2018年8月3日

「SPAC秋→春のシーズン2018-2019」製作発表会 レポート(後編)

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去る7月23日(月)、東京・飯田橋のアンスティチュ・フランセ東京で、「SPAC秋→春のシーズン2018-2019」製作発表会を開催。前編では、シーズン#1『授業』、#2『歯車』までをご紹介しましたが、後編では、宮城の新作となる#3『顕れ』、#4『妖怪と私(仮題)』をご紹介します。

シーズン#3『顕れ』(原題:『Révélation』は、アフリカ・カメルーン出身でフランス在住の女性作家レオノーラ・ミアノが2015年に発表した戯曲。アフリカ社会の分断を生んだ奴隷貿易の実態に深く切り込む戯曲を、宮城がその独特の死生観で祝祭音楽劇として立ち上げます。なお、本作はフランスのコリーヌ国立劇場からの委嘱によって創作され、9-10月にフランスで世界初演されたのち、来年1-2月静岡で上演されます。

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宮城は「レオノーラ・ミアノさんが目の前にいるので、話すのが恥ずかしい。偉そうなことも言えないし…。戯曲が書かれてからこれが初めての上演なので、非常にプレッシャーがあります」と語りつつも、「この戯曲は、最初に申し上げた、自分というものが今までと同じではいられないような危機に直面した人間を描いています。ヨーロッパ・西アフリカ・新大陸の間での三角貿易、所謂奴隷貿易ですが、これにアフリカ側でも加担する人たちがいました。そして彼らは、自分あるいは世界に向けてなのかもしれませんが、この上ない無念、あるいは恨みを抱え込んでいる。しかし、口を開くことができない、誰にも言えないし、誰も言ってはくれないわけです。こういう語られることのない恨みは、今生きている人間をも不幸にしていく、僕はこう考えています。だから演劇という手段を使って、その語られない恨みを解き放っていきたい。それを一番のメインの仕事と捉えています。ミアノさんの『顕れ』という戯曲は、まさに僕の仕事のど真ん中の戯曲なんですよね。ですので、今回上演させていただくことになりました」と作品への思いを述べました。

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シーズンのラストを飾るのは、ジャン・ランベール=ウィルド作・演出の『妖怪と私(仮題)』です。SPACではこれまで『スガンさんのやぎ』『隊長退屈男』、そして今年の演劇祭で『リチャード三世 ~道化たちの醒めない悪夢~』を上演してきたジャンさん。満を持してSPAC俳優・スタッフとの新作に挑みます。

死後、おかしな妖怪の世界に迷い込んだある一人の男。魑魅魍魎に翻弄されながら、壮絶な人生を回想し、試練を乗り越えて辿り着いた先に待っていたのは――。自由と情熱に溢れた主人公の生涯を通して「生きること」の喜びを描く愉快な音楽劇です。

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ジャンさんについて、宮城は「フランスの若手演出家の中で、はじめて国立劇場のディレクターになった一人なんですね。30代で国立演劇センターのディレクターになるというのは非常に珍しいんですけれども」と紹介。さらに「今日、西さんと多田さんに来ていただいていますが、ジャンさんも含めて、僕より若い世代でこの先演劇界を担っていくだろうなと思われる、そういう逸材です」と期待を寄せました。また、「ジャンさんはレユニオン島というフランスの海外県で生まれているんです。そのレユニオン島で、彼は子供の頃から近所のおばさんなどにいわゆる妖怪の話をずいぶん聞かされたそうです。また彼は、戦争に行った男、先程申し上げた一つの危機的な瞬間の代表例がおそらく戦場だと思うのですが、人を殺すか自分が殺されるかという局面に立たされた男に関心を持っていて、その戯曲も書いています。この二つの要素、戦争に行って戦場で何を見るかということ、それから幼少期の妖怪体験、つまり妖怪というものが本当にいるような気がする、そういう世界で生まれ育っているという、この二つから、この後申し上げなくても、とある日本の偉大な漫画家のことをほとんどの方が思い起こされると思います。今はまだその方の名前をあまり出さないようにしていますが、ジャンさんはその漫画家の全作品を読破するほど傾倒していて、そこからインスピレーションを得た新作を書くことになります。もちろんこれは全くの新作ですが、人間が危機的な瞬間に直面する、まさにそのことを目の前にある肉体を使って描く、そういう作品になるに違いないと考えています」と語りました。

その後、『顕れ』の作者レオノーラ・ミアノさんにもご登壇いただいてのフォトコール。

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9月20日からの『顕れ』フランス公演と10月からのシーズン開幕に向けて、私たちスタッフにとっては、改めて気合を入れる製作発表会になりました。

参加くださった皆様、本当にありがとうございました。そしてシーズン開幕をどうぞお楽しみに!

※製作発表会後、続けてレオノーラ・ミアノさんの講演会を行いました。この模様は『顕れ』ブログでご紹介します。
→8/5(日)更新しました!こちらからお読みいただけます。

★SPAC秋→春のシーズン2018-2019ラインナップ詳細はこちら
http://spac.or.jp/autumn2018-spring2019.html


2018年8月2日

スパカンファン 稽古場ブログ#1 「はじまりました」

9年目を迎えたスパカンファン、今年も始まりました!
今年はオーディションで選ばれた2名を加えた12名のメンバーで進んでいきます。
作品名は『ANGELS ~空は翼によって測られる〜』です。
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振付のニヤカムさん、アシスタントの太田垣さんも静岡入り。
今年は上演場所がBOXシアターよりも大きい静岡芸術劇場であることに加え、秋には東京芸術祭での公演を控えており、稽古も気合が入ります。
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稽古は屋内で行っているとはいえ、今夏は記録的な猛暑のため、水分補給や休憩にも気を使っています。
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稽古ではニヤカムさんの振り付けを覚えるだけではなく、お互いのダンスを見合って、「どこをどうすればもっといいダンスになるか」も話し合います。このことについてニヤカムさんに聞いてみると、

「私は、子どもたちがお互いに鏡のような存在であることが大事だと考えています。
自分で踊っているときは自分自身のことは見えないので、注意される側は他者の視点を信用することを覚えます。発言する側は自分の視点を伝えるために頭を使って話すことが求められますし、大勢の人の前で自分の意見を言うことによって自信もつきます。子どもたちがこのような経験を、スパカンファンの外でも生かしていけることを期待します。」

と答えてくれました。
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子どもたちを大切に思っていて陽気なニヤカムさんの稽古場は、いつも笑顔が絶えません。

8月11日にはそんなニヤカムさんのダンス・ワークショップを開催します。
きっと「ダンスって楽しい!」と思っていただけるような時間になるはずです!

詳細は下記をご参照ください。

そして、公演は今月26日。
成長し続けるスパカンファンの姿をぜひ見に来てください。

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SPAC-ENFANTS
『ANGELS ~空は翼によって測られる~』
8月26日(日)14:00開演 
振付・演出:メルラン・ニヤカム
出演:SPAC-ENFANTS
   池ヶ谷優希、岩田麻緒、岡村桃果、勝間田里絵
   金森萌倭、金子綺莉、鈴木舞子、永田茉彩
   西出一葉、伏見彩花、宮城嶋開人、渡邉茉奈
振付アシスタント:太田垣悠
メディアディレクション: ニシモトタロウ、松尾邦彦
会場:静岡芸術劇場
詳細はこちら

★★★関連企画★★★★
ニヤカムさんによるワークショップ(要予約)
日 時:8月11日(土)18:30~20:00
会 場:静岡芸術劇場リハーサル室
参加費:一般1,000円、中高生500円
対 象:中学生以上(未経験者可)
定 員:30名
お申し込み:SPACチケットセンター 054-202-3399
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2018年7月30日

「SPAC秋→春のシーズン2018-2019」製作発表会 レポート(前編)

