2015年6月28日

シンポジウム:アングラ演劇は死なず! ―小劇場運動の50年―

4/29に行われましたシンポジウムの要約版です。
ぜひご一読ください!
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オルタナティブ演劇大学
アングラ演劇は死なず! ―小劇場運動の50年―

◎登壇者
菅孝行(演劇評論家)
中島諒人(演出家・鳥の劇場主宰)
◎司会
大岡淳(演出家・劇作家・批評家/SPAC文芸部)

 2015年4月29日、舞台芸術公園稽古場棟「BOXシアター」でオルタナティブ演劇大学の4回目が開催された。60年代演劇の当事者でもあった評論家・菅孝行氏と、鳥取で地域と連携した活動を続ける演出家・中島諒人氏を迎え、1960年代に起こった演劇運動を振り返った。以下、抜粋である。

■不可避に運動的な場所から
大岡 今回は「小劇場運動の50年」という副題をつけました。演劇が運動であるということを聞いても、ピンと来ない時代になってしまいました。演劇をやること、つまり劇団に参加し、演出家や作家と支え合いながら作品をつくっていくことが、不可避的に、社会性や政治性を帯びて運動にもなる、ということが、今、演劇に携わる人からすると、どうもよくわからないところではないかと、勝手に忖度しています。運動としての演劇という観点から、まずは菅さんに語っていただきたいと思います。
 「アンダーグラウンド」と呼ばれる演劇が実際に世の中に登場したのは、60年代中頃です。担い手となる世代が、既存の演劇に違和感や不満や苛立ちを持つようになったのは、1960年頃です。寺山さんとか蜷川さんとかやや年長の方を別にすると、そのころ20歳ぐらいですね。私は、こだわりがあって「アングラ」といいません。「60年代演劇」と呼ぶことにします。アングラは侮蔑的他称だからということと、そう呼ぶと風俗と見なすことになると思うからです。「60年代演劇」は運動です。
運動って何でしょうか?目の前に、先立って存在している規範とか価値観に疑いを差し挟んで、壊そうとしたり、揺るがそうとしたり、関節を外そうとしたりして行う様々な試みでしょうかね。それはひとつのアクションと別の幾つかのアクションとの衝突から成り立つ。そこには流動的な関係が成立し変動する。ダイナミックな活動形態を伴う批評と言ってもいいかもしれません。何らかの主張がなければ絶対に運動は成立しない。先立つ演劇に対する強い違和感がなければ、別のものを作ろうとは思わない。師匠に弟子入りして一人前になればいい。そういう訳にはゆかないなあ、と感じたのは、私は割と早かったという自信があります。70年代、私は自分で集団を作って活動しましたが、私自身は芸術家としてモノになりませんでした。でも偉そうにしゃべっているのは、そのせいです。 
で、何がおかしいと思ったのか。新劇というのは、ロシアとかドイツとか、西欧を手本にして、歌舞伎などの近代以前からの芸能である「旧劇」に対抗して明治末期から始まった日本の近代演劇ですが、その新劇は、現実の写しを一生懸命やっている。戯曲はそのためのことばで書かれているし、演技も美術も照明も、その戯曲に書かれた言葉を、まるで横のものを縦にするように、舞台の上に写している。芸術としての構築物なのだから、現実から切断されていなければならない筈なのに、時間も空間も設定された世界も、全部現実の写しである戯曲をさらに写すというフレームワークの中に全て入ってしまっている。そのフレームワークこそ新劇の方法だと思った。文学座とか芸術至上主義系のグループもあったですが、主流は、俳優座とか民藝とか新協とか、社会矛盾を衝いて批判することを主題とする左翼的演劇です。社会矛盾は確かにあるし、それには腹立つけれども、演劇として別のやり方はないのか、という苛立ちが強かった。きっと既存の演劇を支えている方法の裏づけている思想、歴史観、哲学、そういうもの全体に対する苛立ちでもあったに違いありません。その全体をひっくり返さないと、新しい演劇は生まれないのではないかという思いが強かったです。
大岡 菅さんのご紹介を補足します。学生時代に演劇をおやりになっていて、卒業されてから、『死せる「芸術」=「新劇」に寄す』というマニフェストをお書きになりました。俳優座の演出家・千田是也を仮想敵にした激烈な批判です。この時は、「アングラ演劇」「60年代演劇」という言い方はされていない。演劇評論家・扇田昭彦氏から見れば、思想的にアングラを切り開いた画期は、菅さんの『死せる「芸術」=「新劇」に寄す』ではないかという歴史的評価があります。70年代に入ってから、不連続線という劇団の活動に入っていかれました。現在も演劇批評を、政治や社会の批評と並行してやっておられます。
 『死せる「芸術」=「新劇」に寄す』を書いたのは62年です。別役実さんの『象』は書かれていましたが、世に知られていない。いわゆる「60年代演劇」はまだ全く表に出てない時期です。『試行』という雑誌に62年の暮れに掲載され、本になったのは67年。撮影所務めをしていたこの5年のうちに、私は運動の場から少し取り残されて、「60年代演劇」の中心的な担い手たちは先を走っていました。
「60年代演劇」は、運動ではあったけれども、必ずしも政治的な演劇をやっていたわけではありません。どちらかと言えば、先行世代の人たちが政治的な演劇をやっていたので、違った方法、というだけでなく違ったテーマ、違った造形を、という意識が強かったのでしょう。政治劇という意味では、黒テントの『ブランキ殺し上海の春』(佐藤信作)は政治劇だと思いますけど、ストレートな政治劇はそんなにたくさんはないんです。
時代とか歴史とかとの関係意識のありかたとしては、日米安保条約改訂と三井三池争議の渦中にあった60年に<目覚め>ちゃったという意味ではもちろん政治と無関係ではない。1960年は、今ではもう夢物語みたいなことですけれども、日米安全保障条約なしで非戦非武装、という社会党の路線がまだリアリティを持っていました。60年の安保条約改訂に対する反対闘争があり、毎日、十何万人が国会を取り囲むような状況でした。演劇で別の選択をしようという決断は、政治での別の選択―それは保守派のした選択と違うという反政府・反体制という意味であると同時に、反体制の主流の立場と違う選択という意味、つまりは広義の「新左翼」という意味―があるのではないか、という直観によって、新しい演劇運動が促されていた面があると思います。
忘れてはいけないのは、三井三池の炭鉱争議です。エネルギー革命で、石炭を石油に切り替えて文明化しよう、と政府も大企業も大々的に近代化へ舵を切った。この動きの中で、野垂れ死にするのを拒む炭鉱労働者の闘争の最後のピークが60年ころです。60年安保闘争のピークが60年6月、三井三池闘争のピークが7月から8月でした。
こうした事態に、意地でも無関心というスタンスを貫こうとしたのが鈴木忠志だったと思います。でもそれは、いわばパラドックスで、鈴木忠志とか別役実とか言った人たちは、共産党系の先輩が制圧していた早稲田大学の自由舞台という学生劇団のリーダーシップをひっくり返して、劇団の理念や演目や流儀を一変させた。別役さんとは、新島のミサイル基地建設反対運動を一緒にやったこともありますし、翌年の1961年、運動は停滞していましたが、政治的暴力取締法反対、とかいって連日小さいけどデモはあるわけですよ。で、国会前に行くと鈴木さんたちに会うんです。リーダーたるもの、劇団活動としてデモの先頭にも立たなくてはならなかったんでしょう。彼は、三島由紀夫や福田恒存や小林秀雄で教養を積んだ人ですから、中心的な問題関心は、当時の政治闘争とは関係ない筈なんだけど、国会前で会うわけです。60年代演劇がその初心において運動だったというのはそういうことだと思ってもらえればいい。一つの立場を選ぶと、そうではない立場とぶつかり合う。そうすることによって自己形成をせざるをえない。そういう渦の中で演劇を始めた。そういう意味で、60年代演劇の原点は、運動的にならざるをえなかった。

