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2019年6月12日

「広場トーク」レポート

「ふじのくに⇄せかい演劇祭」で2016年より開催している「広場トーク」。
今年は≪アートは地域に何をもたらすか?≫というテーマのもと、地域での活動が注目される3名のゲストが集まりました。
 
◎広場トーク:「アートは地域に何をもたらすか?」
5/4(土・祝)16:20~17:20
会場:フェスティバルgarden(駿府城公園 東御門前広場)
パネリスト:
 石神夏希(劇作家)
 鈴木一郎太(株式会社大と小とレフ取締役、静岡県文化プログラム・コーディネーター)
 原田敬子(作曲家、東京音楽大学 准教授、「伝統の身体・創造の呼吸」代表)
 宮城聰(SPAC芸術総監督)
司会:中井美穂(アナウンサー)
 
開催当日はお昼からあいにくの雨模様。しかし、フェスティバルgardenに立てられた大きなテントの下で、まさに”膝と膝を突き合わせる”濃密なトークとなりました。
 
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◆地域でどんな活動をしているか
 
劇作家の石神夏希さんは、横浜や東京を拠点としながら、ここ8年ほど国内外の様々な街、九州、四国、フィリピンなどに出かけていき、滞在を重ねながら、街を舞台にそこに住んでいる人たちが出てくる演劇やアートプロジェクトを創っている。

hiroba_ishigami2「横浜やフィリピンでは、町の人で“秘密結社を作る”という演劇のプロジェクトを行いました。街の人たちが事前に、口コミや紹介だけで秘密結社のメンバーを増やしていくんです。広告やSNSの使用は禁止して。公演当日には秘密結社のメンバーが街の色んなところに潜伏していて、お客さんはチョコレートの包み紙に書かれたヒントを頼りにメンバーを探し、合言葉やアクションに相手が応えてくれたら、そこで“演劇”が小さく成立する、というものです。」

石神さんは、出演者と一緒にどんなシーンにするか指示書(これがいわゆる脚本にあたる)を書いたり、演出をつけていくそう。インタビューも平行して行い、参加者は最後にそのインタビュー集も読むことができる。
「街の人たちが参加してくれるかどうかは、目がキラッとするかどうかが決め手」なのだとか。トーク会場に集まったお客様も「秘密結社」という言葉にキラッとする場面も。

 
鈴木一郎太さんは、株式会社「大と小とレフ」取締役で、「静岡県文化プログラム」のコーディネーターの顔も持つ。
20代の頃はイギリスで絵を描き売る生活をしていたが、出身の浜松に戻った際、環境の変化に右往左往した。そんななかで、浜松市で障がい者の活動をサポートするNPO法人クリエイティブサポートレッツ」と出会い、アートを用いて課題に取り組む企画側に。その後、建築家と一緒に立ち上げた会社では、創る側だった強みも活かし、ハードとソフト、切れ目のない仕事をしているそう。

hiroba_suzuki「文化系のことをやっている人たちのウェブマガジンの立ち上げを企画から携わったり。地方で劇場つきのゲストハウスを立ち上げるという相談をいただいて、コンセプトの立ち上げから内装まで一緒にやったり。切れ目がないんですよね、ソフトのこととハードのことって。家もそうですよね。家という建築物(ハード)のなかには家族の生活というソフトが入るから、そのことが切れ目なく考えられたほうがよりみんなのためになるんじゃないかと思うんです。」

音楽家・作曲家として多忙な日々を送る原田敬子さん。静岡との関わりは長く、SPACの座付き作曲家として声がかかったこともあったという。ご自身の活動との関係から当時、実現しなかったが、その後に静岡音楽館(AOI)の「子どものための音楽ひろば」という企画で子どもの作曲体験と音遊びの講座に関わり、20年近く続いている。こうした活動で、年に15回ぐらいは静岡に来ているとか。
作曲活動と並行し、代表を務める「伝統の身体・創造の呼吸」という団体で、地域で育まれた伝統音楽の「継承の未来について」の研究を続けている。

hiroba_harada「鹿児島県の喜界島の音楽文化を調査しています。このチームには学者が一人もおらず、作曲家が2人、ダンサー2人にピアニストというメンバーなので、論文を発表するのではなく「対談」と「音楽+舞踊」で中間発表を行いました。私たちはその地域で育まれてきた伝統音楽を素晴らしいと思っていて、でも継承は難しくだんだん廃れてきているので、自らが起爆剤となって、先ず地域の人々に、足もとの音楽の素晴らしさに気づいてもらえるような企画を実践しています。」

今回のトークテーマ「アートは地域に何をもたらすか?」はSPAC芸術総監督・宮城から出されたもの。

hiroba_miyagi「うっかりしていると首都圏で活動しているアーティストが“飯の種”として地域に行くみたいなことになりかねないけれど、それはそんなに長続きしないと思うんですよね。ここにいらっしゃるみなさんはもう長いこと地域に行き続けている。きっと自分の創作意欲みたいなものを、むしろ地域からかき立てられるってことがあるんだろうなと。地域に行くことでアーティスト本人が豊かになっていくということが起こると、本当に面白いことになるのではと思います。」

宮城自身も静岡に来て13年が経ち、自分の作品が変わったという実感があると語った。

「東京にいると“やってる感”みたいなのがあって、変に充実しちゃったりするんだけども、静岡来てしばらくやっているうちに、どういう人に向けて芝居をするのか、あるいは観る人を想像しながら稽古をすることでだんだん変わってくる。ありがたいことに、以前は絶対に劇場に来なかった、僕の芝居なんか観に来なかったような人が、ちょっとずつお客さんに増えている。そうなると、俳優たちもそのお客さんのことを想像しながら稽古をするようになったりする。そういうことで、僕の作品が普遍性とまだ今言えるかはともかく、少しだけ普遍性が増したという感じがしているんです。」
 

◆地域で活動していくなかでの気づき
 
こうした宮城の発言から、トークテーマは「地域で活動していくなかでの気づき」へ。

石神さんは「ここでやりたいと思う場所と出会って、通いながら関係性を作っていったり、リサーチを重ねて形を創っていくことを長くやってきた」のだそう。
最初は、色々なジャンルを横断していたため劇作家と名乗れずにいたという石神さん。

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「街に滞在して作品を創っているうちに、演劇に見えないけど、これは間違いなく私にとって演劇なんだ、演劇が立ち上がる瞬間が見たくて自分は作っているんだと気付いて、劇作家と名乗ることに抵抗感がなくなったんです。」

一方、鈴木さんは、障害者福祉施設に関わる中で、本人とそのご家族、近所の人たち、施設の人たち、一絡げにしちゃうと似ているようだけれどそれぞれの立場で考えていることが違う、と気づく。

hiroba_suzuki「自分の生活をよくしよう、何か乗り越えよう、そうやって生きている姿が、見ていてすごく美しいと感じて、好きだったんです。その時に、生活する、人と出会う、ということの中に美しさを見つけるのは自分の特技かもしれないと思った。そこにアートを絡めることも、絡めないこともあるけれど、そういった生活にアートが絡む企画を立てることができた。職業の肩書きはなくても、何者ですか?って目線で見られても、頑張ろうと思って今に至っています。」

 
◆地域に入っていく態度
 
原田さんは若い頃にヨーロッパで作品を発表した際、”西洋にはない時間感覚”、”日本的”だと評されることがあり、日本的とは何かということを問い続けていた。そんななか友人の誘いで、鹿児島県の伝統の薩摩琵琶、次に奄美群島の三線唄をより深く知ることになる。それはかつて響きの魅力に魅かれてから演奏に用いていた、薩摩琵琶や三味線と出会い直すことでもあった。
 
hiroba_harada「離島の地域で調査していると自分たちがよそ者であることを強く感じます。でも、その地域や歴史について地元の方より詳しく知っていると、親近感を持っていただけるという経験をしました。地域で育まれてきた表現は多様性に富み、借り物ではない強さがあり、生活の中から生まれた唄が何百年も(口承で)唄い継がれている、その強さを感じます。」

「よその人」である原田さんが入っていったことにより、地域の側に生まれた変化も。

hiroba_harada「私たちのプロジェクトは、『島唄が素晴らしいから、島唄をもっと聴いて継承して下さい』というプロジェクトではないです。地域(喜界島)の音や音楽文化をできる限り広く調べたら、島の皆さんの殆どが音楽家じゃないかというくらい凄くて、オリジナル音楽や舞踊を自作自演する方々が複数いまして、それで私たちが一堂に会する音楽会を喜界島で開きました。調査で発見した、島に潜在的にある「創作力」に焦点を合わせ、この島で、一体どんな音楽が創られているのかを一夜に一挙に紹介し、島の方々と共に島の音楽力を発見し合うような演奏会です。J-POP系の人を聴きにきたのに、もの凄く古い島唄も聴いちゃったとか、あれは(例えば私の抽象的な音楽)一体何だったんだろうか?とか。実はこの調査以降、島にたった一つのライヴハウスで週3回の島唄ライヴが始まったり、他にも活発な動きが見られるんですよ。」

 
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「よりよく知る」という原田さんの姿勢に対して、石神さんは「知らない」というところから地域に入っていくというお話も。

hiroba_ishigami2「私は逆に、知らないっていうところから入っていきます。心がけているのは、迷惑をかけることと損をすることを恐れないこと(笑)。とにかく地域に入る。知らない人間が地域の方に教えてもらい、一緒に見ていく、リサーチをしていくと、一緒に何かが発見ができる。またその発見についての感じ方が違っていて、作品を通して彼らもその違いを知る。そういうふうにして面白いねって関係が生まれていくのもあるのかなと。」

ある地域で火事にまつわる作品を作った際に、その後その場所で実際に火事が起こった、という驚きのエピソードも飛び出した。

hiroba_ishigami2「関東に戻った後に火事が起きて、慌ててすぐに飛行機でとんぼ返りして・・・、自分たちの演劇のせいじゃないかと落ち込んだけど、街の中にあった火除けのお稲荷をテーマにしていたので、おかげで怪我人が出なかったのかもねと言って頂いたり、実はこの街では火事が起きるとその家はすごく栄えるというジンクスがあると後で教えて頂いたり(笑)。結果的に翌年さらに大きなプロジェクトを受注したみたいな。わりとそういう体当たりで何か起きていくっていうのが、自分の場合は多いかなと思います。」

 
◆街歩き演劇で持ち帰るモヤモヤ
 
そして話題は、鈴木一郎太さんが2015年「ふじのくに⇄せかい演劇祭」で発表した作品へ。
『例えば朝9時には誰がルーム51の角を曲がってくるかを知っていたとする』というタイトルで、鳥公園の西尾佳織さんとともに演出した、静岡市駿河区の池田という地域を街歩きする参加型演劇。
 
鈴木さんは「街歩き演劇を」というお題に対して「演劇祭だから来られる方々はみんな演劇を観に来る、だから何してても演劇だと勝手に解釈してくれるんじゃないかなって。批判もあるかもしれないし、逆にものすごく面白かったっていう人もいるかもしれないけど、お客さんに全部委ねていいんじゃないか」と考えたそう。

hiroba_suzuki「池田という住宅街に入ることに対して、唯一恐縮しないのがお客さんだと気づき、そのことが作品になりました。歩いてるのは公道で人が住んでいる、でも「観客」だからついのぞき見てしまう、それに気づくということを最終的に持ち帰る、モヤモヤして帰っていくということを考えました。生活のなかで何か守りたいもの、例えばテリトリーとかプライバシーを守ろうとするとき、何かしら手を打つんだけども、目線はすごく遠くまで届くし、音も届いてしまう。自分で守ろうと境界線みたいなのを作ったところで超えちゃうってことは、生活していればいくらでもある。そのことにちょっと自覚的になってみる。人は何となく他人のプライバシーが見える方に目が行ってしまうんですよね。何げなく垣根超えて家の中を見てしまったりとか、人の家の声が聞こえてきてこれも仕込みかな、とか。そういうことを持ち込むっていうことをやってみました。」

 
作品を観た石神さんは、「モヤモヤして帰った」のだとか。
司会の中井さんも「演劇ってそうですよね。全てがクリアになって楽しかったというものって、そこで終了してしまうのでちょっと面白くなくて」と共感。

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「モヤモヤしたり、調べないと気が済まないとか、そのことをずっと考えちゃうとか自分の身体の中に演劇が勝手に置き土産されたっていうものの方が、やっぱり残っていると思いますね」


 
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時間はあっという間に過ぎて、気づけば雨も上がっていました。1時間のトークは司会・中井さんの素敵なコメントで締めくくられました。

hiroba_nakai「他者、またその地域になかったものが入ってくることで、周りが目覚めたり自分たちが持っているものに気づいたりする。自分たちが今まで触れてなかったものに触れた時に、毎日同じものを見ていたのに違った見方が生まれてくる瞬間がある。
このトークも、何だかまとまりがないようなモヤモヤっとしたものを皆さん持って帰っていただいて(笑)、アートは地域に何をもたらすか、ご自身の頭で考えていただく、ということで締めたいと思います」


 
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<パネリストの今後の活動>
石神夏希:
「東アジア文化都市2019 豊島」スペシャル事業
「Oeshiki Project」10月16日(水)〜18日(金)
江戸時代から伝わる年中行事「御会式」の日、音楽家たちと共にまちの物語に出会うツアーパフォーマンス《BEAT》を上演。

