「よい本」との出会いは人生を豊かにする。
だから本をたくさん読みなさい、と周りの大人に言われながら育ってきた。
しかし、人生を豊かにするよい本との出会いというものが、単に本を一冊読み終わったあとで「あー面白かった」と思うだけのものではなく、そこに記されている言葉ひとつひとつをその後の人生をかけてじっくりと自分の中に落とし込んでいきたい、と思えるようなゆったりとしたものであるということを気づかせてくれたのは、ゲーテの「ファウスト」だった。 続きを読む »
「よい本」との出会いは人生を豊かにする。
だから本をたくさん読みなさい、と周りの大人に言われながら育ってきた。
しかし、人生を豊かにするよい本との出会いというものが、単に本を一冊読み終わったあとで「あー面白かった」と思うだけのものではなく、そこに記されている言葉ひとつひとつをその後の人生をかけてじっくりと自分の中に落とし込んでいきたい、と思えるようなゆったりとしたものであるということを気づかせてくれたのは、ゲーテの「ファウスト」だった。 続きを読む »
森を彷徨うダマヤンティ姫が、夫・ナラ王の居場所を大樹に問いかけると、ひとふきの風が吹いてざわざわと木の葉が共鳴し、さながら野外劇場の周囲の森もまたこの祝祭に参加しているようだった。そのようにして古代より人は、物言わぬ樹に感情を与え、目に見えぬ神に形を与え、また恐ろしい獣に意志を与え、壮大な宇宙を想像してきたのだろう。 続きを読む »
■依頼劇評■
柳生正名
ジゼル・ヴィエンヌ「マネキンに恋して―ショールーム・ダミーズ―」「Jerk」評
フランスで演劇やダンス、人形制作など多彩な分野で異彩を放つジゼル・ヴィエンヌ。彼女が振付、演出、美術を担当し、ロレーヌ国立バレエ団によって日本初演されたダンス作品「マネキンに恋して―ショールーム・ダミーズ―」に静岡で直面した。文字通り、それは〝直面〟という語でしか表現できない事件だった。少なくとも、その直後に同じジゼルによる演劇作品「Jerk」の直撃を受けるに至るまでは。
オーストリアの作家マゾッホの小説「毛皮を着たビーナス」に基づく「マネキン」の主人公は一人の男である。もっとも、針のように攻撃的な踵を持ったピンヒールが真の主役という捉え方も可能だ。と言うのも、幕開きから終幕まで、ピンヒールは密かに、だが確固として舞台上に存在し続ける。原案となったマゾッホの作はマゾヒズムの語源となったことでつとに知られるが、本作の場合はフェティッシュな嗜好、さらに言えば、「くり返し、女性性たちを演出しないではいられない」(ジゼル)という男の本源的な欲望にスポットライトが当てられる。 続きを読む »
■依頼劇評■
奥原佳津夫
ニコラス・シュテーマン演出『ファウスト 第一部』は、劇文学としての文豪ゲーテの詩劇とポストドラマ的演劇形式の拮抗を枠組として、テクストの作品世界を拡げてみせた刺激的な上演だった。歌手、ダンサーと楽師、数人の日本人エキストラが加わるとはいえ、専ら男優A、B(フィリップ・ホーホマイアー、セバスティアン・ルドルフ)と女優C(マヤ・シェーネ)の三人で、この長大な戯曲を三時間の舞台に上げること自体驚くべきことだが、ミニマルな演劇手法で古典戯曲のストーリー展開をなぞることにこの上演の眼目はなく、一人芝居の応酬とでも云うべき特異な手法が、テクストの生成する意味をめまぐるしくゆさぶり、時に裏返し、拡張させてゆく。主要登場人物三人にしぼって名場面集式に物語を構成するのでもなく、ポストドラマ的上演の材料としてテクストを解体するのでもなく、巨大な文学作品を舞台上のパフォーマンスと敢えて対峙させて緊張を持続しつづけた絶妙のバランスが鍵である。 続きを読む »
■卒業生 依頼劇評■
テアトロ・デ・ロス・センティードス<五感の劇場>による
<よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン>を体感する
阿部 未知世
0. クラインの壺をご存じだろうか
クラインの壺というものがある。
この壺をガラスで作る時。まずあるのが、片方がぷくりと膨れた、もう片方が鶴の首のように細く長く伸びた、一本のガラスの筒。その首の部分が、ますます細く長く伸びて弧を描き、あろうことかその先端が、ぷくりと膨れた胴体に突入する。首は突入してもまだ伸びながら先端部が広がって、あげくの果てに、開口したままのもう一方の端へと、内側からつながる。これで奇妙にねじれた、不思議な形のガラスの容器が出来た。内側を辿るといつの間にか外側に出てしまい、外側を辿るといつの間にか内側に…。これがクラインの壺なのだ。
これは一体、何ものなのか。純粋に数学的な、非ユークリッド空間で生起する事象で、境界も表裏の区別も持たない曲面の一種なのだそうな。クラインの壺とは、その曲面をユークリッド空間の3次元に、無理やり埋め込んだ形なのだ(Wikipedia)というが… 続きを読む »
■卒業生 依頼劇評■
井出聖喜
舞台
一間(180cm)四方、高さ一尺五寸(45cm)ほどの台が中央に置かれ、その縁から更に一間辺りにまで四方から客席の雛壇が迫っている。
台は朽ちかけ、側面の所々に穴が開き、色褪せた紅白幕がかすかに見て取れる。また、台の四隅には細身の柱が立ち、そのうちの一つの中央部には旧式の電話機が取り付けられ、さらにその最上部には三方に向かって据え付けられたスピーカーが望まれる。そのスピーカーの下部からは、三方に渡されたロープにほどよい間隔でナツメ型の提灯が据え付けられている。この台は盆踊りの櫓なのであろう。しかし、それにしては提灯が白と黒の二色柄で祝祭的な気分に水を差しているようである。
舞台の進行と共に明らかになるのだが、この台は確かに盆踊りの櫓でもあるのだが、主人公磐谷和泉隊長とその部下が立て籠もる塹壕でもあるのだ。おそらく隊長は(そして彼に率いられた部下たちも)ここで戦死したのだ。 続きを読む »