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毎年10月から翌年3月にかけて古今東西の名作戯曲を中心に静岡芸術劇場で上演する「秋→春のシーズン」。今年は新作4本を発表するという超豪華なラインナップになりました♪
そこで、多くの皆様にこのラインナップを知っていただくべく、7月23日(月)、東京・飯田橋のアンスティチュ・フランセ東京で、「SPAC秋→春のシーズン2018-2019」製作発表会を開催。シーズン#1『授業』を演出する西悟志さん、#2『歯車』を演出する多田淳之介さん、そして芸術総監督の宮城聰が登壇し、自身の演出作について語りました。

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会見冒頭宮城は、「SPACの秋→春のシーズンは、「演劇の教科書」がもしこの世にあったならば、必ず掲載されるであろう“人類共通の財産”と言える作品を上演するのが基本的な考え方なんです。これは観客動員に左右されずに作品を選んでいくということでもあります」とコンセプトを説明。

そのうえで、「優れた芸術っていうのは、危機的瞬間に直面した人間の心の状態を瞬間冷凍してとどめているものだと僕は考えています。危機的瞬間って所謂ネガティブな意味ばかりでなく、喜怒哀楽どれに関しても度外れていて、今までの自分ではいられなくなってしまうような瞬間です。恋なんかもそうですね。それを見事に、瞬間冷凍のようにとどめているのが、多くの優れた芸術なんじゃないでしょうか。僕らは生きている中で時々そういう危機に直面し、うろたえてしまいます。しかし芸術を観ると、これまでにも案外似たような局面を人類は体験していて、そういう瞬間に人はどうしていたのかということを学ぶことができます。これは芸術の大きな遺産、人間が蓄えてきた知恵なんです。演出家は、生きている俳優の肉体を使って、瞬間冷凍されたものを解凍してみせるのが仕事。というわけで、演出家という人が僕は活躍して欲しいと思っているんです」と語りました。

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その一方で、日本の演劇界では「演出家」だけでやっていくのは難しいとも言及。野球になぞらえて、「高校野球では、ピッチャーで四番を打っている人はいますが、プロになるとどちらかに専念する場合が多いですよね。王貞治さんとか。ごくまれに大谷翔平みたいな人がいますが、やはりピッチャーか打者に専念する人が大半です。翻って日本の演劇界は、不思議なことにピッチャーで四番のままプロになっていく人が多い。それは世界の中でみるとユニークで良いことでもあるのですが、逆に言えば“人類の遺産”として折角残っている過去の優れた作品を上演する、その専門家がほとんどいないということなんです。だから僕は演出家にもうちょっと活躍して欲しいって思っていて、今年の「秋→春のシーズン」では、僕がまさに期待している西さん・多田さんに、演出の専門家として、過去の遺産を今を生きている俳優の身体で表現するという演劇の王道を展開していただきたいなと思っています」と述べました。

 宮城の概要説明に続き、各上演作品の紹介へ。
シーズン第一弾は、不条理劇の傑作、ウジェーヌ・イヨネスコの『授業』。内気な老教授のもとへ個人授業を受けに訪れた一人の快活な生徒。穏やかに始まった授業は徐々に変調をきたし、衝撃のラストへ…。
本作を演出する西悟志さんは、宮城の「危機的瞬間に直面した人間」という言葉を受けて「今危機的状況にある西悟志です」と発言。会場を一気に和ませました。

そして、「話し言葉は“おまじない”だと考えています」と述べ、実際に参加者の一人に「手を挙げていただけますか?」と挙手を促しました。手を挙げる参加者。それを受けて、「こうやって言葉をかけることで、私は労せずして人を動かすことができます。これを私は“おまじない”と言っています」とその意味するところを説明。続けて、「手を挙げてくれない可能性もあったわけですから、この“おまじない”はかかったり、かからなかったりします。自分は“おまじない”をかけるのが上手いと思っていますが、一方で結構かかりやすいです。だから、ここ2カ月くらい自分がまるで『授業』の中の教授を演じてしまうような、戯曲が自分の中に降りてきちゃうようなことがあって」と語りました。

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その中で「教えることって楽しいよね」というシンプルな言葉が生まれたとし、「何で楽しいかと言えば、力を持つから。力を持つということは多分すごく楽しいことなんですが、力を行使することは不愉快なこともあるんです。イヨネスコの『授業』は、“教える”という行為の中に暴力性をはらむことを描いた傑作戯曲だと思っています。でも、教えることを不愉快だからと言ってやめてしまったら、多分そこには何も起こらなくなってしまう。多分言葉も演劇も同様に力を持つことを恐れてはいけないし、一方で暴力にもなりえるということを常に頭に置いていなければならない、と考えています」と述べました。

また、「裏返って教えられる人もいるわけです。戯曲中、生徒は暴力を振るわれ、ひどい目に遭いますが、この生徒のことを覚えている人がどれだけいるんだろうと考えます」とし、「“教える-教えられる”という関係の中で否が応でも力を持ってしまう自分が、教えられて押しつぶされていく人たちを忘れないこと、それが自分の仕事なんじゃないか。押しひしがれていく、力を行使される女性たちを中心にこの戯曲に取り組んで行きたいと思っています」と抱負を語りました。

続くシーズン#2は芥川龍之介最晩年の小説の舞台化となる『歯車』です。
 知人の結婚披露式のために上京し、ホテルに滞在しながら執筆を行う、とある作家。破滅や死への不安に襲われながらも心を平静に保とうと執筆に向かう姿は、死の直前の芥川本人なのでしょうか…?
 本作の演出を手掛ける多田淳之介さんは、SPAC初登場。「SPACで作品を創らせていただけることや、何よりSPACの俳優と作業できるのをすごく楽しみにしている」と語り、また「中高生鑑賞事業公演もすごくモチベーションになっている」と喜びと期待をにじませました。

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 一方で「中高生に見せる作品が『歯車』という…。僕は戯曲だったり小説だったり、色々なものをもとに作品を創る中で、その題材をどうやって今の人たちに“我が事”として捉えてもらうか、を考えることが多い。だから『歯車』をそのように捉えてもらうのはなかなか大変だと感じています。小説自体、のりにくいというか、読み進めるのが難しい。所謂話のないお話でもありますし…」と苦笑い。
 ただ、「構造としてはすごく面白い小説」と述べたうえで、「間違いなく芥川本人である作家が、苦しみながら小説を書いている。でもこの作家は、小説を書くことはあまり辛くなさそうなんですよね。それ以外のことは辛そうなのに、筆はすごい勢いで進んでいたり(笑)作品自体は表現として強度があると言うか、文芸としてすごくレベルの高い作品だと思います。おそらく入れ子構造というか、書いている作家(芥川)が作中にいて、彼も苦しみながら書いているんだけれど、すごく面白い作品を書いているようにも見える。この入れ子構造は面白いなって思っています」と語りました。

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 さらに、「僕も昔は脚本を書いていて、「東京デスロック」という名前の劇団を今もやっていますが、人が死ぬ話ばかりを書いていたんです。正確に言えば、死なれた側の話などですが。なるべく「死ぬ」ということをポジティブに、「死」を描くことで、「生きること」をいかにポジティブに捉えられるかを考える。この『歯車』からも、「生きること」「生きるとは何か」ということや、「息苦しさとは何か」ということを考えていけたら良いなぁと思っております」と抱負を述べました。

宮城は、「多田さんに何で『歯車』をお願いしたか、一つは多田さんの名前が淳之介で如何にも文芸っぽいということもあって(笑)淳之介が龍之介を演出するって良いんじゃないかって(笑)」と冗談を言いつつも、「先程多田さんが“入れ子構造”っておっしゃいましたけれども、この構造そのものを上手く演劇にしてくれるんじゃないかっていう期待をしています。多田さんは、メタ構造的なものを立ち上げるのがとても上手で、最近劇作はされないけれども、かなり劇作家的な技術を演出に持ち込んでいる方だと僕は思っています。また、演出家としてカンパニーを率いているという非常に稀有な存在です」と期待を寄せました。

後編につづく

2018年7月28日

【シアタースクール通信2018 #3】劇場の下見を行いました!