鈴木一郎太:
静岡県文化プログラム、セミナールーム兼交流スペース「黒板とキッチン」運営

原田敬子:
「第9回シアターオリンピックス」で上演する金森穣新作の新曲を書き下ろし
「still/speed/silence」9月20日(金)、9月22日(日)
 
<関連リンク>
★「ふじのくに⇄せかい演劇祭2019」前半レポート 
★「ふじのくに⇄せかい演劇祭2019」後半レポート
★シンポジウム「クリエイティブ・アクセシビリティについて考える」レポート

2019年6月1日

シンポジウム「クリエイティブ・アクセシビリティについて考える」

ふじのくに⇄せかい演劇祭2019に招聘されたスコットランドのミュージカル『マイ・レフトライトフット』。5月2日初日の上演に先立ち、11:00よりシンポジウムが開催された。
 
◎シンポジウム:「クリエイティブ・アクセシビリティについて考える」
5月2日(木・休)11:00~12:30
会場:静岡芸術劇場カフェ・シンデレラ
パネリスト/ロバート・ソフトリー・ゲイル(演出家)
久保田翠(認定NPO法人クリエイティブサポートレッツ代表理事)
司会:横山義志(SPAC文芸部)
通訳:齋藤啓
(当シンポジウムでは聴覚障がい者向けに「UDトーク」でリアルタイム字幕配信を実施した。)
 
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司会/こんにちは。『マイ・レフトライトフット』という演目がこちらで始まりますので、「クリエイティブ・アクセシビリティ」というテーマで、これからシンポジウムをさせていただきます。
ご紹介いたします、本作の演出・脚本をされておりますロバート・ソフトリー・ゲイルさんです。そして、NPO法人クリエイティブサポートレッツの代表理事の久保田翠さんです。
お二人には、「クリエイティブ・アセシビリティ」というテーマでお話しいただきます。演劇、劇場の世界においても、“お客様の”アクセシビリティというテーマに関しては最近それなりに話が増えてきたと思いますけれども、私ども劇団を持っているSPACという劇場でお話させて頂くにあたり、“作品を創る側”で障がいを持つ方がどのように参加していけるのか、どうしたらもっと参加できるようになるかというお話ができればと思っています。
ロバートさんは、まさにスコットランドあるいはイギリスにおいて、障がいのある方々の芸術活動への参加を訴えて来られた方だと思いますので、ぜひその視点からお話を聞かせて頂けたらと思います。
それから久保田さんは、だいぶ活動の中身は違いますが、障がい者の方々の芸術活動、芸術ではないとおっしゃっていましたが、表現活動、芸術文化に関わる活動を支援なさってきた方です。お二人、実はかなり違うタイプの活動をなさっているんですけれども、いろいろな視点から障がいのある方々がどのようにして芸術活動、文化活動、表現活動に関わっていくのかをお話しいただければと思います。
まずは簡単に自己紹介を、ロバートさんからお願いいたします。
 
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右:『マイ・レフトライトフット』演出家のロバート・ソフトリー・ゲイルさん、左:通訳の齋藤啓さん
 
R/ロバート・ソフトリー・ゲイルです。スコットランドのグラスゴーという町を拠点に、バーズ・オブ・パラダイス・シアターカンパニーという劇団をやっています。私達の劇団の話をしますと、設立されたのは26年前で、設立者は私ではなく別の人によって作られました。この劇団は、スコットランドにおいて障がいを持った人たちが自分たちのスキルを伸ばす場を作ろうということで始まりました。
1990年にグラスゴーが欧州文化都市になりまして、その時に非常に多くの投資があり、多くの芸術活動が行われたんですけれども、障がいを持った人たちは、社会に、またその活動に参加する機会があまりないように感じ、どうやってそこに参加していけるのか、ということが一つきっかけとなりました。その問題意識から集団を作ろうということになって、バーズ・オブ・パラダイス・シアターカンパニーができました。当初のメンバーは、若い人たち、それから演劇やアートの経験が全くない人たち、高齢の人たちです。そこで障がいを持った人たちと一緒にやる活動に重点を置いていました。
26年後の今はですね、そういう言うなれば個人に寄り添った活動もしているんですけれども、一方で大小の舞台制作公演をするようになりまして、今日これからご覧いただくような非常に大きな舞台作品も作るようになりました。
私が6年前に芸術監督に就任してからは、障がいを持った人たちの物語を舞台の上に乗せていくことを始めました。先ほどお話しした、それぞれの個人のスキルを伸ばしたり、活躍の場を与えることも大事ですが、スコットランドでは障がい者が主人公であったり、障がい者のことを扱った物語を具体化するということがなかったので、じゃあそれを我々がやっていこうと考えました。
スコットランドにおいても、障がいのある人たちが文化活動の中で目に見える形で参加しているということは非常に少なかったので、そんなふうに障がいのある人たちの物語を具体化していくことで、障がいを持った人たちの姿が以前より見えるようになりました。文化活動の中でも、そして社会全般においてもそうなるといいなと思っています。
私自身のことをお話しますと、私は17年前くらいから、もともとは俳優としてグラスゴーにある大学で活動を始めました。大学の専攻はビジネスで、それはあまり面白いものではありませんでした。
俳優を始めるきっかけとなったのは、17年前にグラスゴーではなくもう一つの都市であるエジンバラの劇団から「オーディションを受けてみませんか」という誘いをもらったことがきっかけです。その時点ではまだ一度も舞台に立ったことはありませんでした。経験はなかったんですが、結構自信はあったのでやってみようかと思って(笑)。それで舞台に立つようになり、それからずっと活動しています。
俳優としての活動が5年ぐらいありまして、その時に自分が演じていくことのキャリアが、もしかしたら続かないかもしれないと思って、じゃあ自分で作品を作らなきゃだめだと、アーティストになりたいと思って自分で作品を書いて演出するようになりました。そして、先ほど言ったように劇団に参加することになり、そして芸術監督になるという流れになりました。
 
司会/ありがとうございます。プロとアマチュアの両方の活動をやって来られた、アマチュアの活動をなさっていて、それからプロの活動に集中するようになったとおっしゃっていましたけれども、今回の『マイ・レフトライトフット』は、まさにアマチュア劇団に関するお話を、プロの俳優がやるという作品ですね。プロとアマチュアの活動、ということが一つ、今日のテーマにもあるかもしれません。この作品、私はスコットランドのエジンバラで拝見し、もう本当に圧倒的に面白い作品だったので、日本でもぜひご紹介したいと思い、今日に至った次第です。
では、久保田さんにもご活動を紹介して頂ければと存じます。
 
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認定NPO法人クリエイティブサポートレッツの久保田翠さん
 
K/静岡県の浜松市から参りました、拠点も浜松市にあります認定NPO法人クリエイティブサポートレッツの久保田翠です。私の活動は、今日ここに呼んでいただいたテーマの「クリエイティブ・アクセシビリティ」みたいなところから、かなり対局的なところにあると自覚しながら参りました。
というのは、私のことを少しお話すると、私の息子は重度の知的障がいがあります。重度の障がいって皆さん、身体障がい、精神障がい、知的障がいっていう区別すらあまりわからないと思うんですけど、重度の知的障がいという人はあまり街の中には出ていないです。どちらかというと、全介助と言われている、動けないわけではないんですけど、食事、排泄、それらが自分では全く出来なくて、動き回ってしまう。そして、言葉がないので、喋ることもできない。毎日、寝る時以外、タッパーのプラスチックの入れ物に石を入れて叩き続ける行為を続けるというような息子がいるんです。生まれたときからそういう状態で今23歳なんですけども、彼の存在がやっぱり私をこう揺さぶって、アートとは一体何かとか、生きるとは何かとか、それから表す、表現するって何か、ということを常にこう問いかけられる存在です。
そもそも私は、建築設計の方ですけど、東京芸大の大学院の美術の畑を歩いてきて、そういう教育も受けてきたものですから、彼の誕生が私にとってはそんなに奇異ではなかった。つまり、障がいのある息子が普通の人とは違うということはよくわかっていましたけれども、それが自分にとってそれほど問題ではなかったんです。
ただ、世の中、世間は、私のことをかわいそうな母親だっていうふうに見るんです。どこに行っても気の毒だねって言われますし、それから自分の息子もいろんな社会に触れること、例えば劇場に来ることもできないし、交通機関に何かに乗ってどこかに行くっていうこともなかなか難しいです。なぜかというとやっぱり電車に乗れば騒いでしまうとか、劇場で、多分彼はこういうところ大好きですけども、おとなしく座っていられるということはない。常に動き回るし、タッパーの入れ物の石を叩き続けるっていう行為は止めないわけですよね。だからそういう人が劇場に来て演劇を観られるのか。…っていうことになると、やっぱり私はたじろいでしまうので、そこが起源になっている活動です。
今何をしているのかというと、障害者福祉施設を運営しながら、息子と同じように重度の方が多い施設ですが、その人たちの存在をとにかく社会に顕在化させる、見せていく、ということをひたすらやっています。施設自体も浜松駅から歩いて800メーターの街の中にあります。3階建ての拠点なんですが、作業みたいなものが一切なくて、彼らが毎日生活している状況を色々な方に見て頂くということをやったり。それから、彼らがスタッフとともに街にどんどん散歩に行くんです。
散歩に行って何をするかというと、とにかく街を闊歩する。闊歩すると色んな問題が起こるんですね。例えば、店に飛び込んでお菓子を食べてきちゃうとか、カレンダーを破ってくるとか。この間は隣のビルのトイレを勝手に借りてしまって、下半身脱いだまま出てきてしまうとか。
そうなると犯罪ですよね(笑)。そういうようなことをやっているわけです。それはやりたくてやっているわけじゃないんですけど、「やっている」わけで、そのときに「対話」が始まるんですね。つまり、「やめてください」「出てこないでください」と言われるんですが、そこで初めて私達ではなく、相手の方が「障がいの人ってこういう人のことか」「こういうことするんだ」とか、「こういう存在なんだ」ということを気が付いてくださるということです。それからお手元にパンフレットをお渡ししたんですが(「タイムトラベル100時間ツアー」のパンフレット)、これは施設に1泊2日滞在していただくメニューを有料でやっています。簡単なガイダンスはありますが、約1泊2日、障がいのある人たちとどっぷり生活を共にする、ただそれだけのメニューです。これを毎月1回、有料でやっています。毎月第4土曜日にありますので、もしご興味ある方はぜひご参加ください。要するに、重度知的障がいの人たちとともに時間を過ごしてみるということ。触れたことも触ったことも聞いたことも何もない人たちが障がいを語ってもらっても困るので、とにかく触れて触って感じてほしい。感じてから、「私はやっぱり重度の障がいの人は嫌い」とか、それから“重度障がいのヒト”ってそもそもいないんですけど、「タケシ君は合わない」「オガタくんは好き」とか、「アミちゃんは嫌だけど、タケシだったらいい」とか。要するにその辺の感覚は皆さんがお友達とか他者に感じているものと多分変わらないんですが、そういった当たり前のことすらもやっぱり保証されてないというところを何とか乗り越えたくて、やっているような活動です。
司会/ありがとうございます。日本には、日本だけじゃないかもしれませんが、なかなかないタイプの活動だと思います。
ここでロバートさんにお伺いしてみたいんですけれども。演劇って、なんかかっこいい人を見るとか、立派に喋る人を見るというような、そういったものが例えば演劇でありアートであり、と思われがちですが、一般的にはかっこいいとか素敵ということではない身体を、舞台の上で見てほしいと思ったのはなぜなのでしょうか。
R/舞台に立つということに関しては、ある種の憧れの存在というか目標にすべき存在がそこにあるということは非常に大事じゃないかと思いますね。私が小さい時、若い時には、演劇あるいは映画を観ても、障がいのある人がそこに登場してくるっていうことはほとんどなかった。自分にとって目標とすべき存在がなかなかないような気がしていましたから、自分たちが舞台に立つことによって目標となる存在になると、それは障がいを持った人たち、あるいは障がいを持った子どもたちだけでなく、誰にとっても日々目指すべき存在になれると良いのではないかなと思っています。
私の作品全てに共通していることですが、「対話が生まれる」ということが見たいと思っています。皆さんが街で私を見る時には、やっぱりちょっと障がいに対する人の固定観念で見てくることが多いと思います。しかし、作品を見てもらうことによって話ができるようになって対話が生まれる。それが非常に大事ではないかと思います。
それにはある種、その作品がコメディであること、笑える要素があるということは非常に大事だと思います。やはりお客さんにとっては、あたかも自分たちが名指しされ、批判されているような作品を見る、ということは非常に反応しづらくなってしまうので、周りを笑う、世界を笑う、それから自分たちを笑うということによって対話が生まれるんじゃないかと思っています。
 
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ふじのくに⇄せかい演劇祭『マイ・レフトライトフット』のワンシーン
 