■前近代の表象をめぐって
中島 60年代演劇の前史について質問があります。戦後の新劇があって、劇作家・田中千禾夫さんなどもそこにいらっしゃいました。60年代演劇が始まる前の、新劇の側からの60年代前史になる動きとしては、どういうことがあったんですか?
 敗戦直後に書かれた『雲の涯』とか1960年代中ごろの『自由少年』とか、田中千禾夫さんの戯曲は、結果的に、「アングラ」と呼ばれる演劇の方法や問題意識とつながっているところがあると思います。すでに演劇のプロの端くれになっていた若い人たちの中で、新劇の内側から新劇は嫌だと宣言する人たちが出てきた。そういう発想の手掛かりのひとつに千禾夫さんのことばとか方法があったのではないでしょうか。
しかし、前史として一番典型的なのは、青年芸術劇場だと思います。特別劇団員に劇作家の福田善之さん、演出家の観世栄夫さんがおられた。中心メンバーは米倉斉加年、岡村春彦など劇団民藝の養成所三期生です。民藝に決別宣言をして劇団をつくり、試演会をやった後、若き日の福田さんや宮本研さんの作品で劇団活動を始めた。安保闘争のデモは皆勤だった劇団です。新劇主流からは警戒されたし、新劇界の批評家たちの評判は悪かった。運動的にはそこが新劇内反新劇の起点、「60年代演劇」の前史、ないし前史の前史になると思います。福田さんと私の「共作」である『ブルースをうたえ』を上演した自由劇場という、もともと共産党系だった若手の劇団もありました。もう一つ、1960年に寺山修司さんが『血は立ったまま眠っている』を書かれています。これを上演したのが劇団四季です。 
反新劇という意味では、四季の浅利慶太さんのほうが「60年代演劇」より先ですね。三田文学の1955年12月号に「演劇の回復のために」という既成新劇打倒宣言の文章を書かれています。今の劇団四季を見ると、「どこが?」と思われるでしょうけど、出発点は、ラシーヌのアレクサンドランとか、フランスの文語的演劇を規範にして、朗誦的な詩劇を日本の演劇の中につくりたいという目的意識で集まった劇団でした。慶応と東大の学生劇団です。それがリアリズム批判を始めた。私は初期の四季のファンでした。ところが、60年代に四季は化けます。アメリカのブロードウェイ・ミュージカルを基軸にする訳です。60年代の四季はもう表現者としては敵だなという感じですが、50年代に劇団四季と浅利さんの果たした役割は大きいし、何らかの意味で、60年代演劇の導きの糸になっているところがあるかもしれないと思います。ほかにも個別に見れば、劇作家の秋元松代さんとか色々いますね。私は、代表人格としての千田是也さんを標的に新劇に喧嘩を売ったんですが、新劇の中では、実は千田さんが一番、戦後新劇の矮小なリアリズムではダメだということをわかっていた人だったんだと、恥ずかしながら後になってわかった。
大岡 千田さんは、本当はメイエルホリド(ソ連の俳優、演出家。スタニスラフスキーの写実主義に対抗し様式性や身体性を重視した)のこともよくわかっていたし、ブレヒト(ドイツの劇作家。「感動」より「思考」を促す演劇を志向した)のことも日本で一番早く注目した人だった。浅利慶太の場合、スタニスラフスキー(ソ連の演出家。モスクワ芸術座を設立。リアリズムの旗手であり、その方法論は世界中に広まる)以来の系譜が日本の新劇の主流になったことに対する反発があるわけですよね。フランス古典からさらにさかのぼって古代ギリシアという西洋演劇の正統に行く。オーソドキシーはむしろこっちなんだと主張したわけですね。
 フランスの劇作家ジャン・アヌイが占領下のパリで『アンチゴーヌ』を上演した。ソフォクレスを翻案した芝居です。これにサルトルが「沈黙の共和国」で言及した。ナチスへの抵抗劇だとして広く感動を呼んだという事実もあって、浅利さんたちの共感はそれとも無縁ではなかったわけです。
大岡 前近代的な表象を取り入れるという意味では、劇作家・木下順二の民話劇も、アングラの前史ということになるかもしれません。
 木下順二さんはなかなかものだと私も思いますけど、同時代の風潮からすると、反米愛国を唱えていた共産党の文化論の中に日本の伝統の再発見というテーマがあるんです。反米愛国闘争には、民族の伝統から財産を掘り起こさなければいけないという考え方です。
大岡 木下順二の場合、戦前から民話研究をやっていましたしね。
 ええ。ご本人には別のコンテクストがあった。でも『夕鶴』が大評判になって労演(全国に組織された勤労者演劇協議会の略称。現在の演鑑の前身。)などでどんどん上演される時は、木下さんの意思とは無縁に共産党の文化運動を木下さんの作品が担った、というよじれがあったと思います。日本的な近代に対して疑いを投げかける民話劇を作ったという歴史的な意義はあると思いますけど、同世代の感覚からすれば、どっちかというとあっち側の人という感じでした。尤も、福田善之さんの師匠だという認識はありましたが・・・。
中島 前近代的な姿。土方巽さん(舞踏家。暗黒舞踏の創始者。60年代演劇に多大な影響を与える)もそうですが、ああいったものが、当時、どういう風に捉えられていたのか興味があります。例えば、「演劇を民衆のものに」といった時に、木下順二さんの文脈の中で民話劇が出てくるのはわかるのですが、でも、前衛的な感覚で言えば、否定すべきものでもあるわけじゃないですか。土方さんが東北に根差して、「俺の子どもの頃はこんな風だったんだよ」と言った時に、身体、衣装などに前近代的なあり方が出てくることに関しては異議を差し挟む余地はないんだけれども、色んな形で、貧しい農村の貧しい身体のありようが出てくると。そういうことが、確かに反近代になる、戦後の教条的な民主主義への反発になるということはわかるけれども、だからと言って、そこに行くのかという違和感はなかったですか?
 もう少し話は複雑だという気がします。農民の貧しい身体というのだけれど、日常性に穴をあける衝撃的異形であれば、土方さんは何でもよかったんではないですか。そうであれば運動になる。寺山修司さんは津軽に強いこだわりがありますが、本質はウルトラモダニストだよね。絶対に前近代が好きな人ではないですよ。フレームワークとして定着した日本的近代の<制度>を壊そうとしたときに、ウルトラ近代へ行こうというエネルギーと、後ろ側へ戻ろうというエネルギーと、彼の中で綱引きしている。鈴木忠志さんは、前近代的なイメージを喚起してジャーナリスティックに話題を呼んだけれども、あの人の頭の中にあるのは前近代ではない。確かに世阿弥が彼の理論にも入り込んでいるけれど、前近代回帰なんて考えてないでしょう?「60年代演劇」という運動は、到達しえていない別の近代と、失われてしまった近代以前と、両方の幻想や表徴に依拠することによって、今ここにある制度的な感性や制度を打ち破りたいと考えただけのことではないかと思います。

■持続の方法を見つける
中島 アングラ演劇を社会運動として見た場合、なかなか捉えようが難しくて、いかんせん、東京一極集中だったという問題点があると思うんです。大学進学率が昭和40年代頃からもの凄い勢いで上がっていき、都市に大学生という若者が出てくる。歴史的に振り返っても、新しい社会層が、新しい自由を手に入れた時に、その自由をどう扱うかという中で、おもしろい演劇が生まれてくることがあると思います。60年代では、自由でそれなりにお金もある学生たちを前提にしながら、そういう人たちが層をなし得たのは、事実上、東京という場所しかなかった。アングラ演劇はそういう場所の運動で、しかも敵を見つける時は結集しやすいけれども、多くの社会運動がそうであるように、敵がいなくなった時、急に先が見えずに収縮していく。社会運動として激しさはあったんだけれども、その先に対して影響を与えることができなかったのではないかと思います。私は鳥取で活動していて、2006年に始めた頃に、先行世代はなんて仕事をしなかったんだろうかと思いました。こんなに仕事をしないって、先行世代、どういうことだ? と。要するに、60年代演劇は東京一極集中だから地方では何もできなかった。一方で、地方で活動していたのは、労演などの演劇鑑賞会の人たち。つまり新劇系の人たちが地方でネットワークをつくってやっていたんだけれども、本当の意味で演劇をおもしろいと思い、それを通じて人間や社会が変わっていく可能性を提示することがほぼできていない。所詮、演劇は一部の愛好家のものという状況をつくることしかできていなかった。わかってはいたけれども、あらためて愕然としたところがあります。それを思うのは、鈴木忠志さんの活動が参照項としてあったからです。唯一、鈴木さんの活動が、富山県の利賀村という場所で集団を維持し、継続的に社会とコミュニケーションをしている。事実上、そういう活動は利賀村しかなかったのではないかと。私自身も、鈴木さんの前例がなければ、鳥取での活動を考えなかっただろうし、あるいは、受け入れる側も、ちょっと変わったコミューンだろうくらいの受け入れ方で、意味合いをわかってくれる人はいなかったのではないかと思います。社会には、演劇は趣味にすぎないという感覚しかなかった。タレントになることが演劇の社会化なんだろうと揶揄されるくらいのものです。劇場人として演劇人として専門家としての俳優や舞台技術者のありようが全くつくられてこなかったことが、アングラ演劇の活動を捉える上で、私としては非常に残念に感じました。
 「60年代演劇」の最大の欠陥は、維新派とか例外はあるけれど、ほぼ東京地域限定だったことです。当然それは歴史的な制約なんですが、皮肉なのは、新劇も、観客組織のレベルで言うと全国に広がっているけれども、地域のそこここに表現者が立ち上がってくるという風にならなかった。そういう意味ではやっぱり東京中心の流儀なんですよ。共通のマイナス要素を抱えている。鈴木忠志さんから聞いた話なんですが、亡くなった演出家の渡辺浩子さん(劇団民藝に所属し、後に新国立劇場の演劇部門初代芸術監督となる)は鈴木さんの自由舞台の先輩に当たりますが、鈴木さんたちがプロとして劇団を始めようとした時、渡辺さんが鈴木さんたちに「あなた方はよき観客になりなさい」と説教したらしい。
大岡 渡辺さんは、その頃、もう民藝にいらした?
 若手演出家として『ゴドーを待ちながら』を民藝で演出する前後でしょうね。「観客になりなさい」というのは労演の組織化と絡めて言っているわけでしょう。新劇もそれなりに運動として頑張っていたんだけど、未来世代を観客にする、地方も観客にする、表現者は自分たちだという特権意識は抜けない。じゃあ「60年代演劇」にそれに替るものがあったか。黒テントの全盛期は、かなりの全国展開の組織力を示したけれど、彼らの公有地闘争も頓挫する。新劇へのアンチで突出した時は滅茶苦茶エネルギーがあった。でも、利賀と静岡を拠点に出来た鈴木忠志を除いて、皆、継続的な組織力はないんです。
「60年代演劇」も始まりの時から50年以上経ちますから、なるべく客観化して考えないといけない。最大のマイナスは東京にしか根づけなかったことでしょう。芸術表現で言うと、演劇が運動であるならば、己は何者かという眼差しを己の外に作り出して、表象しなくてはいけない。つまり他者を表象しなくてはいけない。しかし、「60年代演劇」は、観客に向かって「俺はお化けだぞ」「俺は他者だぞ」って脅して歩いたけれども、「俺たちにとってのお化けとは何か」を、つまり、他者を表象できなかった。これはほとんど演劇評論家の佐伯隆幸さんの我流の受け売りです。そこが大きな限界だった。評論家の武井昭夫さんに「運動的でない」と批判される眼目は、別に労演みたいな組織を作らなかったことではなくて、そこだったんじゃないですか。
中島 それは非常によくわかります。日本だと制度がない。周りを威嚇することでしか自分を守れないという状態にどうしてもなっちゃうんです。この間、SPAC芸術総監督の宮城さんがおっしゃってたんですが、表現は、凄く不安で孤独なことで、自分だけが社会の中の居場所を持てないと感じる。ぼくなんかも居場所がないとか特殊なことをしているといった、変な自意識でもあると思いますが、そう思っちゃうところがあるんです。そういう時に、日本だと、河原者だと居直るか、高等な芸術だと言い張るか、両極端に触れるしか、自分の守り方がないという状況が続いてしまった。
 近代主義でやると高級な知的芸術。打倒する側は河原者を演じる。
中島 そこのところで、集団性を持続できたかどうかが、うまく社会に対する回路をひらいていくために重要だったという面があるのではないかと思います。
 運動としてはそうでしょうね。さっき、「俺はお化けだぞ」って脅したと言いましたが、怖い「お化け」はいっぱいつくったよね。麿赤兒(俳優、舞踏家。唐十郎の状況劇場に参加の後、舞踏集団大駱駝艦を主宰)だって怖かったし、四谷シモン(人形作家。状況劇場に参加)だって大久保鷹(状況劇場の俳優)だって怖かった。唐十郎(劇作家、俳優、演出家。状況劇場を主宰)も白石加代子(女優。鈴木忠志の早稲田小劇場に参加)も怖かった。そういう表象が持つ運動的な意味は絶対あったと思うんだけど、<異形>の意味を開いて通じさせないと運動としてはまずかったんじゃないか。いくつかの例外を除くと、うまくいかなかったという気が、つくづくします。芸術性のレベルでそうだったということと、運動論、組織論のレベルとパラレルな感じがします。