いよいよ23日(月)より毎日稽古がスタートしました!
25日(水)は本番で使う静岡芸術劇場の舞台を下見することができました。
客席入口ではない役者・スタッフ用の出入り口から入場。
リハーサル室とはちがう雰囲気にみんなそわそわしていました。

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はじめに、舞台監督を務める、創作・技術部の降矢より舞台についての諸注意。
舞台上では、今年度の「SPAC秋→春のシーズン」で上演される、芸術総監督・宮城聰演出の新作『顕れ(あらわれ)』の稽古用にセットが組まれており、『十二夜』の本番とは、舞台の高さや大きさが変わっています。
紗幕(しゃまく、照明の当て方によって幕の内側を隠したり見せたりできる特殊な幕)を降ろしてもらい、みんなでどんな見え方になるのか体験してみました。

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その後、実際に舞台上に立って発声練習。さらに、今出来ているシーンまでを舞台上で練習しました。
静岡芸術劇場は2階客席もあるため、どこにフォーカスして声を届けるのかが重要になってきます。
演出の中野真希からは「客席真ん中に届くようイメージして」「2階にも届くように」「喉からではなくお腹から、息をたくさん吸ってそれを出し切ることを意識して」と、次々に指示が飛びました。

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その後もリハーサル室に戻って稽古を続けました!

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▲16世紀に書かれたお芝居のはずが、何やら現代的なリズムが聞こえてくる!?どんなシーンになるかお楽しみに!

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▲パートごとにわかれて練習。アシスタントが各パートを指導します。

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▲まもなく衣裳デザインも完成!
 
 
◆発表会のチラシが完成しました!

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おもて面のデザインや題字は、静岡デザイン専門学校の大古田怜奈さんによるものです。
大古田さんには、昨年の【SPAC秋→春のシーズン】の『病は気から』『オセロー』の鑑賞パンフレットの表紙をデザインいただいたご縁で、今回もお願いしました。
『十二夜』のドタバタ恋愛喜劇をイメージして、ポップで元気な感じに仕上げていただきました。
ぜひ劇場や、みなさんの学校で手に取ってみてくださいね♪

もうすぐ8月!本番に向けて稽古は続きます!

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SPACシアタースクール2018
『十二夜』
演出:中野真希
原作:ウィリアム・シェイクスピア
出演:静岡県内の中高生
8月17日(金)17時開演
18日(土)16時開演
会場:静岡芸術劇場
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2018年7月21日

<『顕れ』#002>作者レオノーラ・ミアノ氏来静!

Filed under: 『顕れ』2018

『顕れ』の作者、レオノーラ・ミアノ氏が静岡に来られました!
20日は丸一日、舞台芸術公園の楕円堂で行われている稽古に同席。
座組にとって作者の話を直接聞くという、大変有意義な時間になりました。

ミアノ氏は「自分の作品が皆さんによって上演していただけることがとっても嬉しい。」と挨拶。
「アフリカの大地を感じられるように」と、稽古場にアフリカからのお土産を持ってきてくださいました。

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宮城作品の稽古では毎日行っているトレーニングを見学していただいた後、いま出来ているところまでのシーンを見ていただき、質疑応答を行いました。
俳優たちが名前と役を紹介すると、「あなたは役の雰囲気にとてもよく合ってる」など笑顔でやり取り。上演言語は日本語ですが、各キャラクターが手に取るように分かったようです。
また音楽についても、「音楽を演奏したり止めたり、というのはアフリカにはない自由な発想でとても新鮮」「アフリカだからアフリカっぽい音楽という選択を取っておらず、音楽と言葉の調和があり、作品をきちんと昇華して作ってくださっているという感じがする」とコメント。

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続いて音楽監督を務める棚川さんが、「(ミアノ氏の出身地である)ドゥアラ語の好きな歌をうたってほしい」とお願いすると、ミアノ氏から「わたしが書いた曲でもいいかしら」と思いもよらぬ回答。
それはアフリカで奴隷貿易に関わった人についての作品を書くなかでそのテーマをより突き詰めていくために書いたという作品群で、曲がそれぞれ奴隷貿易を段階的に語っているそうです。
稽古場で披露されたのはそのうちの1編で、ある人物が捕まって舟で運ばれている最中、はじめて甲板に出たときに故郷のアフリカ大陸はもう見えず二度と戻れないということを知り、自殺して魂だけはアフリカ大陸に残れるようにと願う歌。
楕円堂内はミアノ氏の静かで、けれどとても力強い情感の込められた歌声に包まれました。聞き終えた棚川さんは目に涙を浮かべ「計り知れない悲しみが伝わってきた。自分が今回の作品につくる曲とは曲調などまるで違うけれども、どこかで繋がるような曲にしたい」と話しました。

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その後も、質疑応答は夜遅くまで続きました。
ミアノ氏は作品の背景となっている文化や風習についてや、キャラクター造形についてなど、一つ一つの質問に真摯に答えてくださいました。
『顕れ』は奴隷貿易を主題にしていますが、一般にイメージされるような白人と黒人の関係ではなく、アフリカ大陸にあった加害者と被害者の関係について扱う戯曲です。そのため作品の発表や日本の劇団による上演について、ヨーロッパにいるアフリカ人から批判を受けることもあるそうです。
ミアノ氏は「自分はこのテーマに取り憑かれている」と表現し、「私はアーティストだからこそこういう作品を発表するし、それは文学的なアプローチによる魂への弔いだと考えている」と力強く話しました。
またSPACが上演するということについて、「フランス人やアフリカ人がやるとあまりにも生々しくなってしまう。そこから離れた人たちが上演することで、上演される作品は観客にとって個人的な反応を引き起こすのではなく、普遍的・人間的なものとして受け取られるようになるのではと思っている」と話しました。

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加害者の告白を聞く、という新機軸に共鳴し作品の演出を引き受けた宮城が、作者本人との対話を経てどのように“演劇的な弔い”に編み上げていくのか。
9月・フランスでのワールドプレミアに向けて稽古は続きます!
*『顕れ』(フランス公演)詳細はこちら

★「SPAC秋→春のシーズン2018-2019」の製作発表会と同時開催する、レオノーラ・ミアノ氏の講演会がいよいよ明後日に迫りました!
ミアノ氏のお話を皆さんにも直接聞いていただける貴重な機会です。ぜひお越しください。
詳細はこちらをご覧ください。


2018年7月16日

【シアタースクール通信2018 #2】アツい!!3連休の稽古場より

◆演奏稽古がはじまりました!

あっという間に梅雨が明け、シアタースクールの稽古も今日で6日目。段々と本格的になってきました。
稽古開始は、まずSPACの俳優たちも必ず行っているトレーニングから。
「スズキ・トレーニング・メソッド」と呼ばれる、SPAC初代芸術総監督の鈴木忠志が考案した俳優訓練法をもとにしています。
これによって「舞台に立つためのからだ」をつくっていきます。
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今回の『十二夜』では、演技だけでなく楽器の演奏も行います!
この週末からは演奏稽古もはじまりました。
自分のことだけに集中するのではなく、全体の音・テンポを聴きながらリズムを刻んでいかなければなりません。
今はまだバラバラですが、これからみんなでひとつの“空気”を作っていきます。
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アシスタント俳優のお手本を見て聞いて、リズム感を身につけます。

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これは冒頭の大事な“ある音”を演出するための手作りの楽器。
他にもいろんな楽器を組み合わせて演出を盛り上げていきます。

 

◆舞台美術に期待大!?

これまでのシアタースクールでは、大きな舞台美術を造ることがあまりありませんでしたが、今年は少し高さのある舞台になるようです!
舞台監督を務める降矢より、静岡芸術劇場の模型や、リハーサル室床面に貼られた“バミリ”(美術が置かれる位置が示されたテープのこと)を使って、完成後のイメージについて説明がありました。
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みんなワクワクした表情で模型をのぞきこんでいました!舞台に立って練習する日が待ち遠しい様子。

◆『十二夜』ってどんなお話?