司会/ありがとうございます。久保田さんのお話とちょっと重なる部分がありましたね。久保田さんも対話を生みたいとおっしゃっていました。
お二人の活動で、似ているところと違うところをちょっと考えてみたいと思うんですけれども。今まさに、モデルがいないというお話をロバートさんはされていました。舞台に立つことによって自分がモデルになりたいとおっしゃっていて、確かに私もロバートさんの今日の作品やソロの作品、ご自身でやってる一人芝居などを見ていて「かっこいいな」と思うわけですね。そして実際にロバートさんとこうやって会って話してみると、ロバートさんの、なんていうか映像などで見るよりもはるかに内面が伝わってくる感じがするんですね。実際に生でお会いすること、それは舞台という生で表現することにも通じて、とても大事なんじゃないかなぁというふうに思います。
久保田さんの活動でも、実際に街に出て、街の人と直に触れ合うということを大事になさっていると思いますけれども、ロバートさんが舞台上で俳優として、プロの俳優として身体を見せていくということと、街に出ていく、あるいは街の人に見てもらうということは違いも感じますでしょうか。
K/目標は一緒かもしれないと思うんです。つまりロバートさん達がおやりになっていたことは、自分たちに健常の人たちと同じようなチャンスが与えられないというところにやっぱり不満があったんじゃないかなと思うんですね。舞台に立つ、俳優として認められる、作品を作る、そういう機会すら与えられない、それはおかしいんじゃないかということで、まずそれを自分たちが獲得するんだという気持ちがあって、舞台に立ったり作品を作るようになった。そこからはもう障がいがあろうがなかろうが関係ないと思うんです。良い作品を創る、皆さんに認めて頂けるものを創るということが始まる。それは芸術の、要するにSPACもそうですけど、創作の一つのプロセスとして、ちゃんと王道、高みを目指していく、そういう方向はあると思いますし、またやっぱり高みを目指さないものはこういう劇場とかでは扱って頂けないという部分もあると思います。
けれども私がやっている活動、というか私がやりたいことは、そのフォーマット自体に乗っかっていけない人たちなんですね。つまり何かを演ずることはまずできない。台本があって、セリフがあって、それを覚えてくださいと言ったところで覚えられないし、そんなもの、はなから価値を見いだしていないという人たちです。そういう人たちの表現、表現というか彼らが存在するということ自体を、どうやって色んな方々に認めて頂いたり対話を生むことができるのか。その時にやっぱり感じるのは、そう言ってはあれですけれども、健常の方々というか、いわゆる普通の人たちが作り上げてきた「フォーマット」の存在ですよね。演劇や絵画、造形、それからダンスなどのパフォーマンスは、その中には色んなバリエーションがありますが、フォーマット自体は昔からあるし、多くの人がやってやり尽くしている部分もある。一方で、重度の知的障がいの人たちは、そのフォーマット自体を変えていくと、もしかしたらもっと彼らなりの表現ができるかもしれなくて、そのフォーマットを私は探しているんです。実験しながら。ですから、自分の施設をとにかく「開く」。彼らは施設の中で散歩に出るんですが、色んな人に色んな影響を与える、色んないざこざも含め、起こしていく。そういうことも、芸術の何か、芸術というかアートの一つの演目みたいになっていけるのかどうか、みたいなことを考えているんですね。
司会/それが「表現未満、」という活動ですね。
K/そうです。ちょっとアンチテーゼの部分もありますけれども、要するに表現とか芸術というものが、特別な人の、やっぱり選ばれた人たちの作れるもの、とどうしても皆さんが思ってしまうものに対して、いやいや、そのフォーマットに乗れない人たちでさえ表現はできるんですよ、ということを言いたいがために「表現未満、」と、ちょっと含みを持たせてやっています。要するに、アートは一方では、どんな人でもそこに存在していいんだということを認めるためにあるんですよね。上を目指していくこともあるけど、あなたはそのままでそこにいていいよと全面的に認めていただけるのもアートだと思ってるので。
そういう意味で生まれたのが「表現未満、」という生活文化みたいな部分なのかもしれない。皆さんがやっていること、粛々と毎日やっていて誰も認めてくれないもの、ある意味、あなたのそれ変だよねって言われ続けてもその人がとても大切にしているものであれば、それは一つの表現として、問題行動とかではなくて、表現として置き換えて見て、受け取ってみてはどうですかという「表現未満、」。
 
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司会/なるほど。フォーマット自体を作ることが久保田さんの大きなお仕事なんですね。
K/そうです、はい。
司会/久保田さんは2018年に文化庁の芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞なさっていて、ちょうどSPAC芸術総監督の宮城聰が同じ賞を受けたのと同時でしたね、浜松(久保田さん)と静岡(宮城)とで、かなり対照的な活動に対して同じ賞が与えられて、なかなかそういった形っていうのは珍しいですよね、きっと。
K/宮城さんがお取りになったのは、たぶん演劇部門ですよね。私が頂いたのは芸術振興の部門で、どちらかというと社会的な課題に対して芸術がどういう働きができるかという活動をしておられる方が多く受けられている部門です。ですからある意味、私たちが障がいのある人たちの芸術活動…とは言えないですが、障がいのある人たちの施設というものを一つのアートプロジェクト、アートワークだと位置付けたところに評価を頂いたのかなということと、今、社会奉仕とか色々言われていますが、やっぱり芸術の中に様々な人たちを包括していく力があるというところで、私どもみたいな活動が認められたのかなと思っています。
司会/確かに。珍しいのは、多くの場合、芸術選奨みたいなものって、括弧つきのプロのアーティストに対して与えられるものだと思うんですけれども、久保田さんはご自身がアーティストだと思われていますか?
K/思ってないです(笑)。
司会/つまり、久保田さんはそこでアートが生まれるような枠組みなり環境なりを作っているということですよね、それに対してこの賞が与えられた。それはある種、プロフェッショナルとアマチュアという枠組み自体が解体されるようなお仕事でもあると思うんですね。
そもそも、プロとアマという枠組み自体、例えばプロの演劇活動、あるいはプロの画家というもの自体も、健常者、障がいを持たない人たちが作った枠組みであって、障がいを持つ人にはなかなか入りにくいという話もあると思います。
ロバートさんは活動の中で、あくまでも「プロになりたい」と思って活動を始めていらっしゃると思うんですけれども、プロにこだわったわけを教えていただけますか?
R/今おっしゃったフレームワークをどう壊していくのかが重要だと思います。私が取ったやり方というのは、まずそのフレームの中に入っていって、その内側から壊していくというか、内側から作りかえていくことをやろうとしました。もちろん外でやるということもあって、どっちが良いか悪いかという話ではないんですけれども、私が取ったアプローチはそうでした。
今日これから観て頂く作品は、先ほどコメディと言いましたけど、さらに言えばミュージカルで、ミュージカルコメディというと非常に王道、舞台のメインストリームにあるものだと思います。そういうものを創るとどうなるかというと、やはりより多くの人が作品を観に来てくれるということがあります。昨年8月のエジンバラの演劇祭では、約3週間にわたってこの作品を上演したんですけれども、延べ6000人ぐらいのお客さんがこの作品を観てくれました。
その6000人ほとんどの人が、障がいを持つ私が創ったということはおそらく知らずに来ていて。逆に言えば、あらかじめ障がい者が創ったものだとわかっていると、やはり質が高くないんじゃないかとか、そういう固定観念を持ちがちではないかなと思います。
司会/私もエジンバラで観た時には、事前には全く知りませんでした。
R/劇場の中に入って、公演がスタートしてしまえばもうこっちのもので(笑)。そこで捕まえたらどんなことをやってもいいだろうという考えです。
先ほども言ったように、普段なら私たちの活動には来ないかもしれない人たちに来てもらい、笑って泣いて考えてもらって、そこに対話が生まれるということをしたいと思っています。ですから、ある種、表現の形としては非常にメインストリームなものをやりつつ、その表現の中身でどれだけ何かしら急進的なものをやっていけるかということかなと思います。
 
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司会/なるほど。ミュージカルという非常にメインストリーム的な枠組み自体を使って、それを壊していくということですね。
先ほど、久保田さんが少し知的障がいと身体障がいの違い、といったことをおっしゃっていましたけれども、たぶんお客様の多くもその違いを具体的に知る機会はそれほど多くないでしょうから、まず久保田さんに違いについて少しお話ししていただいてもよろしいですか。
K/障がいといってもいろいろあります。同じ知的障がい、身体障がい、精神障がいでも人それぞれかなり違いはあると思うんですが、ざっくり言ってしまうと、身体障がいの方々はどちらかというと頭脳は明晰、そこに障がいはないわけですよね。今、ロバートさんは車いすだったりとか、手足が不自由だったり、喋ることが不自由だというところですが、今これだけITとかAIとか色んなものが出てきている時代なので、障がいを補うものはどんどん出てきている。車いすもあるし、たぶん言語も、誰かが文字を打ってくれれば、耳が聞こえない方もこういうところでちゃんとトークを聞ける。だから科学が発達すると、そういうものがどんどん改良されていくというのは、身体障がいの方の、何かちょっとうらやましいところなんですけど。
知的障がいというのはそもそも、体はそんなに不自由ではないんですね。歩けないとか手が使えないとか目が見えないとか、そういうことがないんだけど、圧倒的に違うのが、感じ方。物事を考えるとか、言語とか、頭の中の問題の方が多いです。だから考えが違うんですよね、一般の方と。一般の人たちが正しいと思っているもの、すごく極端な例で申し訳ないけど、うちの息子は、便を触ってしまうんですよ、便で遊んでしまう。これって普通の人では考えられないですよね。つまり、汚いものだ、触ってはいけないものだ、トイレでするものだ。口の中に入れるなんてもうそんなの御法度だと思っている、私達は今日そういう教育も受けているからそう思っているし考えているけれども、うちの息子はその考えが入らないんです。それが汚いと一向に思っていないし、やってはいけないものにはならない。ちょっと極端な話ですが、そういう人たちなんです。だからものすごく何ていうのかな、それに対峙した時に、迷いしかないっていう、この人とどうやって対話したらいいのか、どうやってわかりあえたらいいのか、まずわからないっていうところから。全員が全員そうじゃないですよ、もちろん。知的障がいと言っても軽度、中度、重度とあって。うちの息子は最重度ですから、そういうことを平気でしてしまう。だけど、必ずそういう人はいるんですよ。この世の中にいないわけではなくて、うちの息子と同じような人はたくさんいる。私はそこから入っているんです。
司会/なるほど。フレームワークといっても、例えば、お芝居を観るとか、お芝居観て楽しむという感性とは全く別の感性で生きているということですね。
K/お芝居がわかるかどうかはわからないんですけども、音楽は好きなんです。だからうちは2階が音楽スタジオみたいになっていて、どんな爆音出しても大丈夫、感じる心というか感じる感性はある。でも「忖度」が全くないんですよ(笑)。例えば演劇で、ちょっとつまらない場面もあるじゃないですか。つまんないなぁと思っても、でもきっとこれから面白くなるんだろうなと思ってみんな我慢するとか。途中で退出するのは申し訳ないから頑張ってようとか、あるじゃないですか。そういうのが一切できない。面白くなかったらどっか行っちゃうし、感動すると普通はパチパチパチッて叩く程度なんだけど、身体で、そこで踊りだしちゃう。そういうことが起こる。感じられないわけではないけども、要するに劇場のルールがありますよね。こういう風にだいたい聞くものだ。それに全く当てはまらない。
司会/ただ座ってじっと観ていることが難しい。
K/だからしんどいから劇場には連れて来ないという…。嫌いじゃないと思うんですけど、でも何が起こるかわからないので、連れて来る来ないの前に、そもそもわざわざ劇場で観なきゃいけないのか、その辺の道でやってくれれば観られるのに、とか。ですから今日のアクセシビリティっていうはどうやって劇場のこのフォーマットを壊していくのか、そういうことにも繋がっています。
司会/そうですね。SPACも劇場以外の場所でも作品をやっています。でも知的障がいの方々の目を通すことによって、今私たちが、もしかすると勝手に作ってしまった不自由なフレームっていうのが見えてくるっていうこともあるかもしれませんね。
K/あとはね、オーディエンスの教育もそうだと思うんですよ。私が一番きついと感じるのは、主催者の方はOKという場合もあるんです。もう何やってもいいです、どうぞって、好きなようにやってくれていいですからって言うんですが、それでもいられない時というのがあって。なぜかというと、オーディエンスが「なんであいつがいるんだ」、「なんでやつがこの会場に入ってきちゃったんだ」と、「私は静かに聞きたいのにあいつがいるおかげで静かに聴けないじゃない」となって、結局その空気にいたたまれず、私たちは退出するんですが。そもそも静かに聞かなきゃいけない、みんなが同じ状態になければいけないという状況も、ある意味刷り込まれたものです。ですからそういうことをいちいちいちいち問い直しをやっていく時に、知的障がいの人たちの振る舞い方はいろんな意味でとても面白いと思う。
 
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聴覚障がい者向けに、トーク内容は携帯アプリを利用した文字情報としても提供された。
 