2015年4月29日 舞台芸術公園 稽古場棟「BOXシアター」にて
構成:西川泰功


2015年6月7日

シンポジウム:目に見えぬ美をめぐって ―反自然主義の系譜―

4/28に行われましたシンポジウムの要約版です。
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オルタナティブ演劇大学
目に見えぬ美をめぐって―反自然主義の系譜―

◎登壇者
ダニエル・ジャンヌトー(演出家) 通訳:平野暁人
今野喜和人(静岡大学人文社会科学部教授[比較文学文化])
布施安寿香(SPAC俳優)
◎司会
横山義志(西洋演技理論史研究者/SPAC文芸部)

 2015年4月28日、静岡市葵区のスノドカフェ七間町で演劇祭関連シンポジウムが開催された。オルタナティブ演劇大学と題されたシリーズの3回目である。演劇祭で上演されるダニエル・ジャンヌトー演出『盲点たち』を題材に、時代の趨勢とは別の道を見ようとした作者モーリス・メーテルリンクの可能性に迫った。以下、抜粋である。

■メーテルリンクと反自然主義
横山 『盲点たち』の作者メーテルリンクって読んだことありますか? 『青い鳥』の作者です。SPACでは2年前に『室内』(クロード・レジ演出)という作品を上演しました。こんなに頻繁にメーテルリンクを上演する劇場は世界中でも滅多にないと思います。日本でも大正時代までは読まれたり上演されたりしていたのですが、今はあまり読まれていない。その理由は、いわゆる芝居っぽくはないからです。不思議な芝居をたくさん書いている。「反自然主義の系譜」が今日の副題ですが、自然主義が盛り上がっている時代に、メーテルリンクは違うことをやろうとしました。19世紀から20世紀にかけてリアリズムが隆盛し、現在、テレビで見るような演技が出てくるわけです。メーテルリンクはそれとは反対の流れをつくろうとした。「人間的な俳優はいらない」「人間より人形のほうがいい」と言った人です。人間的な俳優を、言ってみれば排除しようとして、人形的な俳優を求めたのが「反自然主義の系譜」と考えてみてください。演劇はリアルなほうがいいと思われているかもしれませんが、そうじゃないことをやろうとした人もいたわけです。今日は、それがオルタナティブな道かもしれない、という話をできればと思います。
布施 『盲点たち』は、ダニエル・ジャンヌトーさんとSPACの3回目のクリエイションです。1回目は2009年の『ブラスティッド』(サラ・ケイン作)、2回目は2011年の『ガラスの動物園』(テネシー・ウィリアムズ作)でした。私にとってダニエルさんとの出会いは衝撃的でした。ダニエルさんは、フランス人で、飛行機で12時間かけて行かなければいけないくらい遠い国の人なのに、自分がやりたいことと、ダニエルさんが求めることが、こんなにも一致するのかと不思議なくらいだったんです。ダニエルさんの演出で何が凄いって、もともと舞台美術家ですので、空間の作り方がとてもよくて、『ブラスティッド』では、舞台芸術公園のBOXシアターをホテルの一室に変えました。残酷な話で、私も決して幸福な役ではありません。全裸になったり強姦される場面があったりします。けれど、空間が用意されているので、その中で演じることに抵抗がなかった。空間に助けられました。俳優は人前に出るのが嫌いではないとは言え、何でもかんでも見せたいわけでもない。やっぱり恥ずかしいという気持ちはあるんですね。そういう俳優の繊細な気持ちを空間がそっと守ってくれるんです。『ガラスの動物園』ではローラという引っ込み思案な役でした。ローラが何かを主張するのではなく、その場にただいられるように柔らかい空間をつくってくださいました。ダニエルさんとの出会いが劇的で、自由に楽に呼吸をしながら演劇ができると思うようになったのですが、人間は欲張りなので、その後、でもそれは本当に自由なのかな、あまりに合いすぎているから可能性を自分で消しているんじゃないかという疑問も出てきました。ダニエルさんと3回目の制作になる今回、これが私たちのいいところだよね、というものではなく、もっと遠回りをして、違う出会い方をしたいと思い、参加したんです。それは、自分が思っていた以上に、大変だったなと感じるくらい、叶っています。
横山 『盲点たち』がどう上演されているか、少しお話いただけますか?
布施 登場人物は全員、目が見えないという設定で、教会の施設で暮らしています。あるお祭りの日に、神父さんに連れられて外に出ていくのですが、神父さんがいなくなってしまうんですね。目が見えないので帰り方もわからず、その場で、神父さんが来るのをずっと待っているという話です。今回は、日本平の森の中で上演されます。ダニエルさんは日本人より日本人っぽいと思っていましたが、野外では虫や蛙の声がすることをすごく気にしておられました。日本人が虫の音を聴く感覚と、ヨーロッパ人の感覚では違うのかもしれません。本当かどうかわからないけれど、ヨーロッパの人には虫の音がノイズに聞こえているのかもしれない。そういう違いを発見できています。『ブラスティッド』の最初の場面で、ダニエルさんは「何も演技せずにただ歩いてきてくれ」と言いました。演じずにパッシブ(受動的)な体でいること。『盲点たち』は屋外です。パッシブでいるのは自然の中で気持ちいいのですが、声はある程度出さないと聞こえないので、今までと同じやり方ではやれないということに気づき、新しい挑戦になっています。

■観客それぞれのビジョンへ
ジャンヌトー 『盲点たち(群盲)』に出会ったのは10代の頃だったと思います。その時期はまだ舞台美術家ではなかったのですが、もの凄い衝撃を受けました。これといった事件が起こるわけでもない作品なのに虜になりました。フランス演劇史の中でも特別な激しさを持った作品だと思います。この作品のメーテルリンクの意図はどこにあるか。それは不動性です。フィジカルな、物理的な意味での動きはほとんどない。どこに動きがあるかと言えば、内省的な部分です。内なる経験。ラディカルな内的経験がテーマになっています。これがどこに帰着するかと言うと、死の自覚です。死に思いを至らせること。死は全く目に見えません。机に座ってじっと死について考えていても、その人の内面はわかりませんよね。見えないこととして起こっています。ヨーロッパの演劇の世界において、嫉妬や闘いといった対立が主流であった時代に、メーテルリンクはべつのアクションの形、全く違う形なのですが、同じくらい激しい形を提示しました。内的な動き、内省的なアクションというものを舞台で表現するとはどういうことなのか。一見すると何でもない事柄、フレーズに、内的経験のアクションを感じさせる手掛かりが詰まっています。それを演技によって表現し、そういう手掛かりの集積として作品をつくっていきます。
横山 ジャンヌトーさんはフランスを代表する舞台美術家ですが、ジャンヌトーさんの舞台美術は、見てもほとんどよく分からないんです。茫漠とした空間みたいなものがあり、そこに照明が当たり、俳優さんが入り、ああ、こういうことだったのかと初めてわかる、そういう不思議な舞台美術を手掛けてこられました。目に見える人間の姿とは違うものを見たい、日々見ているものとは違うものを見たい、そのための場所をつくるというようなことを、ジャンヌトーさんはやろうとしているのではないかと思っています。『盲点たち』もよく見えない作品です。舞台美術家なのに、なぜ見えない作品をつくろうと思ったのか、聞いてみたいと思います。
ジャンヌトー 私は舞台美術家としてキャリアを出発させましたが、問題意識はこうでした。舞台美術は、絵、図像、目に見えるものにとどまるものではない。舞台美術ではまず空間がありますが、空間にとどまりません。その先にあるのは関係性です。これが核心部分。空間を介して、お客さんと俳優の関係性を理解する、掴むということ。真の舞台美術は、公演の行われている瞬間だけに成立するものであって、その前にも後にも存在しません。時間の経験そのものが舞台美術です。私の舞台美術は核心部分を表現するためのものです。俳優の、作品の、お客さんの、存在というものの核心を関係づけるためのものです。目に見えるリアリティ、表面的な層を表現するためにあるわけではないんですね。デザインされた目に見えるイメージと、観客が受け取るビジョンは同じものではないと思います。『盲点たち』では、舞台美術は必ずしも目に見えるリアルなものを表現するのではないということを体感してもらえると思います。この作品のビジョンはお客さんの数だけあると考えてもらっていいです。気に入ってくれるかはわかりませんが、どんなお客さんも特別なビジョンと対話してくれるのではないかと思います。そのビジョンがどこから来るのかと言えば、それぞれの人の精神性、魂、想像する力、関係性、作品のテキスト、俳優の存在、ほかのお客さんの存在、そういうもの全てから成り立っているでしょう。私にとっては、いわば他者のビジョンを演出するという挑戦です。この探求は、長い時間をかけてやってきたことです。この試みはまた、抵抗でもあります。画一的なビジョン、商業的なビジョン、普遍的だと思い込んでいるビジョン、安っぽいビジョン、そういうものに抗うための試みです。

