宮城聰演出『ハムレット』における「主権者の非現前性」について
宮城聰演出『ハムレット』の最終盤の展開は、とても奇妙である(※) 。それもそうだろう。なぜなら、それまでデンマークが舞台であったはずが、ハムレットとレアティーズの剣闘における王侯貴族たちの死とともに突如ジャズと明らかに玉音放送を意識したラジオが流れだし、空からはチョコレート入りの箱が降り、舞台にはそれまでのアジア風の衣装とは打って変わってもんぺに身を包んだ少女たちが現れるのだから。この唐突とも言える展開によって、観客は『ハムレット』の権力移譲のストーリーを、戦後日本の天皇主権からGHQによる統治へという権力移譲を必然、重ね合わせることになる。本稿では、「主権者の非現前性」という視角から、宮城の『ハムレット』におけるこの唐突な演出の意味合いと、いかに宮城が『ハムレット』から「日本」と「日本人」を描こうとしているかということについて探っていきたい。 続きを読む »