劇評講座

2014年6月23日

■依頼劇評■【『此処か彼方処か、はたまた何処か?』作:上杉清文、内山豊三郎 演出:大岡淳】あの上杉君――南伸坊さん

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2014年2月14~16日に、アトリエみるめで上演された、大岡淳演出によるSPAC公演、ハプニング劇『此処か彼方処か、はたまた何処か?』への劇評を、実際に観劇された方々から寄せてもらいました。第3回は、イラストレーター、エッセイストとしておなじみの、南伸坊さんです。上杉清文さんとの交流を中心に、語っていただきました。愉快なエピソードが満載です。

■依頼劇評■

あの上杉君

南伸坊

 『此処か彼方処か、はたまた何処か?』は、伝説の舞台だった。私はその伝説を、若い頃、あの石子順造さんからお聞きしたのだ。
 上杉さんとは、私の高校時代の同級生、秋山道男が引き合わせてくれた。澁澤龍彦とバルテュスの話が出て、趣味が似ていると気が合ってしまった。
 そんなことで知り合ったばかりの上杉さんのことをある時私が話しているのを横から聞きつけて、
 「その上杉って、あの上杉君のこと?」
と石子さんに訊かれたことで、その上杉がタイヘンな人だったというのが分ったのだった。それから、私は上杉さんとつきあい方を変えなきゃいけないかなと思ったのだが、すでに会うといきなり下らない冗談を言い合う関係になってしまっていて、結局今にいたるまで、つきあい方は変わっていない。 続きを読む »

2014年6月17日

■依頼劇評■【『此処か彼方処か、はたまた何処か?』作:上杉清文、内山豊三郎 演出:大岡淳】赤飯を炊きたいくらいの精神の運動――― 上杉清文Works連続上演へ急げッ! ――秋山道男さん

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2014年2月14~16日に、アトリエみるめで上演された、大岡淳演出によるSPAC公演、ハプニング劇『此処か彼方処か、はたまた何処か?』への劇評を、実際に観劇された方々から寄せてもらいました。第2回は、『此処か彼方処か、はたまた何処か?』の作者・上杉清文さんと共に、劇団「天象儀館」のメンバーとして活動されていた、クリエイティブディレクターの秋山道男さんです。上杉戯曲への熱い思いを中心に、語っていただきました。

■依頼劇評■

赤飯を炊きたいくらいの精神の運動
――― 上杉清文Works連続上演へ急げッ!

 秋山道男

 僕も『此処か彼方処か、はたまた何処か?』は、観たことなかったんですよ。噂だけは聞いていて。それでまず嬉しかったのは、上杉清文という人にお声掛けがあったってことなんですね。というのも、僕たちは天才・上杉の作品が、なぜ評論家とかメディアとかの俎上に乗らないんだろうっていう疑問をずっと持っていたんですね。だから、大岡さんたちが『此処か~』に眼差しを送って、瑞々しい役者の連中がああいうふうに充実した時間を作ってくれたことが嬉しくて。そして『此処か~』という処女作の後には、上杉Worksと僕が勝手に呼ばせてもらっている作品群が、ずっずっと続いていく。時期的にも意味的にも、導火線に火がついたという感じがするんですね、いよいよ。導火線の先には爆弾があるわけですが、その爆弾がまるで団子屋の店先のようにゴロゴロ並んでるんです。そのお団子にもし大岡さんたちが興味があるなら、まずその上杉作品を年代順でも何順でもいいから、読んでほしいんですよ。 続きを読む »

2014年6月13日

■依頼劇評■【『此処か彼方処か、はたまた何処か?』作:上杉清文、内山豊三郎 演出:大岡淳】茶番が繰り返されるとき――佐々木治己さん

カテゴリー: 未分類

2014年2月14~16日に、アトリエみるめで上演された、大岡淳演出によるSPAC公演、ハプニング劇『此処か彼方処か、はたまた何処か?』への劇評を、実際に観劇された方々から寄せてもらいました。第1回は、この公演にドラマトゥルグとして関わって下さった、劇作家の佐々木治己さんです。