<あらすじ>
双子の兄妹セバスチャンとヴァイオラは、船旅の途中、嵐にあって生き別れてしまう。イリリアの街に流れ着いた妹ヴァイオラは身を守るために男になりすまし、シザーリオと名乗って公爵に仕える。
ヴァイオラはひそかに公爵に恋心を抱くが、公爵は求婚相手のオリヴィアに夢中になっている。公爵はオリヴィアのもとへシザーリオ(ヴァイオラ)を使いに出すが、オリヴィアは男装したヴァイオラに恋をしてしまう。
恋の三角関係がこじれていくなか、生き別れた兄セバスチャンがイリリアの街を訪れ……。


『十二夜』は、イギリスの劇作家ウィリアム・シェイクスピア作のドタバタ喜劇です。
1601年から1602年頃に書かれていて、日本で言えば江戸時代にあたります。
そのため台本に使われている言葉遣いは、現在使っているものよりも、古めかしい・難しいところが多くあります。
子どもたちは台本に読み方を書き込みながら、稽古に励んでいます。

まもなく発表会のチラシも出来上がります! お楽しみに!

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SPACシアタースクール2018
『十二夜』
演出:中野真希
原作:ウィリアム・シェイクスピア
出演:静岡県内の中高生
8月17日(金)17時開演
18日(土)16時開演
会場:静岡芸術劇場
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2018年7月15日

<『顕れ』#001>県大での公開授業レポート

Filed under: 『顕れ』2018

今月9日より、宮城聰の演出による新作『顕れ(仮題)』の稽古がスタートしました!
この作品は、フランス・パリにある現代作家の作品のみを上演するコリーヌ国立劇場の創作委嘱を受けた作品で、静岡では「SPAC秋→春のシーズン2018-2019」の3作品目として年明け1月の上演が予定されています。

稽古がはじまったばかりの11日に、「ムセイオン静岡」*特別企画として、静岡県立大学にて宮城聰による公開授業「『顕れ(レヴェラシオン)』について」が行われました。
『顕れ』ブログ第1回目は、この公開授業のレポートをお届けします!(写真提供:静岡県立大学 広報・企画室)

大学でいう1限目、9時からのスタートにも関わらず、学生だけでなく職員や地域の方々が詰めかけ、220名定員の教室は満員に!
「僕が1限に出ていたのは、大学1年生のときくらい(笑)何年ぶりの1限だろうかなんて思って今日は来ました」という宮城の言葉から講義がはじまりました。

*「ムセイオン静岡」とは?
静岡市の草薙地域およびその周辺地域には、静岡県立大学、静岡県立美術館、静岡県立中央図書館、静岡県埋蔵文化財センター、静岡県舞台芸術センター(SPAC)、グランシップ(静岡県コンベンションアーツセンター)、ふじのくに地球環境史ミュージアムが位置し、若者や専門家が自由に行き交い、多くの文化を発信しています。
「ムセイオン静岡」は、この地域の文化関連機関が、自主協働プログラムとして文化・芸術・教育を学ぶ場を提供し、文化を発信する活動をしていきます。

 

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委嘱を受けた経緯

ことの始まりは、2016年のある日。
ワジディ・ムアワッド氏から「どうしても宮城と直接話したい」と連絡をしてきたそう。
ワジディ氏は、8歳のときに戦火のレバノンからフランスに渡り、15歳のとき再亡命を余儀なくされたという過去を持つ劇作家。
SPACは2016年の「ふじのくに⇄せかい演劇祭」に彼の作品を招聘し、『火傷するほど独り』(原題『Seuls』)が上演されました。

  <参考>
   ◎『火傷するほど独り』演目ページ
   ◎ワジディ・ムアワッドのこと(横山義志)

そんなワジディ氏からの話は
2017年にフランスのコリーヌ国立劇場の芸術監督に就任することが決まり、2018年のシーズンのオープニング作品を宮城に演出してほしい」というもの。
戯曲はカメルーン出身フランス在住の女性作家、レオノーラ・ミアノの『顕れ』原題:Révélationで、「演劇の魅力がぎっしり詰まったどうしても上演したい戯曲」「作者と誰に演出を頼むのがいいか検討したが、なかなかこれだという人が出てこず困り果てた。そこで、実現可能性を棚に上げて世界中の誰でもいいから演出してほしい人の名前を挙げようと話したとき、レオノーラ氏から挙がってきた名前が宮城だった」と伝えられたそう。

『顕れ(Révélation)』は奴隷貿易を扱った芝居で、宮城は依頼を聞いた当初、「日本の僕らにとっては最も知らない・遠い題材だと感じた」と言います。
なおかつワジディ氏のオーダーは、フランスの俳優に演出するのではなく、SPACの俳優たちで作ってそれをコリーヌで上演すること。
シーズンのオープニングを海外のカンパニーに、という驚天動地の依頼に最初は戸惑ったそうです。

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演出を引き受けるキッカケとなった、ある“偶然”

『顕れ(Révélation)』にはまず、最高神・イニイエが登場します。
アフリカでは輪廻転生、死ぬと魂は“魂の海”に還っていく、というのが基本的な死生観。
この戯曲では、人間の肉体が誕生するときに、最高神・イニイエの懐のなかから魂が飛び出して赤子の中に入るとされています。
この魂たちが「この世に生まれたくない」とストライキをはじめ、「かつてものすごく大きな、途方もない罪を犯したアフリカ人たちの告白を聞かなければ、この世はどんどんひどくなってしまう。」と言います。
その途方もない罪というのが、奴隷貿易への加担
アフリカの歴史のなかで、加担した人についてはほとんど語られることなく、そのうえ本人たちも口をつぐんだまま死んでいきました。
無念や怨念を抱え込んだまま死んでしまっているために、アフリカは幸せになれない、その魂たちを呼び出して告白してもらおう、というところからこの物語ははじまります。

宮城はこの「この世への恨みや自分への恨みを抱え込んだまま死んでしまった人が、そうした人生で最も辛い瞬間を語り直す、演じ直す、そしてみんな(観客)にシェアすることによって救われる」という構造・テーマが、自身が演出を手掛けた近作と通ずるところがあると感じ引き受けたそうです。

たとえば、2017年5月に静岡で、7月にはアヴィニョン演劇祭で上演した『アンティゴネ』は、原作通りだと全員が不幸になって終わるところを、冒頭のシーンで舞台上の人物をすべて亡者とし、劇中劇として亡者たちが記憶を回想するというしつらえにしました。
これには上演場所である、アヴィニョンの法王庁の中庭にたくさんいるだろう非業の死を遂げた浮かばれない魂を想い、その魂たちの慰めになるような芝居をしたい、その魂たちが救済され喜んでくれれば、おそらく上演は成功するという構想があったそうです。

また2017年1月に上演した『冬物語』は、嫉妬ゆえに最愛の人を自殺に追い込んでしまった人間を“赦す”芝居。
かつての人生の最も痛切なシーンを演じ直すことによる、魂の救済です。
さらに2018年1月に上演した能形式の『オセロー』は、まさにそうした霊的な存在が主人公となる「複式夢幻能」の形式を使ってシェイクスピアの『オセロー』をリライトし上演しました。

この3作品が上演されることを知らなかったワジディさんが『顕れ(Révélation)』の演出を依頼してきたという偶然、そしてアフリカの死生観と鎌倉仏教以後の日本的な死生観にとても似ているところがあることに驚いたと語りました。

稽古真っ最中だからこその熱量で、90分間ノンストップで話し続け授業は終了。
参加者からは、「すごくいいお話でした。授業で学んだ能「実盛」のお話とリンクして興奮しました」
「奴隷貿易なんて特に興味ないなと思っていたけれど、お話を聞いて、これはもう観にいかないわけにはいかない!と思いました」という声が届きました。

 

『顕れ』作者 レオノーラ・ミアノ氏による講演会開催決定!

授業で話があった、作品の演出に宮城を指名した『顕れ(Révélation)』作者のレオノーラ・ミアノ氏が急遽来日することが決定しました!
「SPAC秋→春のシーズン2018-2019」の製作発表会とともにレオノーラ・ミアノ氏の講演会を開催いたします。
両プログラムとも一般の方にご参加いただけます。ぜひ足をお運びください!
詳細は「SPAC秋→春のシーズン2018-2019」製作発表会/レオノーラ・ミアノ氏講演会のお知らせをご覧ください。

*『顕れ』(フランス公演)詳細はこちら


2018年7月9日

【シアタースクール通信2018 #1】稽古スタート!

