私ならずとも美加理ファンならば大満足の舞台であったろう。なにしろ、ある時は誇り高い女王、ある時は薄幸の娘、ある時は妖艶にして恋多き異界の夫人などを演じ、観客を魅了してきた美加理だ。それが今回はなんと賢く健気な少年となったのだ。
美加理の演ずるグスコーブドリ少年の美しさはまさに比類がない。少年愛などには縁遠い私だが、舞台の少年を見つめ続けていることに、なにかやましさを感じてしまうほどであった。 続きを読む »
■準入選■【グスコーブドリの伝記】ブドリの手帖 鈴木麻里さん
やがて遺言のように残されるグスコーブドリの手帖が緑いろの表紙だなんて、原作や脚本にはどこにも書かれていなかった。舞台美術も衣装も白一色、人形やブドリの衣装もぐっとトーンを押さえるなか、手帖だけはペンキを塗ったように緑いろなのである。
わたしも真っ先にジョバンニの切符を思い出した。お父さんからの葉書をポケットに入れていたつもりが切符だったというのだから、ちょうど大きさもぴったりである。カンパネルラの切符は鼠いろだった。ブドリはこれから亡くなるというのに、手帖はどうして緑いろなのだ。 続きを読む »
■準入選■【グスコーブドリの伝記】髙橋顕吾さん
宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』。カタカナ部分が覚えにくいのは年のせいだろうか、漢字がバシッと決まっている『銀河鉄道の夜』の方が宮沢の作品としてはイメージしやすい。宮沢は、多々震災が絶えない郷土岩手で念仏を唱える母の背をゆり籠に、繰り返し地元を襲う冷害に打ちひしがれる農民たちを目の当たりにしながら育った。浄土真宗門徒であった父とは対立しながらも、自身は後に法華経へ傾斜していく。中でも「一乗妙法」という、法華経の教えがあれば万人成仏できる、という平等感は宮沢の「自身に執着しない」考えを育み、「久遠本仏」という、釈迦は永久の仏である、という法華経の一神教的側面は、宮沢の「『神』の手に委ねられた世界観」を醸成したのではないか(そしてこの点は後に、同じく一神教であるキリスト教への関心へと繋がる)。 続きを読む »
■準入選■【グスコーブドリの伝記】平井清隆さん
照明の落とされた仄暗い舞台。主人公のグスコーブドリが無言で装置を動かしている。しんと静まりかえった劇場に響くのは、装置の軋む音と車輪が動く音だけだ。固唾を飲む事すらできない程の静寂と緊迫。やがて作業が終わり装置が作動する。冷害を防ぐための人為的な火山噴火が成功する。グスコーブドリの生命と引き換えに。 続きを読む »
■準入選■【グスコーブドリの伝記】ドラマの力でブドリは蘇った 望月秋男さん
文学作品というものは、もともと書き終わるやいなや作者の手を放れ、読者の心の中に入り込むことで新しい生命(いのち)を育ませるものだ。
そのことをまざまざと見せつけてくれたのが、今回のSPAC宮城聰演出の劇『グスコーブドリの伝記』だ。氏は宮澤賢治の童話を国民文学と位置付け、老若男女だれもが楽しめるドラマに仕立てあげたいと抱負を語っている。
それで思い出したことがある。賢治は自分の作品を「少年小説」と呼んでいたらしい。少年たちのための小説という意味あいでもあるだろうが、私には書き手自身が少年になりきって創った小説のような気がしてならないのだ。 続きを読む »
2015年6月2日
ふじのくに⇔せかい演劇祭2014の投稿劇評
ふじのくに⇔せかい演劇祭2014の劇評塾に投稿いただいた入選作・準入選作を公開します。
応募数は11作品、入選6作品、準入選5作品です。
(お名前をクリックすると投稿いただいた劇評に飛びます。)
『マハーバーラタ~ナラ王の冒険~』
(演出:宮城聰 SPAC)
■入選■ 中谷森さん
『ファウスト 第一部』
(演出:ニコラス・シュテーマン ハンブルク・タリア劇場)
■入選■ 大野裕果さん
