2018年7月15日

<『顕れ』#001>県大での公開授業レポート

Filed under: 『顕れ』2018

今月9日より、宮城聰の演出による新作『顕れ(仮題)』の稽古がスタートしました!
この作品は、フランス・パリにある現代作家の作品のみを上演するコリーヌ国立劇場の創作委嘱を受けた作品で、静岡では「SPAC秋→春のシーズン2018-2019」の3作品目として年明け1月の上演が予定されています。

稽古がはじまったばかりの11日に、「ムセイオン静岡」*特別企画として、静岡県立大学にて宮城聰による公開授業「『顕れ(レヴェラシオン)』について」が行われました。
『顕れ』ブログ第1回目は、この公開授業のレポートをお届けします!(写真提供:静岡県立大学 広報・企画室)

大学でいう1限目、9時からのスタートにも関わらず、学生だけでなく職員や地域の方々が詰めかけ、220名定員の教室は満員に!
「僕が1限に出ていたのは、大学1年生のときくらい(笑)何年ぶりの1限だろうかなんて思って今日は来ました」という宮城の言葉から講義がはじまりました。

*「ムセイオン静岡」とは?
静岡市の草薙地域およびその周辺地域には、静岡県立大学、静岡県立美術館、静岡県立中央図書館、静岡県埋蔵文化財センター、静岡県舞台芸術センター(SPAC)、グランシップ(静岡県コンベンションアーツセンター)、ふじのくに地球環境史ミュージアムが位置し、若者や専門家が自由に行き交い、多くの文化を発信しています。
「ムセイオン静岡」は、この地域の文化関連機関が、自主協働プログラムとして文化・芸術・教育を学ぶ場を提供し、文化を発信する活動をしていきます。

 

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委嘱を受けた経緯

ことの始まりは、2016年のある日。
ワジディ・ムアワッド氏から「どうしても宮城と直接話したい」と連絡をしてきたそう。
ワジディ氏は、8歳のときに戦火のレバノンからフランスに渡り、15歳のとき再亡命を余儀なくされたという過去を持つ劇作家。
SPACは2016年の「ふじのくに⇄せかい演劇祭」に彼の作品を招聘し、『火傷するほど独り』(原題『Seuls』)が上演されました。

  <参考>
   ◎『火傷するほど独り』演目ページ
   ◎ワジディ・ムアワッドのこと(横山義志)

そんなワジディ氏からの話は
2017年にフランスのコリーヌ国立劇場の芸術監督に就任することが決まり、2018年のシーズンのオープニング作品を宮城に演出してほしい」というもの。
戯曲はカメルーン出身フランス在住の女性作家、レオノーラ・ミアノの『顕れ』原題:Révélationで、「演劇の魅力がぎっしり詰まったどうしても上演したい戯曲」「作者と誰に演出を頼むのがいいか検討したが、なかなかこれだという人が出てこず困り果てた。そこで、実現可能性を棚に上げて世界中の誰でもいいから演出してほしい人の名前を挙げようと話したとき、レオノーラ氏から挙がってきた名前が宮城だった」と伝えられたそう。

『顕れ(Révélation)』は奴隷貿易を扱った芝居で、宮城は依頼を聞いた当初、「日本の僕らにとっては最も知らない・遠い題材だと感じた」と言います。
なおかつワジディ氏のオーダーは、フランスの俳優に演出するのではなく、SPACの俳優たちで作ってそれをコリーヌで上演すること。
シーズンのオープニングを海外のカンパニーに、という驚天動地の依頼に最初は戸惑ったそうです。

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演出を引き受けるキッカケとなった、ある“偶然”

『顕れ(Révélation)』にはまず、最高神・イニイエが登場します。
アフリカでは輪廻転生、死ぬと魂は“魂の海”に還っていく、というのが基本的な死生観。
この戯曲では、人間の肉体が誕生するときに、最高神・イニイエの懐のなかから魂が飛び出して赤子の中に入るとされています。
この魂たちが「この世に生まれたくない」とストライキをはじめ、「かつてものすごく大きな、途方もない罪を犯したアフリカ人たちの告白を聞かなければ、この世はどんどんひどくなってしまう。」と言います。
その途方もない罪というのが、奴隷貿易への加担
アフリカの歴史のなかで、加担した人についてはほとんど語られることなく、そのうえ本人たちも口をつぐんだまま死んでいきました。
無念や怨念を抱え込んだまま死んでしまっているために、アフリカは幸せになれない、その魂たちを呼び出して告白してもらおう、というところからこの物語ははじまります。

宮城はこの「この世への恨みや自分への恨みを抱え込んだまま死んでしまった人が、そうした人生で最も辛い瞬間を語り直す、演じ直す、そしてみんな(観客)にシェアすることによって救われる」という構造・テーマが、自身が演出を手掛けた近作と通ずるところがあると感じ引き受けたそうです。

たとえば、2017年5月に静岡で、7月にはアヴィニョン演劇祭で上演した『アンティゴネ』は、原作通りだと全員が不幸になって終わるところを、冒頭のシーンで舞台上の人物をすべて亡者とし、劇中劇として亡者たちが記憶を回想するというしつらえにしました。
これには上演場所である、アヴィニョンの法王庁の中庭にたくさんいるだろう非業の死を遂げた浮かばれない魂を想い、その魂たちの慰めになるような芝居をしたい、その魂たちが救済され喜んでくれれば、おそらく上演は成功するという構想があったそうです。

また2017年1月に上演した『冬物語』は、嫉妬ゆえに最愛の人を自殺に追い込んでしまった人間を“赦す”芝居。
かつての人生の最も痛切なシーンを演じ直すことによる、魂の救済です。
さらに2018年1月に上演した能形式の『オセロー』は、まさにそうした霊的な存在が主人公となる「複式夢幻能」の形式を使ってシェイクスピアの『オセロー』をリライトし上演しました。

この3作品が上演されることを知らなかったワジディさんが『顕れ(Révélation)』の演出を依頼してきたという偶然、そしてアフリカの死生観と鎌倉仏教以後の日本的な死生観にとても似ているところがあることに驚いたと語りました。

稽古真っ最中だからこその熱量で、90分間ノンストップで話し続け授業は終了。
参加者からは、「すごくいいお話でした。授業で学んだ能「実盛」のお話とリンクして興奮しました」
「奴隷貿易なんて特に興味ないなと思っていたけれど、お話を聞いて、これはもう観にいかないわけにはいかない!と思いました」という声が届きました。

 

『顕れ』作者 レオノーラ・ミアノ氏による講演会開催決定!

授業で話があった、作品の演出に宮城を指名した『顕れ(Révélation)』作者のレオノーラ・ミアノ氏が急遽来日することが決定しました!
「SPAC秋→春のシーズン2018-2019」の製作発表会とともにレオノーラ・ミアノ氏の講演会を開催いたします。
両プログラムとも一般の方にご参加いただけます。ぜひ足をお運びください!
詳細は「SPAC秋→春のシーズン2018-2019」製作発表会/レオノーラ・ミアノ氏講演会のお知らせをご覧ください。

*『顕れ』(フランス公演)詳細はこちら


2018年7月9日

【シアタースクール通信2018 #1】稽古スタート!

7月1日(日)からSPACシアタースクール2018の稽古がはじまりました!
学校では触れることのできない演劇の面白さ、奥深さを地域の子どもたちとその保護者の方々に知ってもらうことを目的として、2007年にスタートした「シアタースクール」。
12回目となる今年は38名のメンバーが集まりました!