■『盲点たち』と神秘思想
今野 メーテルリンクがまだ生きている頃、明治末期、大正、昭和初期くらいまでの日本での名声は無茶苦茶凄かったんです。なぜ日本で有名だったのか。一つの理由に、神秘思想への傾きがあったのかもしれません。当時の日本は、例の千里眼事件(明治末に起こった学者による超能力者の公開実験や論争)を契機にオカルティズムが流行していました。それは白樺派(雑誌『白樺』に集まった文学者や美術家。自然主義に対抗し人道主義や理想主義を掲げた)にも関係していました。今、白樺派と聞いて、オカルティズムと結びつける人はいないかもしれませんが、『白樺』に思想家・柳宗悦が書いています。柳宗悦と言うと「民芸運動」で知られますが、実は当時オカルティズムを礼賛していました。彼が言うのは、「新しき科学」。西洋近代科学を全面否定するのではなく、まさしくオルタナティブ。魂の問題、目に見えないこと、死後の世界、これらを扱う科学が生まれるんだという期待を持っていました。白樺派から影響を受けた評論家・平塚らいてうも、『青鞜』という雑誌のマニフェスト(「元始女性は太陽であった」)でオカルティズム礼賛の文章を書いています。催眠術がいかに人間の魂を明らかにしていくか…と熱に浮かされて、自動筆記と言うんでしょうか、霊感を受けて手が勝手に動く、そんな感じで書かれた文章です。そういう時代背景があって、メーテルリンクが受け入れられたのだと思います。
横山 メーテルリンク自身はどういう思想に影響を受けていたのですか?
今野 なぜメーテルリンクは神秘主義に惹かれたか。彼はベルギーの人で、ヘントという町で育ちました。当時、イエズス会(キリスト教カトリックの修道会。日本にキリスト教を伝えたことでも知られる)が教育を担っていたわけですが、メーテルリンクはイエズス会系の中学校が嫌でしょうがなかった。青春の喜びを圧迫するような、がちがちの宗教的な教育が嫌だったんですね。それでも宗教的なものへのあこがれはあり、作家活動を始めてから、ロイスブルークという14世紀の神秘主義者の本を読むようになります。自分で発見したわけではありません。フランスの作家ユイスマンスの『さかしま』という一風変わった小説がありまして、ディレッタントな主人公が誰も読んだことのない本や芸術に埋もれて生きている話です。その中にロイスブルークが出てくるんです。たぶんそれがきっかけだったと思います。読んでみると、びっくりしてしまった。わけがわからないけど、もの凄い力がある、と考えたらしい。そこからロイスブルークを研究して翻訳を出します。ロイスブルークは、今回の『盲点たち』とも関係があるのかもしれないと思います。
横山 どういうところに関係があるのでしょうか?
今野 神秘主義や神秘思想って何でもかんでも詰め込める言葉なので、学術用語としてはほとんど意味がないのですが、しいて言えば、自分と神、超越的なもの、霊的なものとの間に、よけいなものを入れない、直接対話をするという考え方だと思います。間に教会や司祭はいらないわけです。むろん既成教会の枠内で霊的な体験を語る人もいますが、一方で制約がないために、自分の解釈で宗教的なことを語りますから、オカルト的なものに結びつく可能性もあります。ロイスブルークはカトリック教会の枠内の人で、オカルト的なことはないですけど、「神と直接交流するには、世俗的なものはいっさい必要ない。むしろ目をつぶって神を直接知ることが必要だ」と考えていました。目をつぶる、よけいなおしゃべりをしない、沈黙…瞑想にふけるわけですが、どこでするかと言えば、森の中です。世間的なものからいっさい離れて、静かな環境の中で、神と対話する。いかにも『盲点たち』と関係がありそうですよね。そうした観点の解釈が色々とあって、正統的なキリスト教への批判を読み込む人は多いです。今回の上演では、平野暁人さんの翻訳も、ジャンヌトーさんの演出も、宗教的な部分に注目して見られるといいかなと思います。現代の我々日本人の多くにとって、キリスト教の教義はあまりピンと来ないわけですけれども、そういうものを外しても考えさせられるところがあると思うんです。絶対的なものと接触するには、やはり目をつぶること、情報を遮断することが大事ですよね。現代的な受け止め方ができるようにつくられていると思いました。宗教のことを全く知らなくてもおもしろく見られるようになっていると思います。

2015年4月28日 静岡市葵区のスノドカフェ七間町にて
構成:西川泰功


2015年5月30日

シンポジウム:革新としての伝統 ―フォークロアとコンテンポラリーダンス―

5/1に行われましたシンポジウムの要約版です。
ぜひご一読ください!
☆連続シンポジウム、詳細はこちら

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オルタナティブ演劇大学
革新としての伝統 ―フォークロアとコンテンポラリーダンス―

◎登壇者
石井達朗(舞踊評論・研究)
矢内原美邦(振付家・ニブロール主宰)
◎司会
横山義志(西洋演技理論史/SPAC文芸部)

 2015年5月1日、オルタナティブ演劇大学の5回目が開催された。日本初演された無垢舞蹈劇場『觀~すべてのものに捧げるおどり~』を中心に、アジアの演劇伝統とコンテンポラリーダンスの関係について議論された。以下、抜粋である。

■暗黒舞踏の現在
横山 台湾の無垢舞蹈劇場は、アジアのコンテンポラリーダンスを代表するカンパニーの一つだと思います。日本でコンポラリーダンスと言うと、欧米のバレエやモダンダンスを学んだ人がやるイメージが一般的ですが、そもそもコンテンポラリーダンスは今のダンスという意味ですから、アジア的な身体をベースにしたコンテンポラリーダンスも可能だと思います。無垢舞蹈劇場は、まさにアジア的身体によるコンテンポラリーダンスの代表例です。日本で言うと、50年前のアングラ演劇と同じくらいの時期に出てきた、いわゆる暗黒舞踏も、コンテンポラリーダンスの一形態かもしれません。
石井 土方巽を始祖とする暗黒舞踏は、名前を聞いていても舞台を見たことない方が多いかもしれません。一般的に、舞踏は、コンテンポラリーダンスと区別して考えられます。コンテンポラリーダンスの世界で舞踏出身の方が多く活躍しているというのが今の状況です。日本では舞踏家が非常に少なくなっています。皮肉なことに、海外では、日本のコンテンポラリーダンスより舞踏に関心が集まります。アメリカや西ヨーロッパはもとより、北欧のノルウェー、デンマーク、フィンランド、東ヨーロッパのスロバキア、ポーランド、南アメリカのブラジル、セントラルアメリカのメキシコ、そういう地域で舞踏に対する関心は絶大です。「ダンスの未来は舞踏にある」と言われるくらいです。海外の舞踏への関心興味と、日本の中の火がくすぶっているような状況、もの凄くギャップが大きい。20代、30代、40代の舞踏家の人たち、もっと自信を持って頑張ってほしいという感じがします。日本で舞踏家として大活躍しているのは、第一世代、第二世代です。麿赤兒、笠井叡、天児牛大、室伏鴻などといった人たちです。中堅や若手の世代からなかなか出てこないですね。
矢内原 それはどうしてだと思います?
石井 舞踏よりコンテンポラリーダンスのほうが入りやすいと感じられているのではないでしょうか。舞踏と言うと、これは土方巽以来の伝統かもしれませんが、なかには秘密結社的なところがあったり、よくも悪くも、閉ざされていて暗く、とっつきにくい、おまけに自己否定的なまでの心身への集中力を要求される、というイメージがある。もっと明るく師弟関係が希薄なところで、ばんばん自分の好きなように体を使ってみたい、今で言えば、ヒップホップに代表されるような、そういう感覚の人たちが多いのではないでしょうか。美邦さんのところに来るダンサーはどうですか?
矢内原 舞踏出身の人もいますね。日本の舞踏カンパニーの山海塾や大駱駝艦を見ていると、集団的に空間をつくっていきますよね。
石井 絶対的にそうですね。
矢内原 一方で、日本の舞踏の場合、大野一雄さんのような一人で存在感を発揮するパフォーマーもいます。室伏鴻さん、笠井叡さんなどもそうですね。
石井 今、名前の上がった室伏鴻、大野一雄、笠井叡は、基本的にソロで活動する人たちです。室伏と笠井は群舞に振付ける作品でも、注目すべき舞台を内外でいろいろつくってますが・・・。世界中で舞踏をやる人がたくさん出てきているんだけれども、その多くは、ソロで踊る人たちです。ソロのほうが踊りやすい。自分のコンセプト、イメージを表現しやすい。他方、無垢舞蹈劇場は、個が全部削除されていて、完全な統率のもとに動いている。これも舞踏の伝統にあるんです。土方巽が、1972年に『四季のための二十七晩』という代表作をつくります。土方という帝王が全ダンサーを人形のように動かしてつくられた作品です。現在、舞踏家として活動している和栗由紀夫、小林嵯峨なども参加していましたが、当時は完全に統制された振付のもとに動いていた。1人の突出した振付家がいて、完全にコントロールされたグループワークをつくる系統には、土方巽、麿赤兒の大駱駝艦、天児牛大の山海塾などがあります。一方、個人で即興を大事にして踊る舞踏家がいる。代表的な人が大野一雄です。大野は、シュールな言葉を費やして作品のイメージをたくさん書き付けているけれど、最終的には形に囚われず、感興の赴くままに自由に踊りました。そのエッセンスを受け継いで自由に踊っている人が笠井叡。この2つ違った流れは、土方巽と大野一雄という2人のカリスマによって代表されると思います。

■アジアの足元を見直す
石井 無垢舞蹈劇場の『觀』は、ゲネプロ(リハーサル)の10分くらいを見た程度でも、何か絶対的な存在者がいて、全ての者たちがその時空のなかで動いているような印象を受けました。演劇やダンスの公演というより、ある種のリチュアル(儀式、祭儀)ですね。リチュアル的な世界では、季節や生命や暦のサイクルの中で、人々が様々な行為を祭祀や儀礼として行っていくわけです。そういう世界は、絶対的な存在者を想定していますから、アーティストがアーティスティックな意思をもってつくる世界とは違います。現代の演劇人や舞踊家が、今まで積み上げてきたものをどう扱うか。ダンスだったらモダンダンス、演劇ですと近代西洋演劇の心理主義的なウェルメイドの世界がある。そういうものが行き詰った時に、欧米の演劇人が求めたのは、リチュアルが持っている時空でした。ちょっと皮肉な感じもするんですけどね。アジアの我々が、欧米のアヴァンギャルドを見つめている時に、欧米の人たち、例えば、アントナン・アルトー(フランスの俳優、詩人)、イェジー・グロトフスキ(ポーランドの演出家)、ピーター・ブルック(イギリスの演出家)、そういう人たちは、アジアやアフリカのリチュアルな世界から豊かなものをくみ取っていた。アジアの我々は、鈴木忠志のような人を除くと自分の足元を見ていなかったということがありますよね。21世紀になって台湾から『觀』のようなコンテンポラリーダンスが来て、SPACの宮城さんはずっとそういう意識を持って仕事をしてきた方だと思いますが、例外的です。ようやく21世紀にアジアの足元をもっと見つめようという動きになるのかもしれない。
矢内原 思うのは、文化をくみ取っていくことと、今ある現在自体を表現することは、違うのかということです。コンテンポラリーダンスは、日常的な、今あるここの瞬間をどう切り取るかということをしますよね。初めてアヴィニョン演劇祭に行った時、「お前ら、着物は着ないのか?」とすごく言われたんです。ニブロールはスニーカーでばたばた走ったりこけたりしていたので、「リノリウム(床材)の上を靴で走るなんて…」と非難されました。安い靴だったので、靴の白い素材が床に着いて、一生懸命掃除した思い出があります。石井さんが言ったみたいに、フランスやアメリカの人たちの間で、舞踏の存在は絶対というのは、よくわかります。私たちのダンスカンパニー・ニブロールが最初に海外に呼ばれたのは、サンフランシスコ舞踏フェスティバルでした。なんで呼んだんだ? って聞いたら、「お前ら、舞踏だろ」って言われたんです。「ニブロールは新しい舞踏だろう」って。その時は、行きたいだけにYESって答えたんですが、上演の後になって、フェスティバルのキュレーターに、「お前らちょっと舞踏と違うな」と言われました。
石井 だいぶん違いますよね(笑)。
矢内原 でも、土方さん、笠井さん、田中さんとかカッコいいと思います。私、田中泯さんを高校の文化祭で初めて見たんです。今治南高校の文化祭に田中泯が来て、急に全裸になって踊ったんですね。たぶん水中眼鏡をかけていたと思います。衝撃が走りました。決して、舞踏というもの自体が、現代を切り取っていないとは言えないと思うんです。ただ年代によって表現が違ってくるんだと思います。
石井 コンテンポラリーダンスの場合は、今現在を見つめながら作品をつくらなければならないけど、舞踏はどうかと。そこは大きな問題です。舞踏、コンテンポラリーダンスに限らず、ダンスで作品をつくるという時、ダンスは言葉ではないので、「集団的自衛権反対」「沖縄の米軍基地辺野古移設反対」とか、演劇ならテーマになりますが、ダンスにはできない。一体、ダンサーは何に向き合って作品をつくるのか。本質的な問題になってくると思います。コンテンポラリーは同時代という意味ですから、同時代を肌で感じて、同時代の人たちに発信する。それに対して、舞踏は時代性よりも、もっと時代を超えて、我々が背負っている、生きているときに引き摺ってゆく言葉にならないような暗鬱なもの、一寸先は闇で一寸後も闇、この先どうなるかわからない漠然とした不安、そういうものがテーマになってくると思います。

