劇評講座

2017年9月19日

ふじのくに⇔せかい演劇祭2016■入選■【火傷するほど独り】西史夏さん

 舞台上にはベッドが一台。
 その後ろには窓。
 裸の男が、ロベール・ルパージュに関する博士論文を仕上げようとしている。

 この戯曲の冒頭をト書きにするとしたら、こんな風になるだろうか。
 いたってシンプルな、一人芝居の舞台である。
 本作の作・演出・出演までこなすワジディ・ムアワッドは、カナダ・ケベック州出身の演劇人である。日本では昨年、『炎 アンサンディ』が文学座の上村聡史により上演され、広く知られるところとなった。私もこの上演を観て、興味を持ったひとりである。上村の演出では、オリジナルでは複数で演じたという主人公の女性を、麻美れいが少女期から壮年期まで一人で演じ切った。
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ふじのくに⇔せかい演劇祭2016■選評■SPAC文芸部 横山義志

 まず、私たちの手ちがいにより、コンクールの結果発表が非常に遅くなってしまって、大変申し訳ありませんでした。観劇後すぐに力作を応募してくださった方々に、謹んでお詫び申し上げるとともに、今後このようなことが起きない体制づくりに努めてまいりたいと存じます。

 今回は22本の投稿のうち、半数近い10本が『三代目、りちゃあど』を対象としたものでした。でも、極めて多彩な要素によって構成された作品だからでしょうか、多くの劇評は、この作品の意義を端的に言いあらわすことに困難をおぼえていたようです。その中で柴田隆子さんの【もう影法師はいらない? ~オン・ケンセン『三代目、りちゃあど』】は、この作品の意義を「(1980年代の)消費文化から共に創造するコミニケーションの文化への移行」を目指すものとして、明確な結論を提示できているという点で、群を抜いていたために、最優秀賞に選ばれました。 続きを読む »

2017年7月12日

SPAC秋→春のシーズン2015-2016 劇評コンクール 審査結果

カテゴリー: 2015

SPAC秋→春のシーズン2015-2016の劇評コンクールの結果を発表いたします。

この度は、審査結果の発表まで、大変お待たせしましたことを、心よりお詫び申し上げます。

SPAC文芸部(大澤真幸、大岡淳、横山義志)にて、応募者の名前を伏せての厳正な審査をしました結果、以下の作品を受賞・入選作と決定いたしました。

(応募数23作品、最優秀賞1作品、優秀賞2作品、入選5作品)
(お名前をクリックするとそれぞれの劇評に飛びます。)

■最優秀賞■ 
坂本正彦さん【亡霊になること―クロード・レジの『室内』をめぐって】(『室内』)

■優秀賞■
下田実さん【「劇をする劇をする劇」を観る】(『薔薇の花束の秘密』)
坂本正彦さん【宮城聰の繊細なる挑戦 ~SPACの『黒蜥蜴』をめぐって】(『黒蜥蜴』)

■入選■
平井清隆さん(『舞台は夢』)
下田実さん【「悪徳」のよろめき】(『黒蜥蜴』)
伊豆の元康さん(『黒蜥蜴』)
福井保久さん(『黒蜥蜴』)
小長谷建夫さん【運命の黒枠に縁どられた未熟な恋】(『ロミオとジュリエット』)

■SPAC文芸部 大岡淳・横山義志による選評■
大岡淳
横山義志

SPAC秋→春のシーズン2015-2016 作品一覧
『舞台は夢』(演出:フレデリック・フィスバック 作:ピエール・コルネイユ)
『室内』(演出:クロード・レジ 作:モーリス・メーテルリンク)
『王国、空を飛ぶ!~アリストパネスの「鳥」~』(脚本・演出:大岡淳 原作:アリストパネス)
『薔薇の花束の秘密』(演出:森新太郎 作:マヌエル・プイグ)
『黒蜥蜴』(演出:宮城聰 作:三島由紀夫)
『ロミオとジュリエット』(構成・演出:オマール・ポラス 原作:ウィリアム・シェイクスピア)

秋→春のシーズン2015-2016■最優秀賞■【室内】坂本正彦さん

カテゴリー: 2015

亡霊になること―クロード・レジの『室内』をめぐって

 淡い光が、かろうじて三日月形に照らし出す空間。すべてに、露光不足の写真のように粗い粒子のヴェールが被さって見える。(実際、『室内』のリーフレットの表紙には、この埃のような粒子のヴェールが被さった写真が使われている。その埃は、床に敷き詰められた砂が煙となって立ち上ったものだろうか。)
 人影たちが匿名のまま、緩慢に移動する中、やって来た二人の男が、舞台手前の薄暗がりの中で話し始めるので、三日月形の空間が室内であり、人影たちが家族であること、男たち自身はその家の娘の死を告げに来た使者であることが明らかになる。しかし、その使者たちの声も、抑揚を欠き、不自然な分節が施され、人間らしい感情をまとうことはない。だから、家族も使者たちも、まるで亡霊のようだ。
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秋→春のシーズン2015-2016■優秀賞■【薔薇の花束の秘密】下田実さん