今年取り組む作品はウィリアム・シェイクスピア原作の『十二夜』。
稽古初日はガイダンスを受けたあと、半円をつくって自己紹介。
班分けも発表され、身体をほぐすエクササイズや声出しの練習を行いました。
後半には台本が配られみんなで読みました。

稽古の様子を一部ご紹介します。

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どんどん難易度が上がるストレッチ!
見学に来ていた親御さんも一緒になって参加していました。

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床に寝っ転がって、お腹から声が出ていること、呼吸を意識しながらの声出し練習。
初日から力強い声がリハーサル室に響いていました。

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台本を読む前にアシスタント俳優・片岡より
登場人物の関係性についてのレクチャー。

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読むときは顔をあげてしっかり前を向いて。

◆スタッフのご紹介
本年も中野真希が演出を務め、5名のアシスタント俳優が作品づくりをお手伝いします!

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上段左から、佐藤ゆず、春日井一平、片岡佐知子
下段左から、ながいさやこ、中野真希、赤松直美

稽古初日には、演出・中野より「今年は例年よりハードルが高い」という言葉も。
みんなで頑張って作品を作り上げていきましょう!

シアタースクールでは、他にも沢山のスタッフが一緒に作品を創っていきます。
こちらのブログでもその様子を更新していきますのでぜひお楽しみに!

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SPACシアタースクール2018
『十二夜』
演出:中野真希
原作:ウィリアム・シェイクスピア
出演:静岡県内の中高生
8月17日(金)17時開演
18日(土)16時開演
会場:静岡芸術劇場
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2018年6月2日

舞台は全世界 渡邊守章演出『繻子の靴』をめぐって(四方田犬彦)

★作品の内容に言及する箇所がございますので、事前情報なしに観劇を希望される方はご観劇後にお読みになることをお勧めいたします。

 東北フランスの小さな村に地方官吏の息子として生まれた少年が、パリで中学に進み、文学と演劇に目覚める。彼は東洋語学校に進学し、優秀な成績で外交官試験に合格する。ランボーの詩に強い衝撃を受け、世界は一冊の書物に収斂すると説くマラルメの「火曜会」に出席する。だが彼を魅惑してやまないのは日本美術だ。自分が生れた年に「維新」を決行し、西洋近代化を取り入れたこの国の文化に、彼は心惹かれてやまない。ポール・クローデル(1868~1955)のことである。
 渡邊守章が昨年(2016年)12月に京都造形芸術大学春秋座でクローデルの『繻子の靴』の演出に成功したことは、昨年の演劇界のみならず、日本文化全体にとって快挙であった。渡邊氏は、というより日本は、自分を愛してやまなかったクローデルの熱情と知性に、ついに応えたのである。戯曲のなかの言葉を用いるならば、およそ「地上においてはかなわぬ」とまでいわれたこの未曾有の大作が、とうとう完璧な形で日本の舞台にかけられた。以下に渡邊演出の意義について、マラルメの顰みに倣って鉛筆書きで簡潔に記しておきたい。とはいえ、これを書いているのは観劇の翌日であり、わたしはいまだに強い興奮に包まれている。

 クローデルが最初に日本を訪れたのは、齢30のときである。上海の領事館に駐在中の休暇旅行であった。本格的な日本探究が開始されるのは53歳。彼は1921年にフランス大使として東京に赴任し、(途中の一時帰国を含め)足掛け7年にわたって日本に滞在する。人生の半ば過ぎて、夢がかなった。思うがままに日本の伝統文化を渉猟する時が到来したのである。
 クローデルは狩野派の金碧障壁画と水墨山水画に感動し、『忠臣蔵』から『清玄・桜姫』まで、歌舞伎における死の表象=再現に異常な興奮を覚える。だが決定的な体験は、能楽においてなされた。『道成寺』『翁』『羽衣』、そして『景清』。彼は観能の印象を細々と記録し、「能、それは何者かの到来である」という卓抜な警句を記す。みずからを「黒鳥(くろどり)」と呼び、『朝日の中の黒い鳥』という、美しい日本文化論を執筆する。
 日本に滞在する以前から、彼は全世界を舞台とした演劇という夢にとり憑かれている。アイスキュロスの『オレステイア』3部作に道化芝居を加えた4部作、ワグナーの『ニーベルンゲンの指輪』に拮抗すべき4幕の戯曲を執筆できないものか。それは聖母と聖ヤコブの守護のもと、不運の恋人たちがはるか天上界を仰ぎ見ながら、東洋と西洋を股にかけて移動するという、壮大な規模の悲恋物語となるはずだ。名付けて『繻子の靴』。4幕の構成は往古のスペイン芝居に倣って、「4日間」の物語と呼ばれることだろう。
 気が急いてたまらない。第1日目は、早くも日本到着前に着手する。第2日目は大使としての執務の合間を縫って完成する。第3日目にさしかかったとき、運悪く関東大震災が勃発し、原稿が焼失。彼はただちに書き直す。完結編にあたる第4日目が完成したのは、1924年のことであった。
 まともに上演すれば9時間か10時間はかかるという、巨大な規模の芝居である。おいそれとは上演できない。コメディ゠フランセーズのジャン゠ルイ・バローが高齢の作者の協力を得、短縮版をなんとか舞台に挙げたのが1943年。もっとも悲恋物語に焦点を当てたため、4日目はあっさりと割愛され、3日構成とされた。その後も3日ヴァージョンが慣習となった。バロー本人がそれを4日構成にしたのが1973年。1987年にはアントワーヌ・ヴィテーズがアヴィニョン演劇祭で、9時間40分をかけ、完全上演を果たした。文字通り、夜を徹しての舞台である。
 ちなみにわたしは学生時代、1977年にルノー/バロー劇団が来日したとき、国立劇場で第4日目だけの上演を観ている。このときは「バレアル(ママ)諸島の風の下で」という題名が与えられていた。何もない舞台に光と影が乱舞し、そのなかで二人の少女がゆらゆらと軀をくねらせている。彼女たちはいつまでも対話を続けている。果敢にも夜の海に身を投げ、はるか遠くに停泊中の船に泳ぎ渡ろうとしているのだ。もっとも一人の少女は力尽き、いつしか闇のなかに姿を消してしまう。わたしは『繻子の靴』という物語をまったく知らず、人物たちの来歴についても不案内なままに、このパントマイムを目の当たりにし、その美しさには目を見開かされた。恐ろしく簡素な舞台にもかかわらず、そこに顕現しているものの崇高さに撃たれたのである。
 そこでただちに中村真一郎による戯曲の日本語訳を入手し、ヒロインにはイングリッド・バーグマンはどうだろうかなどと、たわいもない空想に耽ったものだった。バーグマンと考えたのにはまったく根拠がないわけではない。クローデルが『繻子の靴』の後に執筆した『火刑台上のジャンヌ・ダルク』がロッセリーニの手で映画化されたとき、主役を演じたのが彼女であったからである。
 それからさらに8年が経ち、1985年にはポルトガルのマノエル・デ・オリヴェイラが全篇を、ほとんど科白を省略せず、フィルムに纏めあげた。愚直なまでに誠実な映画化である。わたしはこの映画版『繻子の靴』を、1987年にニューヨークの現代美術館で観る機会があった。2日がかりで7時間に迫るフィルムを観終えたとき、わたしはようやくこの偉大な戯曲の全体を、曲りなりにも把握できた気になった。空恐ろしい芝居だった。それからさらに歳月が流れ、わたしは東京の日仏会館でオリヴェイラと言葉を交わすことができた。わたしが『繻子の靴』と一言、口にしたところ、彼は(その当時はとうに90歳は越えていたはずだが)、「お若いの、一言だけいってあげよう。神は存在している」とだけ答えた。