7月1日(日)からSPACシアタースクール2018の稽古がはじまりました!
学校では触れることのできない演劇の面白さ、奥深さを地域の子どもたちとその保護者の方々に知ってもらうことを目的として、2007年にスタートした「シアタースクール」。
12回目となる今年は38名のメンバーが集まりました!

今年取り組む作品はウィリアム・シェイクスピア原作の『十二夜』。
稽古初日はガイダンスを受けたあと、半円をつくって自己紹介。
班分けも発表され、身体をほぐすエクササイズや声出しの練習を行いました。
後半には台本が配られみんなで読みました。

稽古の様子を一部ご紹介します。

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どんどん難易度が上がるストレッチ!
見学に来ていた親御さんも一緒になって参加していました。

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床に寝っ転がって、お腹から声が出ていること、呼吸を意識しながらの声出し練習。
初日から力強い声がリハーサル室に響いていました。

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台本を読む前にアシスタント俳優・片岡より
登場人物の関係性についてのレクチャー。

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読むときは顔をあげてしっかり前を向いて。

◆スタッフのご紹介
本年も中野真希が演出を務め、5名のアシスタント俳優が作品づくりをお手伝いします!

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上段左から、佐藤ゆず、春日井一平、片岡佐知子
下段左から、ながいさやこ、中野真希、赤松直美

稽古初日には、演出・中野より「今年は例年よりハードルが高い」という言葉も。
みんなで頑張って作品を作り上げていきましょう!

シアタースクールでは、他にも沢山のスタッフが一緒に作品を創っていきます。
こちらのブログでもその様子を更新していきますのでぜひお楽しみに!

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SPACシアタースクール2018
『十二夜』
演出:中野真希
原作:ウィリアム・シェイクスピア
出演:静岡県内の中高生
8月17日(金)17時開演
18日(土)16時開演
会場:静岡芸術劇場
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2018年6月2日

舞台は全世界 渡邊守章演出『繻子の靴』をめぐって(四方田犬彦)

★作品の内容に言及する箇所がございますので、事前情報なしに観劇を希望される方はご観劇後にお読みになることをお勧めいたします。

 東北フランスの小さな村に地方官吏の息子として生まれた少年が、パリで中学に進み、文学と演劇に目覚める。彼は東洋語学校に進学し、優秀な成績で外交官試験に合格する。ランボーの詩に強い衝撃を受け、世界は一冊の書物に収斂すると説くマラルメの「火曜会」に出席する。だが彼を魅惑してやまないのは日本美術だ。自分が生れた年に「維新」を決行し、西洋近代化を取り入れたこの国の文化に、彼は心惹かれてやまない。ポール・クローデル(1868~1955)のことである。
 渡邊守章が昨年(2016年)12月に京都造形芸術大学春秋座でクローデルの『繻子の靴』の演出に成功したことは、昨年の演劇界のみならず、日本文化全体にとって快挙であった。渡邊氏は、というより日本は、自分を愛してやまなかったクローデルの熱情と知性に、ついに応えたのである。戯曲のなかの言葉を用いるならば、およそ「地上においてはかなわぬ」とまでいわれたこの未曾有の大作が、とうとう完璧な形で日本の舞台にかけられた。以下に渡邊演出の意義について、マラルメの顰みに倣って鉛筆書きで簡潔に記しておきたい。とはいえ、これを書いているのは観劇の翌日であり、わたしはいまだに強い興奮に包まれている。

 クローデルが最初に日本を訪れたのは、齢30のときである。上海の領事館に駐在中の休暇旅行であった。本格的な日本探究が開始されるのは53歳。彼は1921年にフランス大使として東京に赴任し、(途中の一時帰国を含め)足掛け7年にわたって日本に滞在する。人生の半ば過ぎて、夢がかなった。思うがままに日本の伝統文化を渉猟する時が到来したのである。
 クローデルは狩野派の金碧障壁画と水墨山水画に感動し、『忠臣蔵』から『清玄・桜姫』まで、歌舞伎における死の表象=再現に異常な興奮を覚える。だが決定的な体験は、能楽においてなされた。『道成寺』『翁』『羽衣』、そして『景清』。彼は観能の印象を細々と記録し、「能、それは何者かの到来である」という卓抜な警句を記す。みずからを「黒鳥(くろどり)」と呼び、『朝日の中の黒い鳥』という、美しい日本文化論を執筆する。
 日本に滞在する以前から、彼は全世界を舞台とした演劇という夢にとり憑かれている。アイスキュロスの『オレステイア』3部作に道化芝居を加えた4部作、ワグナーの『ニーベルンゲンの指輪』に拮抗すべき4幕の戯曲を執筆できないものか。それは聖母と聖ヤコブの守護のもと、不運の恋人たちがはるか天上界を仰ぎ見ながら、東洋と西洋を股にかけて移動するという、壮大な規模の悲恋物語となるはずだ。名付けて『繻子の靴』。4幕の構成は往古のスペイン芝居に倣って、「4日間」の物語と呼ばれることだろう。
 気が急いてたまらない。第1日目は、早くも日本到着前に着手する。第2日目は大使としての執務の合間を縫って完成する。第3日目にさしかかったとき、運悪く関東大震災が勃発し、原稿が焼失。彼はただちに書き直す。完結編にあたる第4日目が完成したのは、1924年のことであった。
 まともに上演すれば9時間か10時間はかかるという、巨大な規模の芝居である。おいそれとは上演できない。コメディ゠フランセーズのジャン゠ルイ・バローが高齢の作者の協力を得、短縮版をなんとか舞台に挙げたのが1943年。もっとも悲恋物語に焦点を当てたため、4日目はあっさりと割愛され、3日構成とされた。その後も3日ヴァージョンが慣習となった。バロー本人がそれを4日構成にしたのが1973年。1987年にはアントワーヌ・ヴィテーズがアヴィニョン演劇祭で、9時間40分をかけ、完全上演を果たした。文字通り、夜を徹しての舞台である。
 ちなみにわたしは学生時代、1977年にルノー/バロー劇団が来日したとき、国立劇場で第4日目だけの上演を観ている。このときは「バレアル(ママ)諸島の風の下で」という題名が与えられていた。何もない舞台に光と影が乱舞し、そのなかで二人の少女がゆらゆらと軀をくねらせている。彼女たちはいつまでも対話を続けている。果敢にも夜の海に身を投げ、はるか遠くに停泊中の船に泳ぎ渡ろうとしているのだ。もっとも一人の少女は力尽き、いつしか闇のなかに姿を消してしまう。わたしは『繻子の靴』という物語をまったく知らず、人物たちの来歴についても不案内なままに、このパントマイムを目の当たりにし、その美しさには目を見開かされた。恐ろしく簡素な舞台にもかかわらず、そこに顕現しているものの崇高さに撃たれたのである。
 そこでただちに中村真一郎による戯曲の日本語訳を入手し、ヒロインにはイングリッド・バーグマンはどうだろうかなどと、たわいもない空想に耽ったものだった。バーグマンと考えたのにはまったく根拠がないわけではない。クローデルが『繻子の靴』の後に執筆した『火刑台上のジャンヌ・ダルク』がロッセリーニの手で映画化されたとき、主役を演じたのが彼女であったからである。
 それからさらに8年が経ち、1985年にはポルトガルのマノエル・デ・オリヴェイラが全篇を、ほとんど科白を省略せず、フィルムに纏めあげた。愚直なまでに誠実な映画化である。わたしはこの映画版『繻子の靴』を、1987年にニューヨークの現代美術館で観る機会があった。2日がかりで7時間に迫るフィルムを観終えたとき、わたしはようやくこの偉大な戯曲の全体を、曲りなりにも把握できた気になった。空恐ろしい芝居だった。それからさらに歳月が流れ、わたしは東京の日仏会館でオリヴェイラと言葉を交わすことができた。わたしが『繻子の靴』と一言、口にしたところ、彼は(その当時はとうに90歳は越えていたはずだが)、「お若いの、一言だけいってあげよう。神は存在している」とだけ答えた。