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■戦後とフォークロア
横山 アジアの我々自身は、日常というものをアジア的だと認識していない。アジアのコンテンポラリーダンスの難しさはそこにあると思います。我々アジア人は、アジア的でない日常を生きている。我々は欧米から近代を受容して近代化した。ワインを飲んだり靴を履いたりして、着物は着ない。それに対して、伝統的なものは、言ってみれば、欧米から輸入されたものではないものです。現代の日常とアジア的なものの間に、断絶がある気がする。そこにコンテンポラリーという概念が、アジア的なコンテンポラリーへ向かう時の、矛盾というか、錯綜した関係があるように思いますが、いかがでしょうか?
矢内原 コンテンポラリーと言っても、たぶん、つねに外に外に向かっているものではなくて、内側に入っていくものでもあります。凄い内側のことと、凄い外側のことは、いつかつながると思っています。私の振付で、速いスピードで何をやっているかわからないくらいに動くのは、自分が何をしているのかというコントロールを失っていくことなので、それ自体も、ゆっくり歩いているのと同じなんです。って言いきってますけど、私はそう思っています。でも、私たちは、靴を履いて着物は着ないわけですけど、確かに日本人であるという血は流れている。家に上がる時は靴を脱ぐ。靴を履いたまま一日生活することはできませんよね。西洋のものをひたすら追って外側のポイントができるということではない、何かのやり方を探そうと思うと、内側にどんどん行くという結果に、私の場合はなっています。
石井 『觀』は、まさにアジアでしか生まれないコンテンポラリーダンスであると言えると思いますが、だからと言って、私は、アジア的なコンテンポラリーダンスというくくりは使わないほうがいいと思います。コンテンポラリーダンスの最も特色となる部分は、個の領域だと思います。数百年、何千年の歴史で振り返った時に、日本の芸能者は様々な集団に縛られてきました。その集団は、階級であったりします。江戸時代であれば士農工商穢多非人。芸能者は、河原者や小屋者と呼ばれて、封建社会の中の最底辺で生きてました。歌舞伎の元祖の出雲阿国のように、街道を歩いて春をひさぎながら同時に芸を売る。社会の底辺で芸能者が芸を売って、日々の生活を活性化していたという面がある。芸能者は社会のヒエラルキーやジェンダーに縛られてきた。モダンダンスの時代になっても、強い師弟関係や昔ながらのジェンダー感が持続しています。コンテンポラリーダンスはそういう縛りを全て取っ払うわけです。ジェンダー、世代、誰々先生に学んだとか、どの大学に行ったとか、学校を出ているとか出ていないとか、そういうことに関係なく、個人が個人として表現する。そこがコンテンポラリーダンスのオリジナリティであってほしいと思っています。そう考えた時に、私は、アジア的な身体性やアジア的なコンテンポラリーダンスというくくりは、好きではないし、賛成しない。ヨーロッパ的な身体とかアメリカ的な身体を我々が考えないのと同じように、個人が今の時代に向けて何を表現するかが重要になってきます。
横山 なるほど。
石井 今日のテーマの「フォークロアとコンテンポラリーダンス」。私自身、これを聞いて、あれ? と思った。このくくりで考えたことは一度もなかったんです。日本のコンテンポラリーダンスではフォークロアということをほとんど聞かない。言われてみれば、舞踏では、フォークロアの領域を見ることで、新しい表現が見出されました。しかし、コンテンポラリーダンスでは聞かないですね。モダンダンスの歴史の中では少しありますけど。それはなぜか。単純な答えとして考えられるのは、日本は戦争に負けて、それ以前の価値観を否定しました。アーティストは新しいものを目指すので、伝統を否定しながら、アメリカの新しいもの、ヨーロッパの新しいものを積極的に受け入れてきました。土方巽もアルトーやジャン・ジュネやロートレアモン(ともにフランスの作家)など様々な前衛から影響を受けて、自分の世界をつくり上げました。日本では伝統芸能の世界はひたすら伝承されてきましたが、コンテンポラリーな舞台人たちは、いい悪い抜きに、概して伝統には関心をもたず、欧米で先端を行っている芸術の破壊的な運動、ダダイズム、シュルレアリスム、ドイツの表現舞踊、1960年代のハプニング、アメリカのポスト・モダンダンスなどに目を向けながら、新しいものをつくろうとしてきた面があるのではないかと、今、感じているところです。これに対して、アジアのほかの国々のコンテンポラリーダンスは、積極的に伝統的なものを取り入れています。30数年、日本に植民地支配された朝鮮半島の人たちが、戦争が終結したあと、自分たちのアイデンティティを取り戻すために、フォークロア的世界へ帰っていこうとするのは当然ですよね。

■フォークロアの応用
横山 芸能者は社会的なヒエラルキーと結びついている部分があったと言われていましたが、そういった集団性をべつにして、伝統的なダンスのテクニックをコンテンポラリーダンスの要素として使うことは、十分可能なのではないかと思うんです。でも、日本には、たとえばいわゆる日本舞踊や歌舞伎舞踊をもとにしたコンテンポラリーダンスはないわけでしょう。それはなぜなのか、素朴な疑問でした。
石井 世襲や家元制をどう考えるかという大きなテーマにもなってくると思います。歌舞伎の場合、絶対的にいいとは思わないです。私は、歌舞伎にも女性が出るべきだと思っています。こう言うと歌舞伎ファンから袋叩きに合うかもしれないけれど、歌舞伎の女形が本当の女性より女を表現できるというのは単なる神話であって、女性が一番女を表現できると思います。女形の伝統は残しておいて、女性も舞台にのるべきだと思います。歌舞伎の世界に女性がいないのは、単に伝統だからという理由なんですね。歌舞伎が世襲によって成り立っていることをどう考えるかという問題になります。一長一短です。世襲であるからこそ才能あるなしに関係なく、幼少の頃から稽古して継承できる、無二の芸のクオリティがある。しかし、歌舞伎の役者の家に生まれなかったけれど、もしも小さい頃から稽古していたら、今の歌舞伎役者の数倍も能力がある人がいくらでもいるはずです。そういう時に、伝統をどう考えるのか。結論はなかなか出ないですが、先ほどの横山さんの質問で、日本の伝統的なものをコンテンポラリーダンスに活かせないのかと言われれば、完全にYESです。舞踏の世界では、60年代に、土方巽は、アヴァンギャルドとして、当時のハプニングなどの影響を受けながら伝統破壊的な作品を発表していましたが、70年代になって、舞踏を様式化する方向へ徐々に変容していきます。その時に、彼が生まれ育った東北の情景を見つめた『四季のための二十七晩』という作品で、瞽女(ごぜ)さんの音楽を使っています。瞽女さんは、日本に長らく存在していましたが、もうあまり知られていないかもしれません。主として女性の盲目の芸能者です。盲目で生まれたり、幼少のときに目が見えなくなったりすると、農作業もできず嫁にもやれないということで、瞽女宿に入れられて、芸能者として生きるしかないわけです。三味線を弾いて、瞽女歌を歌って、雪深い村々をまわり、米やお金をもらいます。70年代に、かろうじて何人かの瞽女さんが生きていて、土方はその音楽を作品の中で使っていて、それまでの日本のモダンダンスの歴史では考えられなかったような新鮮な効果を挙げています。神話、伝承、語り伝えられたものが、全てフォークロアですが、そればかりではなく、ビジュアルなイメージや音楽もフォークロアです。フォークロア的なものは物語でなくてもいい。そういう意味ではとても豊かです。コンテンポラリーダンスは非物語性を得意とします。英語ではノンナラティブ(non‐narrative)という言葉がありますが、非物語世界のイメージの強度はやはりダンスなんです。特にコンテンポラリーダンス。モダンダンスでは、物語的世界、あるいはマーサ・グラハムのように神話的世界も多いです。コンテンポラリーダンスは物語に寄りかからない。そういった時に、論理から逸脱するフォークロア的イメージはコンテンポラリーダンスと出会える可能性は多々あると思います。それらをどんな風に掘り起こしていけるのか、これも一つの課題ですね。
矢内原 民俗的なものは、コンテンポラリーダンスにもう入っていると、聞いていて思いました。ニブロールも、越後妻有トリエンナーレで公演した時、妻有の民話を語り継ぐ人のところに聴きに行って、それを動きに起こしました。民族的なものを取り入れて動きにしていくことは、多くのコンテンポラリーダンサーがやっているように思います。ただ、その表れ方は、ほかのアジアの国々とは違うのではないかと感じます。

2015年5月1日 静岡市葵区のスノドカフェ七間町にて
構成:西川泰功


2015年5月7日

シンポジウム:アングラ!カルト!アヴァンギャルド!!! ――映画におけるオルタナティブ――

4/26に行われましたシンポジウムの要約版です。
ぜひご一読ください!
☆連続シンポジウム、詳細はこちら

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オルタナティブ演劇大学
静岡シネ・ギャラリー×SPACコラボ企画

アングラ!カルト!アヴァンギャルド!!!
――映画におけるオルタナティブ――

◎登壇者
大岡淳(演出家・劇作家・批評家/SPAC文芸部)
横山義志(西洋演技理論史研究者/SPAC文芸部)