■依頼劇評■

茶番が繰り返されるとき

佐々木治己

「人間は自分じしんの歴史をつくる。だが、思う儘にではない。自分でえらんだ環境のもとでではなくて、すぐ目の前にある、あたえられ、持越されてきた環境の元でつくるのである。死せるすべての世代の伝統が夢魔のように生ける者の頭脳をおさえつけている。またそれだから、人間が、一見、懸命になって自己を変革し、現状をくつがえし、いまだかつてあらざりしものをつくりだそうとしているかにみえるとき、まさにそういった革命の最高潮の時期に、人間はおのれの用をさせようとしてこわごわ過去の亡霊どもをよびいだし、この亡霊どもから名前と戦闘標語と衣裳をかり、この由緒ある扮装と借り物のせりふで世界史の新しい場面を演じようとするのである。」(マルクス『ルイ・ボナパルトのブリューメール十八日』伊藤新一、北条元一訳、岩波文庫、1954年) 続きを読む »

2014年5月19日

■依頼劇評■『ジャン×Keitaの隊長退屈男』批評 井出聖喜さん

■卒業生 依頼劇評■

『ジャン×Keitaの隊長退屈男』批評

井出聖喜

舞台
 一間(180cm)四方、高さ一尺五寸(45cm)ほどの台が中央に置かれ、その縁から更に一間辺りにまで四方から客席の雛壇が迫っている。
 台は朽ちかけ、側面の所々に穴が開き、色褪せた紅白幕がかすかに見て取れる。また、台の四隅には細身の柱が立ち、そのうちの一つの中央部には旧式の電話機が取り付けられ、さらにその最上部には三方に向かって据え付けられたスピーカーが望まれる。そのスピーカーの下部からは、三方に渡されたロープにほどよい間隔でナツメ型の提灯が据え付けられている。この台は盆踊りの櫓なのであろう。しかし、それにしては提灯が白と黒の二色柄で祝祭的な気分に水を差しているようである。
 舞台の進行と共に明らかになるのだが、この台は確かに盆踊りの櫓でもあるのだが、主人公磐谷和泉隊長とその部下が立て籠もる塹壕でもあるのだ。おそらく隊長は(そして彼に率いられた部下たちも)ここで戦死したのだ。 続きを読む »

2014年2月22日

■準入選■【『Hate Radio』ミロ・ラウ脚本・演出、IIPM製作】『マインドコントロールへの抵抗』柴田隆子さん

■準入選■

マインドコントロールへの抵抗


柴田隆子

 『Hate Radio』は、ルワンダ虐殺を助長したとされるミルコリンズ自由放送(RTLM)の生放送場面を「再現」したドキュメンタリー演劇である。ドキュメンタリー演劇では、現地調査やインタヴューなどで具体的な記録や証言を集めて、現実に起こった社会的出来事を演劇的に再構成するが、それは必ずしも本当の出来事そのものの再現ではない。あくまで実際に起きた出来事の一側面、それも演出ミロ・ラウのパースペクティヴを通した、彼が「芸術的真実」と呼ぶ美的再構成に過ぎない。とはいえ『Hate Radio』は、ルワンダの虐殺でメディアが果たした役割を可視化し、虐殺がなぜ起きえたのか、ヘイトスピーチを流したラジオ放送がどうしてそのような大きな影響力をリスナーに持ち得たのかを明らかにしている。これは決して過去の出来事として安穏として見る舞台ではない。今、ここで起きているかもしれない出来事の再現なのである。 続きを読む »

■入選■【『Hate Radio』ミロ・ラウ脚本・演出、IIPM製作】歴史の共犯者になる重み ――ミロ・ラウ『Hate Radio』における断絶と包摂――神田麻衣子さん