司会/なるほど、先ほどロバートさんが内側から壊して変えていくというふうにおっしゃっていましたが、むしろ知的障がいの方からすると根本からフレームを作り直していく必要があるのかもしれませんね。
ロバートさんは、実際にスコットランドでプロの俳優、あるいは演劇人として活動していく中で、ここが困ったとか、ここが問題だったということはありますか。
R/まさしく、どうして我々は劇場に来て、暗いところに入って、静かに座って静かに見て、最後に拍手をして終わるのかということを、演劇のあり方として考えなくちゃいけないなと思います。我々が日本で上演するにあたっても、やはり先ほどの創り方あるいは鑑賞の仕方というのは、当然違うものがあると思うので、文化的な差異も出てくるかなと思います。イギリスでは、この作品を観る人はだいたいずっと笑っていたり、曲が終わるたびに毎回拍手したりするんですけれども、日本に来るとおそらく同じではないということを出演者にはすでに話をしています。
知的障がいの方が、感動したときに体を動かしたり、あるいは何か声を発したりするということは、言ってみれば健常の方とは違う形で演劇作品を楽しんでいるということで、それもまたある種の文化的な差異として現れるんじゃないかなと思います。
具体的な取り組みとして、例えば我々が上演する時にはですね、エジンバラ演劇祭で3週間にわたって上演するんですけれども、上映期間中に1回もしくは2回、「リラックス・パフォーマンス」という日を設けています。通常は完全にゼロになってしまう客席の照明を少し明るくして、それから音響も少し抑え目に、観客は客席の中を自由に動き回ってもいいよと。
そういう日は走ったりしても全然問題ないんですけれども、それは必ずしも知的障がいであったり、何らかの障がいを持っている人のために良いだけではなく、普通の、健常のお客さまにとっても普段の上演の時よりリラックスして作品を楽しめるというメリットが実際にあるように思います。
イギリスのあるアーティストは、やはり障がいがあるために声を出してしまったり、動き回ってしまうことがあって、リラックス・パフォーマンスを非常に推奨しています。逆に言うと、彼自身もアーティストであるけれども、それがないと劇場で作品を見れないという状況があるそうです。鑑賞ということに関して、我々が作ってしまったルールがものすごくあって、そのようにアーティスト本人がOKでも、その鑑賞ルールに従わなければ劇場に行くことができないという現実があるように思います。ですので、そういうルールをいったい誰のためのものなのか、なぜ生まれたのかと議論していく必要があるんではないかなと。そして必要であればそれを壊さなければいけないと思います。
司会/なるほど。そういったいわば健常者の目線から作られたルールが潜在的にありますよね。スコットランドでは、例えば、実社会における障がい者の割合に比べ、プロの俳優の中での障がい者の割合は少ないのでしょうか?
R/スコットランド全国では、障がいを持ちながらプロの俳優としてやってる人はおそらく4人か5人だと思います。障がい者の人口比率は、いろんな種類の障がいですけど、20%だと言われています。実際には、比較としてちょっと成り立たないですね。
背景、理由としては、スコットランドの多くのプロの俳優というのは、幼少期に演劇クラブに入って、それからユースシアターと呼ばれる高校生ぐらいの人たちがいるところに入り、それから演劇の学校に行ってプロになって仕事をする、そういう段階がある。けれども、やはり障がいを持った人たちは、この段階のどこにも入れないという感じがあって、構造的な問題も大きいんじゃないかなと思います。状況は少し良くなっているとは思いますが。例えば、今、スコットランドにある芸術大学の演劇部門で、障がいがある人で受講しているのはおそらく1人か2人じゃないかと思うんです。少しずつ改善していくんじゃないかなと思います。
司会/なるほど。ロバートさんとしては、今、良い作品を作るということ以外に、その状況を改善するにはどうすれば良いと考えていますか?
R/問題の一つは、大学など演劇を学ぶところで障がいの持つ人をなかなか入学させないというのは、彼らが卒業しても演劇の世界で仕事がないだろうということで、そうなることも多い。一方でプロの世界では、俳優を雇う劇場であったり劇団だったりが障がいのある人を取り込もうとしても、その人たちが演劇の専門教育を受けていないということになるんですね。
ですので、その構造的な問題に穴を開けて、壊していく必要があると思います。私は、健常の俳優でも演劇教育を受けていない人と仕事をすることが結構あるし、意識的にそういうふうにしようと思っています。演劇の専門教育を受けていなかったりしても、積極的に一緒に仕事をしていこうと思いますし、そうしないと状況は変わっていかないだろうと思いますね。
司会 教育の側からも変えていかなければいけないし、鑑賞する側の見方とか感性からも変えていかなければということですね。
K/私はイギリスのことはあまり分からないですが、私がこういう活動をしている機動力というか、なんでこんなことをしているのかという話になるんですが、健常の人たち、重度の知的障がいではない健常の人たちの社会、その人たちの多くが日本を作っているんですけれども、その人たちの生活が幸せかどうかということをいつも思うんです。つまり、うちにも20人の普通の健常のスタッフがいますが、前職が福祉関係だった人は1人もいない。要するに色んな職員をしながら流れ着いて来るみたいな人たちが多い。芸術・美術ってそういう人たちが多いんですが、その人たちの生き方が必ずしも承認されているわけではなくて、つまり、やりたいことを本当にやろうと思うと、この国はとても大変なことになる。誰かが言われたことを当たり前のように受け入れて、特に学校がそうなんですけど、ちょっとでも個性的な子どもははじき飛ばされるんですね。はじき飛ばされた子どもは、何とか生きながらえる人はいいんだけれども、最終的に引きこもってしまったりする。大人になる時にまた就職で失敗して、そうするともう家にずっと引きこもるみたいな人たちが山のようにいるんですよね。その人たちが精神障がいにもなる。いろんないじめもあったり。だから、知的障がいの人たちは社会的にはあまり尊敬されているわけでもないし、あの人たち困った人たちだよね、かわいそうな人たちだよねって言われるけれども、こちらの方がよっぽど幸せだなと思うんです…。人を出来る/出来ないで判断するということもないし、何か高みを目指していかなければいけないという価値観も私たちにはない。その自由さというか、生きやすさというものはあるわけですよね。だから、むしろ私たちが今やらなきゃいけないことは、皆さんの価値観が本当に正しいんですかと、皆さんの生きている社会が本当にいいものなのか。むしろ重度の知的障がいの人たちから、学ぶものはたくさんあるんじゃないんですかね。ですから、私たちが社会に合わせて変わるのではなく、あなたたちが変わればいいんじゃないですか、そういう投げかけでもあるんです。
私がやっている活動、本当にちっちゃなちっちゃな活動ですが、芸術にはそもそも社会に投げかける力、価値観を揺さぶっていく力があるのではないかと。それから、アーティストの人たちが何だかよくわからないものを提示する、そのことで、よくわかんないものを一生かけてやる人がいるんだ、そういう生き方もあるんだということを知らしめることも。それをやっていかないと。今の日本の、なんていうんですかね、能率主義というか、ちょっとでもそこからだめになった人がどんどん落ちていくこの恐ろしい社会を変えていくにはどうしたらいいんだろうと思います。イギリスと日本は違うかもしれませんが。
司会/なるほど、そこには芸術をめぐるジレンマみたいなものがある気がしますね。つまり本来、芸術というものは、普段の、例えば学校や仕事など私達が生きているフレーム、枠組みの外に出るためのものだと思うんですけれども、例えばプロの芸術活動みたいなものを構築しようとすると、何だか元にあった社会の枠組みに合わせたような教育システムを作ってしまったり、劇場も何か既存の学校のような劇場になっちゃったりする。その方が、普通の社会の仕組みには当てはまりやすいので、なんとなくその方がきちんと社会的に機能するということになってしまい、だんだん芸術活動というもの自体の枠も、元々の窮屈な社会が作ってきた枠組みに自分で当てはめていく、はまってしまうというところがあるのかもしれませんね。
K/ゲイルさんがおっしゃっていた「対話」というのがやっぱりすごく大切で、それは私達がやっていることも共通するんですけど、多くの人と多くの人が対話するのではなく、一対一で対話していけば変えていけるものがあると思うんですよね。私はそこに何かこう、望みを持っている。演劇もそうですよね。観に行って、あれは一体何だったんだろうというふうに思いながら、自分で自分と対話するということもある。そういう機会を、こういう劇場や俳優の方々などがたくさん作っていけるかということなんです。
司会/そうですね。まさにその一対一で対応するとか、実際に生で出会う、例えばゲイルさんと出会う、ということ自体が、どんどん貴重なものになってしまっていると思うんですね。とりわけ、遠隔通信や映像の技術がここ1世紀ぐらいの間に急速に発達したために、逆に生で出会うことにコストがかかるようになってしまったわけですね。移動のコストもかかるし、時間もとられる。しかも一度に会える人は限られている。だからどんどん「人に会う」という経験が貴重なものになってしまっている。最近読んだんですけれども、人間にはミラーニューロンという神経回路があって、目の前にいる人の気持ちや意図を理解するための神経系というのがあるんです。例えば、私の前にいる人が楽しいのか、悲しいのかが分かるのは、このミラーニューロンというのがあるからで、相手が笑ってると自然に自分も相手の顔の筋肉の動きを模倣して笑ってしまって、それで「あ、この人も楽しいんだ」とわかる、というような機能があるんです。それが、どうやら映像でも一応反応するんだけれども、生で実際に会った時に比べて反応がだいぶ少ないらしい。例えば、猿や赤ちゃんで実験すると、映像ではほとんど反応しない。生じゃないと反応しない。だから、生で一対一で出会うことによって、初めて目の前の人がどう感じているのかとか、意図をどういうふうに受け取っているのか、どういうふうに考えているのかということが本当に伝わってくる。二人がお互いに影響しあって、二人とも変わっていくということが、実際に生で出会うっていうことの意義なんじゃないかなと思っています。
 
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ここで、ロバートさんや久保田さんがいらしてるので、もしお客さんの側からも、聞いてみたいことがありましたら、手を挙げていただければと思います。
 
会場より/お話ありがとうございました。私の息子のことをここで話そうか迷いもあったんですが、息子が自閉スペクトラム症を持っており、障がいの程度が重くてですね、暴力をふるって人に怪我をさせてしまうことがありました。お話を聞いて、この暴力というのが彼にとって今唯一の表現手段になっているのかなとずっと思っていたんですけれども。暴力が法律触れる、法律を犯すものであって、やはり容認されてはならないと思うんですが、彼の唯一の表現手段を違う形で社会と繋がれる、他の人に迷惑をかけない形に変えていくためには、どうしていったらいいのか、お二人に伺いたいと思います。
司会/ちょっと重い質問をいただきましたが久保田さんいかがですか?
K/もちろん暴力はいけないことだというのはあるんですけど、でも、やっぱり暴力に至ってしまう、その人の中の色んなものが絶対にあるはずなんですよね。それは、1人の親だけで対応するものではないと思うんです。つまり私もそうですけど、親子っていうのは最も関係が濃くて、どうにもならないもので、一番ちっちゃい世界ではあるけれども、一番ちっちゃいの世界でしかないんですよね。だから彼の暴力に対しての色んな人たちの見方を入れる。それは、暴力はいけないねっていうところから始まってはだめだと思うんですよ。そこが芸術の、美術とか芸術の夢は哲学ですよね。哲学みたいなものを取り込む良さなんですが、なんで暴力をするのか、なんで暴力を止めないのかっていう議論ではなくて、何で殴ってしまうという行為が生まれるのか、彼の中の何があるのか、それは何か変えがたいものなのか、変えられるものなのかという根源的な話を色んな人たちとしてかないといけないんだと思うんですよね。本人がいない場もあっていいんですけどね。私たちはそういうことを「哲学カフェ」とか「支援会議」でやるんですけど、絶対にやめるとかやめさせるとか、暴力はいけないという議論から入るともう見えなくなる。それが障がいなんですよ。私達がわかり得ないものがそこにあるというのが障がいなんだから、もうわからないことを前提にやっていかなければいけないんだと思う。相手の方のことを考えると辛いと思うんですけど。だからといって彼をどこかに閉じ込める、そういうことではないような気がするんですよね。だって障がいなんですよ。彼の中に相手を失明させたくて殴ったわけではないのかもしれない。いろんなストーリーがあるのかもしれない。そこを色んなふう、色んな人たちが想像しながら考えていかないと、私はそれは息子さんの人権侵害に至っていくと思っています。
司会/私たちがなかなかアクセスできないストーリーがあるということですね。
 
