劇評講座

2011年9月1日

『ヒロシマ・モナムール』(クリスティーヌ・ルタイユール演出、マルグリット・デュラス作)

■依頼劇評■

重層化するテクスト、声、記憶
——クリスティーヌ・ルタイユール演出『ヒロシマ・モナムール』ーー

堀切克洋

暗闇に能管の音が響く。空気を破裂させるような高音の笛の音ではなく、どちらかというと親密な印象を与える音である。わたしたちの眼前には次第に不定形のフォルムが見えはじめる。やがて、その曖昧な形状のフォルムは、重なり合った二人の男女の裸体であることがわかる。しかし、それが「君はヒロシマで何も見なかった」——「いいえ、ヒロシマですべてを見たわ」という言葉の発話者であるかどうかを理解するには、もう少しの時間がかかる。その台詞がマイクロフォン、そして舞台上方に設置されたスピーカーを通じて発せられ、客席を包み込むような空間がつくられているからである。

●『ヒロシマ・モナムール』というテクスト

一般的に『二十四時間の情事』という日本語題の下で知られている『ヒロシマ・モナムール』というテクストは、アラン・レネ(1922-)による日仏合作の長編映画作品(1959年公開)のために、マルグリット・デュラス(1914-1996)がフランスにとどまりながら製作した「シナリオおよびダイアローグ」である(邦訳『ヒロシマ私の恋人』、清岡卓行訳、ちくま文庫、1990年)。日仏合作の「平和のための映画」を撮りに広島に滞在している30代のフランス人女性と、技術者でありかつ政治的活動を行ってもいる40才前後の(フランス語が堪能な)日本人男性。物語はこのふたりが出会い、そして別れるまでの「二十四時間」を描く。

映画を見たことがある方、あるいはシナリオを読んだことがある方ならばご存知の通り、ヒロシマという人類にとっての苛酷な経験を「書く」にあたって、デュラスが考案した方法は広島という場においてヒロシマという日本人の男を登場させることであった。さらに、この男と出会う女は、かつてヌヴェールというフランスの田舎町でドイツ兵と恋に落ちたことによって、地下室に軟禁され、村八分にされたという過去を持つ。その抑圧された記憶を呼び覚ますのが、ヒロシマという〈都市=男〉であり、それゆえに、この物語を通じて女はヌヴェールという都市の記憶を代表してみせるのである。

しかし、である。映画を見たことがある方も、そうでない方も、『ヒロシマ・モナムール』というテクストを一度手にとっていただきたい。この書物を開けば、デュラスのテクストがその筋の明解さ(二人の男女が出会って別れるだけの話)とは裏腹に、どれほどに重層的に書かれているかが理解されることだろう。とりわけ、ヌヴェールに関しては、映画で「ヌヴェール」を演じたエマニュエル・リヴァ(1927-)が——ユダヤ人の母親を持つことを示唆しつつ——語ったことの覚書きとして、一連のテクストがシナリオに付録されており、映画監督に対する指示や映画には収められていない場面も含めて、膨大な周辺的テクストが収められている。

このことに加えて、少なくともデュラスという作家にとって、ヒロシマという経験はその端緒においてすでに強制収容所という経験と深く結びついていたことも確認しておこう。折しも邦訳が刊行されたデュラスの『戦争ノート』(田中倫郎訳、河出書房新社、2008年)を参照すれば、政治犯として逮捕され、ブーヘンヴァルト強制収容所へと送られた夫、ロベール・アンテルム(1917-1990)の生還が、デュラスの「ユダヤ人化願望」に拍車をかけたという事実から、デュラスの経験がフランス人女性と日本人男性と重なり合う筋を持つ『ヒロシマ・モナムール』のドラマトゥルギーに書き込まれていると考えることも十分に可能だろう。

しかしながら、『ヒロシマ・モナムール』における男女の会話は、ほとんどが短台詞から構成されており、分量の面から言えば、周辺的なテクスト(筋書き、ト書き、付録など)とは好対照をなしている。つまり、男の問いかけと女の受け答え、あるいはその逆のやり取りからは、無駄な言葉が排除されている。そのため、演出家は基本的に、この膨大な量の周辺情報を俳優たちの短い発話に託さなければならない。そこで演出家はどのような方法をとったか? 「君はヒロシマで何も見なかった」——「いいえ、ヒロシマですべてを見たわ」という冒頭の台詞で示唆したように、この演出において決定的に重要な役割を果たしていたのは、「台詞(音声)の聞こえ方」である。

●いったい、これは誰の声なのか?

冒頭の場面は、わたしの記憶が正しければ、二人の台詞は舞台上方のスピーカーを通して観客に届けられていた。これにより、映画の冒頭のシーン(銀色にきらめく汗をかいた肉体の交わり合い)とは、同じ描写でありながらまったく別の印象を与えることに成功していたのである。ヴァレリー・ラングと太田宏の動きはけっして生々しくはない、どちらかというとコンテンポラリー・ダンスのような、抽象的なフォルムを薄明かりのなかで幻影的に見せる(舞台の観客は俳優の裸体を見ることにほとんど驚きを示さない)。二人の身体が表象している時間は〈1958年〉ではなく、同時代のどこかであるように思われる。

スピーカーから聞こえる台詞は、彼らが「発している声」ではなく、彼らに「発せられる声」のようにも聞こえる。かくして、わたしたちは「現代の男女の姿」に、〈1958年〉の——わたしたちが遅かれ早かれ、映画や書物を通じて夢想することになる——男女の風景を重ね合わせることになる。それは、原爆の風景から切り放された普遍的な、あるいはきわめて凡庸な男女の恋模様である。しかし明らかに、デュラスのテクストは映画とはまったく異なる響きを放つ。当然のことながら、そこには映画で使うことのできる技術(およびその限界)が存在しないからである。原作における時間や空間の統一性(ラシーヌ劇のよう!)は、いとも簡単に撹乱させられることになる。

たとえば、スピーカーを使わない二人の会話がほとんど普通の演劇(恋物語)を思わせると思えば、今度はそのスピーカーから(おそらく現在の)広島の音風景が流され、あるいは〈1958年〉の広島の風景が舞台全体に映写され、時間と空間はデュラスのテクストに応えるかのように、たえず重層化されてゆく。感情の吐露としての独白/小声で話す二人だけの親密な会話/他人にも聞こえる公共的な会話……という具合に、あれほどまでに単純だったはずの二人の会話は、まるで無限のマトリョーシカのように、発話の仕方や音声の届け方を通じて、時間と空間を往来するように観客の想像力を仕向けているのである。

ところで、映画版『ヒロシマ・モナムール』は、映像というメディアが対象のフェティッシュ化を得意としていることを示すように、「へんてこな場面」が何度か登場する。たとえば、二人が愛撫しているシーンの後ろではチャルメラの音が、フランス語で書かれたプラカードを掲げてデモ行進する場面ではきわめて大衆的な音楽が、リヴァが苦悶のヌヴェール時代を回顧する場面ではゲコゲコという蛙の鳴き声と歌謡曲が流れ続けているのである。これらは、急須からコーヒーが注がれる場面(この場面で女は浴衣を着ている!)や喫茶店の名称が「どーむ」であることにもまして、実に微笑を誘う。

このような映画的なユーモアの代わりに、舞台版『ヒロシマ・モナムール』では、日本の唱歌がふたつほど使用されている。ひとつは「椰子の実」(作詞=島崎藤村、作曲=大中寅二)という1936年につくられた唄で、劇中に太田が何度か口ずさむ——「名も知らぬ/遠き島より/流れ寄る/椰子の実一つ」。椰子の実というモノを叙情的に詠んだ歌詞は、どこか懐かしいが悲しげな印象を与える。もうひとつは「わたしの城下町」(作詞:安井かずみ/作曲:平尾昌晃/編曲:森岡賢一郎)という小柳ルミ子の1971年の唄である。このような歌謡曲の使用はけっして珍しくはないが、舞台を異化するには効果的な手法である。