■入選■ 山口侑紀さん
■準入選■ 渡邊敏さん
『ジャン×Keitaの隊長退屈男』
(作・演出:ジャン・ランベール=ヴィルド 出演:三島景太)
■入選■ 山口侑紀さん
『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』
(構成・演出: エンリケ・バルガス テアトロ・デ・ロス・センティードス(五感の劇場)
■準入選■ 大野博美さん
■準入選■ 番場寛さん
■準入選■ 山口侑紀さん
『マネキンに恋して-ショールーム・ダミーズ-』
(演出・振付・舞台美術: ジゼル・ヴィエンヌ、エティエンヌ・ビドー=レイ ロレーヌ国立バレエ団)
■入選■ 番場寛さん
■準入選■ 原田初さん
『Jerk』
(演出:ジゼル・ヴィエンヌ 原作:デニス・クーパー 出演・共同作業:ジョナタン・カプドゥヴィエル)
■入選■ 中谷森さん
■入選■【Jerk】演劇的欲望の果てに、私たちはまた失敗する 中谷森さん
アイデンティティーの剥奪こそ究極の殺しなのだ、とディーン・コルルは考えた。裏を返せば、アイデンティティーの獲得という究極の生への欲望がディーンにあったと言えるだろうか。『Jerk』ではジョナタン・カプドゥヴィエル演じるデイヴィッド・ブルックスが上演する人形劇を通して、アイデンティティー、すなわち同一性への渇望に動かされるデイヴィッドの生が描かれる一方で、そうした同一性への試みは必ず失敗するという、人間の、そして演劇の、悲劇的運命が暗示される。 続きを読む »
■準入選■【マネキンに恋して―ショールーム・ダミーズ―】原田初さん
本作「マネキンに恋して」を観劇した5月4日の静岡市内は昼間でも風が吹くとまだ肌寒かった。横浜でも有数の繁華街である野毛在住の私は、前日、野毛の町の匂いが染み付いた冬物の衣類をしまい春夏物に入れ替えたので、当日着ていた服は上下ともに七分丈である。横浜を出たときの気候ではちょうどよい服装のはずであったが、静岡芸術劇場に着き、外に出てみると少し寒い。開場まで時間があったので、劇場前にあるセブンイレブンで「揚げ鳥」を買って車に戻った。車の中が醤油と油の匂いで満たされていった。 続きを読む »
■入選■「身体による思考」とは何だろうか?―『マネキンに恋して―ショールーム・ダミーズ―』を観て― 番場寛さん
数年前に京都芸術センターに招かれたジゼル・ヴィエンヌは自身の口から人形を使った演劇を創作していたと説明したが、今回の二つの作品にたいする期待は、ある意味で裏切られた。
『マネキンに恋して』」というタイトルはあまりに説明的である。人間、それも男が人形、特にマネキンに恋をしてしまう話は数多く創られてきた。例えば映画では『ラースと、その彼女』のように現実の女性と接することもできない青年が、何も動かず、言葉も返さないマネキンに服を着せ、語りかけるだけでなく、自分の「彼女」だと周りの人にも承認を迫り、一緒に生活する様は十分説得力のあるものだった。 続きを読む »
■準入選■【よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン】山口侑紀さん
このスペインの「体験型演劇」について語るには、少々の迂回を必要とする。というのも、この「新しい」パフォーマンスに類似したものを、私は既に4年前に体験したことがあるからだ。1988年の創立以来、30ヶ国、130以上の都市で、800万人を動員している「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」(以下、DID)。これとの比較なしに『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』(以下、ちょっとしたレッスン)について語ることは、(少なくとも私には)不可能に思われる。 続きを読む »