 前置きが長くなってしまった。肝心の戯曲について語らなければならない。
 『繻子の靴』では冒頭に、「この劇の舞台は世界」とロ上が述べられる。
 世界! いまだかつて演劇において、かくも大胆な言葉が、かくも率直に発せられたことがあっただろうか。作者は最初から『創世記』を向こうに回し、『人生は夢』のカルデロンに対抗するつもりなのか。ともあれ「4日間」の舞台の進み方を簡単に記しておきたい。
 舞台は16世紀の末、いわゆる「大航海時代」である。主なる登場人物は4人。新大陸の制覇に使命感を抱くドン・ロドリッグ。美しい人妻のドニャ・プルエーズ。その夫で、厳格な大審問官のドン・ペラージュ。彼はスペイン国のアフリカ北西部の総司令官でもある。最後に敵役として、ムーア人との混血と思しきドン・カミーユ。
 ロドリッグは、嵐で漂着した先のアフリカ西海岸でプルエーズに出会い、運命的な恋に陥る。だが人妻を相手にした恋は、地上では実らない。ロドリッグはそれでも彼女を追い駆け、そこにカミーユが絡む。三角関係ならぬ四角関係である。戯曲の根底にあるのは、悲恋の恋人たちが織りなす、すれ違いのメロドラマだ。にもかかわらず、驚くべきことに、この長大な芝居において舞台上で二人が対面するのは、わずか一度、3日目の最後の約10分間だけなのである。
 『繻子の靴』にはいたるところにバロック的な装飾的枝葉が控えている。剣(新大陸征服と対イスラム戦争)と音楽(芸術と愛)という、互いに対立しあう旋律が見え隠れし、最後に奇跡的な統合を見せる。主物語から分岐したいくつもの物語が逸脱と脱線を重ね、ときに主物語に絡みついて、複雑な文様を見せる。音楽姫とナポリの副王が、嘘のようにスラスラと進む恋物語を演じ、主筋の恋人たちの悲愴さを逆に浮かび上がらせる。主人公の召使たちによる卑小な茶番劇がそれに続く。最後にプルエーズの忘れ形見、七剣姫(セテペ)が、父ロドリッグのもとを去り、大海を泳ぎ渡って、オーストリア貴族のもとに駆け落ちを企てるという、勇ましい挿話までがついている。
 だがもっと眼差しを近づけて、4日間にわたる物語を詳しく眺めてみよう。
 第1日目で中心となるのは、ロドリッグとプルエーズの困難な恋である。プルエーズは夫に従ってアフリカに発たなければならない。だが出発の日取りが別々であると知って、ただちにロドリッグに手紙を認め、駆け落ちを企てる。もっとも音楽姫の駆け落ちの一件に巻き込まれ、それは成就しない。それどころかロドリッグは戦闘で深手を負い、看護を求めて母親の城へ向かう。プルエーズは夫の配下によって監視されているが、彼の恩情によって脱出に成功する。
 「繻子の靴」というかわいらしい題名は、このプルエーズがロドリッグのもとに向かおうとするとき、館の入り口に置かれた聖母像に願掛けをする挿話に基づいている。彼女は履いていた靴の片方を聖母の両手のなかに置き、自分が悪へ走ろうとするときにはかならず足が萎えておりますようにと祈りを捧げ、片方の靴だけで夫の館を後にしようとするのだ。
 第2日目。ロドリッグは母親の城で重傷の床にある。プルエーズが到来するが、二人は行き違いとなってしまう。そこにペラージュが出現し、彼女に向かって出し抜けに、モロッコのモガドール要塞で指揮官になるよう命じる。何とも荒唐無稽の展開であるが、この程度で驚いていては『繻子の靴』全体の物語と付き合うことはできない。ロドリッグは傷が癒えるとただちにプルエーズを追う。だが要塞に到着した彼女は、駆け付けてきた恋人に会うことを拒絶する。大西洋を別々の方角へと向かう二艘の船を、天上から聖ヤコブが眺めている。聖者は二人の恋は地上では実らないことを知っているのだ。月光のなか、二人の恋人は二つの影となり、神を呪っては互いの不在を嘆きあう。月がそれに言葉を加え、舞台はしだいに恍惚感に包まれていく。
 第3日目。10年の歳月が経過する。ロドリッグは副王閣下として新大陸に君臨し、パナマ運河の建設に携わっている。運河が開通すれば、二つの大洋は結合することができるのだ。プルエーズは夫の死後、カミーユと結婚して、モガドール要塞を離れようとしない。カミーユはモロッコの聖人(マラブー)信仰に帰依し、反キリストの立場を露骨に表明するようになる。二人の間には娘が一人いるのだが、不思議や不思議、その顔はロドリッグに似ている。
 ロドリッグはパナマの宮殿で、プルエーズが書いた手紙をようやく受け取る。手紙は10年間にわたって、世界中を経廻っていたのだ。真相を知った彼はただちに新大陸を放棄。配下の全艦隊を引連れ、大西洋を横断する。目的地はモガドール要塞だ。彼がモガドール沖に司令戦艦を停泊させていると、これは何としたことか、プルエーズが娘を連れ、小舟で到来するではないか。ロドリッグは10年にわたる別離の絶望を訴えるが、プルエーズはまたしてもそれを拒み、娘七剣姫を彼に託すと、小舟で去ってゆく。『繻子の靴』の主筋をなす悲恋物語は、ここでひとまず終わる。
 第4日目。この日は『源氏物語』における『宇治十帖』のごとく、後日談、それも荒唐無稽な後日談の連続からなっている。プルエーズが要塞で爆死を遂げて以来、ロドリッグは国王の寵愛を失ってしまう。彼は新大陸の副王の地位を追われ、フィリピンへと左遷される。日本人の捕虜となり、片足を喪失する。
 この最終日では、第3日目からさらに10年の歳月が過ぎている。ロドリッグは地中海にあるバレアレス諸島近海に船を停泊させ、すっかり零落の身である。彼は活計(たつき)のため日本人画家と組み、漁師相手に聖人画を製作している。スペイン国王は目下、イギリスと交戦中で、勝利の暁にはロドリッグをイギリス国王に任命したいと考えている。だがロドリッグはそれを拒み、イギリスとの戦争をやめ、永久平和を願うと発言して、宮廷全体を困惑させる(かつての新大陸征服者が何という豹変ぶりであろうと、思わず口を挟みたくなるが、まあいいとしよう)。彼は七剣姫にむかって、自分は世界を拡げるために来た。人間は天の下に、壁も障壁もあってはならないのだと語る。一方、お転婆の姫はオーストリアの貴族との駆け落ちを企て、肉屋の娘といっしょに夜の海を泳ぎ出す(わたしがバローの演出で、強烈に記憶している場面である)。王の不興を買ったロドリッグは奴隷の身分に落とされ、売り飛ばされることになる。そこに修道女が現われ、彼の身元を引き受ける。信じられないことに、この第4日目を構成している11の場は、ロドリッグの館はおろか宮殿にいたるまで、すべて海の上を舞台としている。