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『シモン・ボリバル、夢の断片』(オマール・ポラス演出・翻案、ウィリアム・オスピーナ作)

■依頼劇評■

生き延びる〈ことば〉としての演劇
=「シモン・ボリバル、夢の断片」評=

柳生正名

開演前10分。観客は誰も梅雨時にそぐわぬ涼しさを感じたはずだ。場の緊迫感がそれだけの密度に達していた。眼前には、さながら大震災の直後を思わせる土手状の盛り土、そして建物の残骸。自らの坐るべき席は、そうした瓦礫とともに静岡県芸術劇場の大舞台上に据えられている。

開演。そして、クライマックス。盛り土の上には、演出家オマール・ボラス自らが演じるラテンアメリカ独立運動の闘士シモン・ボリバル。現在は中南米各国の広場という広場に彫像が立つ彼の、その生身に頭から液状の石膏が浴びせられる。文字通り「偶像化」していく存在として、観客の目前、というより、演者と観客が共に在る舞台上で、同時代的な生々しさをみなぎらせつつ、演じられるのだ。冒頭、同じボラスが演じる「演出家」の口から語られる「ボリバルの物語はお前たちの物語でもある」という〈ことば〉そのままに。

ボラスが7度目の来静に携えてくる舞台は、彼の母国コロンビアの建国200周年を記念して制作された「シモン・ボリバル、夢の断片」になるはずだった。解放者(リベルタドール)の称号を持つ対スペイン独立闘争の指導者ボリバル(1783〜1830)—現代日本人には19世紀のチェ・ゲバラとでも説明した方が伝わりやすいか—を主人公に2010年完成した作品である。

しかし、東日本大震災とこれに続く東京電力福島第1原発事故によって、計画は頓挫する。オリジナルの舞台をボラスとともに作り上げた同志たち、すなわち役者、スタッフの多くが来日を見送る中、「今回の静岡公演でオリジナル演出から変更された点はただ『ひとつ』。その『ひとつ』とは『すべて』」とボラスが語る結果になった。つまり、主演のボラス以外の全キャストはSPACの日本人俳優に入れ替わり、構成・演出も一変した静岡バージョン「ソロ・ボリバル」として上演することを余儀なくされる。

この静岡版のオリジナル演出からの変更点のうち、特筆されてしかるべきなのは客席の配置を中心とした舞台の在りようだ。開演前、観客は本来の劇場客席を素通りし、幕の降りた舞台に上がるよう求められる。そこには奥行き12〜3メートル、幅5メートルほどの土手状に盛られた土。その上が役者たちの演技の場となる。

そこに現われるのは、ボリバル自身と彼を取り巻く多彩な人間像—恩師シモン・ロドリゲス、独立運動の同志フランシスコ・デ・ミランダ将軍、妻マヌエリータ・サエンス、さらには地理学者フンボルト、ナポレオン、ボリバルの遺志を継ぐ政治家たち、テロリスト、群集、天使風の何者か、時の神クロノスなどなど。これら数多くの役柄が、ボラス以下、わずか5名の俳優らによって演じ分けられ、波乱に満ちたボリバルの半生—人格形成期から、南米諸国を独立に導き、現在のコロンビア、ベネズエラ、エクアドル、パナマに加えて、ペルー、ブラジルの一部までも含む大コロンビア共和国の初代大統領に就任しながら、同国が内紛によって瓦解後、失意の内に客死するまで—を描き出していく。

といっても、通常の歴史劇とは異なり、主人公の生涯における様々なエピソードをそのまま舞台上で再現することはない。ここまでに名前の挙がった実在の人物による、ボリバルについての証言めいた〈ことば〉、そして日本人俳優4人が演じるギリシャ演劇風コロス(合唱隊)による語り、というよりは、観客の思いをリアルタイムに代弁するかのような呟きによって、ボリバルと生涯を「浮き彫り」にする—そういった種類の叙法が採用されている。

話を舞台装置に戻そう。舞台中央に盛り上げられた赤茶色の土—これが、あまた人の汗と涙と血を吸ったラテンアメリカの大地を象徴することは言うまでもない。劇中は髑髏やボリバルの胸像などが掘り出され、ミランダ将軍や妻マヌエリータの口からボリバルへの愛憎相半ばする思いを独白の形で引き出すきっかけにもなる。時には、イリュージョン風の光景として、その上で現在のベネズエラ、コロンビアの国旗にみられる黄、赤、青3色のペンキがぶちまけられる。また、ボリバルに浴びせられた石膏を洗い流し、偶像化した彼の〈ことば〉に再び命を注ぎ込むがごとき「恵みの雨」が降り注ぎもする。

舞台上の客席は、この土手の両側面に配され、その上で、沈み込む土に足を取られながら演じる役者たちを、観客は横から観る形だ。それでいて、大団円に初めて舞台幕が上がると、寸前まで眼前で演じていた役者たちが、本来の客席からこちらの舞台を見下ろし、拍手を送る。役者と観客の立場が一気に入れ替わり、われわれは自分たちが観られ、問われる立場であることに気付かされるのだ。何を問われるのか?それが、本作のテーマを考える上で、重要なポイントとなる。

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『エクスターズ』(タニノクロウ作・演出)

カテゴリー: エクスターズ

■依頼劇評■

コペルニクス的転回は密やかに起こって

—— タニノクロウ作・演出<エクスターズ>を観る

阿部未知世

1、不穏な気配

<ふじのくに⇄せかい演劇祭2011>招聘作品のトップを切って上演された、タニノクロウの<エクスターズ>。この春、今回の演劇祭の概要が発表された時から、タニノクロウ、そしてこの<エクスターズ>には、一抹の不穏な気配が漂っていた。

何故なら<エクスターズ>は、タニノが約二カ月にわたって日本平山中に籠って生み出すのだと言う(他者と関わらない劇作の過程は、果たして可能なのだろうか?)。

そのタニノ自身は、医者から演劇人に転向したのだそうな(医師免許を持ちながら、演劇に関わった作家はいた筈。安部公房とか……)。

しかも前職は何と、精神科の臨床医なのだと(こうなったらもう舞台は、抑圧された願望など、精神分析的なおどろおどろしい世界に満たされて……)。

そのタニノが主宰する劇団は、<庭劇団ぺニノ>と名乗っている!(形而上的にも<庭>という概念にこだわった演劇空間の創出。もと精神科医としてはユング派の分析心理学の立場で、診断と治療に用いる<箱庭療法>を意識しない筈はない。詳細は略すが<箱庭療法>とは、非言語的な内的世界を非言語的なままに意識化することで、内的世界を把握し、その世界に変容をもたらそうとする試みなのだ)。

そして公演が近づく中で伝えられた、タニノが最初に創ったのは、台本ではなく舞台の空間そのものだったという事実で、タニノクロウなる人とその世界が擁するただならなさ不穏さは、極限に達した(製作のスタンスを重視するという、独自の演劇論を展開する人物であったとしても……)。もはや一筋縄ではいかない、手ごわい場が出現するのだと、覚悟せざるを得なかった。と同時にそれは、確たる期待をも生んでいだ。

2、舞台上で起きること

初夏の薄暮の野外舞台、<有度>。薄闇を切り裂くように、さっきホトトギスがテッペンカケタカと鋭く鳴きながら谷を渡って行った。そんな自然豊かな野外舞台。しかしその舞台は、上手から奥を経て下手まで、隙間なく高い板塀が取り囲んでいる。その高さたるや、十メートルはゆうにあるだろう。しかもそれはピンクやオレンジが混じった、治りかけの傷口か鶏肉のように、決して心地よくはない色彩に、まだらに塗られている。閉所恐怖症気味の人間には、はっきりと苦痛な空間が出現していた。

