっとも残酷、もっとも不道徳、もっとも汚らしいことをもっとも優雅なことばで語らせること。そういう私のプランのなかには、もちろんことばの抽象性と、ことばの浄化力に関する自信があった」(三島、1979=2005:226)。
 畢竟、三島が戯曲の世界で追い求めたのは、言葉の石を積み上げた大伽藍であったろう。日本の演劇にあるのは、能や歌舞伎のように、言葉と肉体と音楽を無尽に操る総合芸術の伝統である。明治維新以降、逆巻く西欧文化の波に日本人が相対するには、ひとまず対象に「なりきる」しか道はなかった。そこで三島は明治百年を目前に、日本人という帰属を自覚し、日本人の土俵から、日本人の言葉で西欧の文化を略奪する覚悟を、あえて、引き受けたのである。
 だからこそ『サド―』の生命線は、台詞にほかならない。この戯曲の本質は、舞台というコロッセウムで交わされる、ロゴス(言葉、論理)の応酬だ。鈴木忠志の演出は、その点で確かに、作品にいのちを吹き込んでいる。独特の台詞術――一定の音高で緩急の差をつけ、口角泡を飛ばす戦闘的なそれは、メデューサのごとく見るものを台詞に縛りつける。そこから人物の過ぎこしや感情の揺れといった行間を、(台詞と同時に)観客が読み取ることはできない。とりわけ顕著なのは、ヴェニスを懐かしむアンヌの台詞である。姉・ルネへの嫉妬を燃やし、水の都でのサドとの情事を「赤い肝臓」のような月と「白い砂浜」の寝床で彩ったアンヌの追憶は、戯曲を読むかぎり、むせかえるような熱と湿気の一夜を思い起こさせる。しかし鈴木の演出はあまりに台詞が張り詰めているため、(作者が意図したであろう)エクスタシーや血の匂い、愛といった余白に思いをめぐらす隙を与えない。舞台にあるのは、言葉を戦わせる存在、としての役者だけだ。なればこそ、舞台の主役は役者でなく、台詞になるのである。
 かような演出法は、台詞をめぐってさらなる効果を生み出した。ロゴスの純粋な力――とでもいおうか――を、蘇らせたのだ。
 幕切れちかくの母子の舌戦に、それは鋭く立ち現れる。母・モントルイユが理論の盾とする世間の道徳観に対抗すべく、娘・ルネは怪物サドへの貞淑をかなぐり捨てて、夫と共犯の高みに走る。戯曲に直接ふれるとき、読み手は三島の豊饒なレトリックにのまれ、時にルネが用いた論理の飛翔を見失いやすい。しかし弾丸のごとき鈴木の台詞術は、「鳩」や「鍵」といった比喩の生むイメージを濯ぎおとし、ノエルの顛末を暴く母への、ルネの焦燥と矜持を見事に表現してみせた。
 言葉は、人々の口の端にのぼるにつれて、その意味を超えた色とりどりの衣をまとうようになる。そして、受け手の豊富な経験と相俟って、さまざまな意味を人に連想させる。鈴木の演出は、意味の裳裾を長々とひくまでになった言葉から、衣をはぎとり、裸にしようとした。そのためには、日常用いる言葉遣いでは、目的は達成されない。あの曰くいいがたい、おかしみすら湛えた台詞術で見るものの意表をつき、舞台上の言葉そのものに集中させることで、結果観客は何か新しい言葉、人生で聞いたこともないような言葉を発見した気にさせられるのである。言葉の響きや意味と厳かに向き合うこともなく、ただ毎日消費しては生産する現代の我々に、その神聖さすら認識させた鈴木の演出は巧みであったという外はない。
 福田恒存が感じた亡命者の孤独を、言葉への矜持を道連れに『サド―』の創作で背負ってみせた三島由紀夫。文学座という新劇の聖地を逃れた点でも、二人はまさしく、レフュジーであった。初演から四十余年経ち、三島が道行の友とした「言葉」は彼の手を離れ、鈴木忠志という演劇人の手に落ちた。新劇というカテゴリすら覚束なくなった現代に鈴木が突きつける言葉の塊は、日本の演劇に永らく欠けてきたレフュジーの精神を、はっきりと浮かび上がらせたのである。

〈引用文献〉
 福田恒存(1987)「翻訳論」『福田恒存全集,第五巻』文藝春秋。
 三島由紀夫(1979=2005)「『サド侯爵夫人』の再演」『サド侯爵夫人・わが友ヒットラー』新潮社。