 前置きが長くなってしまった。肝心の戯曲について語らなければならない。
 『繻子の靴』では冒頭に、「この劇の舞台は世界」とロ上が述べられる。
 世界! いまだかつて演劇において、かくも大胆な言葉が、かくも率直に発せられたことがあっただろうか。作者は最初から『創世記』を向こうに回し、『人生は夢』のカルデロンに対抗するつもりなのか。ともあれ「4日間」の舞台の進み方を簡単に記しておきたい。
 舞台は16世紀の末、いわゆる「大航海時代」である。主なる登場人物は4人。新大陸の制覇に使命感を抱くドン・ロドリッグ。美しい人妻のドニャ・プルエーズ。その夫で、厳格な大審問官のドン・ペラージュ。彼はスペイン国のアフリカ北西部の総司令官でもある。最後に敵役として、ムーア人との混血と思しきドン・カミーユ。
 ロドリッグは、嵐で漂着した先のアフリカ西海岸でプルエーズに出会い、運命的な恋に陥る。だが人妻を相手にした恋は、地上では実らない。ロドリッグはそれでも彼女を追い駆け、そこにカミーユが絡む。三角関係ならぬ四角関係である。戯曲の根底にあるのは、悲恋の恋人たちが織りなす、すれ違いのメロドラマだ。にもかかわらず、驚くべきことに、この長大な芝居において舞台上で二人が対面するのは、わずか一度、3日目の最後の約10分間だけなのである。
 『繻子の靴』にはいたるところにバロック的な装飾的枝葉が控えている。剣(新大陸征服と対イスラム戦争)と音楽(芸術と愛)という、互いに対立しあう旋律が見え隠れし、最後に奇跡的な統合を見せる。主物語から分岐したいくつもの物語が逸脱と脱線を重ね、ときに主物語に絡みついて、複雑な文様を見せる。音楽姫とナポリの副王が、嘘のようにスラスラと進む恋物語を演じ、主筋の恋人たちの悲愴さを逆に浮かび上がらせる。主人公の召使たちによる卑小な茶番劇がそれに続く。最後にプルエーズの忘れ形見、七剣姫(セテペ)が、父ロドリッグのもとを去り、大海を泳ぎ渡って、オーストリア貴族のもとに駆け落ちを企てるという、勇ましい挿話までがついている。
 だがもっと眼差しを近づけて、4日間にわたる物語を詳しく眺めてみよう。
 第1日目で中心となるのは、ロドリッグとプルエーズの困難な恋である。プルエーズは夫に従ってアフリカに発たなければならない。だが出発の日取りが別々であると知って、ただちにロドリッグに手紙を認め、駆け落ちを企てる。もっとも音楽姫の駆け落ちの一件に巻き込まれ、それは成就しない。それどころかロドリッグは戦闘で深手を負い、看護を求めて母親の城へ向かう。プルエーズは夫の配下によって監視されているが、彼の恩情によって脱出に成功する。
 「繻子の靴」というかわいらしい題名は、このプルエーズがロドリッグのもとに向かおうとするとき、館の入り口に置かれた聖母像に願掛けをする挿話に基づいている。彼女は履いていた靴の片方を聖母の両手のなかに置き、自分が悪へ走ろうとするときにはかならず足が萎えておりますようにと祈りを捧げ、片方の靴だけで夫の館を後にしようとするのだ。
 第2日目。ロドリッグは母親の城で重傷の床にある。プルエーズが到来するが、二人は行き違いとなってしまう。そこにペラージュが出現し、彼女に向かって出し抜けに、モロッコのモガドール要塞で指揮官になるよう命じる。何とも荒唐無稽の展開であるが、この程度で驚いていては『繻子の靴』全体の物語と付き合うことはできない。ロドリッグは傷が癒えるとただちにプルエーズを追う。だが要塞に到着した彼女は、駆け付けてきた恋人に会うことを拒絶する。大西洋を別々の方角へと向かう二艘の船を、天上から聖ヤコブが眺めている。聖者は二人の恋は地上では実らないことを知っているのだ。月光のなか、二人の恋人は二つの影となり、神を呪っては互いの不在を嘆きあう。月がそれに言葉を加え、舞台はしだいに恍惚感に包まれていく。
 第3日目。10年の歳月が経過する。ロドリッグは副王閣下として新大陸に君臨し、パナマ運河の建設に携わっている。運河が開通すれば、二つの大洋は結合することができるのだ。プルエーズは夫の死後、カミーユと結婚して、モガドール要塞を離れようとしない。カミーユはモロッコの聖人(マラブー)信仰に帰依し、反キリストの立場を露骨に表明するようになる。二人の間には娘が一人いるのだが、不思議や不思議、その顔はロドリッグに似ている。
 ロドリッグはパナマの宮殿で、プルエーズが書いた手紙をようやく受け取る。手紙は10年間にわたって、世界中を経廻っていたのだ。真相を知った彼はただちに新大陸を放棄。配下の全艦隊を引連れ、大西洋を横断する。目的地はモガドール要塞だ。彼がモガドール沖に司令戦艦を停泊させていると、これは何としたことか、プルエーズが娘を連れ、小舟で到来するではないか。ロドリッグは10年にわたる別離の絶望を訴えるが、プルエーズはまたしてもそれを拒み、娘七剣姫を彼に託すと、小舟で去ってゆく。『繻子の靴』の主筋をなす悲恋物語は、ここでひとまず終わる。
 第4日目。この日は『源氏物語』における『宇治十帖』のごとく、後日談、それも荒唐無稽な後日談の連続からなっている。プルエーズが要塞で爆死を遂げて以来、ロドリッグは国王の寵愛を失ってしまう。彼は新大陸の副王の地位を追われ、フィリピンへと左遷される。日本人の捕虜となり、片足を喪失する。
 この最終日では、第3日目からさらに10年の歳月が過ぎている。ロドリッグは地中海にあるバレアレス諸島近海に船を停泊させ、すっかり零落の身である。彼は活計(たつき)のため日本人画家と組み、漁師相手に聖人画を製作している。スペイン国王は目下、イギリスと交戦中で、勝利の暁にはロドリッグをイギリス国王に任命したいと考えている。だがロドリッグはそれを拒み、イギリスとの戦争をやめ、永久平和を願うと発言して、宮廷全体を困惑させる(かつての新大陸征服者が何という豹変ぶりであろうと、思わず口を挟みたくなるが、まあいいとしよう)。彼は七剣姫にむかって、自分は世界を拡げるために来た。人間は天の下に、壁も障壁もあってはならないのだと語る。一方、お転婆の姫はオーストリアの貴族との駆け落ちを企て、肉屋の娘といっしょに夜の海を泳ぎ出す(わたしがバローの演出で、強烈に記憶している場面である)。王の不興を買ったロドリッグは奴隷の身分に落とされ、売り飛ばされることになる。そこに修道女が現われ、彼の身元を引き受ける。信じられないことに、この第4日目を構成している11の場は、ロドリッグの館はおろか宮殿にいたるまで、すべて海の上を舞台としている。