会場より/私は大学で働いていて、いろいろとアクセシビリティや障がいに関することを考えさせられる場面は多いんですけれども、大学や教育もそうですが、こういうことってはっきり言ってお金にならないことですので、やっぱり公共団体と国がもっと積極的に理解して援助していかないといけないと思うんです。国は高齢者問題に関しては熱心に取り上げますけど、障がいの問題に関して同じように取り上げるかというと、決してそうじゃない。なぜかというと、選挙の問題もあって、高齢者は選挙権を持っている数が多いけれども、障がい者の方はなかなか少ない。イギリスやスコットランドと日本ではだいぶ状況が違うと思うんですけれども、国や地方公共団体がこうすべきじゃないかという提言があれば、教えていただけないでしょうか。
R/2012年のロンドンオリンピックに向かう過程で、助成スキームのようなものが10個新設されて、そのうちの一つが障がいを持った人たちの芸術活動に特化したものでした。
そのプログラムの前に、私はアンリミテッドというプログラムで約30人の障がいを持った人と2012年に向けて作品を創りました。アンリミテッドの全プログラムの予算としてはだいたい400万ポンド。掛ける150が日本円ですので、計算していただいていければと思います。(約6億円)
それまで、これだけの規模の公共文化投資が、障がいを持った人たちに行われたことはなかったので、この機会に障がいを持ったアーティストの価値であるとか、認知というのは非常に高まったなというふうに思います。そのプログラム自体はうまくいったので、それから隔年で、偶数年にずっと行われています。
これはイギリス全土での非常に大きなイベントでして、そこで作られる作品は大きな価値が与えられて評価も与えられたと思います。世界中から見に来る人もいますし、ジャンルとしても美術それから舞台芸術、各ジャンル全てを網羅しています。
一つ言えることは、お金の投資があればその結果というのは必ず出てくるものであるということです。そして2012年という、障がいを持ち作品を創れる人が揃っている段階でその投資があったということが大きかった。活動が始まっていて、そういう段階を経たことが重要だったんじゃないかと思います。ある種、オリンピックという一つの契機があって、それが実現したということだと思います。
K/日本にもある程度、団体がありますよね。例えば知的障がいだったら育成会などあるんですが、そういう団体が意見を吸い上げてちゃんと制度に、議員さんを通して国に、政治にちゃんとアプローチしていく方法はある。障がいの人たちは基本的にマイノリティーですから、マイノリティーの人たちを政策にねじ込んでいくやり方は、政治家たちはある意味上手なので、そういうものをちゃんと使ってやっていかなければいけない。ただその時、バックになるのは誰かというとやっぱり当事者の人たちなんですよね。当事者の人たちがやっぱり声を上げないことには、どうにもならない。家の中でグズグズ言っていてもだめで、ちゃんと選挙に行くとかもそうですけど。そういう団体に参加して、そういう場で表明していくということを、地道にやっていかないといけないなって思っています。
でも私そういう活動苦手なんです。私たちがやっている活動はどちらかというとゲリラ戦で、要するに大勢の人をいっぺんに変えるのは政治だと思うけれども、私はそれ得意じゃないんです。その基礎を築くのがやっぱり社会だと思っているから、地味ですけど一人一人から変えるしかないと思っている。それで観光事業なんですよ。もう要するに観光。毎回5人6人の人たちが来るけれども、そのうち全員ではくても3人か4人わかってくれればいいなと思う。障がい者って結構面白いじゃんとか、自分の価値観は凝り固まっていた、ちょっときつかったなと思ってくれるところから、公共交通機関で騒いでいる人がいてもなんとなく優しく見守ってくれるとか、それから学校で排除されそうになっている子どもがいたときに声がかけられる人が育つとか、本当そういうことだと思うんですよね。だから諦めずにアクションしていくしかない。
私みたいに重度の子どもがいながらも活動が出来るっていうのはちょっと異常なところもあると思いますし、そういう人ばかりではないけれども、自分に与えられたポジションの中でやっぱり表明していく。自分の意見をちゃんと言っていく。そこは多分、イギリスと違うと思うんですよ。日本人は言わないんですよ。言うと恥ずかしいとかハブにされるとか、ひどい目にあうっていうふうにどうしても思えてしまう。でもそうじゃなくて、やっぱり言っていかなければ変わらないって勇気?なんだろう、そこは忖度しないという風土を作っていかないと、どうにもならないと思います。
司会/ありがとうございます。お二人に共通しているのは、その当事者の声を届けるための場なり仕組みなりを作ってこられたということだと思います。
今日これからご覧いただく『マイ・レフトライトフット』という作品も、まさに当事者の声というものに関する作品だと思うんですね。ちょっとだけ内容をお話しておくと、少し前の映画「マイ・レフトフット」という名優ダニエル・D・ルイスが演じた脳性まひの青年の役を、プロがやるのか、あるいは実際に脳性まひの人がやるのかというようなことが一つの争点になっている作品です。当事者の声を実際にこうやって生で聞く場を作るということは、コストもかかるし手間もかかる、いろいろ面倒やリスクは常にあると思うんですけれども、そういったリスクを引き受けて作っていくということを久保田さんもロバートさんもこれまでなさってきたんだと思います。お二人に敬意を表して、今後、私達の活動ももっと広げていければいいなと思いました。本日はロバートさん、久保田さん、どうもありがとうございました。
 
<関連リンク>
★「ふじのくに⇄せかい演劇祭2019」前半レポート 
★「ふじのくに⇄せかい演劇祭2019」後半レポート 

2019年5月29日

「ふじのくに⇄せかい演劇祭2019」後半レポート

早いもので5月も後半。ゴールデンウィークにパフォーミングアーツで賑わった静岡の街にも、日常が戻りました。「ふじのくに⇄せかい演劇祭」後半の4日間を、写真とともに振り返ります!
★前半レポートはこちら
 
5月2日(木・休)

五月晴れで迎えた演劇祭後半は、スコットランドのミュージカル『マイ・レフトライトフット』で幕を開けました。「インクルーシビティ(包括性)」をテーマにした作品ということで、静岡芸術劇場には、筆談に応答できる「コミュニケーションボード」や休憩案内の文字情報パネルを持ち歩くスタッフの姿も。さらに来日したカンパニーのリクエストで、「ジェンダーフリートイレ」の表示や、「カームダウン」ルームも仮設されました。
そして開演!冒頭から、明るくエネルギッシュな歌声が響き、客席からは度々拍手が起きます。
 
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パワフル!そしてブラックユーモアも満載!! [撮影:平尾正志]
 
「コメディであること、笑える要素があることが非常に大事。周りの世界を笑う、それから自分たちを笑うことによって対話が生まれる」。自らも障がいを持ちながら、スコットランドの舞台業界の一線で活躍する演出家、ロバート・ソフトリー・ゲイルさんの言葉通り、障がい者に対する固定観念や、障がいそのものをも明るく笑い飛ばす一級のミュージカルは、観客に鮮烈な印象を残しました。
 
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「障がい者を演じる」、難しいテーマにも関わらず会場は始終笑いに包まれた。[撮影:平尾正志]
 
上演に先立ち、午前中には「クリエイティブ・アクセシビリティについて考える」というテーマのシンポジウムが行われました。演出家のロバート・ソフトリー・ゲイルさん、浜松市で活動するNPO法人クリエイティブサポート・レッツの久保田翠さんにお話いただきました。(トーク内容は、携帯アプリを使って文字情報としても提供されました)
 
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「障がいのある人たちの物語を舞台で具体化すると、彼らの姿が見えるようになる。それを観てもらうことで話ができるようになり、対話が生まれる」と語るゲイルさん。 [撮影:猪熊康夫]
 
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「芸術には、様々な人たちを包括していく力がある」と話す久保田さん。 [撮影:猪熊康夫]
 
劇場、観客、そしてアート、表現。自由だと思いがちな場にも、健常者が作った様々な「フォーマット」や「ルール」、そして「壁」「枠」が存在する。障がいを持ちながら舞台芸術の一線で創作を行うゲイルさんは、その枠の中から「壁」を壊し、今や目標とされる存在に。対して「表現未満、」などのプロジェクトで、障がいをもつ方々の自由な表現活動を支える久保田さんは、既存の「枠」を常に問い直すことで芸術の可能性を拓く。障がいの有無に関わらず、誰もが芸術ひいては社会にアクセスしやすくなるためのヒントを沢山いただいたトークでした。
★より詳しいレポートはこちらから。
 
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[撮影:猪熊康夫]
 
2日には、いよいよ駿府城公園での『マダム・ボルジア』も開幕!
夕暮れ時、紅葉山庭園前の特設会場では、「青年貴族」と呼ばれる俳優たちによる観客への口上が始まり、広場には笛や太鼓の音が響きます。
 
11_Inokuma_0929[撮影:猪熊康夫]
 
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観客は青年貴族に率いられ、“領民”となって客席へ。[撮影:日置真光]
 
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日が暮れ始める広場で、前半の舞台。 [撮影:猪熊康夫]
 
前半の舞台は、「水の京(みやこ)」(原作ではヴェネツィア)。楽師を乗せた小舟・・・ならぬトラック(!)が場内に到着し、戦国風の衣裳を着た青年貴族たちが、悪名高きルクレツィア・ボルジアのウワサ話を寸劇で披露します。仮面をつけたルクレツィアが現れ、生き別れた息子ゼンナロと再会するも、ゼンナロの友人たちに侮辱を受け失神・・・そしてトラックで退場〜(♪)突飛な演出に、会場も沸きます。
と、ここで観客は後半の会場、「高嶺の国」へと再び移動します。
 
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色鮮やかな屏風絵が並ぶ後半の舞台。[撮影:平尾正志]
 
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[撮影:日置真光]

 
後半は、毒を飲まされたゼンナロと、母だと打ち明けられぬまま息子を救いたい一心のルクレツィアの息もつかせぬ展開。緊迫した長ゼリフの応酬に、夜間の冷え込みにもかかわらず集中した空気が立ちこめ、終演後は客席から温かい拍手が送られました。
「劇場の境界線をできるだけなくしたい」、宮城の想いは、現実の世界と作品世界とを緩やかにつなぐ〈広場を取り囲む低い客席〉や〈役者たちによる誘導〉などで形となり、また、役者、技術スタッフ、制作スタッフそしてボランティアクルーが一丸となって「観客500人の移動」が実現しました。来場いただいたお客様によってその「場」が完成した感慨はひとしおでした。
 
そして、今年の演劇祭の夜はここで終わらない・・・
「しりあがり寿presentsずらナイト」が、ガーデンカフェ ライフタイムでスタート!
「“ずら”はカツラのヅラじゃないんですよ〜、東海道ずらベルト、静岡の方は方言で♪」、しりあがりさんのゆる〜いトークで始まったトーク&ライヴイベントは連日大盛況!落語女子♡や音楽ライヴを楽しみに来られる方も、フェスティバルの夜を満喫しました。
 
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千穐楽を迎えたばかりの宮城聰が登場し、建畠晢さん・しりあがり寿さんとで『マダム・ボルジア』を批評する夜も。
 
5月3日(金・祝)〜6日(月・休)

3日から、静岡市街地で「ストレンジシード静岡」が始まりました!静岡市役所周辺や商店街など、街のあちこちでストレンジシードの“黄色”が目に留まります。
 
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大階段ステージにてFUKAIPRODUCE羽衣 [撮影:平尾正志]
 
今年は全国、そして海外からも注目のアーティストたちが静岡に大集結!そして開催場所のバリエーションも豊か!!
 
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駐輪場を舞台にした作品を、実際に駐輪場で上演した「ロロ」 at駐輪場ステージ(静岡市文化会館前)[撮影:平尾正志]
 
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市役所ドームをバックに「劇団短距離男道ミサイル」 at水上鏡池ステージ(静岡市役所 敷地内広場)[撮影:平尾正志]
 
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1934年に建てられたレトロなエントランスで「ホナガヨウコ企画」 atレトロステージ(静岡市役所 本館)[撮影:猪熊康夫]
 
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「Magik Fabrik」(フランス)の無言劇に観客も飛び入り。 atレトロステージ(静岡市役所 本館)[撮影:猪熊康夫]
 
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愛情表現とケンカは表裏一体?! スペインから来日「HURyCAN」 at階段ステージ(静岡市役所 敷地内)[撮影:猪熊康夫]
 
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芝生の上に言葉と動きが転げ回る「ままごと×康本雅子」 at芝生ステージ(駿府城公園内)[撮影:平尾正志]
 
静岡市民ギャラリーの一室を使った「範宙遊泳」は、“子どもも見られる作品”ということで最前列に子ども席を設け、大人も子どもも独特の劇世界に引き込みます。

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山梨から静岡にやってきた男と人魚♡ 「範宙遊泳」 atギャラリーステージ(静岡市民ギャラリー)[撮影:平尾正志]
 
コンテンポラリーダンスの熱いパフォーマンスからも、目が離せません!
先鋭的、同時代的な表現に、老若男女問わず誰もが触れることができる、しかも無料で!この場所から新たな観客が生まれる、そんな期待もふくらみました。

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ドラムとの熱いセッションを繰り広げた「山田うん」 atレトロステージ(静岡市役所 本館)[撮影:猪熊康夫]
 
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限界まで踊るダンサー(大熊聡美)、大通りの向こうにも立ち止まって観る人の姿が。「黒田育世(BATIK)」 at階段ステージ(静岡市役所 敷地内)[撮影:猪熊康夫]
 
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目抜き通りの交差点をジャックする「川村美紀子×米澤一平」 at 十字路ステージ(札の辻)[撮影:猪熊康夫]
 
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一般公募の参加者と創作、「いいむろなおきと静岡ストレンジシーズ」at芝生ステージ(駿府城公園内)[撮影:平尾正志]
 
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七間町通りを闊歩する「壱劇屋」と観客たち at十字路ステージ(札の辻)[撮影:平尾正志]

静岡では、大道芸ワールドカップが定着していることもあって、観客の受け入れ方がとても柔軟で懐が深いと感じました。参加したアーティスト同士もジャンルに関係なく交流し、フェスティバルならではの時間と空間が街中にあふれていました。
 
5月4日(土・祝)

街がストレンジシードで盛り上がる中、演劇祭の恒例となった「広場トーク」も行われました。この日は昼過ぎから急に黒雲が・・・、小雨の中でトークはスタート!しかしこの雨が、登壇者と聴衆の距離をぐっと縮めてくれました。
 
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左から:司会の中井美穂さん、劇作家の石神夏樹さん、静岡県文化プログラムのコーディネーターなど務める鈴木一郎太さん、作曲家の原田敬子さん、SPAC芸術総監督の宮城聰。[撮影:猪熊康夫]
 
