2008年6月3日

『サド侯爵夫人』(鈴木忠志演出、三島由紀夫作、SPAC)

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〈亡命者の孤独〉に寄す
  ――三島由紀夫 作/鈴木忠志 演出 『サド侯爵夫人(第2幕)』を観て
藤山 一樹

 シェイクスピアの翻訳で名高い福田恆存は、自らの世過ぎをなかば自虐的にこう綴っている。
「他国語を自国語に置きかへることを自分の仕事にする翻訳者は、さういふ亡命者の孤独の中に暮さねばならない。たとへばシェイクスピアを翻訳してゐるときの私は、日本の中にゐて、日本人に取巻かれ、不自由なく日本語で用を足してゐても、母国のドイツ語を一々英語に直して喋らなければならぬ亡命者ティリヒと同じやうに孤独なのである」(福田、1987:87)。
 翻訳という仕事にかぎらず、日本人が西欧の文化と対峙しそれを自分の手で表現せねばならぬとき、終生、孤独がつきまとう。日本人は、西欧人に――「なりきる」ことはできても――「なる」ことはできないからだ。戯曲『サド侯爵夫人』を著した三島由紀夫もまた、そのことに敏感な作家であった。しかしながら、彼が『サド―』の創作にひとかたならぬ意欲を見せていたことも事実である。
 「もっとも下劣、もっとも卑ワイ、もっとも残酷、もっとも不道徳、もっとも汚らしいことをもっとも優雅なことばで語らせること。そういう私のプランのなかには、もちろんことばの抽象性と、ことばの浄化力に関する自信があった」(三島、1979=2005:226)。
 畢竟、三島が戯曲の世界で追い求めたのは、言葉の石を積み上げた大伽藍であったろう。日本の演劇にあるのは、能や歌舞伎のように、言葉と肉体と音楽を無尽に操る総合芸術の伝統である。明治維新以降、逆巻く西欧文化の波に日本人が相対するには、ひとまず対象に「なりきる」しか道はなかった。そこで三島は明治百年を目前に、日本人という帰属を自覚し、日本人の土俵から、日本人の言葉で西欧の文化を略奪する覚悟を、あえて、引き受けたのである。
 だからこそ『サド―』の生命線は、台詞にほかならない。この戯曲の本質は、舞台というコロッセウムで交わされる、ロゴス(言葉、論理)の応酬だ。鈴木忠志の演出は、その点で確かに、作品にいのちを吹き込んでいる。独特の台詞術――一定の音高で緩急の差をつけ、口角泡を飛ばす戦闘的なそれは、メデューサのごとく見るものを台詞に縛りつける。そこから人物の過ぎこしや感情の揺れといった行間を、(台詞と同時に)観客が読み取ることはできない。とりわけ顕著なのは、ヴェニスを懐かしむアンヌの台詞である。姉・ルネへの嫉妬を燃やし、水の都でのサドとの情事を「赤い肝臓」のような月と「白い砂浜」の寝床で彩ったアンヌの追憶は、戯曲を読むかぎり、むせかえるような熱と湿気の一夜を思い起こさせる。しかし鈴木の演出はあまりに台詞が張り詰めているため、(作者が意図したであろう)エクスタシーや血の匂い、愛といった余白に思いをめぐらす隙を与えない。舞台にあるのは、言葉を戦わせる存在、としての役者だけだ。なればこそ、舞台の主役は役者でなく、台詞になるのである。
 かような演出法は、台詞をめぐってさらなる効果を生み出した。ロゴスの純粋な力――とでもいおうか――を、蘇らせたのだ。
 幕切れちかくの母子の舌戦に、それは鋭く立ち現れる。母・モントルイユが理論の盾とする世間の道徳観に対抗すべく、娘・ルネは怪物サドへの貞淑をかなぐり捨てて、夫と共犯の高みに走る。戯曲に直接ふれるとき、読み手は三島の豊饒なレトリックにのまれ、時にルネが用いた論理の飛翔を見失いやすい。しかし弾丸のごとき鈴木の台詞術は、「鳩」や「鍵」といった比喩の生むイメージを濯ぎおとし、ノエルの顛末を暴く母への、ルネの焦燥と矜持を見事に表現してみせた。
 言葉は、人々の口の端にのぼるにつれて、その意味を超えた色とりどりの衣をまとうようになる。そして、受け手の豊富な経験と相俟って、さまざまな意味を人に連想させる。鈴木の演出は、意味の裳裾を長々とひくまでになった言葉から、衣をはぎとり、裸にしようとした。そのためには、日常用いる言葉遣いでは、目的は達成されない。あの曰くいいがたい、おかしみすら湛えた台詞術で見るものの意表をつき、舞台上の言葉そのものに集中させることで、結果観客は何か新しい言葉、人生で聞いたこともないような言葉を発見した気にさせられるのである。言葉の響きや意味と厳かに向き合うこともなく、ただ毎日消費しては生産する現代の我々に、その神聖さすら認識させた鈴木の演出は巧みであったという外はない。
 福田恒存が感じた亡命者の孤独を、言葉への矜持を道連れに『サド―』の創作で背負ってみせた三島由紀夫。文学座という新劇の聖地を逃れた点でも、二人はまさしく、レフュジーであった。初演から四十余年経ち、三島が道行の友とした「言葉」は彼の手を離れ、鈴木忠志という演劇人の手に落ちた。新劇というカテゴリすら覚束なくなった現代に鈴木が突きつける言葉の塊は、日本の演劇に永らく欠けてきたレフュジーの精神を、はっきりと浮かび上がらせたのである。