その空間にはしかし、長椅子やテーブルなどが置かれて生活感が漂う。加えてアップライトピアノとギター、かつて電蓄と言われたような大型のレコードプレーヤーもあって、音楽も豊かに存在するらしい。

爽やかな朝日が室内にも届いて、ゆっくりと時が流れ始める。そこにゆるゆると現れるのはおばあさんたち、総勢六名。おそろいの天使のような白く長いドレスをまとい、素人そのままに歌いピアノを弾く。このかそけき音楽世界を作り出しているのは、この老人施設に暮らしプレイルームに集う、やることと言えば<歌うことくらいしかない>おばあさんたちなのだ。

このおばあさんたちを世話するのは、三人の少年を過ぎたばかりの若者たち。彼らも歌うことには積極的だ。

いくつかのエピソードを紡ぐ中で明かされることがある。朝の爽やかな光に満ちた外では、何故か銃声が何回か。でも誰もそれに気をとめることはない。おばあさんたちの一人がトイレに立てば、みなそれに続いてぞろぞろと。一本の煙草をみんなで回し飲みして一服。ここでは各人がそれぞれの個性を際立たせることはない。みんな一体であり、しかもみんな内向きなのだ。

そんなおばあさんたちにとっては、テレビが伝える銃撃戦(ドラマなのか、リアルなテロもしくは犯罪の報道かは不明だが)も他人事だし、音楽の好みの違いもほんの一時の不協和音を生むに過ぎない。夜を迎えれば、みんなお休みの歌を歌ってこの部屋を立ち去る(私室で就寝なのだろう)。

世話する若者たちも、大差はない。やたらと身軽な者がいたり、どういう訳か場違いにも親からの独立を宣言する者がいたり、かなり太っていたりはするものの……。

そんな彼等に、その時が訪れる。<無音の誘惑>と名付けられた、その時が。おばあさんたちが去ったこの部屋で、若者たちは静かに歌い出す。暗闇よこんにちは……。<Sound of Silence>を歌い終えた彼等は、意を決したようにタキシードへと衣装を替え、一人がフリークライミングよろしく十メートル余りの壁をよじ登り始める。登り詰めた若者は、青く強い光を放つ大きく重いライトを、力を尽くして室内に向けてセットする。青色発光ダイオードの強い光が満ちる部屋。

やがて時は過ぎ、軽やかな音楽にスイングしながら、おばあさんたちが踊りこんで来る。こんどはとりどりに華やかな色合いのドレスを身に纏って。ドレスアップした彼女たちは、また歌い始める。苦境にある恋人を励まし支える歌、そして最後に<ふるさと>。歌い終えておばあさんたちは、にこやかに部屋を出て行く。今度はきっと街へ出ていくのだろう。最後の一人が板壁の縦一列だけを反転させて、彼女たちが去った後の舞台には、外の光景と大気が静かに流入して……。

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『真夏の夜の夢』(宮城聰演出、シェイクスピア原作、野田秀樹潤色)

カテゴリー: 真夏の夜の夢

■依頼劇評■

真夏の夜の夢

井出聖喜

序幕(プロローグ)

●総評

野田秀樹がシェイクスピアの原戯曲から取り去ったものと付け加えたものの意味を的確に読み込み、野田戯曲のもつ力を鮮明に浮かび上がらせた、心に残る上演だった。野田秀樹自身の演出による舞台作品とは全く別物のような印象だが、人間や日本社会の見えない部分を見据える冷徹なまなざしを持った最近の作品につながる、野田の透徹した人間観がくっきりと見えてくる舞台だった。

第一幕

●野田秀樹の作劇法

野田秀樹の作風は「夢の遊眠社」のころからするとずいぶん変わった。当初は、大声を上げて遊園地を駆け回る子どもの喧噪と夢想とでも言うべき世界、芝居では間が大切だなどという保守的な演劇人のしたり顔にそっぽを向いて、速射砲のように観客の耳を撃つ台詞の応酬と体の中に発条が装填されているのではないかと思われるような役者たちのめまぐるしい動きの合間から突如立ち上る鮮烈な叙情性が身上であったが、昨今は文明批評であったり日本人論であったり、歴史の検証であったりといったように、演劇による世界解釈といった作風を強めてきている。

多くの演出家・劇作家がともすれば自己模倣に陥りがちであることを思えば、彼が常に革新的であることはすばらしいことだ。

しかし、変わらない点もある。それは、地口や駄洒落といった、それ自体では座興程度のものでしかない言葉遊びが、一種、触媒の役割を果たして、それまでは全く無関係だった二つ、あるいはそれ以上の世界が突然出会い、お互いに侵食し合い、そこに新たな意味が付与され、この硬質でゆるぎないと思われた現実世界が溶解し、その中から多層的なイメージ、暗喩と寓意に満ちた仮想世界が立ち昇り、観客は、この世界を照らし出す全く新しい光源を見ることになるという作劇法だ。

この『真夏の夜の夢』もそうした野田演劇の本質をよく伝える作品の一つである。

●多層的なドラマ『夏の夜の夢』

『夏の夜の夢』は、『ハムレット』と並んで最も多く上演されるシェイクスピア作品であろう。同じ戯曲を基にしながらも、演出によって作品世界が全く異なってみえるというのは、どの戯曲においても言えることかもしれないが、特に『夏の夜の夢』はその演出の多彩さ、自由度において群を抜いているだろう。と同時に、どんな演出によるとしても、見終わった後の印象には一つの言葉でくくりきれない多様なものがあるように思う。オーベロンとタイテーニアを中心とした妖精の世界の住人たちの、子供のように無邪気で自由な世界、ボトムを中心として芝居づくりに精を出す職人たちのナンセンスで闊達で放埒な世界、そして恋心の気まぐれに翻弄され続ける若い恋人達の困惑と幸福、それぞれの世界がそれぞれにその存在を主張しており、その鮮やかな色彩の混交は、すべてを見届けてきた観客の心にちょっと複雑な味わいを残すことになる。もちろん最後はパックの口上による祝祭的気分で締めくくられるとしても、だ。

●純化された野田版『真夏の夜の夢』

しかし、野田秀樹潤色(というより改作と言ってもいいかもしれない)、宮城聰演出の本作は、見終わった後の印象が実に鮮明で純化されている。これは野田秀樹の脚本がそのように書かれているということでもあるし、それをくっきりと浮かび上がらせようとした演出の意図によるものでもあろう。

では、その「鮮明で純化され」た印象とはどのようなものか。

それについて触れるには、シェイクスピアの原戯曲と野田版戯曲との違いを明らかにしておかなければならない。

ただ、その場合シーシュースとヒポリタが登場しないとか、最終幕の劇中劇が完全にカットされているといった点は大きな問題ではない。(正確に言えば、終幕の劇中劇のカットは「大きな問題ではない」と言うよりも必然である。なぜなら、本作では劇中劇は一種の入れ子構造になっていて、「知られざる森」の中で展開される人間たちや妖精たちの一連のドラマの進行自体がそのまま劇中劇を作り上げていくことになるからだ。)

野田版『真夏の夜の夢』の最大のポイントは「そぼろ」と「メフィストフェレス」(以下メフィスト)という二つの役の造形にある。

●そぼろ

そぼろは原戯曲のヘレナに当たり、恋人の心が自分の親友に向いているという状況は共通である。しかし、そぼろがヘレナと違っているのは、彼女が自分の心の中にある、止みがたい嫉妬心や憎悪といったものに常に目を向け続けているという点にある。

一方、メフィストはもちろん原戯曲には登場しない。本作にはパックも登場はするが、パックの活躍ぶりやその印象は原戯曲ほど鮮やかではない。劇中の彼の台詞をもじって言えば、彼はメフィストにパックリとパクられてしまったことになる。