■入選■

歴史の共犯者になる重み
――ミロ・ラウ『Hate Radio』における断絶と包摂――


神田 麻衣子

 大規模な残虐行為のあと、わたしたちは当事者の語りを求める。1994年4月、ルワンダで実際に何が起こったのか。ジェノサイドを生き延びた人々の声は、報道のことばや映像の隙間を埋め、遠く離れた場所に暮らすわたしたちに戦慄をもたらす。では、なぜこんなことが起こってしまったのか。もちろん、これまでに歴史的、政治的、経済的、さまざまな観点からその原因は語られてきた。しかしながら、それらの多くは因果関係を説明するにすぎず、目を覆うようなその残虐性を説明してはくれない。その核心に近づくには、もう一方の当事者である加害側の声を正面から受け止める必要があるのかもしれない。隣人の殺戮を扇動する声とそれに共鳴する普通の人々の狂気。『Hate Radio』でわたしたちがイヤホンを通して聞くことになるのは、まさにその声だといえるだろう。 続きを読む »

■準入選■【『室内』クロード・レジ演出、SPAC出演】番場寛さん

■準入選■

番場寛

 この劇は予約しようとした時点ですでにチケットは売り切れており、キャンセル待ちも多く、もしキャンセルが出たとしても観ることはほとんど不可能だろうと告げられて観ることをあきらめていた。しかし『Waiting for Something』を見終えたとき、次の『黄金の馬車』の上演までの時間を待つことにも耐えきれず、もう一度頼み、キャンセル待ちの札を手にすることができた。観られる希望は殆どない状態は、晴れるとも降るとも予想できない梅雨空そのものの心境であった。この劇を観ることと観ないこととで自分の人生の何時間かが変わることは明らかだったがそれが何かは分からなかった。 続きを読む »

■準入選■【『脱線!スパニッシュ・フライ』ヘルベルト・フリッチュ演出、ベルリン・フォルクスビューネ製作】渡邊敏さん

■準入選■

「脱線!スパニッシュ・フライ」を観て

渡邊敏

 一年に何回か、「私の知らないところで世の中は進歩していて、人間は進化してるんだなあ」と感じることがある。ドイツの劇団、フォルクスビューネのこのお芝居も、見ていて、うれしいため息が出た。

 富裕な家の一人娘の恋にからんで縁談がもち上がる。そこに父親の隠し子疑惑や、花婿候補の若者と隠し子の取り違え、娘とその従姉妹の取り違えが起きて、次々と騒動が起きていく喜劇。「ドイツの芸術=固い、深刻」という先入観は冒頭から裏切られて、素早いストーリー展開と飛んだり跳ねたりのアクロバティックな動きの楽しさにひきこまれた。映画ならCGで作りそうなアクションも生身の俳優が演じている。すごい身体能力だ。 続きを読む »

■準入選■【『室内』クロード・レジ演出、SPAC出演】福井保久さん

■準入選■

福井保久

落語と真反対の方法で人の生きる根源に迫る『室内』では、観客は異空間でそれを否が応でも突き詰めることになります。

舞台は闇に近く、音さえも遮断されます。観客は衣擦れの音にまで敏感になり、今から始まる演劇に覚悟を決めることになります。
そしてまさしく闇と沈黙になり、目を凝らすことで認識できる幕開けを迎えます。仄かな動きで始まるこの演劇は、観客がこの空間世界のルール、意識を集中することで感じるという嗜みに気づく頃に動きを見せます。その動きも台詞も、私達が居る世界とはかけ離れたスローなもの、それは敢えて日常を重ねさせないことを意図したものです。 続きを読む »

■準入選■【『ポリシネルでござる!』ラ・パンデュ製作】『この世でいちばん怖いもの』大野博美さん

■準入選■

『この世でいちばん怖いもの』


大野博美

今年のふじのくに⇔せかい演劇祭のトップを飾った公演。
会場はグランシップ広場の芝生の上。そして人形劇。正直、注目度は決して高いとは言えない。

幸い、時間が取れたので、何の予備知識も(期待も)なく、当日券にて観劇。
全くの人形だけの劇というわけではなく、操り手の美男美女が時には出演者となる。
また、客いじりも楽しく、言葉の壁を超え、最前列の子供達は大はしゃぎしていた。
ポリシネルは、伝統の人形劇、、、だそうである。コメディア・デラルテのキャラクターの一つであるとのこと(と言われても何のことやらさっぱりわからないが…)。失われつつある文化の一つではあるらしい。
彼ら「ラ・パンデュ」という美男美女のユニットが、その文化をこの静岡に運んできてくれたのだ。 続きを読む »