 渡邊守章はこの戯曲をどのように演出しただろうか。彼はかつて『サド侯爵夫人』でルネを演じた元宝塚の剣幸(つるぎ・みゆき)にプルエーズを、ラシーヌと鏡花の舞台で気心の知れた石井英明にロドリッグを演じさせた。大蔵流の狂言方である茂山七五三(しめ)とその息子たちに協力を仰ぎ、自分が育て上げた京都造形芸術大学の卒業生たちに出演を依頼した。音楽は基本的に藤田六郎兵衛(ろくろびょうえ)の能管だけに絞った。剣幸演じるプルエーズには一ヵ所だけではあるが、「わたしは剣(けん)よ!」と絶叫する場面があり、戯曲全体を貫く剣と音楽、戦闘と芸術の対立という主題に、はからずも(?)対応している。
 いくつか印象に残る場面をここに記しておきたい。
 今回の演出ではまず舞台全体が雛壇のように3層に分割され、それが左右の緞帳によって伸縮拡大の自在な空間へと作り変えられた。ダムタイプの高谷史郎がこの平面をスクリーンに見立て、銀河の横たう夜空から大海原、古城の石壁、ナポリの洞窟、さらに連合艦隊の甲板まで、思うがままに空間を変容させ、簡潔にして魔術的ともいえる手さばきで場面転換を行なった。高谷はこの舞台において、もう一人の隠れたプロスペローである。
 ひとまず舞台から奥行きを追放したことで、空間はプロテウスのように変幻自在なものと化した。登場人物たちはそれぞれの層において、基本的に平行移動を行なった。召使たちは最下層にあってバーレスクに興じ、恋人たちは中間の層にあって激情に駆られ、苦悶と絶望を語った。最上階では守護天使がはるか下方にいるヒロインを眺め、冷ややかな言葉を送った。ただ口上役の道化(野村萬斎)だけが幕の変わり目ごとに映像で出現し、忙し気にあらゆる層を廻っていた。3層の舞台は地上世界の無限に続く水平性を意味していた。それに対し、後半になってにわかに目立つことになる船の帆柱や聖者の杖は、天上と地上という、この戯曲の根幹にある垂直性を体現している。
 厳粛な場にあって人物たちは、譜面台を前に直立不動で朗誦を続けた。それは朗誦をよくなしうる者だけが芝居をよくなしうるという、フランスの古典劇から継承された演劇観の、みごとな実現であった。原作の台詞は一応は自由詩形ではあるが、それでも厳密に脚韻が踏まれている。わたしは演出家渡邊がこの10年近く、今回の舞台を実現させるための準備作業として、朗読オラトリオを重ねてきたことを思い出した。演劇の基幹となるのは朗誦であるという、ともすれば当代流行の日本の演劇界にあって蔑ろにされがちな真理を、根源的に確認するところから、『繻子の靴』の舞台は開始されている。
 もっと細かく演出を見てみよう。
 2日目の中ごろ、黒衣のロドリッグと白衣のカミーユが黒い垂れ幕の前で対決する。原作の戯曲ではモガドール要塞の中に設けられた拷問部屋という設定である。二人は強い緊張感のもとに対峙しているが、カミーユが少し軀を近づけると、二人の巨大な影が重なり合い、あたかも3本の手を持った一人の人物の影のように見える。彼らがプルエーズを媒介として、分身の関係にあることを如実に示している演出である。ここでロドリッグは初めてプルエーズの愛の熱情を知り、愕然とする。背景に蝶々の像が映し出されているのは、こうした劇がどこまでも魂(プシュケー)の次元での事件であることを告げている。
 メロドラマ的想像力が高揚を迎えるこの場面に続いて、きわめて夢幻的な光景が出現する。陰鬱な拷問部屋は一瞬のうちに波の揺蕩(たゆた)う大海原と化し、舞台の上層と下層にプルエーズとロドリッグとが別れて眠っている。彼らは大洋によって隔てられているのだ。下方からゆっくりと巨大な満月が登ろうとし、それに合わせて月の精が舞台中段に現れる。彼女はキラキラとしたラメ入りの服を纏い、棕櫚の葉を扇子のように携えている童子である。この間も打ち寄せる波の色調は微妙に変化してやまない。月の精が姿を消すと、プルエーズが起き上がり、純白の光に包まれながら、永劫にわたる愛をめぐって独白を続ける。満月がゆっくりと、舞台を大きく横切ってゆく。ふたたび月の精が登場し、下方で眠りこんでいるロドリッグに棕櫚の葉を向ける。彼がまだイヴと分離する以前の、無垢にして完璧なアダムとして、深い眠りにあることが示される。やがて彼は目覚め、プルエーズの創造した天国に自分が留まりえぬという絶望を語る。海の色はしだいに陰鬱な暗さを帯び、すべてが暗黒に包まれてしまう。
 ちなみにオリヴェイラの映画版では、この場面では暗闇に丸く刳り貫かれた穴から罪の女神が、メリエスの無声映画『月世界旅行』の月のように顔を覗かせ、独白を続けるという演出がなされていた。渡邊演出では背景に満月の映像を投影するとともに、光り輝く童女として登場させている。二つの影の背後に流れる長々とした独白は、演出家である本人が担当している。この長大な芝居のなかでもっとも神聖にして静寂感に満ちた光景が、こうした身体と声、映像とその色調の変化によって、多元的な力のもとに実現されている。
 第3日目の結末部、プルエーズとロドリッグが出会うことになる唯一の場面についても、やはり書いておきたい。
 新大陸を支配するロドリッグ副王の戦艦の甲板で、二人は出会う。プルエーズは最初、カミーユからの信書を手渡すという任務から緊張した姿勢を崩さず、ロドリッグも彼女に面と向かって対応をしない。彼はどこまでも正面を向き、不動の姿勢をとっている。二人の対話は強い調子の詰問とそれへの断固とした返答の形である。だが10年ぶりに再会を果たした恋人を前に、プルエーズの口調に少しずつ乱れが生じてくる。ロドリッグはそれを無視し、断固として拒絶の姿勢を崩さない。だがカミーユがかつてプルエーズを拷問したと聞かされた瞬間から、ロドリッグは我を失い、彼女に向き合う。プルエーズは愛娘を彼の前に差し出し、自分の代わりに育ててほしいと懇願する。ロドリッグはふたたび彼女と向かい合うことを止め、正面を向いて拒絶の姿勢をとる。二人はこうして別々に朗誦を続ける。だが最後に彼らはもう一度向かい合い、膝まずきながらしだいに距離を縮めていく。感極まって絶叫するにいたるが、最後まで抱擁や接吻がなされるわけではない。彼らは聖ヤコブが予言したように、地上においては絶対の乖離を生きる宿命にあるのだ。最後にプルエーズは死を決意して下船する。ロドリッグは彼女を止めることができない。置き去りにされた娘が母親を求めて泣き叫ぶところで、第3日目は幕を閉じる。
 日本語ではpassionという言葉は受苦と情熱という、二通りに訳し分けるのが常道とされている。だがこの二人の再会と別離、受諾と拒絶の重なり合いを目の当たりにすると、まさに受苦と情熱とが同一のものであると判明する。プルエーズを究極的に襲うのは、死を前にした歓喜である。ロドリッグにとってそれは、生涯にわたる悔恨と絶望の予兆である。渡邊演出はこの場を通して、メロドラマ的想像力から可能な限りの強度を引き出すことに成功した。整然としたオラトリオを基本様式とするこの舞台が、それを放棄して歓喜と絶望の絶叫に終わるのだ。