 2015年4月26日、静岡市のミニシアター、静岡シネ・ギャラリー併設のサールナートホールで、演劇祭の関連企画が開催された。アレハンドロ・ホドロフスキー監督『ホーリー・マウンテン』、寺山修司監督『田園に死す』の映画上映会と、SPAC文芸部・大岡淳と横山義志によるギャラリートークである。トークでは、ホドロフスキーと寺山の作品の時代背景や問題意識に照明が当てられた。以下にその一部を掲載する。

■60年代から70年代へ
大岡 『ホーリー・マウンテン』は1973年の映画です。1968年という年が、世界中で学生反乱が起きたことで節目になっているわけですが、日本で若干先行してアングラ演劇が出てきました。そこから半世紀が経ちました。映画の場合も、60年代後半から70年代前半に、商業的な娯楽映画から脱皮した映画づくりが行われ始めます。70年代のカルチャーは、政治闘争の挫折が前提になっています。政治から芸術、スピリチュアル、ニューエイジ運動に行く人もいるし、日本だと、民俗学がよく読まれました。歴史の古層を掘り起こすという方向に行ったりするわけです。もっとわかりやすい例で言うと、60年代のフォークは反戦歌でした。加川良、岡林信康…こういったフォークシンガーの歌は、皆で歌えます。岡林信康の『友よ』でしたら、「友よ この闇の向こうには 友よ 輝くあしたがある」と肩を組んで、バリケードの中で。70年代になると吉田拓郎の時代です。『結婚しようよ』だと、「僕の髪が肩までのびて 君と同じになったら 約束どおり町の教会で 結婚しようよ」という風に非常にパーソナルなことを歌う。井上陽水『傘がない』なら、「都会では自殺する若者が増えている 今朝来た新聞の片隅に書いていた だけども問題は今日の雨 傘がない」。デートの日に傘がないことのほうが大問題だというパーソナルな歌です。日本ではミーイズム(自己満足を優先し他人に関心を払わない考え方)なんて言い方に移り変わっていきますが、ともかく、そういう時期に当たっている。近代合理主義に対して疑いの眼を向けるという意味では、60年代後半と70年代前半には通じているものがある一方で、ある種のレジスタンス(抵抗運動)が60年代末に多かったとすると、70年代はそこからの逃避です。逃避と言うとネガティブですが、政治から抜け出て別世界をつくっていくんです。
横山 『ホーリー・マウンテン』を作った時には、カルト的なことを実際にやっていたみたいですね。ホドロフスキー(錬金術師の役で出演)と奥さんのヴァレリー・ホドロフスキー(映画ではセルという役)が日本人の禅道士と1週間寝ないで修行したり、出演者全員で1ヶ月くらい共同生活をしたりしています。中南米のアリカという神秘主義的なグループがあって、ヨガとスーフィーと禅とカバラを混ぜたような実験をしているグループですが、そこでLSDやマジックマッシュルーム(ともに幻覚作用をもたらす覚醒剤)を使って神秘体験をした後に、映画をつくったらしいんです。でも面白いのは、そこまでして作った神秘的なものを、映画の最後にあっさり崩すようなところもあったりして、いわゆるカルトとは違う感じがしますよね。
大岡 政治闘争のバリケードの中に立てこもった学生さんたちが、運動が収束していった後も、バリケードの中の解放区を日常生活の中へ持ち込めないかと考えて、コミューンというものが生まれてくるんだと思います。そのコミューンが時には自給自足を目指す運動や非常にカルト的な宗教になっていきます。そういう時代背景を踏まえて『ホーリー・マウンテン』を見ると、空気がよく伝わると思います。自分で自分を茶化せるところが、ただのカルトとは違う、ホドロフスキーという人の爽やかな一面ではないかと思いました。諧謔精神に溢れていますよね。

■カルトの暴力を批判する
横山 『ホーリー・マウンテン』は、見ての通り、かなりお金がかかっています。アレン・クレインのプロデュース。ビートルズのプロデューサーです。ジョン・レノンとオノ・ヨーコが共同で資金を出しています。「100万ドル出すからつくれ」とホドロフスキーにつくらせた作品なんです。メキシコで撮影されていますが、メキシコ映画史上最高資金だったらしい。ここまで馬鹿馬鹿しい映画をこれだけのお金をかけてつくるのは凄いと思いますが、ショービジネスのトップにいた人たちがお金を出したのがおもしろいところでもあります。
大岡 まだ大らかな時代だったんですね。
横山 ホドロフスキーがどっぷりカルトにならなかったのは、演劇をやっていたことも関係しているように思います。
大岡 どういう意味ですか?
横山 この映画は映画的ではないという特徴があると思います。仕掛けが演劇的です。血が出て人が死ぬ場面でも、見ていると仕掛けがわかりますよね。
大岡 異化効果ですね。偽物ですよ、ということが露呈しています。ある種のイリュージョンに没入しようとしても、どこかで遮られたり、茶化されたり、突き放されたりしてしまう。映画と演劇の融合という意味でおもしろい形になっていますね。
横山 カルト的なものを考えると、映画が製作された73年は、68年と90年代のオウム事件の間をつなぐような時代だと思います。その間に、カルト的なものが新たな制度になってしまうことへの批判が、ホドロフスキーにはあります。70年代のセックス、ドラッグ、ロックンロールのなんでもありの時代の中で、オルタナティブ自体が新たな制度になってしまうという危険性が露呈してきたのではないかという気がします。
大岡 難しいですね。演劇の場合も、70年代前半くらいに、文明生活、資本主義から隔絶した場所で、共同で何かするということをやっていた人は多いです。アメリカのリビング・シアターのジュリアン・ベックなんて人は非常に攻撃的で、資本主義に対する憎悪を隠さない。観客席に着飾っている女の人がいて、女性をですよ、劇団の俳優が本気でぶん殴るんです。「なんで着飾って来てるんだ!」って。連合赤軍のあさま山荘事件(1972年)の後で明らかになった、いわゆる山岳ベース事件(1971~1972年)で、女性の同志に「アクセサリーしているからダメだ!」とか「化粧しているのは自分のブルジョア的意識を克服していないからよくない!」とか言って、「総括せよ!」でリンチ、あげくは殺してしまうという悲惨なことがあったわけですが、リビング・シアターも似たようなことをやったと思います。観客のブルジョア性を暴力で否定していました。カルトから暴力が生まれるという問題がありますね。オウム真理教の話をここでする必要はないかもしれないけど、ちょっと難しいなと思いますのはね、麻原彰晃(本名・松本智津夫、オウム真理教教祖)という人は当初、ユーモラスな人に見えていたんです。テレビ朝日の『朝まで生テレビ!』の最初の頃、宗教特集の回で色んな宗教家が出ていたんですが、明らかに麻原が圧勝でした。今から考えればいい加減なのかもしれませんが、仏典の知識をがんがん言って、ほかのゲストを論破し、ちょっと人間臭いところも見せる。人間臭さや笑いを差し挟む部分があれば、カルト集団が暴走しないで済むのかというと、そうとも言えないわけです。笑いながら人を傷つけることもできてしまうという人間の複雑な一面が、とても難しいところです。

■母性的秩序からの解放
大岡 寺山修司も新しいコミュニティをつくりました。ふるさとからあぶれて、憎悪を抱いているような、はぐれ者たちを寄せ集めて、劇団天井桟敷のメンバーにしていきます。家出人たちを集めたわけです。寺山は『家出のすすめ』という本を書いています。彼にとっては、一夫一婦制や家族制度が攻撃対象です。これは極めてブルジョア的な装置で、人間を支配する制度にすぎないんだと。制度化されたものへの批判が根底にあります。『ホーリー・マウンテン』で言えば、キリスト教ですね。キリストの似姿みたいな主人公が、それこそ「クライスト・オン・セール(キリスト大安売り)」に失望するという場面がありましたが、商品化され量産される信仰をぶち壊すことから始まるわけですけど、ぶち壊した後につくり直します。そこまでは70年代に映画も演劇もやった。つくり直した後、またそれがおかしな制度にすり替わっていく時に、そこをどう抜け出ていけるのかが、難しい課題なんでしょうね。
横山 『家出のすすめ』で思い出しましたが、この本を読んで寺山に弟子入りした森崎偏陸さんという方がいます。森崎さんが、寺山のところに行ったら、寺山のお母さんも一緒に住んでいて、おいおいと思ったというエピソードがあります。
大岡 あれだけ母殺しの話を書いておきながらね(笑)。寺山のお母さんの本を読んでもわかるのですが、基本的に親子仲はとてもいいんです。親子関係の実際の感情はまた別だったかもしれないですね。演出家・鈴木忠志が長谷川伸『瞼の母』を演出した時に、美術評論家・石子順造と寺山修司の対談を引用しています。そこで寺山は「実際の母親を大事にするのはかまわないけれども、幻影としてのお母ちゃんはよくない」と言っている。「おふくろの味はよくない」「母親から台所を奪還せよ」と言います。東大闘争の時に、キャラメルママというのがありましたね。「キャラメルあげるから出てらっしゃい!」とバリケードに立てこもった子どもに向かって母親たちが語りかける。最終的に寺山が標的にしていたのは母子関係、母性的な秩序です。決して父性的な抑圧があるわけではなく、「好きになさい、好きになさい」と言われるんだけど、本当の自由はそこにはないということのほうが、日本社会にとって大きな問題じゃないか、と言いたかったのではないでしょうか。我々にとっては、頑固おやじから厳しく言われて反発するより、「どうぞどうぞお好きにやりなさい」と言われちゃう感じのほうが問題なのかもしれないと思います。小説家・中上健次が『枯木灘』でそのことをテーマにしています。何をしても許してしまう父親、いわば母親的な父を描いているんです。秋幸という主人公が、これに対してどう闘えばいいんだという感じになっちゃうんです。その感じを、寺山はずっと問題にしていたのかなと思います。母親的な懐の深さが本質的には人間を不自由にしてしまうことに対して、そこから抜け出て、新しいコミュニティをつくろうとするのが寺山の考えなんだけれども、それもまたただの幻影にすぎないんじゃないかという自己懐疑、自己諧謔、そんな仕掛けも、寺山作品には必ずあります。『田園に死す』(1974年)ではそんなところを楽しんでいただけるのではないかと思います。

2015年4月26日 静岡市葵区のサールナートホールにて
構成:西川泰功


2015年5月2日

『ふたりの女』初日観劇レポート

4月29日、6年ぶりに野外劇場で上演された『ふたりの女』。
初日を観劇した演目担当のシアタークルー(ボランティア)さんが、レポートを寄せてくださいました。

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夢は現実の投影であり、現実は夢の投影である。
ジークムント・フロイト