そぼろとメフィストは別人であるが、二人の拠って立つところには共通のものがある。それは彼らが善意や美徳を生きるのではなく、むしろそれらによって追いやられ、隠されてしまった、しかし、どの人間の中にも確実に潜んでいる負の感情を背負い込んでいるという点だ。

そぼろは、自分の愛するデミが親友のときたまごと近々結婚する運びになるということに苦しんでいる。その結婚は第一にはときたまごの父、老舗の割烹料理屋ハナキンの主人の希望によるものである。第二には、友人ライと共に自分が板前として働いているハナキンの主人の寵愛を得て、その娘婿に収まりたいというデミの野心による。しかし、ときたまごはライと相愛の仲にあり、この結婚は簡単に調うものでもなさそうな状況にある。

この辺り──若い恋人達の人間模様──は原戯曲と基本的に同じであるし、惚れ薬をかける相手をまちがえたことから生じる恋の大騒動とその顛末も大筋では変わらない。

しかし、そぼろの心は暗く沈み、嫉妬心は抑え難く沸き起こってくる。その思いに乗じて現れるのがメフィストなのだ。

●メフィスト

原戯曲の『夏の夜の夢』では妖精パックの早トチリから恋人同士の取り違えドラマが始まることになるが、野田版『真夏の夜の夢』はそぼろを始めとした人間の中の嫉妬だとか憎悪、それら言葉にされることなく呑み込まれた思いと、それを巧みに操るメフィストの「悪意」、あらゆる善なるもの、美なるものへの、彼の屈折した憎悪とが、もつれにもつれ、こじれにこじれた愛のドラマを生み出していくことになる。

そぼろは、デミやライが突然自分への愛を告白することになるという、あり得ない展開を、当初は、彼らが自分をからかい、なぶりものにしているのだという被害者意識によってこそ理解したとしても、自分の呑み込まれた言葉が、あえて言えば無意識界に追いやられ、抑圧された思いが招き寄せたものとはつゆほども思わぬが、ドラマの大詰め近くでそのことに思い致すことになる。

「この悪い夢は、あたしの呑み込んだコトバがつくりだした願いだったのかもしれない。」 「あなた(メフィスト)をここへ呼んだのは、あたしだったのね。」

宮城聰はドラマの冒頭近い部分、メフィストの登場場面で、それを観客に強く印象付ける演出を施している。メフィストは、そぼろが消えた瞬間その消えた場所からフワッと現れるのである。これは上掲のそぼろの台詞と照応してはいるのだが、メフィストはそぼろの心の中にこそ棲んでいたとも解釈できるところである。

●知られざる森

メフィストは、脳天気なオーベロンやタイテーニア、パックまでも騙して人間たちの間に不幸と憎悪をまき散らそうとする。妖精たちは、オーベロン・タイテーニアも含めて「知られざる森」の住人である。「知られざる森」とは、劇中のパックの言葉によれば「ひとたびこの森からでていくと、この森のできごとを忘れてしまう」、「ここには人が置き忘れたいろいろな知られざることが富士の山ほどある」──そういう森である。(これを筆者流に勝手に換言するなら、忘れられた童心の住み処であるし、深層心理の森であるということになる。)

その森で「出入り業者」たちが演じるのは、ピーターパンの登場する『不思議の国のアリス』の物語だ。その意味では「知られざる森」は「ネバーランド」でもあり、アリスの迷い込んだ「ワンダーランド」でもあるのだろう。

その森の本当の姿はだれにも知られず、妖精たちの姿も見えず、その声は人間には鳥のさえずりとしか聞こえないのだ。かつてはだれもがそこに棲んでいたはずなのに今ではどうしても思い出せない、我々の現実から「聖別」された世界──メフィストもその森のはずれに棲んでいるのかもしれない。そして、彼は、他の妖精たちを横目でみつめながら独り寂しくいじけている子どもだったのかもしれない。

●メフィスト対妖精たち・逆隠れみの

オーベロンたちを騙したメフィストは、目に見えるものしか信じない人間たちを操り、彼らに憎悪と不幸を植え付けるために、それを着ると見えなかったものが見えるようになるという「逆隠れみの」を着て、人間たちの前にその姿を現す。

一方、メフィストのたくらみに気づいたオーベロンは妖精たちに号令を発し、同様に「逆隠れみの」を着て人間たちの前にその姿をさらして、彼らがメフィストに騙されていることを知らせようとする。

ここでも奸智を働かせたメフィストは、妖精たちの持参した「逆隠れみの」を自分の下に集めて燃やしてしまうのだが、その灰をかぶることで、妖精たちは人間たちに見えるようになる。そして、すべては「森の裁きの場」に持ち込まれることになるのだが、その時、メフィストは森に火を放つ。

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2011年6月24日

『マルグリット・デュラスの「苦悩」』(パトリス・シェロー演出、マルグリット・デュラス作)

■準入選■

手繰り寄せる希望 — マルグリット・デュラスの「苦悩」

柴田隆子

楕円堂の高い天井が、舞台を覆う薄闇のため更に高く感じる。舞台上手にある机に向かい、女が後ろ向きで椅子に座っている。板付きから始まるこの簡素な舞台は、一人芝居を演じるドミニク・ブランが「ノマド的」と呼ぶように、およそ世界中どこにでもある机と椅子が唯一の舞台装置で、文字通り、モリエール最優秀女優賞をとった彼女の演技が舞台を支えるのだ。リーディングから始まったというこの舞台のコンセプトは、作品に描かれている出来事の再現ではなく、作品そのものを空間的に立ち上げることである。それゆえ、舞台は原作者マルグリット・デュラスの混沌とした記憶のように薄暗くどこかあいまいで、その中にあってブランの身体が、記憶の底から手繰り寄せるように言葉と身振りを紡ぎだしていく。

マルグリット・デュラスの自伝的な作品である『苦悩』は、第二次世界大戦時にドイツへのレジスタンス活動で捕らえられたユダヤ人の夫を待つ日々と、強制収容所からの奇跡といえる彼の生還後を描いたものである。原作の冒頭にあるように、ブランは数冊のノートを手に取り、その筆跡を自分のものと認めながらも、その内容はとても自分が書いたとは思えないと語りだすところから始まる。フランス語を解さない筆者にとって、光量の乏しい中、短い間隔で切り替わる情報量の多い字幕を解読しつつ、彼女の抑えた声と微細な身振りを追うのは、まさにカオス的な記憶の中から何かをつかみ出そうとする作業に似ている。

記憶は多くの場合、客観的に実体として存在しているものではなく、混沌とした断片的な中からひとつの「記憶」として形成されていくものである。デュラスは想像を絶する「苦悩」の中から、記憶を手繰り寄せ、ロベール・Lの生還という「作品」を作り出した。しかしこの舞台で、カオス的に散乱するデュラスの言葉の海の中で、ブランが呼び覚ますのは、デュラスの感情の記憶である。前半、待つことに苛立ち憔悴していくデュラス/ブランの感情は、りんごを剥き小さく切るようなほんの日常的な身振りからでもはっきりと伝わってくる。デュラスの言葉を媒介しながら、さらにブランはそこにいただろう複数の人物をも同時に形象化する。ぼんやりとした薄闇の中、複数の人物と対話する姿がその声から立ち現れてくるが、彼女の目は内面の混沌を見つめたままで、その姿はどこか遠いところにあるようである。

