全ての死を悼むことは、すなわち全ての生を悦ぶこと。人はみな等しく人である。 シンプルだけれど今世界に向けて上演する意味をつよく感じながら、魂が浄化されていく音をきいた。
船を漕いでついとやってきた御釈迦様が、水面を彷徨う魂たちが手にもつ魂(玉)と引き替えに生前の役を与えていく。生きている間は誰もが自由でありながら、何かしらの役割を背負って不自由に生きている。シェイクスピア劇などで役者たちが控えている様子から、定刻になると前口上と共に物語の役として生き始める瞬間、つまり役者本人と役の境界を見せる演出があるが、この場合死者たちが還ってきて今再び実態を得て生き始めるというさらに大きな生死の境界を感じる。そのことがいっそう2500年という時の長さを思わせる。 続きを読む »
ふじのくに⇔せかい演劇祭2017■入選■【アンティゴネ~時を超える送り火~】西史夏さん
政治家の失言にはいつも辟易としたり憤ったり、その都度暗澹たる気持ちを味わうものだが、私にとって今村前復興大臣の発言の数々は比類ない悲しみを呼び起こすものだった。記者の質問に怒声をあげ、「自己責任」と発言した姿は被災者を突き放すようにしか見えなかったし、死者の数を読み上げる声は冷徹そのものだった。その時の彼、そして背後にある永田町には、決定的に、とても大切な何かが欠けていた。それは何だったのか。疑問符が残るなか、私は静岡へと旅立った。 続きを読む »
ふじのくに⇔せかい演劇祭2017■入選■【アンティゴネ~時を超える送り火~】ニシモトマキさん
水の意味するものは何か
「アンティゴネ」には、個人的に特別の思い入れがある。というのも、はるか昔の学生時代、東京は下北沢あたりの、客席に三十人も入れば満杯になるような小さな小さな劇場で、アンティゴネの妹イスメネを演じたことがあったからである。
当時はアングラ演劇華やかなりし頃で、流行のまくしたてるような台詞回しとスピーディーな動きで構成された、およそギリシャ悲劇とは似ても似つかぬ奇妙奇天烈な代物だったが、そこは素人芝居の自由さ、結構真面目に且つ楽しく演っていたのを懐かしく思い出す。
そんなわけで、SPACが「アンティゴネ」を上演すると聞き、これはぜひ観たいものだと心が躍った。しかも野外劇だという。ポスターを見ると、サブタイトルに「時を超える送り火」とある。すぐさま、薪能のイメージが頭に浮かんだ。日本の伝統芸能とギリシャ悲劇の融合──なるほど、いかにも合いそうな感じがした。 続きを読む »
ふじのくに⇔せかい演劇祭2017■入選■【腹話術師たち、口角泡を飛ばす】長谷川真代さん
レイプ的自慰行為の先にあるもの
芝居の幕切れ、彼女(彼)は自らの腕にはめたマぺットの内部に、もう片方の手を静かに少しずつゆっくりと差し込みはじめた。その行為の辿り着く先を、我々観客は目を釘づけにして見守る。洩らした吐息と「結末は思い出せないの」という言葉を残して芝居は唐突に終わりをむかえる。照明が落ち、舞台上が闇と静寂に包まれても、我々はお決まりの拍手ができずにいた。「果たしてこれでこの劇は終わりなのだろうか?」血液を脈打たせながら平静を装っていた観客は、期待の昂ぶりに終止符を打たざるをえなかった。自らを彼女(彼)に投影していたのに、その利那、鮮やかに現実に引きずり戻されたのである。 続きを読む »
ふじのくに⇔せかい演劇祭2017■選評■SPAC文芸部 大岡淳
SPAC文芸部スタッフとして、ここ10年ほど、観客の皆様から寄せられた劇評を拝読して参りました。毎回どの投稿も、本来なら「言葉にできない」はずの御自身の観劇体験を、あえて言葉にして他者に伝達しようという熱意に満ちたもので、心打たれます。今回もやはり感動いたしましたが、それとともに、年を経るうちに変化も確実に生じていると感じました。
それは、ここ数年の傾向でもあるのですが、「可もなく不可もなし」という印象の劇評が大半を占めている、ということであります。なぜ「可もなく不可もなし」なのかと申しますと、作品の内容の紹介や、作品の背景の解説は、皆さんきれいにまとめておられるのですが、そこで終わってしまっているのですね。しかし、劇評はあくまで批評であって、レビューとは異なります。もちろん作品についての紹介・解説は、劇評の果たすべき役割でありますが、それに加えて、作品に対する評価を下さねば、劇評としては完結しません。結局その芝居は、良い作品だったのか、そうではなかったのか。その良し悪しは、もちろん突き詰めれば主観的な判断に過ぎないわけですが、その主観的な判断をなるべく客観的に説明してみようという危うい綱渡りが、劇評(のみならず批評一般)の醍醐味だと私は理解しています。 続きを読む »
2017年10月13日
秋→春のシーズン2016 劇評コンクール 審査結果
秋→春のシーズン2016の劇評コンクールの結果を発表いたします。
SPAC文芸部(大澤真幸、大岡淳、横山義志)にて、応募者の名前を伏せ全応募作品を審査しました結果、以下の作品を受賞作と決定いたしました。