洗練された高い身体性と観客を巻き込む祝祭性。SPACの演劇作品には、この二つの要素はいつも欠かせない。
『ふたりの女』もまた、鍛錬された俳優の身体と演出家・宮城聰による戯曲の深い解釈、さらには巧みな音響効果、照明に至るすべてが、この作品に深淵さを与えている。そして観客は、その世界に引き込まれ、魅了される。

源氏物語に着想を得ながら、能の「葵上」やチェーホフ「六号室」を巧みに織り交ぜて、唐十郎が生み出したこの作品を宮城聰が演出。六条の怨念がアオイに乗り移るのだが、しだいに二人の女は、心理的に交錯し始める。相手役である光一も、二人の女の人格倒錯に混乱し、精神的に病んでいく。こうした正気と狂気との境界の不明瞭が、この物語の最大の見どころ、魅力である。つまり、この物語は、六条とアオイ、光一の心理的倒錯によって形成されており、登場人物たちの感情の動きを追体験しながら、この作品を観ることで、観客は、この物語に自ずと引き込まれていく。


我々には、意識と無意識という二つの状態がある。しかし、この作品を通して、我々は、意識でも無意識でもない、それらを超越した心理状態になるのである。

泰井良(たいい・りょう)
1972.9.5 神戸市生まれ
静岡県立美術館上席学芸員、俳優。展覧会企画のほか、市内劇団でも活動中。

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『ふたりの女』は5月3日(日)、6日(水・祝)も舞台芸術公園 野外劇場「有度」にて上演されます。
3日は残席わずかですので、チケットはお早目にご予約ください。

★『ふたりの女』リピータープレゼント!
「もう一度観たい!」
初日にご来場いただいたお客様から、そのようなお声を数多くいただきました。
ありがとうございます。
そこで!
5月3日、6日の『ふたりの女』の物販コーナーにて、
「2度目の観劇です」と申請してくださった方には、
特製しおりをプレゼントいたします!!
なんと、六条/アオイ役・たきいみきの手作り。
愛のこもったしおり、ぜひゲットしてください♪

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『ふたりの女 平成版 ふたりの面妖があなたに絡む』
5月3日(日)、6日(水・祝)各日18:00開演
舞台芸術公園 野外劇場「有度」
http://spac.or.jp/15_two-ladies.html
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2015年4月25日

『メフィストと呼ばれた男』稽古場ブログ12 出演者インタビュー美加理


◆美加理(みかり)◆

登場人物紹介◆レベッカ
ユダヤ系のスター女優

Q. 美加理さんの演じるレベッカはどんな人物ですか。
 レベッカは、設定ではユダヤ人で、スター女優ということになっています。ナチスが第一党になったときに、自分が何に立脚して演劇をしているか、生きているのかということとを天秤にかけ、彼女は劇場を去るということを選びます。
 レベッカも他の登場人物と同じように、モデルとなる人がいます。エリザベート・ベルクナーさんというユダヤ人で、ドイツで活躍されていた女優さんです。(彼女は、イギリスに亡命し、ローレンス・オリビエとの共演映画『お気に召すまま』などで活躍されていて、ご自身の経験を元にした映画『イヴの総て』もあります。バーグナーさんがモデルの大女優マーゴ役を演じるのは、ベティ・デイビスさんです。)若い頃には少年や純真無垢な少女のような役を多くやっていらっしゃるようで、レベッカもこのお芝居の中では、そういうタイプの女優として描かれています。最初の劇中劇ではシェイクスピアの『ハムレット』で、主人公クルト演じるハムレットの母親ガートルードを演じますが、その後のシーンでは、『ロミオとジュリエット』のジュリエットや『ファウスト』のグレートヒェンのような純真無垢な役も演じています。
 ナチスの時代の話の中で、彼女一人がユダヤ人ということで、どう演じたらいいのか考え、いろいろ資料を読んでみたものの、それだけでこの人をとらえるのは、途中でやめました。この状況の中を生きた一人の女優をそれ以外のところで何かつかまえられたら、そこをもう少し膨らませていきたいと、作業をすすめてきました。
 亡命先での彼女の生活が描かれる後半では、レベッカのような女優が演じるには意外なチェーホフのある役を稽古しているシーンがあります。作者のトム・ラノワさんは、その台詞と彼女の状況に重なるものを見いだして、創作していると思うのですが、そこに出てくる台詞には、「そうだよね、そうですよね!」と私自身もすごく共感できるものがあります。その台詞の本当の意味は何だろうなとさらに深く考えながら、それをヒントにレベッカ像を探ってきました。彼女には自分の内面を吐露したり、他の登場人物への思いを表したりする言葉が少なくて、多くは劇中劇の芝居の台詞です。そういうところに難しさがありますが、居ずまいや、まとっている空気などで、お客さんが何か想像してくださるように演じられたらと思います。


【稽古風景より】


【稽古風景より:『ハムレット』のガートルードを演じるガートルード(右はハムレット演じるクルト・阿部一徳)】

Q. 作品の見どころを教えてください。
 この作品では、劇場の空間が普段はなかなか見られない仕方で構成されていて、ひとつの都市や街のジオラマように、劇場の全貌が見られるのが面白いと思います。ジオラマの上で、たとえば津波や台風や地震がどのようにやって来るのかを見るのと同じように、劇場という空間で、人々の生活を知らず知らずのうちに蝕んでいく何かが、どんな顔をしてどんなふうに忍び寄ってくるのか、その気配や空気を感じてもらえるのではないかと思います。そして、そこで起こっているものは、劇場という空間の中でありながらも、私たちの生活とシンクロするものとして、一瞬一瞬、体感してもらえるのではないかと思います。
それから今回の演技スタイルは、台詞はあくまでも論理優先で、言葉は淡々と素早く、エモーションを乗せずにしゃべるという方法をとっています。その上で、多方向に自分の感覚を開いて、沢山のものをキャッチし、お互いの関係性の中で、感情的なものを作っていくというスタイルです。そういうスタイルに挑戦しているのも、楽しみにしていただけたらと思います。必然的に劇中劇以外の日常のやりとりの台詞は、比較的小声で行われます。音響さんが高度なサウンドデザインを駆使してくださっていますが、聞き耳をたてなくてはならないくらい聞きづらい部分も、演出であえてつくってありますので、是非耳の掃除をしていらしてください。2幕になるとまた怒涛のようにそういうシーンがあります。耳かきを持ってきて、もし前半でよく聞こえないなと思ったら、耳の掃除をしてください(笑)


【稽古風景より】

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SPAC新作『メフィストと呼ばれた男』
4/24(金)・4/25(土)・4/26(日)
静岡芸術劇場
http://spac.or.jp/15_mefisto-for-ever.html
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2015年4月24日

『メフィストと呼ばれた男』稽古場ブログ11 出演者インタビュー鈴木麻里


◆鈴木麻里(すずき・まり)◆

登場人物紹介◆リナ・リンデンホフ
女優で、ナチスの文化大臣・巨漢の愛人。

Q. 鈴木麻里さんの演じるリナ・リンデンホフはどんな人物ですか。
エミー・ゾンネマンさんという、ヘルマン・ゲーリングの愛人で、実在した女優がモデルになっています。エミーさんはチョコレート工場主のお嬢さんで、演劇学校は特待生として入学し、ワーマール州立劇場で長いこと主演女優を務めていたそうです。裕福な家で育ち、華々しいキャリアを持っていた人です。
リナはエミーさんよりも、もっと庶民的な育ちで、舞台ではこれまであまり大きな舞台や役に恵まれてこなかった女優、という設定になっています。そのぶん、ゲーリングの力で国立劇場に潜り込むときには、演じることへの欲望や不安で風船みたいにぱんぱんなのかも知れません。

Q. 文化大臣の愛人ということで、クルトが率いる国立劇場のメンバーに加わりますが、演技はあまり上手くないという、設定ですよね。
 あんまり経験はない状態で、あこがれていた国立劇場の舞台に出られるという、チャンスが降ってくる。一生できないと思っていたような役をやらせてもらえるけれど、共演者が自分の演技には返しにくそうだなということは明らかに分かっている。けれどもその役をどうしてもやりたいという葛藤はある。だって女優だから。
 リナはそもそも、舞台で演じることがものすごく怖い。だからすごく声を張り上げて、ポーズを決めないと、そこにいられない。自動的にそうなってしまう。それが思いっきりやっているとか、堂々としているとか、空気を読んでいないとか、人からは見えるんだと思います。だから、程よいリアクションがとれない100か0かの状態で、微妙な表現が出来ないんだと思います。心はチワワ、見た目はライオンみたいな状態です(笑)だから、演じているまさにその時に、いきなり誰かに「ヘタクソ」と言われたら、そのとたんに消滅してしまいそうな感じもあります。クルトのナチスについての台詞に「奴らの根拠のない自信の裏にあるのは、失敗への不安だ」というのがあるんですけれども、演じているリナはまさにそういう状態で、脆いものを抱えていると思います。
 リナは普段は気が利いて空気も読めるから、空軍大臣のような人にも気に入られて愛人になることができました。私自身は、ふだん生きていて、本当に空気が読めない人間なので、一番大変なのは、よく気が利くふだんのリナを演じることです。(笑)


【稽古風景より:左よりリナ・鈴木麻里、巨漢・吉植荘一郎、クルト・阿部一徳】


【稽古風景より:『ハムレット』のガートルードを演じるリナ】

Q. 作品の中で好きなシーンはありますか。
 好きなシーンはラストシーンです。毎回いろいろなことを想像させられるシーンです。台詞を聞いていると、ナチス政権下の、この劇場のこの俳優の具体的な物語でありながらも、全然違う古代や未来のことまで同時に想像させられます。主人公のクルト・ケプラーは演技の天才です。いま、たまたまこの時はこの人の体の中に入っていたけれども、才能というものは一人の生涯の内にはおさまりきらない何かで、それは世界の中で、ずうっと流れている川の流れの様なものとしてあるのではないかと感じさせます。
クルト役の阿部さんがSPACのレパートリーで演じられた別の役のこともたくさん思い浮かびます。『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険〜』の語り部であるヴィヤーサとか、『病は気から』の座長さん、『サーカス物語』のジョジョ、『忠臣蔵』の武士Cなど、数えきれません。クルトの生まれ変わりみたいだなあと思います。