この霧のかかった状況が晴れてくるのは、強制収容所に収監されていた夫ロベール・Lの生存がわかった場面からである。それまでデュラスの内面世界に向き合わされてきた観客は、いかに生きて彼を帰還させるか、どうやって彼を生の世界に取り戻すかという現実の問題に彼女の関心が移ったことで、解放される。ロベールがいかにひどい状態であったかは、「泡だつ緑色の排泄物」という表現に象徴される。待つことが戦いであった前半に対し、屍の中に横たわる屍同然の生、それを大事に持ち帰り生の側に引き戻すのが後半の戦いである。字幕に現れるデュラスの激しい言葉遣いとは裏腹に、ブランは抑制のきいた動きで、一歩一歩手堅く彼を生へと導いていく。食べることに耐えられないほど弱った体、それでも食べなければ確実に死が待っている。弱った体を支えるために敷き詰められたクッション、1日に何度にも分けスプーンで与えられる食事、むせながらも飲み込む姿。最初に夫の変わり果てた姿を前にしたショックから立ち直った彼女の周りには、一緒に心配し支援する友人たちの姿が見える。もちろん、いるはずのない彼らの姿を浮かび上がらせるのは、ブランの声と演技であり、特にその視線である。前半のカオス的な内面を見続けていた彼女の目は、後半はっきりと夫の姿を、一緒に支援してくれる友人らの姿を捉え始める。ロベールの生還はデュラス自身の生還でもあるのだ。ロベールが「お腹がすいた」という言葉で生への帰還を果たすとき、デュラスもまた「苦悩」の日々から解放される。舞台奥に続く鏡の先へと消える彼女の姿は、戦いを終え、別の人生へと向かう旅立ちに見え、ロベールとの離別をほのめかしている。

演出ノートにパトリス・シェローが書いているように、『苦悩』は戦争、強制収容所という「想像を絶する」時代を背景として、その時代でなければ成立しなかったであろう出来事が描かれた「恐るべきテクスト」である。そこで語られる言葉はどれもひどく重く、その内容、背景とも我々の日常世界からはあまりにもかけ離れており、彼のいうような「つつましい形」で提示されなければ、心に届いてこなかったであろうテクストである。これだけの内容を媒介しながらも、それに拮抗しうるドミニク・ブランの身体性があって初めて成立した舞台なのだと、座って見ているだけで疲労困憊する中で気づいたのだった。「狂おしい希望」までもが、「すでに忘れられてしまったあの時代」とともに忘れられてしまったかに見える今日、「希望」に至るまでの「苦悩」を理解可能な姿で描き出してくれた彼女に感謝したい。

(静岡県舞台芸術公園屋内ホール「楕円堂」 2011年3月4日観劇)

『マルグリット・デュラスの「苦悩」』(パトリス・シェロー演出、マルグリット・デュラス作)

■準入選■

空間を支配する力。あるいは人情噺「苦悩」
〜ドミニク・ブランのひとり芝居<マルグリット・デュラスの「苦悩」>を観る〜

阿部未知世

<SPACスプリングシーズン2011>における唯一の外国人による公演である、<マルグリット・デュラスの「苦悩」>。パンフレットに掲載されたドミニク・ブランの舞台写真は、まるで18世紀フランドル絵画のような静謐さと深みを湛えて、とりわけ心を惹いた。

舞台には無骨な机がひとつ。それに対するように置かれた椅子が数客という、殺風景な空間で、ブランはおもむろに語り始める。第二次世界大戦末期の極限状況。それは自分自身が記したという記憶がないという。それほどに極限情況だったのだろう。克明な記録から徐々に現前して来る事実は……。

1945年初夏のフランス。女はひとり、行方不明の愛する男を待つ。男はレジスタンスとして強制収容所に送られて生死は不明。女はここ数週間、生々しい男の死のイメージに苦しんでいる。その一方で、無事に帰還した男との至福の時をも夢想する。女は同志とともに新聞を発行し、強制収容所からの解放された人々、送還された捕虜たちと関わる。女や同志は、行方不明の男の消息を探す。女は、極度にナイーブになっている。それ故に、男にかかわる情報に触れることができない。やがて、男の消息が解る。同志の力で、瀕死の男が女のもとに帰る。明日までの命はないだろう。皆がそう確信するほどに深く、男は死の淵に深く囚われている。看病する女のもとで男は、緑色に泡立つ腐葉土の臭いのする排泄物を出し続け、そして17日目。<おなかが空いた>という言葉とともに、男は生の岸へと帰還する……。

マルグリット・デュラスの文学作品「苦悩」と、彼女が残した記録「戦争ノート」から抽出した言葉によって構成された台詞。ブランは抑制された演技とともに語ることで、当時の情況と心情を骨太に体現して、深い余韻と感銘をもたらす。

帰途、<これは何だったのだろう?>と反芻するうちに、こんな思いがわが裡に生まれた。<そうだ、立川談志が語る「芝浜」に重なってくるのだ!>という、何とも唐突な思いだった。

鬼才として知られる落語家、立川談志。彼が愛してやまない落語のひとつに「芝浜」がある。腕は良いが、酒に溺れる魚屋。女房にせっつかれて久方ぶりに河岸へと出かけた魚屋は、日の出前の芝の浜でずっしりと重い財布を拾った。<嬉しや、この四十二両で遊んで暮らせる>とばかりに呑んで浮かれて、寝てしまう。

女房は、<河岸へ>と魚屋を起こす。<昨日拾った金が>という魚屋の言葉には取り合わず、女房は<夢だ。夢だ>の一点張り。その剣幕に魚屋も、夢だったのだと思い込み、心を入れ替えてぷっつりと酒を断ち、仕事に励むこと三年。棒手振りから、今や店を構えるまでになった大晦日の夜。女房は見覚えのある財布を取り出す。十両盗ったら首が飛ぶ世の中、大家の意見で金はお上へ届け出た。魚屋へは夢たったことに、との大家の入れ知恵。持ち主の出ない金は、再び女房の手に。それを切り出せないまま時が過ぎた今の幸せ。詫びる女房、詫びる魚屋。久方ぶりに酒をすすめる女房。促されて口をつける寸前、魚屋はひと言。<やめておこう。また夢になるといけない……>。

まるで風を孕んだカーテンが大きく波打ち、世界が反転するような不思議な感覚。そして今この現実も夢なのかも知れない、という微かな不安。そんな余韻を残す、圧倒的な迫力の談志の「芝浜」なのだ。

このふたつを重ね合わせること自体、不謹慎の誹りは免れないだろう。それに両者は違い過ぎる。ブランは一貫して、デュラスを彷彿する女性であり続けた。しかも台詞の大半は、説明あるいは独白としての語り。それを補うように、舞台上を自由に使っての抑制の利いた身体表現が伴う。翻って落語は、身体は正座したままながら、登場人物を演じ分け、時に情景描写も加えて物語世界を作り出す。

対極にあるかに見える両者。しかし深く通底するものを観ることは可能ではないか。

すなわち、談志は<伝統を現代に>との志のもとに、<人間の業を肯定>する落語と格闘し続けて今に至る。それ故に、古典落語を語るとは言っても、無形文化財としての伝統の話芸を保存し、継承する立場にはいない。談志が語る人物は、その裡に欲望や愚かしさを抱えて、否応なく振り回されている。

デュラスの、そしてブランの世界も一筋縄ではいかない。愛する男を激しく揺れる思いで待つ女はしかし、同志の男と微妙な関係にもある。ナチの暴虐に対しても、同じヨーロッパ人種として同罪なのだという深い洞察をも持っている。この多面性こそ、人間という矛盾に満ちた存在への深い眼差し、すなわち<業の肯定>と直結する姿勢だろう。

そして舞台上のブランはまさに、1945年のデュラスそのものだった。彼女の創り出した舞台空間は、当時の緊迫したパリの日常そのものだった。しかし過去の話としてではなく、時を超えて常に<今>の体験として、私たちの心を激しく揺り動かすのだ。そこには、ブランの、そして演出のパトリック・シェローとティエリ・ティウ・ニアン(名前からして東洋人だろうか?)が生み出した脚本が、大きな力を持ったことは事実だろう。

それを超えて余りあるものがブランの身体性ではなかったか。作品への深い洞察とから生まれた思いや気持、そしてその時代の空気。それらをまさに体現し、演劇空間へと力強く放出して行く、卓越した身体性があるからこそ実現し得た、<永遠の今>なのだ。