「アートは地域に何をもたらすか?」というテーマで、ゲストと宮城がそれぞれのフィールドでの体験を紹介。
インドネシアで現地の人々と演劇作品を創った石神さんは、迷惑をかけること、損をすることを恐れない、地域に入って生まれる「清算できない関係」の魅力を。鈴木さんは、生活者がそこにある状況をなんとかしようと「何かしている」、その姿自体がアートワークに近いという感覚から様々なプロジェクトを立ち上げていることを語りました。

42_Inokuma_1033「空気を読まずに面白いと思ったことを作品にする。体当たりで何かが起きることが多い」と語る石神さん。[撮影:猪熊康夫]
 
43_Inokuma_1038「もともと演劇をやってないんです。演劇祭で創った作品では、観る側が演劇だと勝手に解釈してくれて・・・」と自然体の鈴木さん。[撮影:猪熊康夫]
 
また、作曲家としての活動と並行し、長年、奄美郡歌の調査研究を行う原田さんは、「生活を伴う言語と、それに即した発声法」に魅せられているという。「地域にいなかった人(アーティスト)が入ってくることで、地域の人が気付く」こともあり、アーティストが地域から受け取りお互いに発見し合うというお話に、他のパネリストも共感していました。
静岡での活動が13年目を迎える宮城は、「ここ5年、自分の作品が変わってきた」こと、そして静岡で観客を想像しながら創ることで「ちょっとだけ普遍性が増したのでは」という実感を語りました。
 
44_Inokuma_1027「最初は不審者(笑)。でも地域のことを、地元の人以上に知っている事があると、入っていける」と話す原田さん。[撮影:猪熊康夫]
 
5月6日(月・休)

迎えた演劇祭最終日。5日から静岡芸術劇場で上演され、演劇祭のラストを飾ったのは、ピッポ・デルボーノ演出の『歓喜の詩(うた)』
「この作品は、ボボーの死から蘇ります」、こんな言葉から作品は始まりました。
 
51_MG_1591 2[カンパニー提供写真 / 撮影:Luca Del Pia]
 
52_MG_0408[カンパニー提供写真 / 撮影:Luca Del Pia]
 
長年、世界中を旅しながら活動を共にし、集大成と言うべき本作にも出演していたボボーが今年2月に亡くなり、失意の只中にあるデルボーノと仲間たち。
ボボーが座るはずの椅子に、彼はいない。「喜びはどこに?」、舞台上にはボボーの「不在」が在り、彼らの苦しみと愛情が痛いほどに伝わってきます。しかしそこにはまた、様々な境遇の中で傷ついた心の再生、そして全身で今を肯定するパフォーマーたちの存在があり、詩や戯曲などから引用されたデルボーノの言葉の数々が。最後に花々が舞台を埋め尽くし、私たちもいつの間にか生きる希望の只中にいる、そんな舞台でした。

53_MG_4253
[カンパニー提供写真 / 撮影:Luca Del Pia]
 
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[カンパニー提供写真 / 撮影:Luca Del Pia]
 
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温かい拍手がいつまでも続いたカーテンコール。[撮影:平尾正志]
 
終演後に行われたアーティスト・トークでは、宮城が「同い年の大切な友人ピッポ」への言葉を贈り、トーク後は固い握手が交わされました。
 
56_HO063375 [撮影:平尾正志]
 
57_P2110896 [撮影:平尾正志]
 
開催20回目という節目の演劇祭。劇場で観る作品の幅広さ、奥深さ、そして街へ飛び出したパフォーミングアーツの可能性、広がりも感じていただけたのではないでしょうか。初めての10連休、走り抜けた!という感覚とともに、20年という時間の中で、劇団SPACが作る演劇祭がお客様とともに歩いてきたのだな、という感慨も。
また来年、どんな作品との出会いがあるのか、私たち自身も楽しみにしています。
SPACの今後の活動にも、ご注目いただければ幸いです。

(テキスト:制作部・坂本彩子)

2019年5月17日

「グッドデザイン賞とロングライフデザイン」イベントレポート

去る4月21日、D&DEPARTMENTで開催された「d SCHOOL」出張版トークツアーのゲストとして、SPAC芸術局長の成島洋子が登壇しました。
「グッドデザイン賞とロングライフデザイン」をツアーテーマに、日本デザイン振興会の矢島進二さんとD&DEPARTMENTのナガオカケンメイさんが、「良いデザイン」「ながく続くデザイン」とは何かをトーク。
ツアー先の土地のグッドデザイン受賞者をゲストに、ということでお声がけいただきました。
少し日が経ってしまいましたが、今回のブログではこちらのトークイベントで語られた内容を抜粋してご紹介します!
 
SPACは2018年度グッドデザイン賞(主催:公益財団法人日本デザイン振興会)を受賞しました。
舞台芸術作品の創造・上演とともに、優れた舞台芸術の紹介や舞台芸術家の育成を事業目的として活動し、静岡から世界レベルの演劇を発信して国際的な文化交流を図っているという、その活動が一つのデザインとして高く評価されました。https://www.g-mark.org/award/describe/48284
 
D&DEPARTMENT SHIZUOKA by TAITA
47都道府県に1か所ずつ、現地のパートナーと共につくる拠点「D&DEPARTMENT」の2店舗目としてオープン。
過去には、2014年に宮城聰がトークイベントに登壇したり。(関連ブログ:【『グスコーブドリの伝記』の魅力 #10】 宮城聰が発見したこと
2017年に発刊されたガイドブック「d design travel 静岡」ではSIGHTおよびPEOPLEのページでSPACが取り上げられています。
今年の演劇祭では開催前~期間中にかけて、店舗内に20年間の歩みをたどることができる資料などを特別に展示。さらに、「ご近所ぐるぐるマップ×ふじのくに⇄せかい演劇祭」も作ってくださり、演劇祭を応援してくださいました!

 
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▲「ご近所ぐるぐるマップ」お客様に好評でした!
 
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▲左からSPAC芸術局長・成島洋子、日本デザイン振興会・矢島進二さん、D&DEPARTMENT・ナガオカケンメイさん
 
矢島 まずは、受賞したときの思いを聞かせてください。
成島 ほっとしました。そもそも応募のきっかけは、審査員からの推薦(*)だったんです。それこそグッドデザイン賞といえばプロダクトデザインの賞というイメージだったので、戸惑いながらでした。すべてが暗中模索というか、これで果たしていいんだろうか?と思いながらやっていました。ですので受賞自体はほっとしたという感じでした。
(*)「グッドデザイン賞」にふさわしいと思われる企業・団体・取り組みを審査員から推薦。推薦を受けた場合には一次審査をパスし二次審査から参加できる。
 

▲トークイベント参加の皆様にご覧いただいたSPAC紹介映像
 
ナガオカ 静岡の人はSPACがあるから、どこの県にもあると思うかもしれないけど、日本でも珍しいことですよね。
成島 劇場に来ていただいて演劇を観て楽しんでいただくということはもちろんですが、それ以外にもいろんなレベルで、地域のなかに劇場があり劇団がある・アーティストが住んでいるということが、地域にとって意味がある。このことを実現していけたらいいなと思っています。
矢島 サッカーとかラグビーとかのチームが地域に根付いているように、県が劇団をつくって演劇の魅力を広めていきたいということですよね。
成島 そうですね。質の高いものを作り続けながら裾野は広く、を心がけています。劇場に来ない人も何らかの形でSPACに関わる・アクセスするチャンスが出てくるように。例えばお子さんが学校の鑑賞事業でSPACを観に行く、街中でのパフォーマンスからSPACを知るということであったり。20年常に万全ではなく、フロンティアという感じでやっています。
 
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成島 ありがたいなと思ったのは、SPACは演劇公演やフェスティバルなど、イベント・事業ベースで捉えられがちなんですけれども、「グッドデザイン賞」というのをいただくことでSPACは”在り方そのもの”なんだ、ということを応援していただいたような感じがあります。
矢島 劇場のデザインでもなく、舞台の一つの作品でもなく、長きにわたる活動の実績と県民との関わりそのもの。さらに劇団だけではなく劇場を運営していく体制・仕組みを持っている、ということが評価されたのだと思います。「グッドデザイン賞」を受賞して変化はありましたか?
成島 静岡にはたくさん大企業があり、例年グッドデザイン賞をとっている企業があるなかで、SPACが受賞するということは自分たちも驚きでしたし、外部の人にも知っていただける機会になったのではないかと思います。繰り返しになりますが、デザインといっていいような活動・在り方そのものなんだということが伝えられたのではないかと。
ナガオカ 20年もやっていればお子さんだった人が劇場に来たりだとか、ありそうですよね。
成島 小学校1年生のときから知っている色んな人材育成事業に参加していた子が今SPACの舞台に出ていたり、世代をまたぎながら来てくださる方々がいたりしますね。つい先日、静岡芸術劇場開館20周年ということで記念式典も行いました。
(関連リンク:朝日新聞(2019.4.19) 静岡芸術劇場20周年 宮城聰さんに仏勲章

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ナガオカ 「ふじのくに⇄せかい演劇祭」についても教えてください。
成島 普段は劇団が作った作品を年間通して劇場で上演しています。「秋→春のシーズン」では「もし演劇の教科書があったら」という観点で宮城が作品を選び上演しているのですが、ゴールデンウィークの10日間だけはエッジのきいた作品を招聘・上演しています。
この期間海外から100名くらいのアーティストが静岡に来て、舞台芸術公園だったり静岡の街中に滞在します。今の時代、映像でいろんな国の情報が入ってきますが、生身の人間がやっていることを見る、というのはなかなかありません。たとえば今までだとシリアのような紛争地域で起きていることを作品にしていたり、自ら障がいがありながらインクルーシビティを社会の中に開いていこうという作品を作っていたり。
異質なものに出会えるのが「ふじのくに⇄せかい演劇祭」です。人間ってこんなに多様なんだということが海外のカンパニーに会うと本当に実感します。
矢島 いまのお話を聞いて「演劇は世界を見る窓」というキャッチフレーズ、そしてそれを長く実践されてきているんだなということがよくわかりました。
 
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成島登壇の第二部だけでなく、全編通して「デザイン」についてじっくり考えることのできるイベントでした。
ご来場いただきました皆様ありがとうございました!このあとも矢島さん・ナガオカさんによるトークツアーは、5月18日(土)東京、26日(日)京都と続きます。詳しくはこちらをご覧ください。
SPACは「ふじのくに⇄せかい演劇祭」が終わって間もないですが、6月には『イナバとナバホの白兎』の上演・そして海外ツアーが控えています!夏には人材育成事業、それが終わると「秋→春のシーズン」5作品です。ぜひ演劇祭だけでなく、年間通してSPACの活動に注目していただければ幸いです。静岡でお待ちしています!
 
<関連リンク>
2019年度上演ラインナップ
ステージナタリー特集記事 「ふじのくに⇄せかい演劇祭」から「メナム河の日本人まで」宮城聰×今井朋彦対談
チケット好評販売中!6月8日・9日『イナバとナバホの白兎』
人材育成事業 参加者募集がはじまっています!
【参加者大募集!】SPACシアタースクール2019『オフェリアと影の一座』
「SPAC-ENFANTS-PLUS=スパカンファン-プラス」新メンバー募集のお知らせ

2019年5月4日

「ふじのくに⇄せかい演劇祭2019」前半レポート

GWは早くも折り返し、「ふじのくに⇄せかい演劇祭」は今年も連日賑わっています!開催20回目を迎えた演劇祭前半4作品のチケットは、開幕前に全てソールドアウト。「平成」から「令和」への改元で巷が湧く中、「GWは静岡へ!」の合言葉が浸透してきたことを実感しながら迎えた10連休。4月27~29日、前半の3日間を写真とともにレポートします♪
 
4月27日(土)

『Scala-夢幻階段』開幕初日は、土砂降りの雨とともに始まりました。強まる雨にも関わらず、静岡芸術劇場には続々とお客様が来場され、ロビーはこれから始まる祭典への期待と高揚感に包まれます。
 

SPAC芸術総監督の宮城聰が、劇場入り口でお出迎え。[撮影:平尾正志]
 
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2Fロビーでは、これまで開催した20回のポスター展も。[撮影:平尾正志]
 
開幕作品の『Scala-夢幻階段』は、世界的に注目されているヨアン・ブルジョワ氏の日本初上演作ということで、静岡はもちろん、首都圏をはじめ遠方からも多くのお客様が。劇場に一歩足を踏み入れると、舞台には階段がそびえ立つグレートーンの大きなセットが目に飛び込みます。
 
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[カンパニー提供写真 / 撮影:Géraldine Aresteanu]
 
舞台に男が現れ、不意に壁の額縁が落ち・・・。日常的な動作が行きつ戻りつし、時間軸が次第に歪んでいくかのよう。全てが目の前で起きていることだとわかりながらも、観客は非現実的な浮遊感に包まれます。ブルジョワ独特のセンスとユーモアに、笑いが起こるシーンもしばしば。人間離れした動きの連鎖が生む濃密な60分、観客は舞台に釘付けになりました。
 
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[カンパニー提供写真 / 撮影:Géraldine Aresteanu]
 
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トランポリンを使ったアクロバットに、思わず拍手が起こる。[カンパニー提供写真 / 撮影:Géraldine Aresteanu]
 