 渡邊守章はこの戯曲をどのように演出しただろうか。彼はかつて『サド侯爵夫人』でルネを演じた元宝塚の剣幸(つるぎ・みゆき)にプルエーズを、ラシーヌと鏡花の舞台で気心の知れた石井英明にロドリッグを演じさせた。大蔵流の狂言方である茂山七五三(しめ)とその息子たちに協力を仰ぎ、自分が育て上げた京都造形芸術大学の卒業生たちに出演を依頼した。音楽は基本的に藤田六郎兵衛(ろくろびょうえ)の能管だけに絞った。剣幸演じるプルエーズには一ヵ所だけではあるが、「わたしは剣(けん)よ!」と絶叫する場面があり、戯曲全体を貫く剣と音楽、戦闘と芸術の対立という主題に、はからずも(?)対応している。
 いくつか印象に残る場面をここに記しておきたい。
 今回の演出ではまず舞台全体が雛壇のように3層に分割され、それが左右の緞帳によって伸縮拡大の自在な空間へと作り変えられた。ダムタイプの高谷史郎がこの平面をスクリーンに見立て、銀河の横たう夜空から大海原、古城の石壁、ナポリの洞窟、さらに連合艦隊の甲板まで、思うがままに空間を変容させ、簡潔にして魔術的ともいえる手さばきで場面転換を行なった。高谷はこの舞台において、もう一人の隠れたプロスペローである。
 ひとまず舞台から奥行きを追放したことで、空間はプロテウスのように変幻自在なものと化した。登場人物たちはそれぞれの層において、基本的に平行移動を行なった。召使たちは最下層にあってバーレスクに興じ、恋人たちは中間の層にあって激情に駆られ、苦悶と絶望を語った。最上階では守護天使がはるか下方にいるヒロインを眺め、冷ややかな言葉を送った。ただ口上役の道化(野村萬斎)だけが幕の変わり目ごとに映像で出現し、忙し気にあらゆる層を廻っていた。3層の舞台は地上世界の無限に続く水平性を意味していた。それに対し、後半になってにわかに目立つことになる船の帆柱や聖者の杖は、天上と地上という、この戯曲の根幹にある垂直性を体現している。
 厳粛な場にあって人物たちは、譜面台を前に直立不動で朗誦を続けた。それは朗誦をよくなしうる者だけが芝居をよくなしうるという、フランスの古典劇から継承された演劇観の、みごとな実現であった。原作の台詞は一応は自由詩形ではあるが、それでも厳密に脚韻が踏まれている。わたしは演出家渡邊がこの10年近く、今回の舞台を実現させるための準備作業として、朗読オラトリオを重ねてきたことを思い出した。演劇の基幹となるのは朗誦であるという、ともすれば当代流行の日本の演劇界にあって蔑ろにされがちな真理を、根源的に確認するところから、『繻子の靴』の舞台は開始されている。
 もっと細かく演出を見てみよう。
 2日目の中ごろ、黒衣のロドリッグと白衣のカミーユが黒い垂れ幕の前で対決する。原作の戯曲ではモガドール要塞の中に設けられた拷問部屋という設定である。二人は強い緊張感のもとに対峙しているが、カミーユが少し軀を近づけると、二人の巨大な影が重なり合い、あたかも3本の手を持った一人の人物の影のように見える。彼らがプルエーズを媒介として、分身の関係にあることを如実に示している演出である。ここでロドリッグは初めてプルエーズの愛の熱情を知り、愕然とする。背景に蝶々の像が映し出されているのは、こうした劇がどこまでも魂(プシュケー)の次元での事件であることを告げている。
 メロドラマ的想像力が高揚を迎えるこの場面に続いて、きわめて夢幻的な光景が出現する。陰鬱な拷問部屋は一瞬のうちに波の揺蕩(たゆた)う大海原と化し、舞台の上層と下層にプルエーズとロドリッグとが別れて眠っている。彼らは大洋によって隔てられているのだ。下方からゆっくりと巨大な満月が登ろうとし、それに合わせて月の精が舞台中段に現れる。彼女はキラキラとしたラメ入りの服を纏い、棕櫚の葉を扇子のように携えている童子である。この間も打ち寄せる波の色調は微妙に変化してやまない。月の精が姿を消すと、プルエーズが起き上がり、純白の光に包まれながら、永劫にわたる愛をめぐって独白を続ける。満月がゆっくりと、舞台を大きく横切ってゆく。ふたたび月の精が登場し、下方で眠りこんでいるロドリッグに棕櫚の葉を向ける。彼がまだイヴと分離する以前の、無垢にして完璧なアダムとして、深い眠りにあることが示される。やがて彼は目覚め、プルエーズの創造した天国に自分が留まりえぬという絶望を語る。海の色はしだいに陰鬱な暗さを帯び、すべてが暗黒に包まれてしまう。
 ちなみにオリヴェイラの映画版では、この場面では暗闇に丸く刳り貫かれた穴から罪の女神が、メリエスの無声映画『月世界旅行』の月のように顔を覗かせ、独白を続けるという演出がなされていた。渡邊演出では背景に満月の映像を投影するとともに、光り輝く童女として登場させている。二つの影の背後に流れる長々とした独白は、演出家である本人が担当している。この長大な芝居のなかでもっとも神聖にして静寂感に満ちた光景が、こうした身体と声、映像とその色調の変化によって、多元的な力のもとに実現されている。
 第3日目の結末部、プルエーズとロドリッグが出会うことになる唯一の場面についても、やはり書いておきたい。
 新大陸を支配するロドリッグ副王の戦艦の甲板で、二人は出会う。プルエーズは最初、カミーユからの信書を手渡すという任務から緊張した姿勢を崩さず、ロドリッグも彼女に面と向かって対応をしない。彼はどこまでも正面を向き、不動の姿勢をとっている。二人の対話は強い調子の詰問とそれへの断固とした返答の形である。だが10年ぶりに再会を果たした恋人を前に、プルエーズの口調に少しずつ乱れが生じてくる。ロドリッグはそれを無視し、断固として拒絶の姿勢を崩さない。だがカミーユがかつてプルエーズを拷問したと聞かされた瞬間から、ロドリッグは我を失い、彼女に向き合う。プルエーズは愛娘を彼の前に差し出し、自分の代わりに育ててほしいと懇願する。ロドリッグはふたたび彼女と向かい合うことを止め、正面を向いて拒絶の姿勢をとる。二人はこうして別々に朗誦を続ける。だが最後に彼らはもう一度向かい合い、膝まずきながらしだいに距離を縮めていく。感極まって絶叫するにいたるが、最後まで抱擁や接吻がなされるわけではない。彼らは聖ヤコブが予言したように、地上においては絶対の乖離を生きる宿命にあるのだ。最後にプルエーズは死を決意して下船する。ロドリッグは彼女を止めることができない。置き去りにされた娘が母親を求めて泣き叫ぶところで、第3日目は幕を閉じる。
 日本語ではpassionという言葉は受苦と情熱という、二通りに訳し分けるのが常道とされている。だがこの二人の再会と別離、受諾と拒絶の重なり合いを目の当たりにすると、まさに受苦と情熱とが同一のものであると判明する。プルエーズを究極的に襲うのは、死を前にした歓喜である。ロドリッグにとってそれは、生涯にわたる悔恨と絶望の予兆である。渡邊演出はこの場を通して、メロドラマ的想像力から可能な限りの強度を引き出すことに成功した。整然としたオラトリオを基本様式とするこの舞台が、それを放棄して歓喜と絶望の絶叫に終わるのだ。