作品の中で一番好きな台詞があって、「演劇?」っていうのと「ありがとう」です。どちらもこのラストシーンでクルトが言う台詞です。冒頭から3時間汗かいてひーふー言いながら“演劇”を上演してきた末に口からこぼれる「演劇?」っていう一言。それと、「ありがとう」。どちらも稽古である日、生まれてはじめて聞いた言葉みたいな感じがして、びっくりしました。ああ人って人生めちゃくちゃ苦労してぼろぼろになってゴールテープ切るまでに、「ありがとう」っていう言葉の本当の意味を知ることができたら万々歳なのかな、一生ってそういうものなのかなって、なぜか思いました。
そういう不思議なポケットのような場面が最後に待っている作品だと思います。


【稽古風景より】

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SPAC新作『メフィストと呼ばれた男』
4/24(金)・4/25(土)・4/26(日)
静岡芸術劇場
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2015年4月23日

『メフィストと呼ばれた男』稽古場ブログ10 出演者インタビュー大高浩一


◆大高浩一(おおたか・こういち)◆

登場人物紹介◆宣伝大臣
ナチスの宣伝大臣として劇場を訪れる。

Q. 大高さんの演じる宣伝大臣はどんな人物ですか。
  宣伝大臣、原型となった人物はあのヨーゼフ・ゲッベルスです。劇中では分かりやすい敵役として登場し劇場を弾圧してゆく立場の人です。史実での所業を考えれば人知を超えた『悪』であるとしか言いようがないですが、劇中にあえてこの悪人の中に美徳のようなものが読み取れるとすれば、ノーブレスオブリージュというものを理解していたように思えるところかもしれません。
 プロバガンダの才能があったかれは、恐らく、愚民を扇動したのではなく、逆にドイツ民族の偉大さを信じ、大戦はそれにふさわしい誇りを取り戻す為の聖戦であったかもしれません。嘘で騙すのではなく、偉大で優秀な民族であるならば自分の言葉は必ず届くはずだという信頼に支えられていたのではないでしょうか。有名な総力戦演説の場面は私利私欲のない発言でないと成立しないように描かれているようにも思います。
 冷徹で傲慢な人物だとは思います。暴力の発動に何の躊躇もない凶暴さもあるでしょう。ただ、自分の考えを理解しない者に対し、それは相手がバカなのではなく、自分のプロバガンダの手法がまだ相手に届いていないのだと考えるような、妙な謙虚さも持ち合わせていたように感じます。
 頭は良い人だと思いますが『シェイクスピアは時代遅れだ!』とか深すぎて意味不明なスローガンを口にしたり、これはガチなのかボケなのか演じる上で迷う部分もありますが、人物に全く共感できないものの、最近それなりに好きになりかけています。ただ実際の場面ではショッカーの幹部がリアルな芝居に登場するようなものなので、正直、大丈夫かこれ?


【稽古風景より】

Q. 読者のみなさんへ、メッセージをお願いします。
 それなりに深刻なメッセージの込められた作品ではありますが、言うても演劇と言う娯楽ですので、俳優一人ひとりの魅力を楽しんでいただけたらいいと思います。ピュアな人物しか出てこないのがこの作品の美しいところであり怖いところでもあると思いますので。ファシズムについて考えるとかは、まあ、テーマとしてはあるんですがそれはこっちでこっそりやりますので。
通常の倍の上演時間ですが、敢えて言う、半額であると!

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【稽古風景より】

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SPAC新作『メフィストと呼ばれた男』
4/24(金)・4/25(土)・4/26(日)
静岡芸術劇場
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『メフィストと呼ばれた男』稽古場ブログ9 出演者インタビュー渡辺敬彦

出演者インタビュー、今回は俳優ヴィクターを演じる渡辺敬彦です。


◆渡辺敬彦(わたなべ・たかひこ)◆

登場人物紹介◆ヴィクター
40年以上のキャリアを持つ俳優・演出家。左翼活動家としても有名。主人公クルトが国立劇場の芸術監督になる前にその任を務める

Q. 渡辺さんの演じるヴィクターはどんな人物ですか。
 私が演じるヴィクターは、舞台となる劇場の芸術総監督だった俳優です。ナチが第一党になると、ナチスはヴィクターの後輩の俳優クルトを利用しようと彼を芸術総監督にし、ヴィクターはその地位を失います。ヴィクターは共産党員でばりばりの活動家でもあったので、ナチスはそれが気に入らなかったというわけです。俳優として劇場には残るのですが、その後も続けた政治的活動により、ナチスに長年拘束されることになります。ヴィクターは芸術や演劇よりも、政治活動に重きをおいた人物と言えるかもしれません。


【稽古風景より】


【稽古風景より:左はクルトを演じる阿部一徳】

Q. ヴィクターとクルトの2人を比較すると、同じ俳優・演出家でも、それぞれがやりたかったことはかなり違ったという印象を受けますが…
 ヴィクターも演じたり、役者として舞台に出たりするのがまずは好きだった。演劇に限らず、芸術というのは、まずは自分のために始める。そして演劇であれば、お客さんがお金を払って劇場に来て、生身の自分が演じるのを観て、笑ったり泣いたりしてくれることに喜びを感じる。そのうちに、自分のために始めた活動が、お客さんのためとか、誰かのためとか、人を幸せにするためとか、世界を平和にするためとか、そういう気持ちで支えられるようになる。そして更には、自分の芸術を通して何かメッセージを伝えていきたいと、だんだん気持ちが変わってくると思うんです。そうすると、お客さんが求めることに応えようと媚を売り、自分の本来やりたいことよりも、誰かの求めるものを満たすことを優先して作品を作るようなことにもなる。いつまでもオレはこれがやりたいんだと自分のやりたいことだけを求め続けるのは、独りよがりになりかねない。問題は、バランスだと思うんです。
 ある時からヴィクターは人々の関心を政治に向けるようにと政治的活動を始め、自分の仕事である演劇でもそれを目指していくようになった。ヴィクターはどんどんそちらの方向に進むことで、バランスを失ってしまった人なのではないかなと思います。
 演劇でも映画でも芝居でも、登場人物はそのひとつの作品の中で何らか変化を見せます。そういう観点からみると、主人公のクルトは、実はこの作品の中で、唯一最初から最後まで、その軸が変わらなかった人かもしれないと思います。クラウス・マンが書いた原作『メフィスト』の副題には「出世物語」とあるので、彼は出世のために自分を変えてナチスに迎合していったとも見える。社会の状況が変わったのであれば、それにあわせて自分たちの演劇も変えていかなくてはいけないと、政治的な方向に転換したヴィクターにしてみれば、クルトの選択はナチスへの迎合にしかみえません。けれどもクルトは、実は、状況にあわせて自分をかえずに、昔と同じように自分がやりたい芸術として演劇を続けることを選んだ。そのことがヴィクターには、クルトは変わってしまったと映るのかもしれません。


【稽古風景より:『桜の園』でガーエフを演じるヴィクター演じる渡辺】

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SPAC新作『メフィストと呼ばれた男』
4/24(金)・4/25(土)・4/26(日)
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4/10演劇祭開幕直前 『メフィストと呼ばれた男』関連シンポジウム
【抵抗と服従の狭間で―「政治の季節」の演劇―】の動画を公開しました!
http://spac.or.jp/15_symposium.html
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『メフィストと呼ばれた男』稽古場ブログ8 出演者インタビュー山本実幸

出演者インタビュー、今回は女優アンゲラを演じる山本実幸です。


◆山本実幸(やまもと・みゆき)◆

登場人物紹介◆アンゲラ
若い女優。

Q. 山本さんの演じるアンゲラはどんな人物ですか。
 劇団の中で一番若い女優。お芝居がすごく好き。俳優として天才的なクルトに役者としても惹かれるし、一人の女の子としてもすごく惹かれていく。政治のこととかは気にはなるけれども、あんまり詳しくない。まだ本当に大人になりかけの女の子という感じです。
だからナチスが政権を取ったことを、「やばいな」とは思うけれども、ヴィクターのように共産党員でもないし、ニクラスのようにナチス党員でもないので、彼らのような激しく反応はしない。でも街で暴動が起こったり、ユダヤ人が迫害されたりするのを見て、単純にそれは人として良くないことだと考えている。


【稽古風景より(『ハムレット』のオフィーリアを稽古するアンゲラ・山本)】


【稽古風景より(左はハムレットを演じるクルト・阿部一徳)】

Q. 1幕は1932年、2幕になると、その13年後の1945年ですが、そうなるとアンゲラはまたかなり変わってくるのではないでしょうか。
 13年経つと、1幕に出て来た女優ニコルと同じ30代になっている。アンゲラは実はお嬢様だったんですけれども、亡命することで、ご飯が満足に食べられないとか、着るものにも不自由して、おしゃれとかも出来ないという経験をし、大人になっていったのかなと思います。前半1幕のアンゲラは、まだ大人になりかけているところ。2幕では、一人の大人の女性になり、今は自分で何もかも判断できて、自分の意志もちゃんと持っている、強い女性になっているんじゃないかなと思っています。彼女の変化していく様子が上手く見せられたらいいなと思っています。
 アンゲラは、何にも考えていないようで、実はけっこう人には流されないというところがあります。本人は無自覚かもしれないけれども、自分が一番大切なものに素直に生きているのではないかと思います。結局決めるところは、ちゃんと自分の意志で決めている。


【2幕の稽古風景より(左は大女優レベッカを演じる美加理)】

Q. 今回稽古していて難しいところは、どんなどころですか。
この作品は、お客さんが俳優たちを覗き込むという演出でつくられているので、俳優はお客さんに全部を見せるような演技はしてはいません。だから、大げさな表現は一切ないけれども、それでも見ていられる身体でいられることに、みんな挑んでいます。ここまでやってしまうと過剰な「表現」になってしまう、でもこれだとお客さんには何も伝わらない棒読みになってしまう…という感じで、いわゆる「表現」と、お客さんに私たちの日常と地続きと思ってもらえる「リアリズム」の間で、じりじりと綱渡りしています。お客さんに何かを見せつけてはいけない。けれども、お客さんが何かを感じてくれる、そこまでの何かは、きちんと届けないといけない。そこが難しいところです。

Q. 最後に読者のみなさんにメッセージをお願いします。
 登場人物の全員が、誰一人として同じ道を進んではいかないし、同じ決断をしていない。観ているお客さんも、自分はこの登場人物と共通点があるかな、これが自分かもしれないって思ってもらえると思います。そしてそれぞれの人がどのような結末を迎えるのか。たぶん、どの決断も正しいし、どの決断も間違っているのかもしれない。今を行きている人たちにも、リアルに感じてもらえる部分があると思います。

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SPAC新作『メフィストと呼ばれた男』
4/24(金)・4/25(土)・4/26(日)
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4/10演劇祭開幕直前 『メフィストと呼ばれた男』関連シンポジウム
【抵抗と服従の狭間で―「政治の季節」の演劇―】の動画を公開しました!
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