カテゴリー: 2015

「劇をする劇をする劇」を観る
 舞台を見つめながらずっと、自分がサルになったような気がしていた。子どもの頃に聞いた「タマネギの皮をむくサル」のことだ。サルにタマネギを与えると、実を食べようとしていつまでも皮をむき続け、最後には何も残らない……きっと嘘だと思うが、妙に本当らしくて気になってしまう。この舞台も、登場人物の真実を見極めようとするといつまで経っても皮をむくことになる。味わうべきは皮であり、嘘の皮をまき散らす2人の言葉と姿を追うことに楽しみがあるのだけれど。
 「薔薇の花束の秘密」には人生に深い後悔を抱く2人の女性=患者と付添婦の嘘と誠を交えながら互いに心を通わせていく姿が描かれる。15分の休憩をはさんで3時間弱、2人のやりとりを堪能した。
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秋→春のシーズン2015-2016■優秀賞■【黒蜥蜴】坂本正彦さん

カテゴリー: 2015

宮城聰の繊細なる挑戦 ~SPACの『黒蜥蜴』をめぐって

 戯曲『黒蜥蜴』で、三島由紀夫は、ト書きによって自身の演出プランを細かく示している。たとえば、冒頭のホテルのシーンでは、並んだABC三室を使う進行が詳細に指示されている。今回、演出を担当した宮城聰は、こうした三島の指示に基本的に忠実である(注1)。ただし、幾つかの例外を除いて。まずは、この例外を通して、宮城が『黒蜥蜴』をどのような芝居として現出させようとしたのか、明らかにしていきたい。
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秋→春のシーズン2015-2016■入選■【舞台は夢】平井清隆さん

カテゴリー: 2015

 本作は複雑な多重構造をなしている。
 筋からしてそうだ。武石守正演じる家出息子クランドールを探す父親プリダマンに扮する大高浩一が、魔術師アルカンドルの元を訪れ息子の波乱万丈の人生をまるで観客のように観る「現在」。劇中劇的な息子の波乱万丈、紆余曲折、絶体絶命の危機を迎えながらも切り抜ける「過去の現実」。息子が恋の野心のため非業の死を遂げたと思われたラストの場面は「過去の現実」の続きではなく、役者に職替えをした彼らが演じていた芝居でした、と言うまさかの劇中劇中劇オチの 「別の地点の現在」もある。
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秋→春のシーズン2015-2016■入選■【黒蜥蜴】下田実さん

カテゴリー: 2015

「悪徳」のよろめき

 緑川夫人は右手を軽く腰に当て、ストゥールを載せた左手をそっと差し出して、早苗に語りかける。まるで絵画か彫刻のよう……と思ったら、クラーナハの絵画「アダムとイブ」を思い出した。イブが知恵の実を差し出してアダムを誘惑するように、夫人は早苗を外の世界に誘う。(ただし、後で確認したらクラーナハのイブは右手にリンゴを載せていたけれど。)それから、もうひとつ、ミロのヴィーナスに手がついたらこんな感じかもしれないとも思った。考えてみるまでもなく、誘惑者と美神の混在はこの劇の持っている「不安定」にぴったりだ。
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秋→春のシーズン2015-2016■入選■【黒蜥蜴】伊豆の元康さん

カテゴリー: 2015

 黒蜥蜴の主題は、死とは何か。他でもない三島由紀夫の作品だけにこの問いは重い。私はいつもより少し早めに劇場に入り、気持ちを整えて観劇に臨んだ。死を考えることは、自らが何者かを知ることであり、よりよく生きること。自らの仕事にいつ終止符を打ち、どのように人生を終えるか。こうした問いは書籍や映画で何度も突きつけられてはきたが、生身の人間の演劇だと、より鋭利に突き刺さってくる。誰の人生にも、それなりに山もあり谷もある。多くの人が惜しまれて職場を去ることを望むが、現実の生活を考えるとままならない。惜しまれて人生を終えることを夢見る人は多いが、自ら死を選ぶことは許されず、逆に長く生きるリスクを考えねばならない時代になった。そもそも、己は何者で、己にしかできないことなどあるのか。私も、いつの間にか人生の折り返しの年齢を迎え、終わりから今を考えるようになった。答えは自分で出すしかないのだ。
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秋→春のシーズン2015-2016■入選■【黒蜥蜴】福井保久さん

カテゴリー: 2015

三島由紀夫の死生観を感じる演劇でした。
死生観とは「どう自分は生きるのか」の結果が死で、その生き様の元になるのは「人はどうやって、誰に愛を与えるのか」です。

黒蜥蜴は女としては生きていけない、黒蜥蜴としてしか生きられない女でした。
けれど情念の女でもありました。
人生でただ一度、明智の前で女としての喜びの一瞬がありました。
女として生きたのはあの時だけで、それが黒蜥蜴に死を選択させるのですが、彼女には死に値することだったのです。
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