(蛇足にはなるが、談志の高座も凄まじい。瞬時に登場人物が交代し、時に素の談志さえそれに加わりながら、少しもだれることなく話を積み上げ、圧倒的な力で観客を巻き込み、大団円へとなだれ込む。天才と言われる噺家だからこそできる技なのだ。)
優れた脚本が、優れた演者に出会う時、作品は時代を超えて受け継がれ、古典作品として生き続ける。談志の語る落語が今を生きる古典落語であるように、ブランの体現する<苦悩>は時間に耐え、多くの優れた演者によって、演じ続けられるであろう、まさに未来へ向けての古典がひとつ、今ここに生まれたのではないか。あの夜、あの場に立ち会えたことを、幸福としよう。

<了>

観劇日:2011年3月4日 楕円堂

『グリム童話〜少女と悪魔と風車小屋〜』(宮城聰演出、オリヴィエ・ピィ作)

■入選■

無垢の声音は、か弱くかすれているが
〜宮城聰演出<グリム童話〜少女と悪魔と風車小屋〜>を観る 〜

阿部未知世

かつて静岡の地で、作者オリヴィエ・ピィ自身の手によって上演されたことがある、<グリム童話>シリーズの一作、<グリム童話〜少女と悪魔と風車小屋〜>を、SPAC芸術監督の宮城聰が演出、上演するという。この作品については不覚にも、ピィ自身によるオリジナルの舞台を観ていなかったことが、ひどく悔やまれた。何故なら、以前この二人の組み合わせで観た<若き俳優への手紙>が、必ずしもすんなりと腑に落るものではなかったのだから。

グリム童話の「手無し娘」を下敷きとした物語は、こんなふうに展開する。

ある日、男が悪魔と出会う。悪魔は男に、金持ちにしてやると言う。その見返りは、男の家の風車の後ろにあるものを自分のものにと。風車の後ろには、みすぼらしい木が一本。男はすぐに同意し、瞬時に男は金持ちに。しかし風車の後ろにいたのは、自分の娘。やがて現れた悪魔に、この敬虔な娘は健気に立ち向かう。業を煮やした悪魔は男に、娘の両手を切り落とすよう命じ、男はそれを実行。両手を失った娘はこの運命を甘受。誰を恨むこともなく旅に出る。旅の途中で娘は王に見初められ、妃となる。しかし王は日を置かずに長い戦に。妃となった娘は、ほどなく赤子を出産。それを伝える手紙を王へ届けるのは、何と悪魔。悪魔は手紙を改ざんし、五体満足な赤子は、おぞましい奇形児との知らせに。気遣う王の返書も、悪魔は書き換えて、赤子は殺される運命に。しかし娘は助けもあって、森の奥で子供を育てる。その場に、落ちぶれた父親、かつて娘を過酷な運命へと導いた、その男がさ迷って来ても、娘は親切に対応する。やがて七年が過ぎ、王と娘は再会し、真実が明かされ、悪魔に打ち勝ち、娘の両手が再び蘇って、ふたりは幸せに……。

この過酷な運命の物語は、感情を排するような、モノクロームの無機的な空間に生起する。大きく折り目を付けた一枚の巨大な白紙のような装置が、漆黒の舞台の大半を占める。その他には、白い折り紙で作ったような動物や樹木が少々。この極めて簡素な空間は、一切の固有名詞を排除している。固有名詞の排除が意味すること。それは、時代や場所を消し去り、物語をひとつのモデル、あるいは典型例へと変化させる。

人間の精神活動が有する、モデルとしての物語の存在について明言したのは、スイスの精神医学者、カール・グスタフ・ユングである。ユングは、人間が擁する広大な無意識領域に光を当てた。彼が捉えた無意識は、個人をはるかに超える深みを持ち、自律的でエネルギーに満ちた、創造の源泉たり得る魅力的かつ両義的な世界である。

個人の意識から排除された事柄の集積である個人的な無意識の層を超えて、無意識領域を遡るにつれて、場所と時間を超えたかたちでの無意識が出現する。すなわち社会が共有する無意識、民族および文化が共有する無意識、さらには人類全体が共有する無意識といったかたちで。これら集合的無意識と言われる領域には、時空を超えて人類に共有される精神活動のかたちがある。人間の精神活動が持つ<骨格>とさえ言えるこのかたちは、時と場所によって異なる衣装をまとってはいるが、昔話や童話など、語り継がれる物語世界や芸術作品に、まさに無意識的に反映されて生き続けている。ユングは、伝承される物語の心理的側面を、このように位置付けた。

ではグリム童話の「手なし娘」とオリヴィエ・ピィが示すこの物語の<骨格>とは、如何なるものなのか。不条理とも言える過酷な運命に翻弄されながらも、無垢の魂を失わない者は、最後には幸福を得る。運命を甘受して誰をも恨まず、過去に拘泥することなく、知恵を使って今を生き切る。その過程には自ずと神の働きも顕現し、助力者も現れて、ついには奇跡も起こって、望まれる最も好ましい情況が出現する。

<正直の頭(こうべ)に神宿る>という諺がある。このテーマをまさに集約する言葉だろう(日本の物語の中にも、<鉢かづき姫>などこのテーマは散見される)。

作者のピィは、この物語に二つのメッセージを籠めることで、さらにこの主題を明確なものにする。メッセージのひとつは、あらゆるものは、それが本来存在すべき場所を持つ。さらには、それを否定しなければ、どのような奇跡も起こりうるのだ。この二つのメッセージを発したピィは、熱烈なカトリック教徒であり、<信仰よりも神秘が大事なのだ>との立場に立つという。彼の宗教実践は、決して知的な信仰あるいは帰依という、人から神への絶対的な信頼のみでは成り立っていない。それとは逆に、神から人への積極的な働きかけが常に存在しているとの大前提から発した信頼なのだ。それ故に彼の神に向けての実践は、神の力がより顕現しやすいように、人間の側の条件を整えることにあるのだろう。その一環としてこのテキストが示す方策とは、我々は予定調和としての世界の一部となって、主役の座を降りること。そしてその世界に起こる超越的な力の働き(神秘)を恐れないこと。そこに幸福がもたらされるということなのだ。

演出の宮城は基本的に、ピィのこの思想を継承している。しかし宮城は、それが今の社会で実現することの困難さについての深い視点を加える。身体と言葉を重視する宮城は、演者にこんな制約を課す。引き攣ったようにぎくしゃくした身体の動き、そして自然な発声とは対極にある声音がそれなのだ。

悪魔は、朗々とした声で語る。対する男はしかし、かすれて小さな聞き取りにくい発声。娘の唄は無声のまま(英語の字幕は歌っているのに)。何ものをも恨まず、旅に出る娘の声は、最後までひどい風邪をひいたようなざらついただみ声。まさに、無垢の生を生き切ることの困難さを象徴して、あまりある演出だった。観終わって、苦い澱のようなものが心にあって深いため息を吐いたのは、決して私ひとりではないだろう。そして舞台音楽としての俳優たちによる打楽器演奏は、この困難な生の物語を力強く支えていた。声が、そして音が特異な役割を果たす、感慨深い舞台であった。

四回にわたるこの公演のちょうど中間で、この度の大震災が起こった。ユングの言うシンクロニシティ——意味のある(偶然の)一致——に、期せずして思い至った。未曾有の困難の中で、芸術が本来持つ深い意味を見失わず、上演を続けたSPAC の姿勢に拍手を送りたい。この災害は、多くの人に価値観の変化を求めている。その一環として、見えざるものに、今まで以上の価値が置かれる情況が生まれるだろう。それは端的に、各人が持つ心が、力として、まさに心的エネルギーとして認識され、その在り様が問われることになろう。エネルギーとしての心に働きかけ、その変容を導くことが直接的にできるものが芸術である。芸術の重要性がさらに高まる情況への第一歩を、このようなかたちで進めたことに、心からの敬意を払うものである。(2011年3月6日観劇)