 先に、今回の演出にあたって画像の投射による空間造成が大きな意味をもっていることを指摘した。もしこれが半世紀前であったとすれば、場の転換に幾通りもの緞帳を準備したり、回り舞台を設定したりしなければならず、それでもこの大作の舞台である「世界全体」を表象するには追い付かなかっただろう。
 では高谷史郎による魔術的なスクリーンは、コンピューター時代における演出の新奇さ(ヌヴォテ)にすぎないのだろうか。実はそうとも断言できないのである。これはある意味で、原作者が夢想し、戯曲のかたわらに書きつけたヴィジョンを、今日的立場に立ってより進展させ、前景化した結果だと考えられるからだ。いや、もう少し強弁を重ねれば、クローデルは1920年代にはまだ新しい表象体系であったシネマトグラフ、すなわち映画を念頭に置きながら、いくつかの幻想的な情景を創造しているのである。
 第4日目の中ほどに、理解不可能な笑劇が挿入されている。漁師たちが2組に分かれて、地中海に浮かぶ不思議な島にロープを巻き付けると綱引きに興じるという件(くだり)である。本筋とはまったく関係のないこの笑劇については、インドの古代神話に有名な乳海攪拌の物語に始まり、能や歌舞伎まで、さまざまな源泉が考えられるかもしれない。だがこの劇で興味深いのは、漁師たちに命令を下す教授の一人が、この綱引きのさなかに探究を重ねている奇妙な魚のことである。教授がドイツの学術書で見たというその古代魚は、レンズと同じく一眼しかもたず、頭上に電気を通す映写機が取り付けられている。また胴体には、二重のロールが8の字の形に巻き付けられている。この魚は自分の眼で捉えた事物の姿を自動的にこのロールに印刷し、映像として無限に吐き出すことができるという。漁師たちが怪訝な表情を見せると教授は興奮し、この魚が「存在する! 存在する義務がある!」と怒鳴りまくる。
 これは端的にいって、映画の撮影と映写を同時に兼ねた装置ではないだろうか。クローデルがどうして悲恋物語が終わった後の、いうなれば大物語の残響だけが聴こえる第4日目にこうした荒唐無稽な挿話を置いたのかは詳らかでないが、少なくとも彼が映画という光学的な発明と映像投射によるスペクタクルに充分自覚的であったことが、ここから明確に窺うことができる。奇魚の単眼は、2日目にプルエーズの手にした水晶の数珠や、その変形としての地球とともに、壁面に巨大な形で投射されて、舞台全体の喩となる球体の主題的系列上にある。こう考えてみると、今世紀の当初にコンピューター処理によって舞台空間に魔術的な変容がなされることは、原作者の夢想を現実化してみせたことを示してはいないだろうか。もちろんこんなことについ目が向いてしまうのも、ひょっとしたらわたしが映画研究を長らく専門としてきた者であるからかもしれない。だが1920年代の時点で全世界の演劇化という壮大な野心を抱いた劇作家が、ベルグソンやフロイトの同時代人として、彼らと同様にシネマトグラフという装置に深い好奇心を抱いていたとしても、けっして不思議ではあるまい。

 ともあれ午前11時から午後8時半までをかけ、渡邊守章演出『繻子の靴』の舞台は終わった。わたしは20年ほど前にジョグジャカルタでワヤン劇『パラタユダ』の舞台を、それこそ夜を徹して観劇した体験があるが、それに匹敵するほどの長さである。4日目の舞台が七剣姫の無事を告げる大砲とロドリッグの魂の解放をもって幕を閉じたときには、疲労感を凌駕する解放感に襲われたと告白しておかなければなるまい。
 そのとき、不意に思い出されてきたのは、学生時代、すでに宗教学科に進学をはたしておきながらも、渡邊守章助教授が開講していたジャン・ジュネ研究の演習に参加していたときのことである。彼がフランス演劇と現代思想の専門家であるばかりか、観世寿夫の「冥の会」の演出家であると知り、あれは学生優待券というものであったか、ともかく何かの縁を頼って格安チケットを入手して、セネカの『メーデーア』の舞台を観に紀伊國屋ホールへ向かったことがあった。漠然とギリシャ悲劇風の書き割りを期待していたわたしは、舞台に突然に出現した老女に驚き、彼女が呪文のように唱える石牟礼道子の『苦海浄土』の一節に、また劇のなかで反復されるオノマトペアの呪術的効果にさらに驚いた。それがわたしの観た、最初の渡邊演出である。1975年のことであった。
 実はその同じ年、この演出家は800頁に垂(なんな)んとするクローデル評伝を上梓している。とはいうものの、その書物は主人公が37歳で『真昼に分かつ』を書き上げたあたりで、突然に幕を閉じている。その時点でクローデルはまだ大使として日本に赴いてもおらず、いわんや『繻子の靴』の構想も抱いていない。いったい評伝の第二部はどうなるのだろうと気にかかってもいたが、ラシーヌから三島由紀夫、能楽と、作者が演出家として華麗な活躍ぶりを見せているのを茫然と眺めているうちに、いつしかそのようなことは忘れてしまった。だがその間に、研究者渡邊守章は演出家渡邊守章として、クローデルに真剣勝負を挑むための準備を、着々と続けていたのである。彼は戯曲『繻子の靴』を翻訳し、いくたびかにわたってオラトリオの試みを重ねた。昨年の年頭には、クローデルが日本滞在中に深い感銘を受けた能楽の『道成寺』を演出した。かくして歳月が結実し、ここに『繻子の靴』全篇の上演となった次第である。実に慶賀すべき痛快事ではないだろうか。
 実のところ、わたしは(それが不可能なことであることは承知していたものの)密かに、あることを期待していた。それは2日目の中ごろ、満天の星空を背景に登場する老賢者、聖ヤコブを、ひょっとして渡邊寸章本人が演じることはありえないだろうかという期待であった。この戯曲の隅から隅までを把握し、膨大な註釈とともにそれを訳出したばかりか、ついに上演に漕ぎ着けた彼こそは、ホタテガイの殻を腰につけ、悲運の恋人たちの二艘の船が別れゆくさまを天界から眺めている聖者に匹敵する位置を、テクストとの間に結んでいるのではないだろうか。
 クローデルがフランス大使として東京に赴任してから、もうすぐ百年となる。今回の『繻子の靴』の達成が、どのような形で離火継承されていくのかを考えるのは愉しみである。

月刊『新潮』(2017年2月号)所収

【筆者プロフィール】
四方田犬彦 YOMOTA Inuhiko
東京大学で宗教学を、同大学院で比較文学を学ぶ。映画、文学、都市論、料理、漫画、音楽といった、幅広い文化現象をめぐって、批評の健筆をふるう。芸術選奨受賞。近著に詩集『親鸞への接近』(工作舎)がある。

syusu_front-392x550ポール・クローデル生誕150周年記念
『繻子の靴』 四日間のスペイン芝居
作: ポール・クローデル『繻子の靴』(岩波文庫)
翻訳・構成・演出: 渡邊守章

2018年6月9日(土)・10日(日)各日11:00開演
静岡芸術劇場
*公演詳細はコチラ


2018年3月10日

『寿歌』ブログ2 ~舞台美術は?~

Filed under: 『寿歌』2018

こんにちは。
制作部の雪岡です。

今回のブログでは、舞台美術の製作過程を一挙公開いたします!

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こちらに向かって微笑んでいるこの方こそ、『寿歌』の舞台美術を手掛けたカミイケタクヤさんです。

普段は四国を拠点に活動されていますが、最近では多くの劇場や劇団の舞台美術を担当されており、「ふじのくに⇄せかい演劇祭2015」でも上演された『天使バビロンに来たる』(制作:鳥の劇場)の美術製作もカミイケさんによるものでした。

今回は静岡での滞在製作となり、SPAC創作・技術部のスタッフとともに、舞台芸術公園にて作業が進められました。

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木材を四角や扇型などの形状にカット。それらを組み立て、つなぎ合わせて形にしてきます。

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全体を黒く塗った後には、塗料で車輪の模様がつけられています。

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ビビッドなカラーのビニールシートが試しに並べられています!
これも美術の一部として使われるようです。
 

一度は組み立てた装置でしたが、作業場から稽古場となる静岡芸術劇場のリハーサル室へとお引っ越し。
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サーキットコースのような、公園の遊具のような、なんだか登ったり走ったりして遊びたくなってきませんか?
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装置がドーンと登場。床から5mはある天井にも手が届くほどの大きな装置で、地面には目にも鮮やかな光景が広がっています。
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でも実はまだ完成ではありません!
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ペットボトルやプラスチック容器、遊ばれなくなったおもちゃなどをリユースして装飾が加えられていくそうです。
舞台美術の全貌はぜひ本番でご覧ください!