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カーテンコールには熱い拍手が送られた。[撮影:平尾正志]
 
初日の舞台芸術公園では、「開幕式」も行われました。昼から降り続いた雨が奇跡的に止み、新緑が目に鮮やかな野外劇場前広場に、大勢のお客様が集います。
SPAC芸術総監督宮城聰の挨拶、そして難波喬司静岡県副知事のご祝辞に続き、駿府城公園で上演される『マダム・ボルジア』のSPAC俳優たちによる「開幕パフォーマンス」が、賑々しく行われました。
 
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「開幕パフォーマンス」の笛や太鼓の音色が広場に響く。[撮影:猪熊康夫]
 
開幕式の後は、いよいよ宮城聰が演出するSPAC作品、『ふたりの女 平成版 ふたりの面妖があなたに絡む』を野外劇場「有度」で上演。
 
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[撮影:猪熊康夫]
 
廃材の柱を組み上げた舞台美術が、今回も見事に再現されています。2015年と同じキャストで、それぞれに4年という月日を重ねた俳優たちが、唐十郎が紡ぐ珠玉のセリフ群を一層丁寧に観客に渡しているように感じました。宮城のサプライズ出演のワンシーンも健在!客席が大いに湧きます。俳優たちの吐く息が白くなるほどの冷え込みにもかかわらず、満席の会場は集中した空気に包まれました。
 
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[撮影:2枚目/平尾正志、その他/猪熊康夫]
 
終演後の冷えきった体には、カチカチ山の「フェスティバルbar」が待っています。今年は静岡おでんも登場!地元のおいしいものをほおばりながら、俳優たちとの語らいにも花が咲きました♪
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[撮影:猪熊康夫]
 
4月28日(日)

2日目の朝には、『Scala』の出演者によるワークショップを開催。講師を務めたのは、ブレイクダンスやコンテンポラリーダンスをバックグラウンドに持つメヘディ・バキさん、スタント俳優出身でアクロバットを得意とするルカ・ストゥルナさん。そして、『Scala』のアーティスティック・アシスタントとして来日した津川友利江さんも、通訳兼アシスタントとして30名の参加者とともに作品の“秘密”の一端に触れました。
 
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ウォーミングアップもユニーク。相手との距離を感じながら歩く参加者とメヘディさん。
 
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1人の体を数人で持ち上げる。体を委ね、浮遊しているような感覚を体験。
 
27日(土)・28日(日)、2日のみの貴重な上映となったのが、グランシップ映像ホールで上映されたドキュメンタリー映画『コンゴ裁判 〜演劇だから語り得た真実〜』。作品は、コンゴで起きている虐殺や環境汚染に関する「模擬裁判」を記録したドキュメンタリー映画。国際企業によるレアメタル争奪戦により、地元住民の土地は奪われ、河川が汚染され、民族紛争や貧困による様々な犯罪の連鎖が起きている。そして加害の一端に、携帯電話などの電子機器を消費する私たちの生活がある、という極めて重い事実が観客に突きつけられました。そしてフィクションである演劇が、実社会における真実を炙りだす役割を持ち得ることも実感しました。
 
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[カンパニー提供写真]
 
4月29日(月・祝)

『Scala』は、最終日も満員の客席から惜しみない拍手が送られ、終演後には出演者全員によるアーティスト・トークが開催されました。
 
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[撮影:平尾正志]
 
お客様には、アーティストに聞いてみたいことを「質問カード」に書いていただき、宮城がその質問をアーティストに投げかけていきます。驚くほどたくさんのカードが寄せられた中で、7人のバックグラウンドに関する質問に、サーカス、アクロバット、スタント、ブレイクダンス、演劇、さらにクライミングやボクシングなど、パフォーマーたちが自身の表現の源となっているフィールドを紹介。様々なテクニックとアイディアがこの作品に結集していることが改めて知れました。
 
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「私たちは異なる道をたどってここに集まった」、そう話す出演者たち。[撮影:平尾正志]
 
演劇祭前半の最後を飾ったのは、27日から舞台芸術公園の屋内ホール「楕円堂」で3公演を行なった韓国の『メディアともう一人のわたし』
 
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水を湛えたセットの両側で演奏する俳優たち。[撮影:猪熊康夫]
 
前半、メディアが後に夫となるイアソンたちと遊ぶ幼少時代は、どこまでも無邪気でコミカル!しかし幸福な時間も束の間、ストーリーの大胆な省略と飛躍が、裏切った夫への復讐に駆られるメディアの感情を加速させていきます。嫉妬に狂うメディアと、子どもたちへの情愛に苦しむもう一人のメディア。二人の俳優の感情が頂点に達し復讐が成し遂げられた時、世にも恐ろしい場面にも関わらず涙する観客もちらほら。日常では経験しないような激情に引き込まれ、観る者の心もまさに“引き裂かれる”ようでした。韓国演劇の底力を感じる舞台で、前半戦が終了しました。
 
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楕円堂の扉を開け放ったラスト、赤いセットに新緑が映える。[撮影:猪熊康夫]
 
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演出家のイム・ヒョンテク氏や韓国チームと。お疲れ様でした![撮影:平尾正志]
 
演劇祭は早くも後半戦に突入!3日からはいよいよ「ストレジシード」も始まり、ジャンルはさらに広がります。まだ演劇祭のチケットも好評発売中!残りの日程もどうぞお見逃しなく。

(テキスト:制作・坂本彩子)

★後半レポートはこちら

2019年4月30日

『マダム・ボルジア』ブログ5 ~あらすじ編~

こんにちは。
制作部の宮川です。

いよいよ「ふじのくに⇄せかい演劇祭2019」が開幕しました!

『マダム・ボルジア』チームは、静岡芸術劇場内での稽古を終え、駿府城公園での現地稽古に入っています。雨が降ったと思ったら晴れてきたり、またいきなり風が吹き始めたりとコロコロお天気が変わる中、俳優とスタッフが一丸となってリハーサルを進めています。

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SNSにリアルタイムでの写真もアップしておりますので、ぜひそちらの方も覗いてみてください!(Instagram:spacshizuoka

そして『マダム・ボルジア』ブログ5回目では、作品のあらすじを稽古写真と共にお届けいたします!

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

物語はとある夜の出来事から始まります。

主人公のルクレチア・ボルジア(=ルクレツィア、美加理)は、悪名高いボルジア家の令嬢として常に世の注目の的。
そんな彼女には、訳あって幼い頃に自分の手許から離した最愛の息子・ゼンナロ(=ジェンナロ、大内米治)がおり、ある夜、偶然にも息子を探し当てます。
 
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自らが母であることを隠したまま、ゼンナロの未だ見ぬ母への想いに耳を傾けるルクレチア。
 
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しかし、再会の喜びの最中に、突如として現れた、ボルジア家に恨みを持つゼンナロの友人である青年貴族たちから、ひどい辱めを受けてしまいます。
 
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許し難い侮辱を受けたルクレチアは、腹心の部下・九平太ぐべいた(=グベッタ、阿部一徳)とともに復讐の夜宴を決行!そこで青年らを毒殺しようと企てます。
 
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そんな最中に、ボルジア家の家紋を汚すいたずら事件が起き、ルクレチアは夫である在本蔵あるほんぞう(=アルフォンソ、大高浩一)に犯人の死を誓約させます。
 
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しかし、捕らえられた犯人はまさかのゼンナロ!!
 
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ゼンナロの運命は如何に?!
 
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そして、様々な人物の感情と思惑が往き交う先には衝撃の結末ラストが…!
 
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「ヴィクトル・ユゴーの作品って少し物語が難しいのでは…?」と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、全く心配御無用。
原作はルネサンス期・イタリアの物語ですが、今回の演出では戦国時代の日本に舞台を移しますので日本人の私たちにも馴染みやすく、物語はまるでメロドラマを見ているかのように繰り広げられますので、どなたでも気軽にご覧いただけると思います!
 
そして俳優たちによる生演奏はもちろん、今回は太田垣悠さん振付のダンスシーンもありますので、ぜひお楽しみに♪
 
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〈太田垣悠さん(右手前)による振付の様子〉
 
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ゴールデンウィークの後半は、駿府城公園で皆様をお待ちしております!!
 

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『マダム・ボルジア』
構成・演出:宮城聰
作:ヴィクトル・ユゴー
訳・翻案:芳野まい
音楽:棚川寛子
振付:太田垣悠
出演:SPAC

公演日時=5月2日(木・休)、3日(金・祝)、4日(土・祝)、5日(日・祝)各日18:45開演
会場=駿府城公園 紅葉山庭園前広場 特設会場
上演時間=未定(120分以内) ※日本語上演/英語字幕
*詳細はコチラ
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2019年4月29日

『マイ・レフト/ライトフット』を見て、ちょっと先の日本の社会を想像する

SPAC文芸部 横山義志

昨年スコットランドのエジンバラ演劇祭に行って、見てきたなかで圧倒的におもしろかったのがこの作品でした。

脳性まひで左足だけを動かすことができる青年が作家になり、画家になる感動の物語を、名優ダニエル・デイ・ルイスが演じて大ヒットした『マイレフトフット』。スコットランドの小さな劇団で、「最近インクルーシブな演劇とか流行ってるから、『マイレフトライトフット』みたいなのをやってみようか?」という話になり、最近売れていなかった俳優が「ああいうのをやるとアカデミー賞を取れるんだよね」といって、脳性まひの青年役を演じようとします。そこで、劇団のスタッフをしている右足が不自由な青年がいるので話を聞いてみようということになったのですが、青年は自分が出演するものと思い込んでしまいます。そして青年がためらいながらも勇気を振り絞って稽古場に行くと、脳性まひをノリノリで演じている別の俳優が・・・。

かなりブラックな障がい者差別ネタが連発されるのに、なぜか素直に笑えて、なんだか前向きな気持ちになれる、不思議な作品です。

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「インクルーシブ(包括的な)」という言葉は、最近英語圏で「障がいのあるなしにかかわらず参加することができる」といった意味でよく使われる言葉です。とくにスコットランドでは、様々な分野で、障がい者が参加しやすい仕組みがつくられています。エジンバラ空港から市街に行くバスの観光案内ビデオにも手話通訳がありました。この作品にも、歌に会わせて踊るように手話をするイギリス手話通訳の方が参加しています。この作品は、障がい者と健常者が一緒に作品を作っている「バーズ・オブ・パラダイス」という劇団が主体となって作られました。同劇団の芸術監督で作・演出のロバート・ソフトリー・ゲイルさんも脳性まひの方で、スコットランドではけっこう有名人のようです。ゲイルさんはこの作品で、障がいをもつ当事者の視点から、「健常者」の無理解を笑い飛ばしています。

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スコットランドってどこにあるか、ご存じでしょうか。実は私も去年初めて行ったのですが、「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス)」を構成する国の一つで、グレートブリテン島の一番北にあります。日本でいえば青森県といった感じでしょうか。中世から栄えていた古都エジンバラは夏でも涼しく、雨もよく降って、8月なのにコートが必要な日もあったりします。そんなエジンバラが一ヶ月間、演劇で埋め尽くされます。この作品はスコットランド国立劇場のプロデュースで、エジンバラ演劇祭のメインプログラムの一つとして上演されていました。

スコットランドの俳優さんたちを見ていると、妙に親近感を持ってしまいます。いかにも「美男美女」という方はあまりいなくて(失礼!)、むしろ「どうせ私なんて」という感じのたたずまいだったりするのですが、ちょっと歌ったり踊ったりするとすごくパワフルで、ふだん内に秘めているものがあるんだろうな、と感じさせられます。この作品に出ている俳優さんたちは、まさにそんな感じです。ジェンダーバランスの面でも日本よりかなり進んでいて、演劇界でも女性の活躍が目立ちますし、ゲイルさんのように同性のパートナーがいる方も少なくありません。舞台上では、とてもアクティブな「肉食系女子」と、おとなしめの「草食系男子」の組み合わせに多く出会いました。

短い滞在でしたが、スコットランドには学ぶべきものが多いなあと思いました。10年後、20年後の日本の社会を想像するためにも、ぜひご覧いただきたい作品です。

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5/2(木・祝)開催の関連シンポジウム「クリエイティブ・アクセシビリティについて考える」では、難聴者などの障がい者向けに「UDトーク」でリアルタイム字幕配信を行います。詳しくはこちら

日本語手話による作品紹介ビデオが公開になっています!こちらから。

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ミュージカル
『マイ・レフトライトフット』
演出・作:ロバート・ソフトリー・ゲイル
製作:バーズ・オブ・パラダイス・シアターカンパニー、ナショナルシアター・オブ・スコットランド

公演日時=5/2(木・休)14:30、5/3(金・祝)13:30
会場=静岡芸術劇場
上演時間= 120分(途中休憩含む) ※英語上演/日本語字幕
*詳細はコチラ
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2019年4月26日

『コンゴ裁判』~「演劇」を使って世界に介入する~

SPAC文芸部 横山義志

ミロ・ラウの『コンゴ裁判』は、昨年のアヴィニョン演劇祭で見たなかで、最も刺激的な作品の一つでした。一度だけ小さな映画館で上映されていた映像作品なのですが、これほど演劇が「世界を変える」ことができると実感させられたことは近年なかなかありませんでした。