2011年4月12日

『わが町』(今井朋彦演出、ソーントン・ワイルダー作)

カテゴリー: わが町

■準入選■

『わが町』劇評

蓑島洋子

とにかく疲れた。気安くリラックスして楽しむことは許されない、何かしらの緊張感と圧迫感とを受け続けていた。その圧力の正体は何なのか。
結局、私たち観客は常に見られていた。冒頭から舞台に立つ俳優たちの視線を強く意識させられた。そして次々と語られるグローヴァーズ・コーナーズの町の風景を食い入るように見つめている私の姿は、そこには存在しないたくさんの目にさらされているということを感じていた。

開演アナウンスが繰り返され、すでに幕が上がっていたことに気付く。現実の世界から「わが町」へと強引に引きずり込まれる。心細くなるほどの暗闇はさらに現実を断ち切り、ようやく得た光に頼らざるを得ない。しかしただの光ではなかった。それは舞台で照明の中に立っているのと同じ感覚だった。
私は観客として、進行係の言葉で描かれる町の景色を追いかけた。活き活きと働き、生活を送る町の人々を見ていた。町の明るい日の光を、ゆったりと流れる時間を、とても美味しそうなウェブ夫人のベーコンを、人々の幸せを、悲しみを、成長を、生と死を見ていた。私は観客として、少し離れた所から町を見守っていたはずであった。ところが私は、知らず知らずのうちに町を見守る観客の役を演じさせられていたのである。思えば舞台の上の俳優たちも私たち観客と同様に、ギブスとウェブの家庭の様子を観る演技をしていたではないか。
町を演じる俳優がいて、町を見守る観客がいて、合わせて一つの町となり舞台となる。実在しない客席を意識しながら作品を創り上げる。時には聴衆として、または町の人として、そして町に眠る者として。再び暗闇に包まれて現実世界へと解放されるフィナーレの瞬間まで、私たちは観客役を演じ続けさせられていたのだった。幕間の休憩の間でさえ、作品の一部だったと振り返る。

そもそもは「劇中で俳優たちが賛美歌を歌います」という案内に魅かれたのである。どのような音楽が聴けるものかと、楽しみにその時を待った。そして確かに賛美歌が歌われた。パートを分けて重唱してもいた。素晴らしい演奏なのか、といえば決してそうでもない。音楽的にはソコソコの出来栄えなのである。しかしそれは町の人が賛美歌を歌うシーンなのであって、ソコソコの仕上がりであることこそが作品のリアリティーであるのだと気付かされた。町の人々が賛美歌を歌う、コーラスの練習で、結婚式で、葬儀の場で。宗教の違いがあれども、まさに私自身の生活の一部を見ているようである。
舞台芸術と音楽芸術との違いがこのような形で現れることは興味深い。ごく狭い視野で言えば、音楽の世界では技術的であればあるほど「上手い」とされるであろうが、舞台の世界でそれは成り立たないということなのだ。あるいは技術的でないと思わせることさえ「上手い」に含まれているのかもしれないが。
私たち観客の役もまた、技術を狙っては成り立たないものであったと思う。役割を知らされていなかったからこそ、演じきることができた。カメラに残った私たちの表情はいかがなものだっただろうか。観客としてソコソコの表情だったなら、上手くできたということではないだろうか。

また特に印象に残るのは、舞台上で小道具として使用される数々の椅子である。それはどれもが未完成で不完全なものばかりだが、自立して床に立つことができ、大体には座ることもでき、見た目には十分に椅子だとわかる。それぞれが個性と存在感に満ちている。
その不完全な椅子の並ぶ様子は、私たち人間ひとりひとりの不出来さと孤立感を現しているようで、ぞっとした。同時にまた、人間の一生も不出来で不完全なものであることを物語っていた。
誰も人生を完成して終わることはなく、全ての人が不用意に不完全に人生を断ち切られていくのが当たり前であるということを、これまで実感したことはなかった。私の人生も例外なく、作りかけの椅子のように完成品とはならずに終わっていくことを。しかし少し残念だが悲観することはない、完成を目指して生きていくことに変わりはないのである。

以上

『令嬢ジュリー』(フレデリック・フィスバック演出、アウグスト・ストリンドベリ作)

カテゴリー: 令嬢ジュリー

■入選■

『令嬢ジュリー』劇評

丹治佳代

フレデリック・フィスバック演出の『令嬢ジュリー』鑑賞は、観劇という行為の枠を大きくはみ出した、ひとつの強烈な体験だった。終演時は心身がはげしく疲労し、出演者たちに拍手を送ることも、ろくにできなかった。懸命に何かに取り組んだ際の疲れを「心地よい疲れ」と言ったりするが、今回感じたのは、そうした疲労とは異なるよりハードな疲労である。ここまでの疲労感・緊張感を私に与えたものは、一体なんだったのだろうか。

観客の精神に緊張感をもたらしたものとしてまず浮かぶのは、舞台装置の存在だ。舞台上には、駅のホームにある待合室のようなガラスの密室が設けられている。洗練されたシステムキッチンと、本来屋外であるはずの竹林が、ひとつの密室として存在しているのだ。上演開始から終了まで、コロスを含めた登場人物たちは、基本的にこの密室内でぶつかり合いを繰り返す。密室が観る者にもたらす圧迫感は大きく、劇の進行とともに密室内には、はけ口を見つけられない登場人物たちの情念が蓄積されていくようだ。観客は、密室内に増し続けるこの圧迫感・閉塞感を受け止めなければならない。

この舞台装置は、戯曲の台詞にも影響を及ぼす。伯爵令嬢のジュリーと、伯爵家の召使であるジャン。この二人の欲望と本音のぶつかり合い、そしてすれ違いが戯曲『令嬢ジュリー』の主だった筋であり、そこに伯爵家の料理番でありジャンの許婚でもあるクリスティンが関わりながら、劇は進んでいく。戯曲のキーワードであり、ジュリーとジャンが取り憑かれているのが、「上昇と下降」という概念だ。何としても社会的に上昇したいジャンと、自らより社会的下位にいる者に戯れに興味を示しつつ、「(社会的な意味であれ精神的な意味であれ)自分は上にいる」という意識に縛られているジュリー。「のぼる」「おちる」「おりていく」など、二人の台詞には、上昇と下降を表現する言葉が随所にあらわれる。しかし、いくら二人が上昇を望んだり下降を呪ったりしても、彼らが身をおくのは上下左右に出口のない密室だ。私たち観客は、彼らが上昇や下降を表現するたびに、彼らが上にも下にも行けず定位置にとどまり続けるしかないことを見せつけられ、彼らの発する言葉に悲愴な影を感じざるを得ない。

登場人物たちを閉じ込め、上昇や下降という概念を無効にしてしまうこの密室を、私たち人間が生きている限り抱き続ける閉塞感のあらわれとみることは、正しくもあるだろうが、安易すぎるように思う。私は、この密室は、閉塞感をあらわすものであると同時に、もうひとつの意味を体現していると考えたい。—この密室は、「対面」や「向き合う」という関係性を私たちに強調して提示しているのではないだろうか。

いま挙げた「対面」そして「向き合う」ということは、今回の『令嬢ジュリー』において大きな意味を持っていた。まず、『令嬢ジュリー』公演のために芸術劇場内に足を踏み入れた観客は、自分自身を含めた場内全体と対面することから、観劇行為を開始せねばならない。というのも、上演前の劇場内は、舞台上の密室—上演前であっても幕で覆われてはいない—が巨大な鏡のような役割をしており、上演を待つ私たち観客を映し出していたからだ。観劇前に自分と対面させられるという体験のインパクトは強く、上演中何度か、「今は見えてこそいないが、この舞台は私たちを映し出しているのだ」という思いが頭をよぎる。また、ジュリーとジャン、ジャンとクリスティンが、これから先のこと—これから先、自分(たち)はいったいどうしたらいいのか—について対話をするとき、彼らは非常に印象的な「対面」をする。彼らは、密室内の四隅のうち対角線上で向き合う地点に立ち、ありったけの大声で叫びながら、未来についての言葉を互いに交わすのだ。近づいて小声で囁くこともできるのにそうせず、「距離をとって大声で叫ぶ」という、もっとも労力を要する方法で自分の言葉を相手に伝えようとするこの対面のシーンは、俳優たちの熱演もあり、見るものの胸を引きちぎるような痛みを帯びていた。