 先に、今回の演出にあたって画像の投射による空間造成が大きな意味をもっていることを指摘した。もしこれが半世紀前であったとすれば、場の転換に幾通りもの緞帳を準備したり、回り舞台を設定したりしなければならず、それでもこの大作の舞台である「世界全体」を表象するには追い付かなかっただろう。
 では高谷史郎による魔術的なスクリーンは、コンピューター時代における演出の新奇さ(ヌヴォテ)にすぎないのだろうか。実はそうとも断言できないのである。これはある意味で、原作者が夢想し、戯曲のかたわらに書きつけたヴィジョンを、今日的立場に立ってより進展させ、前景化した結果だと考えられるからだ。いや、もう少し強弁を重ねれば、クローデルは1920年代にはまだ新しい表象体系であったシネマトグラフ、すなわち映画を念頭に置きながら、いくつかの幻想的な情景を創造しているのである。
 第4日目の中ほどに、理解不可能な笑劇が挿入されている。漁師たちが2組に分かれて、地中海に浮かぶ不思議な島にロープを巻き付けると綱引きに興じるという件(くだり)である。本筋とはまったく関係のないこの笑劇については、インドの古代神話に有名な乳海攪拌の物語に始まり、能や歌舞伎まで、さまざまな源泉が考えられるかもしれない。だがこの劇で興味深いのは、漁師たちに命令を下す教授の一人が、この綱引きのさなかに探究を重ねている奇妙な魚のことである。教授がドイツの学術書で見たというその古代魚は、レンズと同じく一眼しかもたず、頭上に電気を通す映写機が取り付けられている。また胴体には、二重のロールが8の字の形に巻き付けられている。この魚は自分の眼で捉えた事物の姿を自動的にこのロールに印刷し、映像として無限に吐き出すことができるという。漁師たちが怪訝な表情を見せると教授は興奮し、この魚が「存在する! 存在する義務がある!」と怒鳴りまくる。
 これは端的にいって、映画の撮影と映写を同時に兼ねた装置ではないだろうか。クローデルがどうして悲恋物語が終わった後の、いうなれば大物語の残響だけが聴こえる第4日目にこうした荒唐無稽な挿話を置いたのかは詳らかでないが、少なくとも彼が映画という光学的な発明と映像投射によるスペクタクルに充分自覚的であったことが、ここから明確に窺うことができる。奇魚の単眼は、2日目にプルエーズの手にした水晶の数珠や、その変形としての地球とともに、壁面に巨大な形で投射されて、舞台全体の喩となる球体の主題的系列上にある。こう考えてみると、今世紀の当初にコンピューター処理によって舞台空間に魔術的な変容がなされることは、原作者の夢想を現実化してみせたことを示してはいないだろうか。もちろんこんなことについ目が向いてしまうのも、ひょっとしたらわたしが映画研究を長らく専門としてきた者であるからかもしれない。だが1920年代の時点で全世界の演劇化という壮大な野心を抱いた劇作家が、ベルグソンやフロイトの同時代人として、彼らと同様にシネマトグラフという装置に深い好奇心を抱いていたとしても、けっして不思議ではあるまい。

 ともあれ午前11時から午後8時半までをかけ、渡邊守章演出『繻子の靴』の舞台は終わった。わたしは20年ほど前にジョグジャカルタでワヤン劇『パラタユダ』の舞台を、それこそ夜を徹して観劇した体験があるが、それに匹敵するほどの長さである。4日目の舞台が七剣姫の無事を告げる大砲とロドリッグの魂の解放をもって幕を閉じたときには、疲労感を凌駕する解放感に襲われたと告白しておかなければなるまい。
 そのとき、不意に思い出されてきたのは、学生時代、すでに宗教学科に進学をはたしておきながらも、渡邊守章助教授が開講していたジャン・ジュネ研究の演習に参加していたときのことである。彼がフランス演劇と現代思想の専門家であるばかりか、観世寿夫の「冥の会」の演出家であると知り、あれは学生優待券というものであったか、ともかく何かの縁を頼って格安チケットを入手して、セネカの『メーデーア』の舞台を観に紀伊國屋ホールへ向かったことがあった。漠然とギリシャ悲劇風の書き割りを期待していたわたしは、舞台に突然に出現した老女に驚き、彼女が呪文のように唱える石牟礼道子の『苦海浄土』の一節に、また劇のなかで反復されるオノマトペアの呪術的効果にさらに驚いた。それがわたしの観た、最初の渡邊演出である。1975年のことであった。
 実はその同じ年、この演出家は800頁に垂(なんな)んとするクローデル評伝を上梓している。とはいうものの、その書物は主人公が37歳で『真昼に分かつ』を書き上げたあたりで、突然に幕を閉じている。その時点でクローデルはまだ大使として日本に赴いてもおらず、いわんや『繻子の靴』の構想も抱いていない。いったい評伝の第二部はどうなるのだろうと気にかかってもいたが、ラシーヌから三島由紀夫、能楽と、作者が演出家として華麗な活躍ぶりを見せているのを茫然と眺めているうちに、いつしかそのようなことは忘れてしまった。だがその間に、研究者渡邊守章は演出家渡邊守章として、クローデルに真剣勝負を挑むための準備を、着々と続けていたのである。彼は戯曲『繻子の靴』を翻訳し、いくたびかにわたってオラトリオの試みを重ねた。昨年の年頭には、クローデルが日本滞在中に深い感銘を受けた能楽の『道成寺』を演出した。かくして歳月が結実し、ここに『繻子の靴』全篇の上演となった次第である。実に慶賀すべき痛快事ではないだろうか。
 実のところ、わたしは(それが不可能なことであることは承知していたものの)密かに、あることを期待していた。それは2日目の中ごろ、満天の星空を背景に登場する老賢者、聖ヤコブを、ひょっとして渡邊寸章本人が演じることはありえないだろうかという期待であった。この戯曲の隅から隅までを把握し、膨大な註釈とともにそれを訳出したばかりか、ついに上演に漕ぎ着けた彼こそは、ホタテガイの殻を腰につけ、悲運の恋人たちの二艘の船が別れゆくさまを天界から眺めている聖者に匹敵する位置を、テクストとの間に結んでいるのではないだろうか。
 クローデルがフランス大使として東京に赴任してから、もうすぐ百年となる。今回の『繻子の靴』の達成が、どのような形で離火継承されていくのかを考えるのは愉しみである。

月刊『新潮』(2017年2月号)所収

【筆者プロフィール】
四方田犬彦 YOMOTA Inuhiko
東京大学で宗教学を、同大学院で比較文学を学ぶ。映画、文学、都市論、料理、漫画、音楽といった、幅広い文化現象をめぐって、批評の健筆をふるう。芸術選奨受賞。近著に詩集『親鸞への接近』(工作舎)がある。

syusu_front-392x550ポール・クローデル生誕150周年記念
『繻子の靴』 四日間のスペイン芝居
作: ポール・クローデル『繻子の靴』(岩波文庫)
翻訳・構成・演出: 渡邊守章

2018年6月9日(土)・10日(日)各日11:00開演
静岡芸術劇場
*公演詳細はコチラ


2018年3月10日

『寿歌』ブログ2 ~舞台美術は?~

Filed under: 『寿歌』2018

こんにちは。
制作部の雪岡です。

今回のブログでは、舞台美術の製作過程を一挙公開いたします!

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こちらに向かって微笑んでいるこの方こそ、『寿歌』の舞台美術を手掛けたカミイケタクヤさんです。

普段は四国を拠点に活動されていますが、最近では多くの劇場や劇団の舞台美術を担当されており、「ふじのくに⇄せかい演劇祭2015」でも上演された『天使バビロンに来たる』(制作:鳥の劇場)の美術製作もカミイケさんによるものでした。

今回は静岡での滞在製作となり、SPAC創作・技術部のスタッフとともに、舞台芸術公園にて作業が進められました。

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木材を四角や扇型などの形状にカット。それらを組み立て、つなぎ合わせて形にしてきます。

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全体を黒く塗った後には、塗料で車輪の模様がつけられています。

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ビビッドなカラーのビニールシートが試しに並べられています!
これも美術の一部として使われるようです。
 

一度は組み立てた装置でしたが、作業場から稽古場となる静岡芸術劇場のリハーサル室へとお引っ越し。
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サーキットコースのような、公園の遊具のような、なんだか登ったり走ったりして遊びたくなってきませんか?
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装置がドーンと登場。床から5mはある天井にも手が届くほどの大きな装置で、地面には目にも鮮やかな光景が広がっています。
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でも実はまだ完成ではありません!
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ペットボトルやプラスチック容器、遊ばれなくなったおもちゃなどをリユースして装飾が加えられていくそうです。
舞台美術の全貌はぜひ本番でご覧ください!

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愛知県芸術劇場・SPAC共同企画
『寿歌(ほぎうた)
演出:宮城聰、作:北村想
美術:カミイケタクヤ、照明:木藤歩
出演:SPAC/奥野晃士、春日井一平、たきいみき

【愛知公演】
2018年3月24日(土)14:00/18:00、25日(日)14:00、26日(月・祝)14:00/19:00
愛知県芸術劇場・小ホール
*愛知公演詳細はコチラ

【静岡公演】
日時:2018年4月28日(土)、30日(月・祝)各日18:15開演
会場:舞台芸術公園 野外劇場「有度」
*静岡公演詳細はコチラ
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