ミロ・ラウはスイス出身で、「国際政治殺人研究所」という奇妙な名前のパフォーマンス集団を主催しています。ふじのくに⇄せかい演劇祭では2013年に、ルワンダで民族虐殺(ジェノサイド)を煽動したラジオ局を舞台にした『HATE RADIO』を発表してくれました。これもまさに「政治による殺人」をテーマにした作品でした。ラウは昨年からベルギーの公立劇場NTヘントの芸術監督に就任しています。

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▲『HATE RADIO』舞台写真
 
ラウは作品づくりやリサーチのためにしばしば紛争地域を訪れていますが、そういうときには「ジャーナリストとか映画監督とかいうとなかなか検問を通れないが、「演劇をやっている」といえば笑って通してくれる」といいます。いかにも社会的影響力がなさそうだから、というわけです。この『コンゴ裁判』は、まさにこのような今日における演劇のイメージを逆手に取った作品といえるでしょう。

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▲映画『コンゴ裁判』ポスター

ルワンダでの虐殺とそれにつづく内戦は、やがて隣国コンゴで、アフリカ内外の数多くの国を巻き込む戦争へと発展していきます。「第三次世界大戦」とも呼ばれ、600万人以上の犠牲者を出したこのコンゴ戦争を取材するために、ラウは『HATE RADIO』のあと、何度もコンゴへと足を運んでいました。そしてある日、たまたま訪れた村で、前夜に虐殺が起きたことを知ります。ルワンダに隣接するコンゴ東部では、大規模な戦争が収まった今でも、小規模な紛争や虐殺がしばしば起こっています。何人もの方が亡くなっても、加害者が裁かれることはまずありません。そこで、ラウは「お芝居の法廷」をつくることにします。

ラウは「演劇をやるのでぜひ出演していただきたい」といって、地元の州知事や、警察を所管している内務大臣にまで声をかけ、本人役で「出演」してもらうことに成功します。そして本物の証人や関係者を呼び、ハーグ国際刑事裁判所で多くの虐殺事件などを扱ってきた弁護士にも判事として参加してもらいます。

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▲『コンゴ裁判』より

そこで浮かび上がってくるのは、山間の小さな村で起きた虐殺の背景に、国や地方自治体と多国籍鉱山会社との癒着があり、さらにはそれを支える「国際社会」がある、という巨大な構図です。携帯電話、ゲーム機、コンピュータなどに欠かせないコルタン(タンタル)という鉱物は、埋蔵量の6割~8割がコンゴにあるといわれています。その産出地域が長年政治的に不安定な状態に置かれているために、極めて過酷な条件で働くコンゴの方々によって、それが比較的安値で供給されている、という現状があります。今多くの人が使っているスマートフォンを作るのにも、コルタンが欠かせません。日本も当然、この状況と無関係ではありません。1998年にはじまった第二次コンゴ戦争は「プレイステーション戦争」とも呼ばれ、2000年に発売されたPlayStation2の大ヒットによってコルタンの市場価格が急騰したために紛争が再燃したと言われています。

今、コンゴでは、この『コンゴ裁判』の上映会を通じて、各地で同様の模擬法廷をつくる動きがあるといいます。「演劇」という仕組みを使って世界を描き出し、世界に介入しつづけるラウの仕事を、ぜひ体感していただきたいと思います。

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<ドキュメンタリー映画>
『コンゴ裁判 ~演劇だから語り得た真実~』
脚本・監督:ミロ・ラウ
製作:フルーツマーケット、ラング・フィルム

公演日時=4/27(土)、4/28(日)各日15:00
会場=グランシップ 映像ホール
上演時間=100分 ※フランス語上映/日本語・英語字幕
*詳細はコチラ
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2019年4月22日

ピッポ・デルボーノが語る今作への思い

去る3月19日に、「ふじのくに⇄せかい演劇祭2019」「ふじのくに野外芸術フェスタ2019」および「ストレンジシード静岡」の東京記者発表会を行いました。
『歓喜の詩(うた)』構成・演出のピッポ・デルボーノさんは、同日アートフェスティバルに参加されるため香港に滞在しており、特別にビデオ通話でご参加いただきました!
今回のブログでは、記者発表で語られた本作への思い、そして宮城が語った期待をご紹介します。
 
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『歓喜』というのは一つの「人生の旅」です。
ジャンルーカ・バッラレーという俳優が、「心の苦しみというのはいつか去っていくだろう。そして歓喜が訪れるだろう。」と言うのですが、これが私の考える「歓喜への道のり」ということになります。
今この時代に、「歓喜」というタイトルで演劇を上演するのは非常に難しいと思っています。非常にレトリックのある言葉なんだけれども、でも「歓喜」という言葉を語るのが難しい今の時代だからこそ、「歓喜への道のり」を私は一緒に創作を行っている劇団員や音楽、言葉、さらにはダンス、現代芸術のインスタレーション的な舞台装置を使って物語りたい。
この作品は苦しみに満ちた叫び声ではじまります。それは傷のような、なにかが壊れてしまったような、そういう叫び声から始まるんですけれども、それは私が考える「歓喜」というのが、問題がなにもないというような状態、よく考えられるような喜び一般を指しているのではなく、”苦しみを超えた先にあるもの”というコンセプトだからなんです。
先ほども映像で見ていただいたように、舞台の上には紙で覆った船や布などが置かれて、最後に花が登場します。この花というのはわたしのイメージの中では蓮の花です。皆さんもよくご存知であるように、蓮の花というのは、泥の中から美しい花を咲かせる。つまり、苦しみの中から花が生まれるというようなイメージです。イタリアを代表するシンガーソングライターで、ファブリツィオ・デ・アンドレという人がいるんですけれども(デルボーノさんと同じリグーリア州の生まれ)、彼の歌のなかでも以下のような歌詞があります。
dai diamanti non nasce niente, dal letame nascono i fior
(ダイヤモンドから生まれるものは何もない、肥えだめから花が生まれる)

 
宮城の
「2007年に上演した『沈黙』のなかでベートーヴェンの「手紙」が出てきましたね。
今回の『LA GIOIA』というタイトルを見たときにも、ベートーヴェンのことを思い出しました」
という呼びかけに対し、デルボーノさんは
「もちろんベートーヴェンというのはこの作品のなかに深く影響している。やはりベートーヴェンも耳が聞こえないなかで「歓喜の歌」という最高傑作を創りあげたわけです。耳が聞こえない中で美しい音楽を作り上げる、というのは、私たちが苦しみのなかにいて歓喜ということについて考えるのとまったく同じ、いわばパラレルな状態です。」と応答。
 
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会場からは、3度目となる演劇祭参加について、静岡やSPACについての感想をという質問がありました。
ピッポ・デルボーノさんは、
「わたしはとても日本を愛していて、特に静岡、宮城さんに対して非常に大きな愛情を抱いています。3回もフェスティバルに呼んでいただいて本当に感謝しています。日本を愛しているのはなぜかというと、日本というのは大きな苦しみと優しさ、両方を持ち合わせた国だと考えているからです。苦しみ、そして賢明さというものが同時に存在している、日本に来ると自分の家に戻ったような気もするんです。」
と答え、2007年の、今でも語り草となっている雨の中での野外上演についても、忘れられない出来事になったと語ってくれました。
(関連ブログ:2017年【5/1演劇祭レポート】静謐な楕円堂にこだまするピッポ・デルボーノの魂の叫び…!『六月物語』
 
 
また、記者発表の最後にも、宮城はピッポ・デルボーノさんへの思いを語りました。
 
「僕がSPACに来てから13年になりました。2007年に着任してすぐに演劇祭に招聘したのが、ピッポ・デルボーノさんだったんです。彼と僕は同い年で色々なところで非常に共感するし、ライバルという気持ちもある、常に意識している存在なんですね。
その年、彼のたくさんのレパートリーのなかから厳選して、『戦争』と『沈黙』という2作品を上演してもらいました。そして彼が昨年作ったのが『歓喜(の詩)』。
デルボーノさんにとって、ミューズと言ってもいいかな、創作のパートナーでありイメージの源泉であったボボーさんという言葉の話せない俳優がいました。ボボーさんは二十数年施設に入っていて、そこで行われたワークショップでデルボーノさんとボボーさんは出会い、その後デルボーノさんはほとんど施設から奪うようにして、自分のカンパニーのメンバーにしました。そのボボーさんが今年の2月に亡くなりました。デルボーノさんの創作の一つの円環がここで閉じられた、というわけです。
 『戦争』『沈黙』そして『歓喜』、これがピッポ・デルボーノというアーティストの大きな輪を示しているのではないか。もちろんこの先デルボーノさんがボボーさんを亡くした後、新たな創作の道に入っていくことを期待しているけれども、ボボーさんと二人で歩んでいたあの道の一つの回顧を、この『歓喜の詩(うた)』という作品で見せてくれると思っていて、それも僕にとっては感慨深いことです。」
 
 
『歓喜の詩』初演で重要な役割を演じられていたボボーさんですが、本公演では<声の出演>として登場されます。
 
そこに関わるたくさんの人たちの思いが詰まった舞台の祭典「ふじのくに⇄せかい演劇祭2019」。その最後を飾るのが本作『歓喜の詩』です。
苦しい過去、辛い現在、不安な未来、そんなものを乗り越えて、誰もが人生に幸せの華を咲かせられる。明日からまた、希望に満ちた一歩を踏み出せる。
新しい元号が始まる、この大型連休の最終日に、祭りの最後の締めとして、ぜひ、本作を劇場でご覧ください。
きっと連休明けの平日の朝も、穏やかな気持ちで迎えられるはず!
 
▼『歓喜の詩(うた)』作品トレーラー

 
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『歓喜の詩(うた)』
構成・演出:ピッポ・デルボーノ

公演日時=5/5(日・祝)、6(月・休)各日13:00 ★5日は残席僅かとなっております。ご予約はお早めに!
会場=静岡芸術劇場
上演時間=100分 ※イタリア語上演/日本語・英語字幕
*詳細はコチラ
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2019年4月21日

【レポート】「ふじのくに⇄せかい演劇祭2019」キックオフミーティング

「ふじのくに⇄せかい演劇祭2019」開幕まであと1週間を切りました!
おかげさまで前半27日~29日の4作品は、28日の『ふたりの女 平成版 ふたりの面妖があなたに絡む』をのぞいて完売・キャンセル待ちとなりました。
4/22追記:『Scala』4/24に追加販売する若干枚数を除いて、前半の作品は全公演完売御礼となりました!『Scala』追加販売の詳細はこちら

後半も残席僅かの公演がございます、ぜひお早めにご予約ください!
詳しいチケット販売状況はこちら

去る4月13日に、演劇祭関係者が一同に会するキックオフミーティングを開催しました!
ボランティアスタッフ「シアタークルー」の皆さんや、関連企画「ストレンジシード静岡」の関係者など、総勢約80名が静岡芸術劇場に集結。(昨年より20名増!)

最初に芸術総監督・宮城聰よりご挨拶。
 
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「みなさんお集まりいただきありがとうございます。僕は猪年の生まれなんですけれども、SPACに着任した2007年が猪年だったんですね。ちょうど一回りして13年目に突入しました。自分で言うのもなんですが、SPACの充実を今日のこの日も実感しています。
僕は自分の芝居をつくることも一生懸命やらなくちゃいけないけれども、作品を作っているだけでは”こんなことやっていても自分の独りよがりなんじゃないか”って疑念が湧いてくるんですね。でも今日のように皆さんが集まってくださったり、我々が街に出たときに声をかけられたりしていくなかで、まったくの独りよがりとも言えないな、少しは社会に関係しているのかなと感じて、嬉しく思っています。
今日だけでなく、フェスティバルの最後の日まで、どうぞよろしくお願いいたします!」

 
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俳優もスタッフも混じってわいわいレクリエーションしつつ交流。
 
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5月3日(金・祝)~6日(月・休)に開催する「ストレンジシード静岡」のプログラムディレクターを務めるウォーリー木下さんも駆けつけてくださいました!
「ストレンジシード」は静岡の街が劇場になるストリートシアターフェスティバル。今年は初めての海外勢含む全26組が参加します!
詳しくはこちら。http://www.strangeseed.info/
 
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「フェスティバルgarden」「フェスティバルbar」のプロデュースを手掛けるスノドカフェ代表・柚木さんも参加してくださいました!
「フェスティバルgarden」では特別に、地元の人気自家焙煎珈琲豆販売所「島仙珈琲」代表のロースター田中氏がブレンドした珈琲「マダム・ボルジア ブレンド」を販売!キックオフミーティングではその試飲会を行いました。珈琲豆も限定数販売予定だそうです。『マダム・ボルジア』観劇の記念にぜひどうぞ!
 
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そして中盤に差し掛かり、『マダム・ボルジア』チームが階段から登場!
 
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劇中のシーンの一部をキックオフミーティング特別バージョンで披露し、会場は大盛り上がり。
気になる全貌はぜひ駿府城公園でご覧ください!

さらに続いて、『ふたりの女』チームも登場!
 
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写真を見てわかる通り、すごい勢いで会場を巻き込み作品を宣伝。(笑)
そしてあっという間に参加者全員を誘導し、みんなで集合写真!
「ふじのくに⇄せかい演劇祭」開幕に向けて団結を深めた1日となりました。
 
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