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愛知県芸術劇場・SPAC共同企画
『寿歌(ほぎうた)
演出:宮城聰、作:北村想
美術:カミイケタクヤ、照明:木藤歩
出演:SPAC/奥野晃士、春日井一平、たきいみき

【愛知公演】
2018年3月24日(土)14:00/18:00、25日(日)14:00、26日(月・祝)14:00/19:00
愛知県芸術劇場・小ホール
*愛知公演詳細はコチラ

【静岡公演】
日時:2018年4月28日(土)、30日(月・祝)各日18:15開演
会場:舞台芸術公園 野外劇場「有度」
*静岡公演詳細はコチラ
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2018年3月5日

<シリーズ ミヤギ能の軌跡 #4> 公演も後場/【豆知識】「シテ」「ワキ」「ツレ」

菜の花や梅の蕾もほころびはじめ、日も伸びてきて、春を感じる季節になりました。
稽古が始まった初冬、零下17度の1月のニューヨーク公演からあっという間ではありましたが、季節も春へ移り変わり、ミヤギ能『オセロー 〜夢幻の愛〜』(以下、『オセロー』)の公演期間もついにあと1週間、一般公演もあと1回です。

そこで……『オセロー』の見どころを写真で振り返ってみます。
 
前説2
 前説を行う宮城

この『オセロー』は、一般公演でも宮城が前説を行っています。*2/18(日)の公演からです。
もちろん、プレトークもありますが、それぞれがぞれぞれの切り口で『オセロー』の魅力をお伝えします!
 
 
前場2
 前場での一コマ/左から片岡佐知子(ツレ)、桜内結う(ツレ)、寺内亜矢子(ツレ)、本多麻紀(ワキ)

前場は、サイプラス(キプロス)島を訪れた旅の僧(ワキ)の登場から始まります。ヴェネチアとトルコが領土を争ったキプロス島の悲しい話を、島の女性たち(シテとツレ)から聞くことになります。シテとツレによる舞のシーンはとてもキレイです!
 
 
間狂言2
 間狂言での一コマ/左:大道無門優也(イアーゴ役)、右:加藤幸夫(ロダリーゴ役)

間狂言で語られるのは、オセローの物語です。
上の写真は、イアーゴがオセローを陥れるためにロダリーゴを言葉巧みに唆しているシーンです。ここから悲劇が大きくなっていくのですが、まんまと利用されてしまうロダリーゴの抜けた様が際立っています。
このシーンは、奥でオセロー(阿部一徳)とキャシオー(大内米治)らの会議が行われています。そこでの俳優の動きにもご注目いただきたいです。
 
 
地謡2
 後場での一コマ/前列手前から鈴木陽代、森山冬子、布施安寿香、木内琴子、関根淳子、
 後列手前から三島景太、大道無門優也、阿部一徳、吉植荘一郎

後場は、シテのデズデモーナを中心にして動きこそ多くありませんが、見応えも聴き応えも十二分にあります。デズデモーナの最後の言葉、鳴り響く音楽、一瞬のブレイクの中で発せられるワキと地謡による最後の一言。これは是非、聞いて欲しいです。
 
 
前場や後場のシーン紹介では人物名だけではなく、役として「シテ」などと書きましたが、これは能の役です。今回の豆知識は、そんな役の種類についてです。
 

【ミヤギ能豆知識 vol.4 「シテ」「ワキ」「ツレ」】
「シテ」は主人公です。「シテ」が演じる役柄は、人間だけでなく霊や鬼などの空想の存在など様々です。前場のシテを「前シテ」、後場のシテを「後シテ」と呼び、前場と後場で異なる役柄を演じる場合もありますが、どちらも同じ役者が演じます。『オセロー』では、美加理が演じるサイプラスの女性(幽霊)が「前シテ」、デズデモーナが「後シテ」です。白い着物を着ています。

 
 
シテ2
 シテ:美加理

「ワキ」は脇役のことですが、「シテ」と対話し物語を進める重要な役割を担っています。僧や武士など、現実に生きている大人の男性の役になります。『オセロー』では、本多麻紀が演じる旅の僧が「ツレ」です。笠を身につけています。

ワキ2
 ワキ:本多麻紀

「ツレ」は、「シテ」や「ワキ」に連れられて登場する人物のことです。「シテ」に連れられている場合は「ツレ」、「ワキ」に連れられている場合は「ワキツレ」と呼びます。『オセロー』では、歌いながら登場する片岡佐知子、桜内ゆう、寺内亜矢子が演じる女性たちが「ツレ」です。スカーフを身につけています。
 
 
ツレ2
 ツレ:左から桜内結う、寺内亜矢子、片岡佐知子
 
ここには載せきれない”イイ”シーンもたくさんあります!
最後の公演、どうぞ楽しみにしていてください!
 

カーテンコール2
 カーテンコール/前左から関根淳子、木内琴子、布施安寿香、森山冬子、鈴木陽代、
 吉植荘一郎、大内米治、阿部一徳、大道無門優也、三島景太、本多麻紀、後左から加藤幸夫、寺内亜矢子

 
最終日3/11(日)の公演では、カフェシンデレラにて、静岡出身の高校生バリスタ「山本紘彰」さんが特別出店されます。『オセロー』の物語に沿う豆を選んでくださっていますので、バリスタによるハンドドリップコーヒーにご期待下さい!
山本さんのブログはこちら

 
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SPAC秋→春のシーズン2017-2018 ♯4
ミヤギ能 『オセロー ~夢幻の愛~
2018年2月11日(日)、18日(日)、24日(土)、25日(日)
3月3日(土)、4日(日)、11日(日)
各日14:00開演 ★2月24日(土)のみ18:00開演
演出:宮城聰 
原作:ウィリアム・シェイクスピア (小田島雄志訳による)
謡曲台本:平川祐弘
出演:阿部一徳、美加理、大内米治、片岡佐知子、加藤幸夫、木内琴子、桜内結う、鈴木陽代、関根淳子、大道無門優也、寺内亜矢子、布施安寿香、本多麻紀、三島景太、森山冬子、吉植荘一郎
静岡芸術劇場
*詳細はコチラ
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2018年2月28日

『寿歌』ブログ1 〜稽古場レポート〜

Filed under: 『寿歌』2018

こんにちは。
制作部の雪岡です。
今回のブログでは『寿歌』の稽古場の様子をお届けします。

この戯曲は、長年、愛知を拠点に活躍してきた劇作家・北村想さんが1979年に発表し、
それ以来、上演が途絶えない小劇場の歴史に残る作品です。

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物語の舞台は核戦争後の終末世界。
なんだか難しそうという印象を持つ方もいらっしゃるかもしれませんが、
そんなことはありません!