そして、こうした必死の対面を行なう登場人物たちを包み込むかたちで舞台には密室が存在し、この密室が私たち観客と対面していた。密室という強固な舞台装置により、舞台上で観客と向き合っている演劇空間の輪郭が、はっきりと浮かび上がる。ジュリー、ジャン、クリスティンという存在やそれぞれの関係性が個々の細胞となり、舞台上の密室という大きな存在を作り出す。そして私たち観客は、劇場内でこの密室と対面し、ぶつかり合ったのだ。

本評冒頭で私は、観劇後にはげしい疲労を感じたことに触れたが、それは、濃密な演劇空間と正面から向き合ったことに因るものなのだろう。本公演の観客となったことを語るとき、傍観のニュアンスのある「演劇を見た」という表現はためらわれ、「演劇と向き合った」という言い方こそがふさわしい。『令嬢ジュリー』においては、俳優も、観客も、演劇空間そのものも、まさに当事者であった。

今回の公演を「面白かったか」と聞かれてもすんなりと答えることはできないし、人に勧めたいかどうかも、容易には判断できない。しかし、私にとって『令嬢ジュリー』と対面したことで強烈な当事者感覚を得たことは稀有な体験で、観劇を終え数日経ったいま、終演後に劇場内でおくることができなかった拍手を、盛大に打ち鳴らしたい気持でいっぱいである。(10月2日観劇)

『令嬢ジュリー』(フィレデリック・フィスバック演出、アウグスト・ストリンドベリ作)

カテゴリー: 令嬢ジュリー

■入選■

分裂と統合の帰結
SPAC公演<令嬢ジュリー>を観る

阿部未知世

<SPAC秋のシーズン>の演劇作品のトップをきって上演されたのが、ストリンドベリ作の<令嬢ジュリー>である。この公演で、フランスの気鋭の演出家フレデリック・フィスバックは、19世紀末という大きな時代の転換期のダイナミズムを、象徴的なかたちで現わすことに成功した。

物語は、貴族の令嬢ジュリーの、破滅に至る過程を描いている。

保守的な貴族の父と、自由主義的な今は亡き母。このふたつのアンビバレントな遺伝子のもとに生まれたのがジュリーである。貴族のプライドと滑稽ともみえるリベラリズム。その狭間で不安定に揺れ動く彼女は、夏至祭の乱痴気騒ぎの中、使用人のジャンにお相手をさせているうちに、いつしか一線を超えて……、結ばれる。

ともに働く料理女の許嫁がある身のジャンだが、いつになく安らぐジュリーに、事業の夢を語り始める。ジャンは下僕とは言え、充分に有能で才覚もある。ただ、金だけがないのだ。貴族のお嬢様ジュリーに金を出させ、ふたりで事業を始めようと持ちかける。

ジュリーはためらった後、父親の金を持ち出す。しかしジャンの打算と保身により、ジュリーとともに家を出ることは、ついになかった。あまつさえ、力なく佇むジュリーを死へと導いて……。

演出家フィスバックはこの一部始終を、夏至の白夜を彷彿とする、白を基調とした現代的なしつらえの中で展開させる。舞台美術のローラン・P・ベルジェが創り出すミニマリズムの空間は、物語の骨格をはっきりと際立たせる。加えてフィスバックは、原作にはないコロスを登場させる。生活者であり、市民であり、共同体の成員である彼らは、変革の担い手として、ダイナミックに活動する存在なのだ。

何故この舞台が、時代の転換期という情況を反映して、象徴的なのだろうか。分裂と統合という視点から考えよう。

19世紀末、リベラルな社会改革の潮流はすでに生まれてはいたが、ヨーロッパはいまだ階級社会であり続けていた。厳然と分割された階層構造が続いて来たとは言え、すでに貴族階級没落の趨勢は、否定しようもない。そして性は、いまだタブー視され、あまつさえ女性の性欲は、その存在すら否定されていた。当時人々は、精神と身体、身体と性が、程度の差はあれ分断された中で生きざるを得なかった。その中で起こった、ジュリーとジャンの情事は、階級を突破し、タブーを白日のもとに晒し。当時の社会が内包していた境界線を大きく踏み超える、衝撃的で破壊的な事件たり得たのだ。

ジュリーは没落しつつある階級を生きる一方で、時代を先駆け過ぎた意識のある、精神に深く大きな裂け目を持つ女性。彼女は、内的な分裂から生まれる様々な矛盾を、そのまま並置することで、かろうじて精神の安定を保っている。その意味でジュリーは、極めて脆弱な存在なのだ。

一方、平民のジャンは、貴族に対して表面は慇懃に使えている。有能であるが故に野望もある。しかしそれを実現する手段を持たない。それ故に思いと現実の間で分裂し、行動を起こせない無力な存在となっている。

こんな二人に訪れた夏至祭は、祝祭という非日常の時であり、夜がない非現実の時である。その時だからこそ可能となった、異なる二つの存在の融合の力は、コペルニクス的転回をもたらした。

ジャンは、実業家となる野望をもう隠さず、そのためにエゴイスティックな行動をとって恥じない。分裂していたジャンは、統合されることで力を得た。しかしジュリーは、自らが抱える分裂情況を、はっきりと認識することによって、これまでかろうじて保たれて来た精神の統合が破綻し、急に無力化する。

貴族と民衆という二つの力がこの時、ドラスティックに転換した。無力化する貴族と力を得る民衆という新たな図式が、息づくこととなった。ジャンに代表される民衆はいまや、貴族階級の象徴たるジュリーを破滅させるだけの力を持ったのだ。事実、ジュリーの父親の貴族はついに姿を見せず、ただ厳つい革のブーツでのみ象徴される。そしてエネルギーに満ちた民衆を象徴するのが、コロスなのだ。彼らはしかし、決してカマとハンマーを手にした、プロレタリアートではない。共同体の成員、市民社会の生活者として存在している。何故なら彼らの中には、伝統的な共同体の祭礼に登場する、異形のものが混ざっているのだから。

しかし、彼らは伝統を墨守し続ける存在ではない。事実、貴族の家の料理女はキリスト教を盲信し、尊敬できる人に雇われていることに自尊心の根拠を置いていた。彼女はいつしか、舞台から消え去って行った。演出家は、近代的な自我を持った市民社会の成員としての民衆を登場させたのだ。

歴史はまさに、この物語に呼応している。戯曲発表の翌1889年。ヨーロッパ最強を誇ったハプスブルグ家が支配するオーストリアでは、皇太子ルドルフが謎の死を遂げた。貴族の娘との情死との定説はあるが、交際相手の女優に断られた果てのこととも言われる(暗殺との説も)。この事件により、ハプスブルグ家によるオーストリア支配は終わりを告げた。当時の文化的最先端の地、首都ウイーンはまさに、こんな情況だったのだ。

時を同じくして、性の問題にも、微かな光が当たり始めていた。ジークムント・フロイドはウイーンにあって、精神分析を確立する歩みを始めていた。もしジュリーが精神分析に出会えていれば、こんな破滅的な結果には至らなかっただろうに。

フィスバックはこの戯曲を、ジュリーとジャン二人だけの、密室的な葛藤の物語を、より高次な、時代の転換期の悲劇へと昇華させることに、手堅く成功したのだ。

<了>