(応募数19作品、最優秀賞1作品、優秀賞2作品、入選5作品)
(お名前をクリックすると、応募いただいた劇評に飛びます。)
■最優秀賞■
小長谷建夫さん【ただ泣かされただけじゃなかった】(『高き彼物』)
■優秀賞■
松下リッキーさん(『高き彼物』)
平井清隆さん(『サーカス物語』)
■入選■
平井清隆さん(『東海道四谷怪談』)
丞卿司郎さん【なぜかダークヒーローに共感する瞬間】(『東海道四谷怪談』)
宮川ぶん学さん【高き彼物。過去の適切な家族の風景を通じた未来への演劇人への大ヒント】(『高き彼物』)
小長谷建夫さん【凍てつく冬を融かす春の日差しのように】(『冬物語』)
五感さん(『真夏の夜の夢』)
■SPAC文芸部・大澤真幸の選評■
選評
秋→春のシーズン2016 作品一覧
『東海道四谷怪談』(構成・演出:中野真希 原作:四代目鶴屋南北)
『高き彼物』(演出:古舘寛治 作:マキノノゾミ)
『サーカス物語』(演出: ユディ・タジュディン (俳優・スタッフ一同の構想に基づく) 作:ミヒャエル・エンデ作)
『冬物語』(演出:宮城聰 作:ウィリアム・シェイクスピア)
『真夏の夜の夢』(演出:宮城 聰 作:ウィリアム・シェイクスピア 小田島雄志訳『夏の夜の夢』より 潤色:野田秀樹)
秋→春のシーズン2016■最優秀■【高き彼物】小長谷建夫さん
ただ泣かされただけじゃなかった
こんなことで泣くようなヤワじゃないぞと堪えていたのだが、後ろの席の男性が涙のためか鼻づまりになって口で息をし始め、時々「うーっ」という妙な泣き笑いの声を上げるに至り、折角閉めていた涙腺が見事に開いてしまった。気が付くと周辺の観客もみんな鼻を啜りあげたり、目元を拭いたりしている。
古館寛治演出の「高き彼物」は上質の人情劇、高い志を持った人情劇であった。
三時間の芝居と聞いて、居眠りをしないようにと少々身構えて席についたのだったが、開幕と同時に真夏の驟雨を浴び、昭和50年代の川根の田舎町に引きずり込まれ、以後そこの雑貨屋の居間で繰り広げられる人間ドラマに浸りきりとなった。警戒していた眠気は、より強敵の涙と鼻水に替わったわけだ。 続きを読む »
秋→春のシーズン2016■優秀■【高き彼物】松下リッキーさん
この演劇のクライマックスは、猪原正義の告白だ。舞台上に動くものはいない。でも、激しい緊張感にあふれている。舞台上の緊張感は客席に広がることにより強度が増し、劇場が一体となって猪原正義の次の言葉を待っている。猪原正義を演じる渡辺敬彦は、会場全体の緊張感をしっかりと受け止めながら告白を続けている。自分の言葉が観客の心に響き、広がっていくのを感じている。しかし、決して観客に語りかけているのではない。ただ、感じ、受け止めているのだ。観客もまた、舞台上で起こっていることを感じている。この瞬間からも、演出家・古舘寛治が役者と観客の想像力を信じ、戯曲と誠実に向き合っていることがわかる。彼は演劇の力を信じているのだ。僕はそのことに強く共感する。だから僕は、なぜこの舞台が、ここまで感動的に受け止められているのかを考えてみたいと思う。 続きを読む »
秋→春のシーズン2016■優秀■【サーカス物語】平井清隆さん
暗がりの中、朗読の声を掻き消けさんばかりの轟音が響く。悪魔の咆哮にも似たその轟きは、サーカス小屋を取り壊そうとする建設機械の音だ。朗読の声も負けじと力強さを増しながら続く。「エリを真中にして守るようにぎゅっと寄り添って立つ。機械の騒音が耳を聾するまでに高まる」。
インドネシア出身のユディ・タジュディン演出の『サーカス物語』(原作ミヒャエル・エンデ)は、物語の最後の場面から始まる。観客は緊張と不安に包まれ、物語世界へと引きずり込まれる。引波に浚われる足元の砂の様に、現実と言う立ち位置が不確かな幻の如く消えてゆく。 続きを読む »
秋→春のシーズン2016■入選■【東海道四谷怪談】平井清隆さん
中野真希演出の『東海道四谷怪談』(以下『四谷怪談』と略す)は「怪談」と言ってよいのか。観劇しながらそんな思いが頭をよぎった。
あらすじは周知の通りだ。お岩が夫・伊右衛門に惨殺され幽霊となり復讐を果たす、と言うもの。日本の代表的な怪談の一つだ。しかし、怖い場面よりも、圧倒的にコミカルに笑う場面の方が多いのだ。伊藤家の乳母・お槇が伊右衛門の元を訪れる下りで、捕らわれていた小仏小平を隠すところなど、まさしくコントそのものだ。伊右衛門とお槇、伊藤喜兵衛とその孫・お梅の四人で、如何にしてお岩を排除しお梅を後添えにするかと言う悪巧みをめぐらす場面もしかりだ。企みのあくどさとは対照的に笑いが満載なのだ。場面だけではない。悪人であるはずの伊右衛門とて、人非人と非難をしたり憤りを覚えたりと言うよりも、漫才にツッコミを入れたくなるような風情に描かれている。終盤の小塩田又之丞も絵に描いたような正統派の武士であるが、それが却って可笑しみになるように描かれている。 続きを読む »