登場人物は、荒野を歩く旅芸人のゲサクとキョウコ。
そして2人の前に突如現れる謎の男・ヤスオ。

愉快な3人が、漫才やチンドンの歌と踊りを披露しながら
町々を行く珍道中で、不思議な明るさが漂う作品です。

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冒頭のシーン、3人がどう登場するか、
舞台をどう使うかについて舞台模型を参考に話し合い中。

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台本には、書かれた当時の流行りのネタ、面白いセリフ、
可笑しな掛け合いも盛り込まれていて、笑いを誘うシーンがたくさんあります。
そんな明るい台本のおかげか、稽古場ではしばしば笑いも起こり、
和やかな雰囲気で進んでいきます。

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まずはテーブル稽古。座ってじっくり台本を読み合わせていきます。

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(左前:ゲサク役の奥野、左奥:キョウコ役のたきい、右:ヤスオ役の春日井)

次は立ち稽古に。ゲサクとキョウコがヤスオに出会うシーンを練習中。

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3人の旅が始まる重要なシーン。演出の宮城から細かい演技の指導が入ります。

愛知公演まであと約1ヶ月!
テンポを上げて進んでいきます!
 
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愛知県芸術劇場・SPAC共同企画
『寿歌(ほぎうた)
演出:宮城聰、作:北村想
美術:カミイケタクヤ、照明:木藤歩
出演:SPAC/奥野晃士、春日井一平、たきいみき

【愛知公演】
2018年3月24日(土)14:00/18:00、25日(日)14:00、26日(月・祝)14:00/19:00
愛知県芸術劇場・小ホール
*愛知公演詳細はコチラ

【静岡公演】
日時:2018年4月28日(土)、30日(月・祝)各日18:15開演
会場:舞台芸術公園 野外劇場「有度」
*静岡公演詳細はコチラ
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2018年2月16日

◆中高生鑑賞事業「SPACeSHIPげきとも!」パンフレット連動企画◆ ミヤギ能 『オセロー ~夢幻の愛~』 俳優トーク

中高生鑑賞事業公演では、中高生向けの公演パンフレットをみなさんにお渡ししています。パンフレット裏表紙に掲載しているインタビューのロングバージョンを掲載しますので、ぜひお読みください。
デズデモーナ役・美加理とオセロー役・阿部一徳が、今回のSPAC版『オセロー』の魅力を、初演時をふり返りながら語っています。
(インタビューは2017年12月23日に行ったものです)

【圧縮版】0W1A9683
左:デズデモーナ役 美加理(みかり)
右:オセロー役   阿部一徳(あべ・かずのり)

<初演時から積み重ねてきたもの>

―稽古はどのように進んでいますか。
美加理(以下、M):宮城さんが演出するときは、まず俳優たちで話し合って、試行錯誤しながら場面を作るのですが、みんなで話し合うのは楽しいですね。それぞれのこだわりや解釈を出しあうので時間がかかりますが、今回の方向性を探っているところです。
阿部一徳(以下、A):今回の作品は、前場・間狂言・後場の3つに分かれていて、たとえば前場ですごく動きが少なければ、間狂言で動きを多くするというように、全体のバランスをとらなければならないので、時間がかかっています。あらかじめどんな風に作るかは決めていないので、実験しながら作っては壊すというのを繰り返しています。

―13年ぶりの再演ですが、いかがですか?
A:動きとか台詞の言い回しとか、意外と身体に残っているんだよね。地謡のセリフも、一度口に出すとツルツル出てくる。逆に言えば、なかなかそこから自由になれない。
M:これまで色んな作品でテクニックを蓄積してきたから、いま振り返ると13年前はシンプルなことをしていたと感じられる部分もあります。
A:地謡のセリフで言えば、お客さんが聴いたときにいかにイメージを膨らませてもらえるかをとことん試行錯誤するわけだけど、今も昔も変わらず。今回、不必要に複雑にやってしまって、結局、初演時のシンプルなプランに戻すことも多いかな。
M:粗削りのまま作った方が、的を射ていたり、真実を映し出していたりすることもありますからね。
初演に出ていた人たちも、それぞれ13年という年月が経っているので、その間に積み重ねてきた経験や失くしていったものも当然各々違いますから、作品づくりにも影響があります。あまり拘らずに一から、今の私で向かいあいたいと思います。
A:『オセロー』は恋愛の話だけど、やっぱり13年経つと、恋愛感覚とかって当然変わるからね。原作を読みかえしたときも、13年前とはずいぶん印象が違っていた。

<SPAC版『オセロー』の面白さ・難しさ>

―ご自身の役について教えてください。
M:デズデモーナは夫であるオセローに浮気を疑われて絞殺されてしまうのですが、ミヤギ能では彼女が幽霊として出てきて、殺される場面を再現するというのがハイライトなんですね。夫に絞殺されてしまうという自分にとって衝撃的な場面を、旅人の僧の前で、あるいはお客さんの前でもう一度演じることで、浄化されていきます。
A:オセローに関していうと、今回のミヤギ能では原作の一部しか演じないので、そのなかで、デズデモーナが愛したというオセローの魅力も表現しなければならないし、2人の関係をお客さんが想像できるようにしないといけない。なかなか難しい。

―普通にシェイクスピア作品を上演しようとすると、ある出来事が起こって、その途中に対話や状況説明があり、わりと視覚的にも動きがありますね。
A:そう考えると、SPAC版の『オセロー』は絵をみるような感じに近いかもしれないね。絵画を鑑賞していて、その絵から音が出ているみたいな。
M:難しいのは、関係性をみせている「絵」があまりないことですよね。原作の抜粋みたいになっているから、「どういう心の動きがあって、オセローはイアーゴの罠にはめられたのか」ということを観ながら探ろうと思っても、それを説明してくれるような台本ではない。あまり場面と場面の関連性を考えないで、その瞬間におきていることを楽しんでもらえばいいのかな。
A:動きであまり説明していないので、耳から入ってくる情報が大事になってくる。だから僕らが台詞を喋るときに、どういう「身体」や「情報」をセリフに込められるか。「日本語ってこんなに色んなことができるんだ」とかも楽しんでほしい。

<中高生に向けて…>

A:中高生鑑賞事業公演に向けてどうつくるか、という話はどうしても出てくるから、通常のつくり方とは違うよね。中高生にとって分からなくてもいいや、とは絶対にしたくないし。

―大人にも観てもらう作品としてつくりつつ、単純に分かりやすくして子ども向けにつくるということなく、中高生にどう届けるかを考えているということですね。
M:初めて演劇を観る人たちに対して、責任重大だなといつも思います。最初に観た演劇との出会いで、そのあと演劇をまた観ようと思えるか、あるいは演劇がその人の人生の中で関わってくるかどうかって、最初に観た作品の影響が結構大きいと思いますね。

―最後に中高生にメッセージを。
A:普通の演劇とは違って、物語の筋を楽しむようなものではないので、ひとつひとつの表現の鮮烈さとか、俳優の体から出てくるエネルギーとかを観てもらえたらと思います。分からなかったときに、「つまらない」じゃなくて、「なんでこんなことしてるんだろう」って興味を持ってもらえたら嬉しいです。
M:自分の中で、苦しかったことや、悲しかったことに蓋をして過ごしている人もいると思うのですが、そのときの話を誰かに聴いてもらいながら、苦しくて思い出したくないことだけれども、自分でもう一度話していく。そうすることによって、ため込んでいたものを全部出して、何かスーッと、身が軽くなる。デズデモーナが成仏するときに、お客さんの中でも何か同じような感覚になって、楽になったような気がする、ということが起こるといいな。