〈引用文献〉
 福田恒存(1987)「翻訳論」『福田恒存全集,第五巻』文藝春秋。
 三島由紀夫(1979=2005)「『サド侯爵夫人』の再演」『サド侯爵夫人・わが友ヒットラー』新潮社。


2008年4月29日

『サド侯爵夫人』(鈴木忠志演出、三島由紀夫作、SPAC)

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批評としての演劇──サドと三島と昭和
                                  井出聖喜

 三島由紀夫の「サド侯爵夫人」は、澁澤龍彦の「サド侯爵の生涯」を典拠とする三幕の戯曲である。鈴木忠志の演出による今回の上演は二幕のみを取り上げた。怪物サドの姿が顕在化し、サド侯爵から娘ルネを引き剥がそうとするモントルイユ夫人に対して、長い言葉の格闘の末、サドは私だとルネが宣言する下りである。ここはこの三幕の戯曲の中で最も劇的で、言葉と言葉、論理と論理が火花を散らす場面の連続である。
 鈴木忠志はこれまでも原戯曲を忠実に舞台に再現するということをせず、テキストレジーを施したり、原作の構造を解体再構成したりという形で、原作が作られた時代とそれを上演する今日の世界との関係性を批評的に提示するという手法を取ってきたから、長年鈴木の舞台を見続けてきた者にとって、変則的とも言える今回の上演は格別驚くには当たらない。むしろ、一幕と三幕をカットしたという一事を除けば、禁欲的とも言えるほど原戯曲に忠実であった。
 舞台は演劇研究家である「男」が「第二幕 1778年9月。すなわち第一幕の6年後……」とト書きを読み上げるところから始まる。一方、大詰めの台詞の一部をもまた「男」が語る。こうして、この舞台の最初と最後が「男」によって挟み込まれているのを見れば、我々の眼前に繰り広げられるこの演劇世界が「男」の脳裏に展開するそれであること、「男」(そして「男」の背後には当然演出家鈴木忠志が控えている)によって批評的に再現されたものであることが首肯されるのである。
 さて、鈴木の舞台であるからロココ調の衣装も山の手夫人風の語りも期待しない。しかし、ルネの最初の台詞「アンヌ!」──その女性らしい色香や優しさのかけらもない、“ドスのきいた”声を聞いた瞬間、何とも言いようのない違和感に包まれた。ジュスティーヌについて触れた第三幕のルネの台詞「心のやさしい、感じやすい、どちらかといえば陰気な淋しい人となりで、姉の媚態にひきかえて羞らい深く、乙女らしい姿(中略)まるでアルフォンスが、何も知らなかった時分の若い私の絵姿を描いたよう」から透けて見えるルネの姿や声音と全く違っていたからだ。多分鈴木は、これまでの「サド侯爵夫人」の舞台に共通して表出されてきた、記号としての女性性(私自身もそこにもたれ掛かっていたか?)をこの「貞淑」なる女性から剥ぎ取り、彼女の中に刃のように装填されている「論理」を剥き出しにしたかったのだろう。モントルイユ夫人の道徳性、その醜悪にして強固な偽善に拮抗し、対峙するにはそのくらいの強さが必要だということなのかもしれない。
 優れて印象的な場面が二つある。一つはサン・フォン伯爵夫人が黒ミサについて語る場面である。最初舞台上手に位置していた夫人が中央に寄ってくる、その時上手の壁から天井にかけて彼女の黒い巨大な影が映るのである。彼女が「私と一味徒党」と語るサド侯爵の怪物性が視覚的に象徴された見事な場面である。
 もう一つはラ・コストの城でサドとルネが過ごした四年前のクリスマスの夜のことを、モントルイユ夫人が語る場面である。それまで床に伏せるようにしていたルネが、ある台詞のところで片膝を立てる。その時、彼女の秘部が(下着をつけているとはいえ)覗かれるのである。それは彼女がサド侯爵との性の秘祭に耽っていたことが明らかになる場面であるから、決して扇情的ではないにせよ、ドキッとさせられるのだ。
 さて、大詰め。ルネの台詞「アルフォンスは、私だったのです。」が語られた、その時、美空ひばりの演歌が大音量で劇場を覆う。それは、それまでそこを支配していた言葉の宮殿に土足で乱入してきた暴徒のようでもある。
 人間世界の種々相、善き行いも悪しき行いも道徳も不品行も、等し並みに一つの物語に閉じこめ、「天国への裏階段をつけた」(第三幕ルネの台詞)サドと、言葉の力によって人間存在の極北にまで到達してしまった三島とが創り出す、一種透明な世界に突如、夾雑物としての美空ひばりが入り込んでくる。彼女は、観念ではなく情念にすがって生き、「言葉」ではなく日々の営みのあれこれと格闘し、思い煩う民衆の代弁者であろう。一時間余にわたる純化されたロゴスの世界の後に、それを相対化し、批評する俗にまみれたパトスの世界がわずか数分間ではあるが、しかし、昂然と屹立する。
 三島の生きた昭和(よく知られているように、大正十四年生まれの三島の年齢は昭和の年数と一致する)というのはそういう時代だったのだと、最近流行のレトロスペクティブな視点からではなく、匕首のように鋭く、演出家鈴木忠志は切り込んでみせてくれたのである。

(観劇日:4月5日)


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