2017年12月23日 舞台芸術公園にて

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SPAC秋→春のシーズン2017-2018 ♯4
ミヤギ能 『オセロー ~夢幻の愛~
2018年2月11日(日)、18日(日)、24日(土)、25日(日)
3月3日(土)、4日(日)、11日(日)
各日14:00開演 ★2月24日(土)のみ18:00開演
演出:宮城聰
原作:ウィリアム・シェイクスピア (小田島雄志訳による)
謡曲台本:平川祐弘
出演:阿部一徳、美加理、大内米治、片岡佐知子、加藤幸夫、木内琴子、桜内結う、鈴木陽代、関根淳子、大道無門優也、寺内亜矢子、布施安寿香、本多麻紀、三島景太、森山冬子、吉植荘一郎
静岡芸術劇場
*詳細はコチラ
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2018年2月10日

<シリーズ ミヤギ能の軌跡 #番外編>「開幕直前スペシャル!」

「オセロー」劇場稽古。前場です。

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みなさま、大変、お待たせいたしました!
1月のニューヨーク公演(おかげさまで大好評!)を経て、
いよいよ、
11日(日)より、
ミヤギ能『オセロー ~夢幻の愛~』開幕です!
観劇が待ちきれないみなさまのために、
今回は劇場稽古の様子をお伝えします!
※注:今回ご覧いただくのは稽古中に撮った写真です。
実際の本番とは異なる部分もありますので、ご承知おきください。
 
 
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間狂言。オセローとヴェネチアの諸卿。
 
 
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間狂言。イアーゴとロダリーゴが、何やら悪巧み……?
 
 
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舞台後方におわします、演奏隊のみなさん。今回は珍しく笛が。
 
 
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舞台上手に鎮座する地謡の面々。緊張感に包まれています。
 
 
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果たしてオセローと、
 
 
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デズデモーナの運命や如何に!
 
 
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演出家・宮城聰の眼差しの先にあるものは!?
 
 
いかがでしょうか?
ミヤギ能『オセロー ~夢幻の愛~』、いよいよ気になって来ましたか?
よく「ミヤギ能ってなんですか?」と聞かれるのですが、
その答えは、劇場にあります。
是非ご自身の目で、お確かめください!

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SPAC秋→春のシーズン2017-2018 ♯4
ミヤギ能 『オセロー ~夢幻の愛~
2018年2月11日(日)、18日(日)、24日(土)、25日(日)
3月3日(土)、4日(日)、11日(日)
各日14:00開演 ★2月24日(土)のみ18:00開演
演出:宮城聰 
原作:ウィリアム・シェイクスピア (小田島雄志訳による)
謡曲台本:平川祐弘
出演:阿部一徳、美加理、大内米治、片岡佐知子、加藤幸夫、木内琴子、桜内結う、鈴木陽代、関根淳子、大道無門優也、寺内亜矢子、布施安寿香、本多麻紀、三島景太、森山冬子、吉植荘一郎
静岡芸術劇場
*詳細はコチラ
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2018年1月21日

『しんしゃく源氏物語』ブログ#2 ~人気企画「バックステージツアー」の巻~

Bキャストでの一般公演初日を迎えた『しんしゃく源氏物語』。
1/21(日)の終演後にはバックステージツアーを行いました。

まずは、末摘花の姫が源氏の君を待っている月日、その季節の移ろいを照明と音響のみでどのように表現しているのかを、作中のシーンを振り返り、解説を交えながらご覧いただきました。

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そして、作り込まれた舞台セットや、姫たちが身にまとう華やかな衣裳を間近にご覧いただきながら、細部に散りばめられたこだわりやウラ話などをご紹介。

あんなところや、こんなところにSPAC創作・技術部の創意工夫が隠されていて、実は、その気づかないところにある様々なストーリーが、作品の細やかな雰囲気を作り出しているのです。

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今回のバックステージツアーでは、特別に姫が着ている裾の長~い着物<小袿・こうちぎ>を羽織ることができ、しかも舞台美術の満月と竹林をバックに写真撮影もOK!

女性も男性も、そして小さなお客様も小袿を羽織り、俳優とともに記念撮影をされていました。

また、客席からは見ることのできない姫の部屋のなかをのぞいてみたり、印象的なシーンの再現などを実際に体験していただいたり、とても充実した内容で、あっという間に時間となってしまいました。

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バックステージツアーは1月27日(土)の終演後にも実施いたしますので、是非この機会に『しんしゃく源氏物語』の世界を体験してみてください!

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SPAC秋→春のシーズン2017-2018 ♯3
『しんしゃく源氏物語』
2018年1月13日(土)、14日(日)、21日(日)、27日(土)★、28日(日)
2月3日(土)、4日(日)
各日14:00開演 ★1月27日(土)のみ19:00開演
演出:原田一樹 作:榊原政常
衣裳デザイン:朝倉摂 舞台美術:松野潤
出演:池田真紀子、石井萠水、大内智美、河村若菜、舘野百代、ながいさやこ、山本実幸
静岡芸術劇場
*詳細はコチラ
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2017年12月29日

<シリーズ ミヤギ能の軌跡 #3> おためし劇場/【豆知識】地謡・囃子

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今回は「おためし劇場」。お客さんと一緒に稽古場を覗いてきました。

先日、稽古場をのぞけてしまうSPAC人気企画「おためし劇場」が行われました!
今回の会場はいつもの静岡芸術劇場ではなく、舞台芸術公園内の稽古場棟BOXシアターです。

まずは稽古を見学。
劇場よりも舞台が近いです!

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間狂言での一コマ/左から吉植、三島、木内、鈴木、大内、阿部

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前場での一コマ/左から寺内、美加理、桜内、片岡、本多、木内

今回は最初から全体の2/5くらいまでを通しました。
「おためし」なので、続きは本番でのお楽しみに!
ということで。

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さて、ちょっとこちらの写真をご覧ください。

これは稽古用の簡易版ですが、今回の「オセロー」舞台部分になります。
右側に並んでいるのが「地謡」、左側奥の楽器が並んでいるところが「囃子(方)」の場所です。
では、ここで今回のミヤギ能豆知識です。

【ミヤギ能豆知識 vol.3 地謡・囃子】
 能の音楽は、謡(うたい)と囃子(はやし)でできています。
 能はシテやワキなど立ち方による謡で進行しますが、地謡(じうたい)は舞台には登場しない第三者の立場で出来事や風景描写を行ったり心情を朗唱したりするものです。
 囃子を演奏する囃子方は笛(能管)、小鼓、大鼓(大皮)、太鼓の四種類の楽器からなっていて、伴奏にとどまらず、舞台を創り上げる能の調べを奏でます。

 
稽古が終了すると、演出家・出演者とのQ&Aへ。
参加された方々から時間いっぱいまで質問をいただきました。

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質問に答える宮城芸術総監督
 
たくさんのご参加、ありがとうございました!
参加された方もされなかった方も、2月からの本番で、いっそうパワーアップした作品を楽しんでいただきたいと思います。

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SPAC秋→春のシーズン2017-2018 ♯4
ミヤギ能 『オセロー ~夢幻の愛~
2018年2月11日(日)、18日(日)、24日(土)、25日(日)
3月3日(土)、4日(日)、11日(日)
各日14:00開演 ★2月24日(土)のみ18:00開演
演出:宮城聰 
原作:ウィリアム・シェイクスピア (小田島雄志訳による)
謡曲台本:平川祐弘
出演:阿部一徳、美加理、大内米治、片岡佐知子、加藤幸夫、木内琴子、桜内結う、鈴木陽代、関根淳子、大道無門優也、寺内亜矢子、布施安寿香、本多麻紀、三島景太、森山冬子、吉植荘一郎
静岡芸術劇場
*詳細はコチラ
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